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愛のカタチ

作者: 扇風気 周

 生物科学が進んだ現在という時代。

 僕はその流れの中で、命の部品を育てている。


 ***


 ちりりん、


 りん、


 鈴――という涼やかな音色が断続的に鳴り響く。


 場所は喧騒とは無縁の郊外だ。

 周囲はめったにひとが訪れない見渡す限りの大草原。

 その中でぽつんと並ぶ建物が二つ。

 いかにもな研究所風の建物と、馬の世話をする厩舎のような形をしているのがひとつ。

 後者が僕のアルバイト先だ。


 ちりりん、

 と。

 またひとつ鈴がなった。


 ここは常に、心地よい音楽に満たされている。

 僕は音に誘われて厩舎内の待機部屋から通路に出た。

 干草を敷いた通路の左右に、それこそ馬一頭が寝泊りできるくらいのスペースが通路の端から端までひとつずつ続いている。

 そのスペースのひとつひとつから、音は届いてくる。

 しゃかしゃか、と干草が擦れる音にちりりん、という音が重なった。

 通路とスペースは木の柵に遮られている。

 僕は手近のスペースをそっと覗いた。

 板張りの壁に囲われた狭い空間。

 そこで窮屈そうに全裸で寝転んでいるのは、生物だ。

 生まれたての赤ん坊を連想させる白桃色をしたきめ細かい肌。

 成人女性と同じ線を辿る身体のラインは勤めはじめの頃の僕をどきどきさせたものだが、今では何も感じない。

 見つめられているのがわかったのだろう。

 それはどこか、霞みのかかったぼんやりとした瞳で僕を見上げる。

 顔を上げた拍子に再び鈴がちりん、と鳴った。

 鈴は首輪からぶら下がっていて、首輪自体は引きちぎれないように、鈴をつけるための突起部分以外はビニールテープが貼ってある。

 こうしておけば指がかからないのだ。


「あー……ば、るあぁ、ぁあー」


 口から漏れた意味不明の言葉に耳を貸すことなく、違う部屋を覗いた。

 寝転んでいる奴、座ってぼんやりとしている奴、いわゆる『はいはい』の形で四足歩行してる奴。

 色々だ。

 しかしそれらは、一様にして同じ目的のために作られている。

 僕の上司――クローン技術者である博士。

 彼の顧客の遺伝子から作られた、臓器移植用のクローン生命体。

 それが、僕が世話をしているこれらだ。

 もっとも、厳密に世話をするのは十日間ほどだけである。

 機械の中で育てられた生命体の臓器がちゃんと臓器として機能するかどうか。

 それを判断するために十日間だけ、僕はクローンの面倒を見ている。

 とはいっても、仕事自体はとても簡単だったりする。

 決められた食事を出し、逃げられないように監視する。

 もしも逃げたら――そんなこと今まで一度もないが――鈴の音を頼りに捕まえに行く。

 たった、それだけだ。


「ばるぁー、あーばー」


 赤ん坊のような呻きと鈴の音をそばから聞いて僕は立ち止まった。

 顔を横に傾けると、柵の隙間からこちらに手を伸ばしているクローンがいた。


「るぃ、りーん。るぃーん。りーん」


 ――ここに来てから九日目のクローンだ。

 僕は一方的に視線を切って足早に歩を進め、待機部屋に戻った。

 時刻は昼を過ぎた辺り。

 もう少しで、客が来る。


 ***


 そして時計の短針がひとつ先の文字を指した頃。

 客人が乗った車は真上から降り注ぐ陽光を受けながら草原の上に伸びる道路を走り、約束の時間通りに研究所を訪れた。

 最初に応対するのは、僕の仕事になっている。


「所内を見て回りたいそうだ。案内してあげてほしい」


 と昨日、博士から頼まれたのだ。


「どことなく陰気な研究員よりかは、きみみたいな子の方が向こうも安心するだろう」


