配 (答え合わせ編)
正解です。おめでとうございます。
よく見つけましたね……とか、意地悪なこと言ってみたりして。
以降、解説編です。
やっぱりもう一回、本文と問題文を読み直しておきたいなという方は、ここで引き返してください。
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まず、物質Aとは、アンモニウムイオンのことです。
『物質A』の『A』は、『ammonium』の『a』なのでした。
化学式はNH₄⁺ です。
また、○○○○に当てはまる四字熟語は、共有結合です。
ですから、契約の人数制限というのは、共有結合をするための不対電子の数の隠喩なんですね。
窒素原子のNは、不対電子を3つと電子対を1つ持っているだけですから、単純に考えれば、一度に3つまでしか共有結合はできない筈です。
しかし例外的に、そこから更にもう1つの粒子と結合する場合があります。
その例外的な結合こそが、××××に当てはまる四字熟語———即ち、『配位結合』です。
よって、問1の答は、『配』の字になるという訳ですね。
それではここから、詳しい解説や、あまり重要ではない部分の解説に移ります。
ここまでを読んで、ちょっと何言ってるか解らないなと思う方は、是非読んでみてください。
まず、『カルボ家』は何の隠喩なのかという点から。
本文中、ナイトロ伯爵はこう言いました。
「この世界において、君たちカルボ家は陰影を担当していて、我々『安眠館』は陽射しの担当をしている」。
この話から化学関連の話を連想しようとするなら、陰と陽、陰性の電荷と陽性の電荷、つまりプラスの電荷とマイナスの電荷を連想することができるでしょう。
このことから、『カルボ家』は、何らかの陰イオンの隠喩なのではないか、と考察できるでしょう。
同時に、『安眠館』は、何らかの陽イオンの隠喩なのではないか、とも。
また、カルボ家の住人は、ハイン、カルボ、オーガン、オクス、ハイドですが……
この順番で全員のイニシャルを並べると、HCOOHになります。
これは蟻酸の組成式です。
そして、蟻酸が電離して生じる蟻酸イオンは、陰イオンです。
つまりカルボ家は、蟻酸の隠喩なのです。
……というのは、半分は正解でも、半分は不正解なんですよこれが。
ただの蟻酸なら、つまりはHCOOHなら、マイナスの電荷はありません。陰イオンではありません。
しかし、もう断言してしまいますが、カルボ家は陰イオンの隠喩です。だったらおかしいんじゃないかと、気付いた方もいらっしゃるでしょう。
はい。おかしいのです。
カルボ家はおかしいのです。
ハイドがいるから。
ハイドがいるせいで。
ずっと前から、狂っていたのです。
ところで、蟻酸の組成式は中々に面白いんですけれども、水に溶ける時の電離式も面白いんですよ。
例えば硝酸の電離式は、HNO₃→H⁺+NO₃⁻ で、
例えば硫酸の電離式は、H₂SO₄→2H⁺+SO₄²⁻ で。
それに対して、蟻酸の電離式は……
HCOOH→HCOO⁻+H⁺ です。
そっちを切り離すんかい!
