#49 夜のステージで、自分の本音から逃げなかった件
夜のクリスタルアーク。
巨大なドーム会場は、ライトアップされて幻想的に輝いていた。
ひまりは、その光景を見上げて息を呑んだ。
(ここに……また来たんだ……)
今夜は使用されていないようで、会場の外に人はいない。
静まり返った会場は外から見ても不気味だった。
「類くん、どうやって入るの?」
「ここから」
少しだけ震える声でひまりに尋ねられ、類はスタッフ用の入口に向かった。
ひまりは、類の後をついていきながら不思議に思って尋ねる。
「でも、警備員さんとかいるよね?見つかったら逃げる?」
「いや、普通に入る」
類は入口の横のゲートにICカードをかざし、そのままドアを開けて中に入った。
外の守衛小屋にも中の受付にも誰もいない。
完全な暗闇。
そして、無音。
ひまりは、思わず足を止めた。
(怖い……)
心臓が、ドキドキと鳴り響いている。
「知り合いのツテがある」
「知り合いって……」
「……聞かない方がいい」
類はそう言って、懐中電灯を点けた。
暗い通路が、丸くぼんやりと照らし出される。
その光に、ひまりは少しだけ安心した。
「歩けるか?」
「うん……暗いと、別の意味で怖いね」
「電気、点けるか?」
類はスマホを取り出してどこかに連絡をしようとした。
侵入するだけでなく照明も操れるのか、と驚きつつ、ひまりは首を横に振る。
「う、ううん。大丈夫」
関係者通路を通って、ステージ裏に向かう。
ひまりがここに来た時は、どこも明るく照らされて機材が並び、スタッフがひしめき合っていた。
今は類が懐中電灯で照らす所以外はどこも真っ暗で、ひまりの足音だけが響いている。
あまりに現実離れしていて、あの時のことを思い出すことがなかった。
(大丈夫……類くんがいるもん)
ひまりは類の腕を握り締める。
ひまりの細い指が刺さっていたが、類は気にせずに歩いていた。
狭い隙間を抜けて、巨大なステージに立つ。
徐々に目が慣れて、暗闇の中にずらりと並ぶ客席が見えてくる。
「……」
ひまりは自分の足元を見つめた。
自分の足が震えている。
「大丈夫か?」
類が尋ねても、ひまりは答えられなかった。
ひまりの脳裏に、あの日の記憶が蘇る。
ライブ中止のアナウンス。
ざわめく観客。
泣き崩れるメンバー。
「中止だ」「お前らはもう終わりだ」
(坂木さんが、そう言って……)
「ひまり?」
「類くん、無理かも」
ひまりは類の腕を引いて逃げ出そうとした。
気持ち悪い。
眩暈がする。
吐きそうになる。
(ここから……離れなきゃ……!)
「類くん、行こう!」
「ひまり、落ち着け」
類の腕を引いても、ひまりの力では類は微動だにしない。
「類くん、無理だってば!」
ひまりの声が、悲鳴に近くなっていた。
「ここ、嫌なのに……!」
類が動かないと、ひまりは逃げ出せない。
「類くん!」
ひまりは動かない類に怒りすら覚えながら叫び、いつの間にか、泣き出していた。
暗い中に、ひまりの泣き声が響く。
類はようやく動いて、ひまりを胸に抱き締めた。
「……っ」
ひまりの泣き声が、一瞬止まる。
類の腕が、優しくひまりを包んでいる。
その温かさに少し安心して、ひまりは息を吐いた。
類がひまりの背中を類が一定のリズムで叩くと、ひまりの呼吸が類と合っていく。
爆発するようなひまりの鼓動が、少しずつ落ち着いてきた。
「大丈夫か?」
類の声が静かに響く。
「うん……」
ひまりはしゃくり上げながら、類を見上げた。
類の服がひまりの涙で濡れている。少し冷静になったひまりは、ぐしゃぐしゃになった服が申し訳なくなった。
「ひまりは、何が怖い?」
「……あの人が、出てきて、中止って言うんじゃないかと思うと、怖い」
「そうか……」
ひまりは類の服を拭うついでに、類の胸を押さえた。
微かな鼓動が伝わる。自分と同じだとひまりは安心した。
「もし、そいつが絶対に現れないと分かれば、安心できるか?」
「うん……そうかもね……」
ひまりは曖昧に答えた。
坂木はいつもの仕事では会わないが、大きなライブの時には関係者として参加している。
クリスタルアークのライブでは恐らく来るだろうとひまりは諦めていた。
「分かった」
「……類くん?」
そう言った類の表情が見えなくて、ひまりは顔を上げた。
その時、ステージ裏から微かな物音がする。
類は警戒した様子でそちらを窺った。