 という考えらしい。


 そんなわけで、研究所前に車が停車するのを待ってから僕はそちらに駆け寄った。

 クローン体の見張りは休憩がてら、研究員のひとがやってくれることになっている。

 停止した車は高級車だった。

 降りてきたのは男性だった。隙のないスーツ姿。頭髪には白と灰が目立つ。


「研究所のひとかね」

「えぇ、そうです」


 堅い雰囲気を漂わせている以外は普通の中高年だが、顔をよく見たとき「おや?」と思わず首を傾げかけた。


「――こちらです」


 頭に浮かんだ疑問符を悟られないように研究所の方へ身体の向きを逃がす。

 ……どこかで、見た覚えのある顔だった。

 詳細を思い出せぬまま、僕は彼を連れて研究所の中に入った。

 内部の床はリノリウムで、ロビーについているカウンターの作りも病院の受付のようになっている。

 そこでふと、僕はあることに気がついた。


「どういった施設を見たいんでしょう?」


 振り返って答えを促すと彼は無表情で「全てだ」と返答した。


「わかりました」


 僕は彼を連れて建物を回った。

 遺伝子情報採取の現場。

『摘出室』という名前がついている手術室の前。

 実際にクローンの体調を検査している部屋も見せた。

 僕は何かを見せる都度に事務的な短い説明を繰り返し、彼もそれを神妙な面持ちで聞いていた。

 そして、三十分くらい経った頃だろうか。


「これで全部です」


 と、ロビーに戻った僕は言った。


「全部? 今ので?」

「えぇ、そうです」


 問い詰める彼に対し、僕の声音はあくまで涼やかだ。

 嘘は言っていない。

 見せても問題がない場所は、さっきので全部だ。

 だが納得がいかないのだろう。

 すぅっ、と彼の目が細くなった。


「失礼だが、きみ、歳はいくつだね?」

「――は?」


 予想を超えた質問に思わず頓狂な声が出た。


「見たところ若いようだが」

「あ……そうですね。今年、大学を出ます」


 僕が答えるのと同時に彼は言葉を失い、目を見開かせた。

 ぼそりと、小さな声で囁いた。


「……それが何か?」


 尋ねると彼は何か悪い考えを振り払うように頭を振った。


「とにかく、他にも施設があるのだろう。見せていただきたい」

「しかし」

「博士からは許可を貰っているはずだが?」


 僕はまたも困惑する番だ。


「聞いていないのか?」


 こくりと頷くと、彼は明らかに不満を浮かべた。


「博士はどこかね」


 おそらく研究室に、と言おうとしたときだ。


「ここですよ」


 僕と彼は同時に、声のした方へ目を向けた。

 ぱりっとした感じの白衣に黒縁の眼鏡。珍しくネクタイなんかしている。


「ようこそ議員。我が研究所へ」


 議員。

 博士が彼をそう呼んだ瞬間、僕は思い出した。

 僕は彼を見たことがある。

 市議会だかなんだかの選挙のとき、テレビに映っていた顔だ。


「あぁ、来てやったさ。こんなところ来たくなかったがね」

「そうですか。――で、中は見て回られた?」

「三十分ほどそこの彼が案内してくれた。だがおそらく全部ではあるまい」

「でしょうね。三十分では半分くらいってところでしょう」


 悪びれた様子もなく、余裕たっぷりで答えた博士は僕を見た。


「ここからは僕が案内する。きみは戻ってくれ」


 わかりました、と答えて踵を返そうとした途端「待て」と、議員に呼び止められた。


「彼にも一緒にいてもらいたい」

「何故? 彼は研究員ではありませんよ?」

「だからだ。彼にも話を聞きたい」


 博士と議員はしばらく無言で向き合った。

 博士はしばし手を顎にやって考えたあと、僕に苦笑を見せた。


