【856】あけぼの
またしても即興小説から輸入してきます。とはいえ今度は悲劇のタイムアップ……雪辱を晴らすべく完成版を上げておきます。
……方言とか滅茶苦茶なのは済みません。
「初日の出や!」
彼が突然言い放ち、夜中にお茶の水を飛び出した。
千年前の人に倣ったつもりなのかな。もしそうなら悪いけど馬鹿だよね。あれって春のことだよね。ううん、待った。元旦って昔は春だったのかな? 高校生の記憶を手繰り寄せるけど、まぁやっぱり思い出せない。
でも彼らしいと思う。よくわかってない事柄を馬鹿正直に信じて突っ込んじゃう。私もそれに付き添っては毎回碌な目に遭わないけど、思い返せば何だって楽しかった。最近は私も彼の行動心理が少しずつわかってきて、ブレーキ係にはなっていると思う。今日だって、目的地は私が口添えして決めさせたんだから。
午前五時半。私たちは東京湾を沿って南下していた。
ところで彼の車のシートって、本当に寝心地がいいのよね。暖房が効いてると尚更。それに車に揺られてるのが昔から大好き。乗ってると必ずうたた寝しちゃうのは、もう私の生理的本能の一つになってるのだ。
外は真っ暗。東京もこの時間帯はガラッガラ。裏道を通っているのもあるけど、ぐんぐん進む。きっと今までで一番スムーズ。かえって目が冴えてきそうだったから、思い切って私はシートから身体を起こした。
「あとどれぐらいって出てる?」
眼鏡を外しているので、今はすぐ手元のカーナビすらまともに見えない。
「もうすぐやろ。ほら、あそこのコンビナートの向こう、全部海みたいやで」
「ふぅん……全然見えないわ」
「うわ、むかつくわ〜」
悪態をつきながらも、口元が笑って聞こえた。これは私のギャグセンスなので、他の人はこんな台詞を真似しちゃいけない。だって本当に見えないんだもの。
でも色彩ならなんとなくわかる。右手の水平線と雲らしい境界の隙間が、明るくなっている。
「あっ、あれじゃない?」
「何や」
「ほらあそこの方、もう出かかってるでしょ?」
「……あれま、ホンマや。じゃあこの辺に止めといて、海の前までちょい歩くか」
「おk」
「桶がどうしたんや」
「『OK』のこと『おk』って言うの」
「知らんわぁ〜」
そういえば、そんな台詞が持ちネタの芸人がいたっけ。うわ、どうでもいいことに限って頭が冴えてる。それにしても、彼もせめて『おk』くらいは知っておいてよね。でないと学校の会話に困っちゃうぞ。
とにかく私たちは車を降りて、港あたりまで歩いてきた。数人が集まっているところを見かけたので、声をかけてみた。
「お、今の若い人がこんなところまで来るもんなんだねぇ」
「よかったらどうぞどうぞ。ここがちょうど東京の秘蔵スポットなんだから」
気さくそうなおじさん達だった。紺のジャケットに団体名が書いてある。漁師さんだ。ちょっと安心しちゃった。東京にもこういう人っているんだね。
「彼がどうしても見たいっていうんですよ、初日の出」
なかなか無口なままだったから、ちょっと茶化して彼に話を振る。彼、私の前だと張り切るんだけど、普段はマジで陰キャラ。途端に口を聞かなくなっちゃう。
「ここがいい言うたのお前やろ?」
「知らんわぁ〜」
さっきの彼の真似をしてみる。すると思わぬ反応が漁師さんたちに起こってびっくりした。
「あぁいたねぇ、そういう人。わしもテレビで見たことあるよ」
「いましたよね! なんて言ったっけ……」
「わしらもテレビなんてすぐ忘れちまうからな〜。ほんと年取るのは早いっつーか——あっ、お二人には申し訳ない!」
すっかり漁師さんとフレンドリーになっちゃった。そのうち、倉庫から机代わりのケースとかおつまみとか出してもらっちゃって、彼もすっかり打ち解けてしまっていた。彼、お酒が入ると途端に親しげになるところがある。思えば私と知り合ったのもサークルの飲み会だったな。半年以上も顔を突き合わせてたはずなのに、それまでは一言も話したことなんてなかった。それがなぜか秋の会合で突然意気投合。
