プロローグ
「言いましたよね」
歩きかけて、ついてこないわたしに「どうした?」と振り返った人に、呟くように言う。
怪訝そうな顔。
なんでこの人がわたしと一緒にいるんだろうって、不思議で仕方なかった。それでもうれしかった。
でももう……。
以前、あまりに不釣り合いに思えて、これ以上一緒にいるのが当たり前になるのが怖くて。その分、なくしてしまった時を想像すると怖くて。
離れようとした時に言われた。
『別れてなんかやらない』
って。お前が顔も見たくないって言うなら、その時はお前にいやな思いはさせたくないから、それが本心だと思えたら……。
でも、その言葉をこの人は最後まで言うことはなかったけど。
「せり?」
整った顔が心配そうに寄せられる。
近づく、背の高い人から一歩後ろに下がって離れた。
「もう、一緒にいたくありません」
それまで優しい顔だったのが一瞬で凍り付いた。顔立ちが整っているおかげで、能面のような顔はなおさら怖い。でも怯まない。信じさせないといけない。
「俺が信じるとでも?」
「信じない理由がありますか?」
穏やかに言った。
誰もが振り返るような容姿で、一流企業に勤めていて。学生とつきあっているなんて不思議がられる。引く手数多のこの人が、望めば何でも手に入りそうなのに、なんでわたしに固執するの?
「疲れちゃったんです」
目をそらさずに、微かに笑みさえ浮かべて言い切った。
「あなたの顔を見ていると、あなたと一緒にいると、自分のダメなところをどんどん思い知らされるんです。弱くてごめんなさい」
あの時の本当の理由は、言えない。知られてはいけない。
携帯のアドレスを消すことはできなかった。でも、電話もメールもすべて、無視した。ちょっとした日常で思い出してしまうことはあっても、それがつらくても。
時間がだんだん、そういう気持ちを奥の方に追いやってくれると思ったから。