「そういうわけだから、一緒に来てくれるかな」


 断る理由は特になかった。


「では、行きましょう」


 合図をした博士を先頭に僕たちは歩き出した。

 最後尾にいた僕は議員の背中を見て、思い返す。


『……まだ学生なのか』


 僕の歳を聞いたあと彼が呟いた言葉。その意味はまだ、わからない。


 ***


 僕が議員に見せなかった残り半分というのは、いわば臓器クローン体の暗部とも言うべき部分だ。

 臓器を抜いたクローンを安置しておく棺おけの並ぶ部屋とか、跡形もなく火葬にする部屋とかそういう――簡単に言えば、血生臭い部分だ。

 僕たちは一時間近く、施設の中をぐるぐる回った。

 その種の光景に免疫のない議員がどういう顔をしたか。

 誰でも想像できるだろう。


「ここで最後です」


 博士は銀色の冷たいドアノブを回して大部屋に入った。僕たちもそれに続く。


「……なんだね、ここは」


 予想を裏切られたのかもしれない。

 凄惨な場面ばかりを見せられてきた議員は少しばかり、ほっとしたようだった。


「綺麗でしょう?」


 振り向いた博士がにこりと微笑む。

 僕たちが今いるのはこの施設で一番大きな部屋、関係者の間でカプセル室と呼ばれている場所だ。

 細長い長方形をしていて、壁際にずらりとカプセルが並んでいる。

 ――幅の広い廊下の両端に機械が並んでいる、と言いかえた方が想像しやすいだろうか。


「……まぁ、そうだな」


 カプセル室は議員や博士の言葉通り、ぱっと見はとても綺麗に映る。

 明かりは床にはめこまれているエメラルドの電灯だけで、カプセルをライトアップするように設置されている。

 こっちの方が綺麗に見えるだろうという博士のアイディアによるものだ。

 それは実際のところ、正しかった。

 カプセル室は水族館の内部を思い出させる。

 まるで海の底にいるかのような錯覚をさせる部屋。

 カプセルの内部を満たしている液体は足下からの光を浴びて、本物のエメラルドさながらの美しさを見せる。


「待て、これは」


 声を上げたのは、誘われるようにカプセルに歩み寄った議員だ。


「これは――」


 言葉はそこで切れる。先にあるはずの言葉は出てこない。

 博士は、


「綺麗でしょう?」


 と、もう一度繰り返した。


 博士の言葉は間違っていない。

 カプセルの中、海草のように漂う髪。

 口と鼻を覆う呼吸マスク。

 脱力しきった無為の状態で浮かぶ白桃色の身体は今、エメラルドの彫刻と化して神秘的な輝きを放っている。


「クローンの培養カプセルです」


 ごぼりと、クローンの呼吸マスクの弁から空気が漏れた。


「培養液によって新陳代謝を高め、成長を促進させ、短期間で身体を成熟させる装置――カプセルに入ってるこの子、見た目は成人ですが、十日前までは赤ん坊でした」


 博士は議員と並んでカプセルを見上げた。


「かわいいでしょう? 私の子供は」

「……ふざけるな」


 卵型の外殻に手をそっと触れて話す横で、議員は肩を震わせた。


「博士、貴方は狂っている」

「おや、そうでしょうか?」


 ひょうひょうとする博士を、眉の端を吊り上げた議員が睨む。


「無理矢理成長させて臓器だけを摘出し、用済みになれば焼き尽くす。これほどまでに非人道な行いが他にあるとでも言うのか?」

「けど、ひとも救っていますよ?」

「彼らの人権はどうなるッ! 彼らにも感情はあるのだろう?」

「ありませんよ」


 荒い口調の議員を博士はきっぱりと否定した。


「カプセルに入れる前に脳の電気信号をいじくってます。彼らのブレインに知能はないし感情も薄い。それが芽生えるような環境にも置いていません。先ほど説明した、彼の職場がそうです」


