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依頼

 近未来において、ゲーム市場は新たなステージへと移行していた。家庭用ゲーム機から始まったゲームは持ち運び可能な携帯ゲームへ進化し、全世界のプレイヤーとネットを介したオンラインゲームが主流となった。そこに続いて遂に仮想現実、バーチャルリアリティーの世界で『仮想体験型ゲーム』という、プレイヤーの意識がゲームの世界に入って、実際に体を動かしてプレイする究極の娯楽が生み出された。同時に様々なオンラインゲームが発表され、全世界のコアなプレイヤーや初心者など、老若男女全ての人が一同にネットに集結する時代になった。


 もちろん、バーチャルに意識をリンクするには専用の端末が必要となってくる。これがいわば、コントローラーの役割だ。頭に付けるヘルメットのような形をしたモノに幾つかの電極が繋がっていて、皮膚の上から直接脳神経に電気信号を送って刺激するのだ。まず、睡眠作用を促す信号が伝達された後、脳から発せられる五感への信号を専用の変換モジュールを介して、インターネットへ接続される仕組みだ。これにより、仮想の自分がゲーム世界に構成され、あたかも現実のような錯覚を起こす。初期のバーチャルでは視覚と聴覚だけが反映されていたが、今では触覚、嗅覚、そして味覚と全ての感覚機能が現実と変わらず、目の前に本物があるような感覚を出すことが出来るようになった。最早、現実とバーチャルの区別もつかなくなり、廃人化するケースも出てきているほどだ。


 特に若者を中心に混沌とした現実世界から解放を求め、ゲームの世界に逃げ込んでいく人が多いようであった。そうして膨らんだバーチャル人口は全世界人口の約四十パーセントを占め、ゲーム内で稼いだポイントをビットコインや実際の紙幣に換金し、現実世界で労働せずに生活するスタイルが増えていた。また、一部のコアゲーマーが陥りやすい現実と仮想の判断がつかない現象によって、凄惨な事件が起こる事もしばしばある。これは全世界で社会問題に発展して早急に対応しなければ、やがて社会全体が崩壊すると警告されている。


   ***


「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば!」


 奇声にも似た妹の怒鳴り声に、思わず何事かと飛び起きた。目を開けた瞬間、視界が妙に青く染まった自分の部屋が映った。


 ああ、そうか。また付けたまま寝たのか。


 頭に装着されたバーチャルゲーム用のヘッドギアが手に当たった。目の前が青み掛かっていたのはギアの保護シールドのせいで、サングラスを掛けているような状態だった。


 昨日は確か、オンラインゲームのカジノをしていたはずだった。ゲームが終了し、現実世界に戻って来ているところをみると、どうやら自動ログアウトが働いたらしい。つまり、寝落ちしたということだ。


 窓の外を見れば、何時の間にか明るくなった青い空が映り、枕元に置かれた目覚まし時計は朝の八時半を指していた。


「またゲームしながら寝てたでしょ! もう、毎日毎日ゲームばっかり――――それはそうと、今日は買い物に付き合ってくれるって言ったでしょ。早く準備してよ」


 目を擦りながら活性化していない脳を呼び起こし、妹の美夕みゆが主張する買い物の約束を交わした記憶を辿った。夏休みに入ったばかりの高校生となると、一日の生活がだらける傾向にある。したがって、つい昨日の事でもハッキリしない。何か特別な事があったわけでもなく、家でクーラーの恩恵を受けながら、ゲーム三昧の日々だけが頭の中をグルグル回っていた。


「もういい!! とにかく今から買い物に出るから早く着替えて!」


 しびれを切らして美夕は強引に腕を引っ張り、安息地であるベッドから俺を引きずり降ろした。


「おいおい、俺はまだ行くとは言ってないぞ」


 美夕は可愛い顔を台無しにするぐらい、眉間に深いしわを寄せた。そして決めポーズを取るかのように指し、

「決定事項です! お兄ちゃんに拒否権なし!」

などと言いながら踵を返し、飾りっ気ない殺風景な部屋から出ていった。まさに「有無を言わさず」とはこの事だ。反論する暇させ与えず、自分の思いを押し通して約束を取りつける妹……恐るべしワガママだ。