「ひまり、そこにいて。見てくる」
「う、うん」
類は懐中電灯をひまりに渡して、真っ暗なステージ裏に走って行った。
(類くん……暗いのに見えてるのかな……)
ひまりは一人ステージに残される。
懐中電灯の灯りがあるし、周囲に目が慣れていて暗闇の怖さは無くなっていた。
そして、このステージに対する恐怖も、思い切り泣いた疲れで薄まっている。
(ここに立ったらショックで死んじゃうかと思ってたけど、大泣きするだけで済んだな……)
ひまりはステージの端に座って足を揺らした。
(そしたら、今度のライブも大丈夫でしょ!わたしが泣いて出られなくても、きらりがセンターにいるし……)
ひまりはそう考えてまた涙が溢れた。
きらりとダブルセンターで戦うと決めたはずなのに。
(結局、わたしはセンターに立てないんじゃん……)
涙を拭っていると、真横で声がする。
「人気投票2位、おめでとう」
「ああ……ありがとうございます」
「素晴らしい快挙じゃないか。あと2ヶ月、投票期間が長ければ君が1位だった」
「まさか。でも、どうでしょうね……」
しばらく普通に会話をして、自分は誰と話をしているんだとようやく疑問に思った。
声の方に懐中電灯を向けたが姿は見えない。
しかし、落ち着いた優しい声で、ひまりは怖いとは思わなかった。
(誰……?)
「それで、君にお祝いとお礼に来たんだ」
「お礼……?」
「そう。類が世話になったお礼。150はお菓子にしたんだけど、君には別の物をと思ってね」
(類くんの、お父さん……鴉?)
ひまりの戸惑いに気づいているのかいないのか、鴉は一人でスラスラと話している。
「私たちは、特定の人間に依存し、懐くように作られている」
「依存……?」
「そう。私が詩子に。150が神州重工業の社長に。依存先を設定することで暴走を防いで、従順に働くようにできている」
「そう、なんですか……」
ひまりにとっては相変わらず別次元の話だ。燐から組織の話を聞いていなかったら混乱していただろう。
しかし、話している人物が謎すぎて、不思議と内容は頭に入っていた。
「しかし、類は私が買って、その初期設定が済んでいない状態だ。もし、君が望むなら、類を君に懐かせるように設定しようか?」
「え……!」
ひまりの心臓が、大きく跳ねた。
(類くんを……わたしに……?)
それは、悪魔の囁きに聞こえた。
類が、どこにも行かない。
きらりに取られることもない。
きらりがお金を払って仕事を依頼しても、ひまりの元に戻ってきてくれる。
ひまりがアイドルで付き合えない間も、類をずっと傍に置いておくことができる。
(本当は……そうしたい……でも……)
ひまりは胸の痛みを自覚しながら、拳を握りしめた。
「いいえ、いらないです」
ひまりの声は、震えていなかった。
「それは類くんの自由だから」
ひまりは自分の欲望を押し殺してはっきりと言った。
「わたしは、類くんに選んでもらえるようなわたしになりたい。設定されて好きになってもらうのは違う……だから、いりません」
何度も泣いた後なのに、ひまりの声はもう震えていなかった。
鴉は、怒ることもなく無邪気に笑った。そして、しみじみと呟く。
「詩子の言っていた通りだ。君が類を好きでいてくれてよかった」
「え……!?ち、違……っ、いや、そうですけど!!」
率直な言葉に、ひまりは照れて大声を出す。
その姿を見ようと声がする方に向かうと、戻ってきた類とぶつかりそうになる。
「ひまり、どうした?」
「えっと……う、ううん!何でもない。類くんの方は?」
「ああ、燐だった」
類が言うように、羽交い締めにされた燐が類に引きずられている。
「放せ」
「他に人を入れないようにしたのに、勝手に入ってきていた」
「入っていいって言われた」
燐が暴れて類の手から逃れる。
「ひまり、大丈夫?」
「……うん」
ひまりは、燐と類に見られながらもう一度ステージの中央に戻った。
深呼吸をして、客席を見渡す。
(大丈夫。立てる。泣いちゃうかもしれないけど……大丈夫……)
足はまだ少し震えている。それでも、ここに立たなければと覚悟を決めることはできた。
「類くん、ありがとう。わたし、やれる気がする」
振り返って類に言うと、類は小さく頷いた。
「ひまりなら、絶対できる」
「うん!」
類に言われて、ひまりはまだぎこちないまま、それでも笑顔を見せた。