 くい、と博士が僕を指差した。

 僕はクローンの世話をしている間、彼らに話しかけることを禁じられている。

 何か興味を引くような行動も禁じられている。

 全て、博士の指示だ。


「きみはどう思っているんだ?」


 議員に問いかけられたのは僕だ。


「きみはまだ学生だろう? 何故こんなところで仕事をしている? 何故こんな――あんな場面を見ても平然としていられるんだ」


 博士は口を出さない。静観の構えだ。


「答えたまえ」


 僕は、言った。


「博士のことは、よく知っていますから」


 考えも、やり方も。それ全部を理解して、僕は今ここにいる。


「――そうか」


 議員が僕らに抱いたのは、落胆だった。


「貴様らは狂っている」


 言った途端、議員は何かを探すようにカプセルの周りに目を走らせた。


「ちゃんとした手順を踏んでカプセルを止めなかった場合、彼らは死にますよ。貴方の価値観に照らし合わせれば、それは殺人行為です」


 議員が歯噛みするのと博士が肩をすくませるのは同時だった。


「半年後の選挙だ」


 くるりと、彼は踵を返した。


「半年後の選挙、私が当選した暁にはこんな施設絶対にぶち壊してくれる! 二度とこんなことが出来ないような法もつけてやる!」


 惜しげもなく不快の言葉を吐き捨てた彼はそのまま、肩を怒らせて乱暴に扉を閉めて出て行った。


「……困ったねぇ」


 部屋の空気が反響を吸い込んだあと、博士がどことなく呑気な口調で言った。


「法律が本当に出来たらどうするんです?」

「おとなしく白旗かな。警察のお世話になりたくないしね。表向きは元々のスタートであるヒトクローンの研究に専念するよ。――とはいっても、今さら学者だけになるのも難しいだろうけどね」