 何か重要な用事はなかったか、と考え込んでも何も浮かんでこない。夏休み真っ最中、しかも無部イコール用事なしが自分のステータスだ。暇なのが当然、用事など有りはしなかった。あえて言えば、ゲーム仲間と懇談会があるが、それはバーチャル世界で執り行われる用事。多分、美夕は納得しないだろう。


 その時、埃を被った勉強机が妙なリズムで震えだした。天板の上で青い光を点滅させながらスマホが小刻みに震え、今にも落ちそうになっていた。


「やべっ!」


 ダッシュで駆け寄り、間一髪のところ手にスマホを収めた。春に機種変更したばかりの新型モデルのスマホだ。A型の血が騒ぐのか、ほんの数か月でキズが付いてしまうのだけは避けたかった。


「ふう、全く誰だこんな時間に……………」


 液晶画面に映し出された電話の相手に、少々項垂れて言葉を失う。朝早くから――とは言っても八時を過ぎて九時になりそうな時間であるが、朝っぱらから憂鬱になるような事が連続して起きている気がしていた。


 一度深い溜息をつき、ゆっくり時間をかけながら画面をタップした。


「はい、虎牙こがですが……」


 弱々しい声を発した俺とは逆に、開口一番、何やら慌ただしい物音がしたかと思うと、眠気が吹き飛ぶような馬鹿デカい声が耳を貫いた。


〈おお! 虎牙くんか! てっきり出てくれないかと思ったよ〉

「じゃあ切っていいですね? そんな台詞を言うってことは別に急ぎって程でもなさそうですし……」


 低血圧でスロースタートの俺はあくまでも冷静だった。


〈ちょっ、ちょっと待ってくれ! 違うんだ、本当に急ぎの用事なんだ! 緊急事態なんだよ!〉


 慌てた様子で早口に喋る電話の相手は以前、バーチャルゲーム企画コンテストなるイベントに応募した時に出会った、オンラインゲーム制作大手『サイバーアーツ』社の企画開発部に所属するプログラマー、渡嘉敷航とかしきわたるであった。彼は近年、急成長を遂げているバーチャルゲーム市場にいち早く取り組み、多数の大ヒットゲームを世に送り出している凄い人物だ。表向きにはカッコイイ肩書きであるが、ゲーム制作の取材といって場所や時間を問わず、何処にでも出現してくる神出鬼没のおっさんだ。二年前のコンテストで優秀賞を取った時も目を輝かせて、自分にそのゲームのプログラミングをやらせてほしいと迫ってきた張本人。真面目で熱血なのだが、行動が少しでも間違えれば通報されそうな勢いなのがたまにキズである。


「ゲーム会社の緊急事態を何故一般の学生に話そうとするんですか。全然関係ないですよね?」

〈実はそうもいかないんだ、問題なのは君がコンテストに応募した『SINOBI』が不具合を起こしているんだ。なんでも、ゲーム内の世界が崩れかけているそうだ〉


 渡嘉敷の言う『SINOBI』というのは第一回バーチャルゲーム企画コンテストで優秀賞を貰った、RPG忍者ゲームのことだ。アクション要素を取り入れ、きめ細かい世界観やキャラ設定が高く評価された作品であった。また、世界的にも忍者ブームが沸き起こっていたことも助けになり、本格的にゲームとして世に送り出すことが出来れば、歴史にも残るベストヒットゲームになれると大いに盛り上がった。その後、会場で変態のおっさんであった渡嘉敷さんとサイバーアーツの社長と何度か面会し、商業ゲームとして開発する為、正式に著作権をサイバーアーツに委ねた。その後の開発でも原案作成者として、ゲームの監修をしている。今現在、何度かのアップデートを施した最新の『SINOBI』がゲームランキングの上位を、常に君臨する状況が続いているという。