……まあ、でも仕方ないですよね。
奴隷だから。
本来、そこにいるべきではない存在だから。
ハイドくんのいない、HCOO⁻の状態が、カルボ家本来の姿であり、カルボ家が最も機能しやすい状態なのだから。
だから邪魔者扱いされていたんですねぇ……雨が降っただけで、追い出されちゃうくらいに。
余談ですが、お察しの通り、この小説は蟻酸から連想して創作されたものです。
作者は、蟻酸の組成式を初めて見た時に、『なんだこの格差社会みたいな物質は』と思ったんですよ。構造図を見ると更にわかりやすいと思いますが、蟻酸の構造図って、本当になんかもう、皮肉で、風刺的で、不条理文学みたいな、芸術的な図なんですよね。
あれ、二つのHとの間にある格差ばかりに注目してしまいがちですけれど、よく見たら二つのOとの間にも格差があるんですよね。しかしその格差が無ければ、二つ目のH(本文中で言うところの、ハイド)は、そもそも最初からそこに存在することすらできなかったのですから、皮肉な話です。
格差があることで助かる人も、いるんですね。
だって、二つのOとの間に格差が無くなってしまったら———つまり、両方のOがCとそれぞれ二重結合を結んでしまったら、ただのCO₂になっちゃいますからね。
次に、『安眠館』についてです。
『安眠館』は、本文中でも問題文中でも言及されている通り、何か裏事情がありそうな組織です。
中心人物のナイトロ伯爵に、ホルム、ヘキス、ヒドル、ヒュームの、四人の使用人が仕えています。
そして、『安眠館』がアンモニウムイオンの隠喩だということは前述の通りですが、この物質、少し特殊なんです。
化学式は NH₄⁺ ですから、1つのNと4つのHで構成されているのですけれど……
この物質は、アンモニア(NH₃)が電離することで生じる物質です。そしてその電離式を書くと、次のようになります。
NH₃→NH₄⁺
……おやおや。
3つのHとしか結び付いていなかった筈なのに、いつの間にか、Hの数が増えていますねぇ。
何か裏事情がありそうですねぇ?
……正直に言うと、この電離式は間違っています。本当は次のような式になります。
NH₃+H₂O→NH₄⁺+OH⁻
成る程、4つ目のHは、溶媒である水から来たんですね。
つまり、アンモニアが水に溶ければ、アンモニウムイオンになる。まあ言ったらそれだけのことです。
ここで一度、配位結合の話をしましょう。
普通の共有結合なら、二つの原子がお互いに不対電子を提供し合って、電子対を作り出し、それを二者間で共有します(こうして共有された電子対を、共有電子対と言います)。
しかし、既に普通の電子対を持っている相手に対して、『その電子対はお前と俺との共有電子対だ』と主張して、その相手と強引に結合しようとするズルい輩がいるんですよ。
いやこれは元からこっちが持ってた電子対だよ、お前は一つも不対電子を提供してねえじゃねーか!って感じですよね。
そういうタダ乗りみたいな共有結合のことを、配位結合と呼ぶのです。
まあ、それは大抵、元から電子対を持っている側が自分からそういう輩を誘っているという、自作自演の事件と言うか、被害者面をしているだけの当たり屋なんですけれどね。
NH₄⁺ における4つ目のHも、この配位結合によってNと結び付いたものです。
更に、世界観の設定として、本文中にはこのような記述があります。
『雨が降っている時には、その場所に居る全ての人間は、ある一定の契約を結んでいてはならない。雨が降っていない時には、ある一定の契約を何か結んでいなければならない』。
『契約』が共有結合の隠喩だということは前述の通りですが、この話は、電解質と溶媒との関係を隠喩したものです。
雨とは、溶媒の隠喩です。
電解質は、水などの溶媒に溶けると電離して、ある一定の結合が一時的に解かれます。
そして、水が蒸発したりして溶媒が無くなれば、再び結合します。例の記述は、この法則を表しているんですね。
……え?電離度を無視するなって?
それはあの……ほら、ルールがあってもそれを破る人はいるでしょうし……そもそもこのルール自体が伝承や言い伝えに過ぎず、法律ではないし……逆らっても、罰則とか無いし……
……え?共有結合じゃなくてイオン結合だろって?
ごほんごほん。
ん゛ん゛。
ちなみにアンモニアは、電離してアンモニウムイオンに変わることで、むしろ結合の数は増えます。
ですから『安眠館』の場合は、雨が降ったら、逆に追加で契約を結ばなければなりません。雨が止んだら、契約を解除しなければなりません。
そんな訳で、この家にとっては、世界設定が真逆の意味になるんですよね。まあそういう例外もあります。
つまりはこういうことです。
アンモニアは、水に溶ければアンモニウムイオンになる。
その過程で、限りなく本物に近い偽物の共有結合、つまり配位結合を、一つだけ作ることになる。
だから———雨が降れば、偽物の使用人が現れる。
存在する筈の無い四人目の使用人……まあ言ってしまえばヒュームは、ある時に雨が降って、その雨が使用人に化けてナイトロ伯爵に仕え始めたという経緯で、そこに存在しているのでしょうね。
まさに化学ですよ。とか言ってみたり。
……え?