「…………」

「ついでだ。向こうの様子も見てくるかな」


 博士はそう言い、部屋の奥へと進んでいった。

 カプセルの列が続く通路の終端には、玉座を連想させる配置でカプセルがひとつ置かれている。

 培養液に揺られるのは女性のクローン体だ。

 生物科学が発達したとはいえ、クローンの創造過程は昔と変わっていない。

 顧客の遺伝子情報を持つ受精卵をつくり、それを成人女性の胎内に移して成長させる。

 このカプセルの中身は、その役目を担っている女性クローン体だ。

 博士はカプセルの脇についている端末に手を伸ばし、キーボードを叩いた。

 エメラルドの部屋にディスプレイの色が混じる。


「母子共に健康だね」


 確認した博士は再び指をかたかたと躍らせた。

 ディスプレイの色は消えて、音も消えた。

 そして博士がカプセルの中へ目を向けた瞬間。

 それに答えるように、クローンの口元からごぼりと、いくつかの気泡がこぼれた。


 ***


 どこにでもいるような学生と、最先端技術を扱える科学者。

 普通ならとても縁がなさそうな僕と博士を結びつけてくれたのは大学教授だった。

 時期としては一年前。

 ちょうど僕が哲学を専攻することを決めたときだ。

 その教授は僕の大学に勤務しているひとで、何事に対してもはっきりと自分の意見を言うひとだった。

 命とは何か。人生とは何か。夢とは何か。

 そういった問いに正解はないとしながらも、自分の答えだけはきっちりと言えるひとだった。


 ――だからだろう。

 あの瞬間は、今でもはっきりと覚えている。


「なんというか、難しいところをついてくるなぁ、きみは」


 僕が臓器クローン体の成否について聞いたとき、教授は僕の前で初めて言葉を濁した。

 彼は、明快な答えを導き出せなかったのである。

 あとになってから考えてみると、やはりそれが僕に興味を与えた直接の原因だろう。

 卒業の条件である論文。僕はその題材に臓器クローン体を使いたいと申し出た。


「そうか……なら、実際に見てくるのが早いだろう」


 言うやいなや、教授は知り合いである博士に連絡を取り、一度会うこと約束取り付けてくれて、気に入ればアルバイトとして採用することまで決めてくれた。

 あまりの展開の速さに戸惑ったのは確かだが、収入を得ながら勉強できるならいいか、と軽く考えていた。

 後日、僕は都心からレンタカーを二時間ほど走らせた。

 天気の良い日で、音をかき消すような白い日差しが印象的だった。

 研究施設の周囲に広がる大草原が春風に煽られて波打ち、穂先のひとつひとつが首を振っていたのもよく覚えている。

 到着すると迎えが待っていた。

 博士だった。

 博士は大仰な仕草でお辞儀をしてから「ようこそ、我が研究所へ」と、満面の笑みで言った。

 議員にも使っていたこのフレーズがお気に入りであることを知るのは、もうちょっと先の話だ。

 博士は僕を応接室に通してくれた。

 上質な黒いソファに腰を埋める感覚は当分忘れることができなかった。


「では、軽く雑談っぽいものを」


 志望理由、成績、家族構成、恋人の有無――博士は僕にいろんなことを聞いてきた。


「その歳で婚約者がいるのかい?」

「えぇ」

「ほー……いいね、若いのは」


 からかうような口調に僕は控えめに会釈した。

 博士は雑談と言ったが、雰囲気そのものは面接に近かったのだと思う。

 その考えを裏付けるように博士は「合格」と笑った。


「あいつがきみを推した理由が少しわかる」

「あいつ?」

「教授のことだよ。学生時代の同級生なんだ」


 博士は立ち上がり、施設を案内してくれると言った。

 あとは議員と同じだ。

 道筋も、ありのままを見せられたことも。

 ――教授に覚悟していけと言われた意味が、そこでやっとわかった。

 そして博士はカプセル室を僕に見せた。

 綺麗なところだ、と思った。

 クローンの身体も綺麗だ、と思った。

 病的な美しさにあてられていた僕は博士の説明を黙って聞いた。

 玉座でお腹を大きくしていた女性クローンの説明も、黙って聞いていた。


「今ので全部だ」


 エメラルドの光が、博士の顔と機械的な声音に重なる。


「こちらとしてはきみを雇うのになんのためらいもない。だが、きみはどうだ?」


 意思確認だった。


「きみはまだ、臓器クローン体について考えたいと思うか?」


 ――幾分か迷って、決めた。


「ひとつだけ尋ねさせてください」


 訊くことを。


「なんだね」


 僕は浅く、それでも深呼吸をして、


「ヒトクローンの研究者だった貴方が、臓器の売人になったきっかけはなんですか」


 ***


「ねぇ、聞いてる?」

「んぁ?」


 場所は僕の自室に移る。

 どこにでもあるようなワンルームのアパートの一室だ。

 ベッドと机、テレビとキッチンがぎゅうぎゅう詰めになっている部屋だ。


「聞いてないし」


 壁に寄りかかって座っている僕。

 それに対し、ぷく、と頬を膨らませたのは僕の彼女だ。

 カチューシャで髪を止めているせいで、おでこがいつもより広く見える。

 青筋が見えていないからまだセーフ。


「選挙演説、放送はじまるってば」

「……やっぱり見なきゃだめなの?」

「だめ。選挙権は貴重なのです。欲しくても貰えないひといっぱいいるんだから、適当に票入れちゃえってのはナシなのです」


 くどくどと語る彼女に僕は苦笑するしかない。

 外国からの移住者について研究する彼女はそういうのにうるさい。

 論理の構築が条件である哲学を専攻している僕でさえ、勝てた試しがないほどだ。


「わかったよ。見るよ」

「よろしい」