 まさか全世界で凄まじい人気ぶりを博したゲームの原案が、無部で何の取り柄もない一般的な高校生をしている虎牙真白こがましろだという事実は、家族やゲーム関係者ぐらいしか知らない。流石にクラスのゲーム好きの連中にはバレるかと思ったが、受賞した当時、無口で影の薄い存在だったこともあり、同性同名の別人が受賞したと思い込まれていたようだ。高校に進学しても同じ、多少クラスの連中と話すようにはなったが、自分から話すのも自慢話に聞こえるからと、成行きに任せて傍観した挙句、今日まで誰もゲームの話題を振ってこない。


 色んな意味で苦い思い出である、忍者ゲームを記憶から消し去ったというのに……この人はたまにこうして連絡をしてくるのだ。


「世界が崩れかけ……って何を言っているのかよく分かりませんが、それって……どう考えても渡嘉敷さん達、プログラマーの仕事じゃないんですか?」


 携帯を片手に力なくベッドに腰を下ろし、やれやれと頭を抱えた。


〈いやー、ごもっともなんだが、自分らはデバック作業で手が一杯でね。虎牙くんには実際にゲーム内に入ってもらって、連絡を取り合いながら不具合のモニターを務めてもらいたいんだ。まあ、ゲーム制作の関係者ってことで何とか協力してほしい〉

「俺にゲームをプレイしろと?」


 電話口から渡嘉敷の鼻息が激しく聞こえ、まるで怪獣の寝息のように段々呼気が強くなっていった。


〈流石! ナイスだ虎牙くん、ズバリそういう事だ! 是非頼むよ。こちらも手が空いている者がいないし、ある程度ゲーム内の事情を知っている者じゃないと都合が悪くて困っていたんだ……。虎牙くんならゲーム制作時から協力してもらったスタッフだから、ゲーム事情も知っているだろうし、開発当時に使用していたプロトタイプのアカウントも持っているだろうから、他のプレイヤーに混じってのプレイも可能だ。これで運営の者とは気付かれなくて済むしね。ほら、最近はゲームのシステムが悪いとか、もっと使いやすいデザインを考えろとか、運営叩きが横行しているだろ? ウチも色々言われている中、のこのことバーチャルに出向けば、プレイヤー達とトラブルに発展しかねないんだ。そういう訳で頼むよ、虎牙くん〉

「つまり、運営関係者と気付かれずに任務を遂行しろという事ですか。まるでスパイですね」


 いつもはゲームを楽しむ側しか知らないが、いざゲーム運営、制作側の人間の立場を聞けば、色々苦労があるんだなとつくづく思う。まあ、これもゲーム会社の宿命であるワケだが。


〈……そういうことだ。本来なら直接の関係者が赴くんだが、今回ばかしは止む負えない対応だ。それで仕事内容を簡単に説明するとだな、私が現実リアルで虎牙くんに指示を与えるから、虎牙くんはゲームを楽しみながらモニターしてるだけでいいんだ。なっ、簡単だろ? 勿論、モニターした分を報酬として還付するつもりだよ〉


 俺は『報酬』という言葉に反応し、眉が微かに動いた。


 これは願ってもないチャンスであるに違いない。昨日の大損を臨時収入で穴埋め、更に軍資金として新たな賭けが出来るはずだ。しかも、これを理由付けにすれば、美夕の約束をとりあえず先延ばし、買い物に付き合わなくて済むはずだ。美夕だって面識のある渡嘉敷さんからの急なお願い事となれば、素直に応じてくれるに違いない。美夕には悪いが、この手でいくしかあるまい。


「ちなみに、報酬とはどの位――」


 下心が見え見えの台詞に、思わず喋り過ぎたと口をつぐんだ。報酬ばかりに気を取られ、心の声がそのまま表に出てしまったようだ。


 だがそんな心配も渡嘉敷は、

〈ああ、ビットコインでそれなりに支払うつもりだよ。今回の事に限ってじゃなく、虎牙くんにはいつも世話になっているからね〉

と言いながら全く気付いていない様子。


 断る理由などなかった。


「分かりました! 引き受けましょう!」


 最早、ゲームの不具合の事など頭にあらず、大量のコインが目に浮かんでいた。


 俺の返答を聞いた渡嘉敷は鼻息を荒げたかと思うと、電話向こうで書類の雪崩が起こった効果音がした。かなり興奮している様子で、この場にいなくても騒がしいさが伝わってくる。