最初はもうちょっとクールだと思ってたよ。げらげら笑ってる彼の隣で、私は心の中で呟いた。
「いや、東京の若い人ってもう少し近寄り難いと思ってたんだけどねぇ!」
「なぁに言うてはるんですか! 僕ぁ今年の春に上京してきたけど、大学で周り見渡したってねぇ、あれっすよ……どいつもこいつも田舎モンばっか! 生粋の東京人なんて、それこそまさに“都市”伝説ですわ!」
「上手い!」
一同拍手喝采。それで彼は大阪人の血がますます滾ってきてるみたい。けど漁師さんも負けじと話を振る。
「そうなんだよねぇ。元はと言えば、江戸の頃から人が集まるようになっただけで、来たのは当然他の地域の人達だったもんね。今の東京に生まれた人だって、元を辿ればそれは他の国の血なんだ。そんな人達が勝手に自分らを、やれ『東京人』だ『都会っ子』だと言い出してそういう日本中に最新鋭の機械バンバン作って電波を送りつけてる。これってどうなのかねぇ? わしらも東京で漁師継いで三十年近いけど、やっぱり自分らのことを東京に住んでる田舎者なんじゃないかなって、若い人に会うと思うんだよね……」
見ればもうすっかり空は明るい。肌寒いことも忘れ、私は漁師さんの話に聞き入っていた。
「それ、是非僕らの大学で聞かせてほしい!」
彼がマジで感動していた。これまで私が見たことないくらい感情が高ぶって、目が潤んでいる。
「そうなんです、僕らみんな田舎モンなんです! 東京なんてそいつらの集まりだったはず! もう僕は吹っ切れましたわ。心置きなくこれから東京の人と付き合っていける気がします」
私は、今まで見ていた夢が突然終わるような空しさに襲われた。熱弁する彼を見ていて、この姿が、ずっと今まで彼の奥底にあったんだと思った。私が付き合っていた彼は、この奥底にある姿を隠してきた上辺だったのかもしれない。
実は、私は生まれも育ちも東京神田区。両親もずっと東京で育ってきた。出身のことで何か考えたことなんて、一度もなかった。
「お嬢さんは、大学で知り合ったの?」
「えぇ……」
つい考えに没頭し、うつろな返事になった。どうしたんだろう、私。急に落ち込んできてる。
彼がそんな私の様子を察してくれたのかわからないが、ふと時計を見て思い立った。
「あ、六時過ぎおる」
「大分明るくなったから、もうそろそろだろうね」
漁師さんたちも立ち上がって空を見上げる。
鈍く光る橙のカーテンみたいに、東京湾の朝日が昇ってきている。
……けど、それを見たって何かを感じたりはしなかった。これって、私よりもっと必要としてる人のためなんじゃないかなと思う。また一年、『東京』という慣れない場所でやっていくために、思い思いの日の出を心の中で見るんだ。
座ったままの私を見かねて、彼が私の肩を優しく掴んだ。
「また妙なことに誘って済まんかった」
謝らなくてもいい。気遣ってくれるのがぬくもりと一緒に伝わってきて嬉しかったから。彼にいっぱい言いたいことが溢れてきたのに、普段のように口に出すことが今はできない。自分がおかしくなってる。今にも泣き出したい気分だったけど、彼の前でそんな姿を見せたくないと必死にこらえた。
「まぁでも……また一年、一緒にやっていきたいってことを知ってくれたら思うて、それを考えてた」
もとの、シャイな彼に戻ってしまっていた。
言葉は出ないけど、私は彼に精一杯作った笑顔で答えた。
熱はない。ただ純粋に光だけが広がっていく。その色は、間違いなく希望を映している。
——気の持ちようで、一月だって春に思えるんだ。
一日に二作も上げるとは思いもしませんでしたが、なんとか完成には漕ぎ着けたかな?
頭の中では話の筋がまたしても二転三転……調整が難しいですよね。
何はともあれ、今回も目を通して下さった方には本当に感謝しております。今後も上達を目指して励んでいきたいと思っていますので、以後もよろしくおねがいします。