 満足げに頷く彼女を、僕は素直に可愛いと思う。


「ね、あのさ」

「何?」

「もうちょい足開いたりしてみない?」

「?」


 三角座りをしていた僕は彼女に言われるまま、足を少し開いた。

 そこにすぐさま、彼女が図々しくも身体を割って入ってきた。


「へへっ」


 僕をソファ代わりにする彼女は思いのほか、甘えん坊さんだったりする。

 体重をかけて背中を押し付けてくる彼女を、自然な気持ちで軽く抱きかかえた。


「あ、はじまるっぽい」


 僕はテレビに目をやった。

 大きな拍手と共に男性の候補者が壇上に上がり、マイクの高さを確認する。

 彼は税率の微々たる上昇を考えていること、それに対して見込まれる効果を雄弁な口ぶりで具体的に語った。


「んー、さすがね。やっぱり本命はこのひとかも」


 生返事を返す僕に彼女の言葉は届いていなかった。

 候補者に見覚えのあった僕は、まったく別のことを思い出していた。


 ***


「――恥を承知で、お願いしたい」


 僕が思い出しているのはあの日――臓器クローン体の否定派である議員が再び博士のもとを訪れた日のことだ。

 出迎えた僕に案内を頼んだ議員は博士の部屋に通されると、険しい顔をしながら言った。


「どんなことでもする。クローンを一体、作ってほしい」


 わざわざ指摘するまでもなく、矛盾に満ちた発言だ。

 しかし博士は無言で観察するように議員の全身を見た。

 震えている身体が、議員の心情を物語っていた。


「どなたのですか?」


 議員はびくりと、身を竦ませた。


「……娘だ。今年二十五になる」


 ――移植を受けなければ、あと半年もたないでしょう。

 そう、言われたらしい。


「まだ三歳になったばかりの子供がいる。父親は心労で憔悴して、子供は入院したこともわからずマァマ、マァマと病室で腕を伸ばして――」


 ぎり、と何かをこらえる気配があった。


「私はもう老いぼれだ。あの子達には未来がある。もしも代わってやれるなら喜んでこの身を……」


 あとは、言葉にならなかった。

 ただ感情が溢れるのをとどめて「頼むから」と、拳が蒼白になるのも構わず呟いただけだった。


「どんなことでもするんですね」


 沈黙を守っていた博士が確認すると、議員は肩を落として頷いた。

 博士はさらさら、と手元の紙に数桁の数字を書いて、差し出した。


「これだけの金額と、娘さんの遺伝情報……皮膚の一部か髪の毛を用意しなさい」


 議員は驚いた。

 僕の方から、ちらりと金額が見えた。いつもと比べて二つほど桁が多いが、彼に払えない額ではないだろう。


「それだけでいいのか?」

「えぇ」

「法案の撤回とか、いいのか?」

「えぇ、構いません。たとえ法ができたとしても、そんなもの痛くも痒くもありませんので」


 当惑した議員は当然、理由を聞いた。

 それに対し、博士は「だってね」と言ってから息継ぎをして、


「あなたのようなひと、たくさんいますから」

 

 ***


 ――ひとの心には表と裏がある。

 いつか、博士が僕に話してくれた。

 表には表。裏には裏。それぞれの要求に応える場所が必要なんだと。

 その点で言えば、僕たちのやっていることは間違いなく裏だ。

 臓器クローン体は生命じゃない、という考えが詭弁なのは僕も博士も理解している。

 後ろめたいことがないなら知能を奪うなんてことはしなくていい。

 結局、僕たちは自分を納得させるためにクローン体を対等に扱っていないのだ。

 恐ろしいことだと、頭では思う。

 でも僕は否定しない。

 否定派である議員の要望を聞き入れた博士は僕に言った。


「あの気持ちはよくわかる。私も、そうだったからね」


 ――奥さんがいたらしい。

 子供を産むとき、二人とも亡くなったらしい。

 博士と初めて会ったあの日、出産の役目を背負っている女性クローン体の、マザーと名づけられている彼女の前で聞いた話だ。


「恨んだよ。彼女が何をした。産声すら上げていなかった子供になんの罪があったのか、ってね。……僕の場合はクローンがいてもどうにもならなかったが――」


 博士はそこで一旦言葉を切り、


「もし移植で助かるなら、殺してでもドナーを連れてきたね」


 と、一切の表情を消して言った。


 愛するひとにおぞましいことをさせたくない。

 でも、愛するひとのためなら自らはおぞましいこともできる。

 それが人間の本質であり醜い部分であり――美しい部分でもある。

 僕はそう思っている。


「どうしたの?」


 思考が伝染したのかもしれない。

 腕の中にすっぽりと納まっていた彼女が不安そうに、肩越しに聞いてきた。


「ううん、大丈夫」


 なんでもない、とはあえて言わなかった。回していた腕に力を込めて深く抱き締めて、髪に顔をうずめて香りを吸い込んだ。

 もしも幸せに感触や香りがあるなら、今のこれがそうなのだろう。


「ねぇ」

「何?」


 僕の呼びかけに彼女は抱かれながら首を傾げた。

 何が正しいかなんてわからない。

 ただひとつ、僕が今、自信を持って言えることは――。


「愛しているよ」



 ――あの研究所には、僕と彼女のクローンが保存されている。

 博士は僕の頼みを無料で引き受けてくれた。

 取れる者からはお金を取るけど、基本的に良心的なのだ、博士は。

 そんな博士に僕は、心の底から「ありがとうございます」と、礼を言った。

 臓器クローン体が何故創り出されているのか、何故博士は僕に「合格」を出したのか――それは結局のところ、そういうことなのだと思う。


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