〈おおおおっ!! やってくれるか!! いやあ~頼もしい、流石は虎牙くんだ! そうと決まれば善は急げだ。早速ウチの会社まで来てくれるかな? 色々説明しなきゃいけない事があるし、それと――あ、いやっ……後でまとめて話そう〉


 熱血の渡嘉敷にしては珍しく、急に声のトーンが下がった。その後は冷静さを取り戻した様子で、一時間後にサイバーアーツの本社ビルで待ち合わせるプランを提示した。少々眠いが、報酬の為と思い、渡嘉敷の案を了承した。積もる話は会ってから話そう、と最後は小声で喋る渡嘉敷だった。


 電話を切り、嵐のような凄まじいトークからやっと解放された。通話時間は十分程度だというのに、二十分も三十分も話し込んでいた気がしていた。通話が終了した携帯には猫の待ち受け写真が表示され、デジタル表記の時計が午前九時に切り替わる。


 一段落して再び仰向けに寝転がった矢先、

「それで? お兄ちゃんはまた私の約束を破るの?」

 と、棘のある声に驚いて飛び起きた。


「って、お前……まだいたのか」


 部屋から廊下に出るふすまに寄りかかり、ふて腐れた様子の美夕が一瞥していた。美夕は電話の相手が誰なのか感づいているようで、「またゲームの話なんかして」と、ぼそぼそ呟いていた。


「ええっと……今の電話、渡嘉敷さんからだったんだ。知っているだろ? 前に兄ちゃんがコンテストで賞を貰ってゲーム会社の人と会ってたヤツ。なんか緊急事態らしくてな、どうしても行かなきゃいけないんだよ。だから次は絶対行くって約束するから、今回は見逃して……なっ?」


 誠意ある謝罪とばかりに、土下座でこの場を切り抜ける作戦に出た。この通りと、畳張りの純和風の自室で手を突き、深々と頭を下げた。


「まったく、すぐこれなんだから――――分かった、もういいから頭上げてよ」


 腕を組んで仁王立ちになっていた美夕は肩の力が抜け、呆れ顔だった。


 他にも何かと言い訳を考えていたが、案外簡単に折れてくれたのでネタ切れもせず、無駄な時間も取らずに済んだようだ。もうこれで一安心だと思ったのも束の間、

「ミルウォーキーのジェラート――それで許す」

などと、とんでもない要求を突きつけてきた。


「…………」


 俺は無言のまま、美夕の顔を見つめ返すしか出来なかった。


「だ・か・ら! 買ってきたら許すって!」


 アホ面の俺を前に美夕はまたも、険悪な悪魔の妹へ変貌していた。


「おいおい、あれって確か、駅前の一番高い菓子じゃねーかよ。俺もまだ食ったこと無いのに……」


 最近、駅裏の商店街を再開発するとかで、新しい店が立ち並ぶようになっていたが、その中でも『ミルウォーキー』という洋菓子店が女子達の間で話題になっていた。その店の商品は皆、ちょっぴり高めの値段だそうなのだが、どれを取っても美味いらしい。しかも女子達の天敵である、カロリーも考えられた甘さ加減であることも人気の秘密だそうだ。そのうち、俺も買って食べてみようと思っていたが、四月のオープンからついつい忘れて八月になってしまっていた。


「あれっ、そんな事言っていいの? 買い物付き合ってくれるってこと?」


 見下ろされた美夕の冷たく鋭利な視線が俺に突き刺さる。


 文句も言えまい。これで穏便になるなら安いものだろう。ついでに自分の分も買ってくれば丁度いいお使いになる。


「……りょ、了解」


 消え入りそうな声で渋々納得した俺であった。



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