その理屈だと、ハイドが追い出されたのと同じくらいのタイミングで、ヒュームがナイトロ伯爵に仕え始めたことになってしまうって?
そんな短時間で噂話が立つのはおかしいだろって?
えーっと……それはあれですよ、本文中にも「それはもはや本物と区別が付かないくらいに本物なのだ」と書いてありますし、既に完成した配位結合は、もう他の共有結合と見分けが付かないんですよ。
だから、過去に四人目の使用人と契約した時、ナイトロ伯爵には誰が本物で誰が偽物なのか分からなくなってしまって、雨が止んだ後も誰との契約も解除せずにいたんですよ、きっと。
推定無罪の原則によると、『この中の誰かが犯人だ』と判っている状況でも、その中の誰が犯人なのかが絶対に判らない場合には、全員を無罪にしなければならないそうです。
雨の伝承のルールには真っ向から逆らってしまうことになりますが、それでもナイトロ伯爵は、非情なルールを守るよりも、元から自分に仕えていた使用人を冤罪で解雇してしまうのを防ぐことのほうを優先したんですねえ。いやあ素敵だ、立派な人だ。
ちなみに、なぜこの家が『安眠館』という名前なのかと言うと、それはアンモニウムイオンが、アンモニアを配位子とする錯体———『アンミン』だからです。
この辺の用語はまあ、気になったら調べてみてください。
さて、それではそろそろ、物語の核心に迫る部分の解説をしてしまって、それでお終いにしましょう。
しかし、ここはあえて遠回しにしか説明しません。
ああいう仄めかし系の締めくくり方をした以上は、こちらでも仄めかすだけに留めるしか無いので。
自己解離という言葉があります。
簡単に説明すると、例えば水の場合、一定量以上の水分子が集まっている時(例えば、一粒の水滴がある時)に、その中の一部の水分子が時々ほんの一瞬だけ電離して、またすぐに戻るという現象が起こります。
その現象を、水分子の自己解離と呼びます。
この場合の電離式は、以下の通りです。
2H₂O⇄H₃O⁺+OH⁻
また、アンモニアと言えば、電離するとOH⁻ (水酸化物イオン)を生じるものです。
雨が降っていなくとも、長らくアンモニウムイオンの状態であり続けた『安眠館』ですが、最初に生じたOH⁻ は決して無くなったりせず、その世界のどこかには存在している筈です。
ならば、『安眠館』が滞在していたカルボ家の周辺に、偶然そのOH⁻ が漂っていたとしても、あり得ない話ではない筈です。
———だから、例えば。
例えば、カルボ家を追い出されたハイドが、雨と一緒に降ってきたOH⁻ に———ひょっとするとヒュームの片割れなのかも知れないOH⁻ に当たって、H⁺+OH⁻→H₂O で、水に、つまりは雨に化けることができたとしても、説明が付かなくはないし。
例えば、もしもNH₄⁺ にH₂Oが触れた状態で、偶然たまたま、触れたその瞬間にH₂Oが自己解離して、一瞬だけ電離して、そこで発生したOH⁻ だけが、たまたまNH₄⁺ だけにぶつかったならば。
OH⁻ に、さながらカツアゲのようにプレッシャーをかけられたNH₄⁺ が、ついH⁺ を1つ渡してしまい、その混乱に乗じて、H₃O⁺ から発生したH⁺ が、その渡されたH⁺ と入れ替わるようにして、あたかも最初からそうだったかのように、NH₄⁺ の一部として振る舞い始める可能性も、完全には否定できないのです———




