第一話
「兄さんっ、見てください」
扉をくぐった俺たちは感動の声を上げた。
俺たちは、アジアでもなかなお目にかかれないほどの高さのエスカレーターに乗って空へと昇っていたのだ。
電動、ではない。
おそらく魔法の力が働いているに違いない。
「ッ…………」
地上世界、ドリームリングが徐々に小さくなる。
眼下に広がるのは、広大な海と点々とした家々。
そして、周囲は地上世界とは思えない言葉にならない景観に包まれた空間が広がっていた。
「話には聞いてはいたけど、すごいな……」
「あ、兄さん、あれ見て」
美穂が空を指さす。
その先には深い霧の様な雲間が広がっており、雲間を抜けると俺たちの目的地と思しき浮き島が目視できた。
そして、その浮き島の周りに大きな鳥が飛んでいた。
「あれ、鳳凰……か?」
「そう、だよね。あれ、鳳凰だよね?」
地上世界の神話に出てくる鳳凰だろうか?
一瞬の出来事で詳しくはわからないが、たしかに鳳凰が飛んでいた。
「うわぁ、綺麗です~」
鳳凰の姿を見たとたん、美穂の緊張が解けていくのが分かった。
やはり、美しい物を見る、ということは大事なことなのかもしれない。
「綺麗だったね、兄さん」
「ああ」
かくいう俺も美しさに見惚れ、リラックスした気分になっていた。
地上世界の言い伝えで、鳳凰の姿を見たその年は恋愛成就、健康祈願、交通安全、あらゆる最悪を祓ってくれる事で有名で、神様と祭られることも少なくはなかった。
そういえば、この浮き島自体がどことなく言い伝えの島に似ていなくもない。
俺は、浮き島にあるもっとも大きな建物に視線を移す。
俺たちが通うことになる――。
「ねえ、兄さんっ! 兄さん起きてくださいっ!」
「ほらっ、兄さん起きてってばっ!」
ぐらぐらと盛大に体を揺さぶられる。
急に揺れが激しくなってきたな。
「美穂、はしゃぎ過ぎだ、落ちたらどうする」
「むう、てりゃあっ!」
ドンッ、と後頭部に衝撃を感じて、ラジオの周波数がカチッと変えるように、俺の視界は切り替わった。
「え、え~と? ここは――」
目をこすりながら、辺り一面を見渡す。
そこにあるのは見たこともない家具や道具、見慣れた景色とは到底言えるものではなかった。
「……ここはどこだ?」
「兄さん、まだ寝ぼけているんですか? 制服、置いておくから早く準備してくださいね」
「――制服」
真新しい制服を見るなり、一気に脳が活性化し、記憶がはっきりとしてくる。
ここは俺がこれから通うことになる『フィリアール魔法科学院』の学生寮で、今日は日曜日の休日――つまり買出しの最中だ。
確か、学院に通うための準備をするって美穂に連れ出されて、その休憩中に寝てしまったってことか。
「わたしに買い物をまかせっきりで居眠りをするなんて、ずいぶんといい度胸ですっ」
ゆっくりと声のする方に視線を向けると、そこには俺の妹、若林美穂の姿があった。
瑠璃色にきらめく瞳に、亜麻色の流れるように透き通る長い髪。
ムスッと可愛らしいく唇を尖らせ頬っぺたを膨らませ、淡いピンク色のワンピースを靡かせる姿は、男の人ならコロッと魅了されてしまうだろう。
「兄さん、聞いてます?」
「……あ、ああ」
唖然としている様子を見かねてか、小柄で可愛らしい顔が覗き込む。
とろけるような甘い声を響かせ、美穂は指先で耳元に触れる。
「にぃさぁん」
「わ、た、しぃ、クレープ、食べたいなぁ」
「美穂、冗談でもそういうこと言うのやめような?」
「ふふふ、冗談ですよ兄さん。 顔、赤くなってますよ?」
悪戯っぽく言うと、くるりと髪をなびかせ微笑む。
「兄さん、帰りましょう」
「ああ、美穂それ重いだろ? 俺が持つよ」
腰を上げ、半ば強引に荷物を受け取り歩き出すと、それに続いて美穂も歩き出した。
「ふふ、兄さんってば」
扉を開けると幻想的な世界が広がっていた。空を見上げる。
午後の光が一日の終わりを告げるかのように、太陽が水平線上に消えつつあった。
街中を橙色に染めあげる中、一際美しい輝きを放っている場所があった。
そこは、フィリアール魔法科学院の学生寮から、道沿いに数分と歩いた場所。
「――――」
俺たちは思わず無言でその場に立ち止まっていた。
噴水の水飛沫が夕日を反射して、まぶしく光り輝いてる。
『光の中に吸い込まれてしまうのではないか』と思うほど幻想的なものだった。
しばらく余興に浸っていると、突然水飛沫が淡い光に包まれる。
淡い光に包まれた水飛沫は時間が止まっているかの様にその場に停止していた。
やがて思い出すかの様に時間が動き始める。
夕日へ。
空へ。
ゆっくりと小さな水しぶきは噴水の天辺に集まり、大きな水の塊になった。
「水の守護精霊よ、力を貸して! ウォータースプラッシュ!」
噴水の裏側から声が響き渡る。
次の瞬間、水の塊が天へ勢いよく打ちあがっていく。
数十メートルほどの高さまで上がると水が塊が弾け飛んだ。
次々と水飛沫が天へ上がり弾け飛び、大きい物から小さい物まで、間髪いれずに打ち上がる。
弾けた水飛沫は夕日の光を反射してまるで水が花火の様に光り輝いていた。
「兄さん、兄さんすごい、すっごいです」
美穂はよほどその光景が気に入ったのだろうか、幼い子供のようにはしゃいで目を輝かせていた。
噂では聞いていたけどやはりすごいな。地上世界とはまるで別物だ。
俺の生まれ育った地も魔法は存在することは存在していたが、風を起こしたり火を起こしたりする程度のものだった。
さすがは空中都市ドリームシープと言った所だろう。
「だ、誰かそこにいるのですか?」
噴水の傍から一人の女の子が近寄ってくる。
どうやら、騒ぎを聞きつけて様子を見に来たらしい。
顔を覗かせる女の子と目が合った。
瞳の色は淡い青色で、夕日に照らされ透き通るような銀色の髪。
小柄なその体系では考えられないような、大きな弓矢を掲げていた。
しばらくの間、見つめ合う。
「はうぅ――」
可愛らしい声を漏らすと、もといた場所に隠れてしまった。
あれで隠れているつもりなのだろうか? 噴水の水が止まっていて全身丸見えなんだが。
ふと視線を落とすと、古めかしいペンダントが落ちていた。
女の子の落し物だろうか?
「し、しつれいしますっ」
ふと、目を離した瞬間だった。
んっ? 噴水で隠れていた女の子がいない。
一体どこへ行ってしまったのだろうか? 残されたのは俺たちは、古めかしいペンダントを拾い、『不思議なこともあるもんだね』と帰路につくだけだった。