#7 放課後の特訓が、なぜか日課になってる件
一週間後。
俺の日々は、すっかり変わっていた。
朝、家を出る前にリビングのお菓子箱を覗く。
誰でも自由に食べていいお菓子だが、俺は今までほとんど手をつけたことがなかった。
しかし、放課後の練習のことを考える。
(強羅は、練習前に糖分を入れた方がいいかもしれない)
俺がチョコレートをカバンに入れていると、天音がちらりとこちらを見る。
「ねぇ、最近お兄ちゃん、帰り遅くない?」
「気のせいだ」
「そう?まぁいいけど」
天音はそれ以上追及せず、髪を結んでいる。
しかし、誰に言うでもなく呟く。
「お兄ちゃん、なんか変わったね」
「何が?」
「わかんないけど。前より、なんていうか……柔らかくなったっていうか」
天音は不思議そうに首を傾げた。
「前は、もっと……なんか、壁があった感じだったのに。最近、ちょっとだけ近づきやすくなった気がする」
「……そうか」
俺は適当に返事をした。
天音はにっこり笑って、俺の背中を叩いた。
「まぁ、いいことだよ!お兄ちゃんが楽しそうで、わたしも嬉しい!それじゃ、先行くね!いってきまーす!」
そう言って、天音は先に家を出て行く。
残された俺は、天音の言葉を反芻していた。
(……変わった?)
自分では気づいていなかった。
だが、周りから見れば、変化しているのかもしれない。
(……俺、どうしたんだ?)
暗殺者時代には、感情を表に出すことはなかった。
人と関わることなんてなかったし、関わりたいと思ったこともない。
それなのに、俺は一人のアイドルの成長を見守っている。
そして、それが意外にも悪くない。
(……これが、普通の高校生活、なのか?)
家族ドラマばかりではなく、学園ドラマも観て学んだ方がいいのかもしれない。
俺は早速スマホで検索を始めた。
⸻
放課後、教室を出て校舎裏へ向かう。
そこには、眼鏡を外したひまりが待っている。
「兎山さん、お待たせしました!」
「待ってない。今来たところだ」
実際には五分前から待っていた。
だが、それを言う必要はない。
ひまりはイヤホンをつけ、音楽を流す。
そして――ダンスを始める。
俺は壁に寄りかかりながら、彼女の動きを観察する。
一週間前と比べて、明らかに良くなっている。
足の運びが安定している。
体重移動のタイミングも合っている。
呼吸も深い。
(成長が早いな)
ひまりは努力家だ。
俺が一度アドバイスしたことを、次の日には完璧にこなしてくる。
「……どうですか?」
ダンスが終わり、ひまりが息を切らしながら聞いてくる。
録画していた映像を確認しつつ俺は答えた。
「良い。先週より格段に良くなってる」
「本当ですか!?」
「嘘は言わない」
ひまりは嬉しそうに笑った。
その笑顔はステージ上の作られた笑顔じゃない。
素の、本当の笑顔だ。
「兎山さんのおかげです」
「俺は何もしてない。強羅が頑張っただけだ」
「でも、兎山さんがいなかったら……わたし、ここまで頑張れなかったと思う」
ひまりは眼鏡をかけ直しながら、俯いた。
「わたし、ずっと一人で悩んでたんです。人気も出ないし、ダンスも上手くできないし……」
「今は?」
「今は……兎山さんがいるから、頑張れます」
その言葉に、俺は少しだけ戸惑った。
(……俺が、誰かの支えになってる?)
暗殺者時代、俺は誰かを支えるなんてことはなかった。
任務をこなし、生き延びる。
それだけだった。
だが、今、俺は一人のアイドルを支えているらしい。
「……もう一回やってみろ」
「え?」
「さっきのダンス。もう一回」
ひまりは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。
「はい!」
もう一度、音楽が流れる。
ひまりが踊り始める。
俺は彼女の動きを、さらに細かく観察した。
ダンスが終わり、俺は口を開いた。
「腕の角度が甘い。もう少し上げた方がいい」
「こ、こう……ですか?」
「そう。それと、ターンの時、視線を一点に固定しろ。そうすれば、ブレない」
「視線を……一点に……」
「あと、足の着地が雑」
「ざ、雑……」
「タイミングを合わせて静かに着地しろ。音を聞いていない」
あとは、と続けようとしてひまりがプルプルと震えていることに気付いた。
まずい。言い過ぎた。
「悪い」
「う、ううん!兎山さんは悪くないです!その、最近、ほ、褒めてもらうのが当たり前になっちゃってたから……」
「伸びしろだ」
「うん!頑張る!もう一度やってみるから、見てて!」
三度目の音楽が流れる。
ひまりが踊り始めるが、その目には少し涙が滲んでいた。
命がかかっているわけでもないだから、矢継ぎ早に指摘することなかったかもしれない。
しかし、ひまりの動きはさっきより明らかに良くなっていた。
腕の角度、視線、足の着地。
すべてが、俺の言った通りに修正されている。
(本当に、吸収が早い)
組織にいた時代、新人を訓練したことがある。
だが、ひまりほど素直に、早く成長する人間は少なかった。
「どう、だったかな……?」
ひまりが不安そうに聞いてくる。
「完璧だ」
俺は素直に答えた。
「三回目で、ここまで修正できるのは大したもんだ」
「あ、ありがとう、ございます!」
ひまりが大きく頭を下げた時、下校のチャイムが鳴った。
随分遅くまで練習してしまったようだ。
お礼にとひまりがジュースを買って来て、一度断っても押し付けて来るから仕方なく受け取った。
「……あの」
ひまりが小さく口を開く。
「なんだ?」
「兎山さんって……なんで、わたしのこと助けてくれるんですか?」
その質問に、俺は少し考えた。
確かに、俺には関係ないことだ。
静かな高校生活を望んでいたはずなのに。
だが――
「……困ってる人を見ると、放っておけない」
俺はそれだけ答えた。
我ながら嘘っぽいと思う。
困っている奴を見て見ぬふりをするなんて、今まで何度もしてきたことだ。
全員助けようとしていたらきりがない。
「それだけ、ですか?」
ひまりが不思議そうに俺を見る。
「そう。それだけだ」
俺は嘘がバレないように視線を逸らした。
本当は自分でもわからなかった。
なぜ、彼女を助けているのか。
なぜ、彼女の成長を見守っているのか。
(……わからない)
「兎山さん」
「……なんだ」
「わたし……兎山さんにバレちゃって、良かったです」
ひまりは静かに言った。
「兎山さんがいなかったら、わたし……もしかしたら諦めて、アイドルを辞めてたかもしれない」
「……そうか」
「だから……ありがとうございます」
ひまりは深く頭を下げた。
上手い返事が思い付かなくて黙っていたけれど、顔を上げたひまりは満足そうな顔をしていた。




