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行き場のない散文  作者: 茶屋
3/4

夫婦喧嘩

 ある時代より、ちょっと昔の話。

 祖母から聞いた、子供にまつわる夫婦喧嘩の一幕である。

「あの子にはホルモン投与とベクター療法が必要だ」

 夫は神妙な顔つきでそう言いだしたのが喧嘩の発端だ。

「どういうつもり? あの子の心を改造するってこと?」

 妻の穏やかだった表情が曇る。

「改造じゃない。治療だ」

 夫は少し苛立った様子で言った。

「へぇ、心を治療するってわけ? でもそれってあの子の心を変えるってわけでしょ」

「違う。正常に戻すんだ」

「正常。あの子は異常だっていうつもり?」

「そういうわけじゃない。ただ、あの子にとってはそのほうがいい」

「本当にそうかしら? 同じ治療だったら発達整形でもいいじゃない」

「それは金がかかる」

 そう口にしたとき、夫ははっとした様子で妻の顔を見る。妻の顔には怒りが浮かんでいる。

「安いほうを選びたいから、あの子の心をないがしろにするってわけ?」

「そういうつもりじゃない。ただ、こっちのほうが簡単なんだ。自然な治療方法なんだ」

「身体を変えるより、心を変える方が自然だって言いたいの?」

「心も脳から発生する。同じだ」

「そうかしら? 心のほうが高尚で優先されるべきものでしょ。意思は欲望に勝るものよ」

「だが、意思も脳の中で発生する電気信号に過ぎない。脳も体の一部に過ぎないんだ。だったらよりシンプルでリスクの低い治療法を選ぶべきだ」

「でも、あの子をあの子たらしめているのはあの子の心なのよ。心に触れるべきじゃない」

「そんな大それたことじゃない。ちょっとした抗不安薬を飲むのと大して変りがないよ」

「不安に溺れなくなることと、好きになる性別が変わること、本当に同じレベルのことだって言うの?」

「そうだ。いや、違うかもしれないが……」

「ほらね。やっぱり身体を変えるべきよ」

「だが、身体に変化が起きれば、脳も影響を受けるぞ。身体が変わっても心はそのままなんて単純な話じゃないんだ」

「でも、あの子は女の身体を望んでいるのよ」

 夫婦には子供がいる。まだ誕生してはいない。人工子宮の中で発育段階にあるのだ。

 だがその子には異常が見つかった。「異常」というと批判を受けるかもしれない。成長予測によると性同一障害になることが予測された。その子の場合は男の体を持ちながら、精神的には女ということになる。ホルモンバランスの異常によるものだが、現段階で適切な対処をすれば精神的にも男として生まれることができ、成長後己の性別の違和に悩まされることもない。

「そうとは限らない。まだ、あの子は胎児だ。そんな身体に対する欲望なんてものはまだ形成されていない」

「本当にそうかしら? もう、心は生まれているかもしれない」

「いや、おそらくそれはないよ」

「あの子にはまだ心が無いって言うの?」

「心はあるかもしれんが我々ほど発達してはいないんだ。まだ」

「だったら、発達してからでいいじゃない。あの子が生まれてから、あの子自身に決めさせればいいんだわ」

「決めさせるっていつだ?」

「そうね。言葉が話せるようになったらでいいんじゃない?」

「そんな年齢で重大なことを決めさせるって言うのか?」

「まあ、そうね。じゃあ15歳ぐらいとか、20歳でもいいわ」

「それまでにあの子は身体と精神の性別の違和に苦しむことになるんだぞ」

「確かに。だったらほら、やっぱり身体のほうを精神に合わせてあげるべきじゃない?」

「だが、現段階では意思も肉体も変わりはないんだ。肉体を変えることも意思を変えることも、そこに高尚とか低俗とかそういうレベルは存在しないんだよ。どちらも変えられるものとしては等価なんだ。だが、リスクという面をみれば現状ではホルモンバランスを整える方が、治療としてのリスクは低いんだ」

「あなたってトランスジェンダー理解がないのね」

「そういうわけじゃない。あの子にはリスクが低く、より安全で苦しまないですむ方法を取ってやりたいだけだ」

 結局この夫婦の論争に決着することはなかった。

 この夫婦は結局離婚した。

 それでもって胎児は結局祖父母が権利を引き受けることになった。

 性別も性的嗜好も身体構造も、人格すらもある程度自由に改造できる現代からしてみればちょっと陳腐な話にも思える。

 でもその頃には性的嗜好と身体の適合性は重要な問題だったのだろう。

 そのころ胎児だった僕にはその時代感覚はわからない。

 でも親への反感だけは残ったようで僕の精神的な性別は男でも女でもなく、身体的にも両方の機能を持たせている。

 それでも祖父母は僕のことを憐憫の目で見たりはしない。

 だって祖父母もこの自由な時代を楽しんでいるから。

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