#1 妹に付き添って行ったら、ライブが思ったより本気だった件
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「お兄ちゃん! 今日! 絶対行こう!」
朝、リビングのドアを開けた瞬間、妹の兎山天音が勢いよく飛び出してきた。
両手にペンライト、顔には勝利の笑み。すでに戦闘態勢だ。
俺はその時、ソファでNetflixのドラマを見ていた。
海外の家族ドラマ。父親と母親と子供たちが笑顔で食卓を囲むシーン。
普通の家族を学ぶのに適した教材だ。
暗殺者として育てられた俺には、“普通”がわからない。
だからドラマを見て、学んでいる。
家族の会話。笑い方。怒り方。泣き方。
すべてが、俺にとっては未知の領域だ。
「……何の話だ」
「『Re⭐︎LuMiNa』の現場!当日券とれそうなの!行こう!」
「断る」
即答。
俺――兎山類は、無愛想である。いや、正確には”無表情がデフォルト”なだけだ。
感情がないわけじゃない。ただ、表に出すのが極端に下手なだけで。
「お兄ちゃん、たまには外出ようよ! 最近ずっと家でNetflix見てるだけじゃん! 青春しよ、青春!」
「……このドラマ、まだ途中なんだけど」
「後で観ればいいでしょ!青春しないと!」
青春を連呼する天音は、俺の過去を知らない。
俺が普通の高校生として暮らしていることを、素直に喜んでくれている。
だが今、俺は明確に逃げるチャンスを狙っていた。
天音の視線を外した瞬間、廊下を抜けて自室へ――
「類」
母の低い声が背後から飛ぶ。
俺の動きがピタリと止まった。
この家で逆らってはいけない人物、それが母・詩子だ。
「天音ちゃんが楽しみにしてるのよ。一緒に行ってあげて」
「……俺、アイドルとか興味ないし」
「いいのよ。あなたもそろそろ”普通の高校生”っぽいこと、経験しておきなさい。スマホばかり見てないで」
母の言葉には、柔らかな笑みと、少しの願いが込められていた。
彼女は俺が”元暗殺者”だと知っている。
それでも受け入れ、家族として一緒に暮らしてくれている。
――普通の子になってほしい。
きっとその思いから、俺をライブに行かせようとしているのだろう。
……だが。
(地下アイドルのライブに行く男子高校生は、別の意味で普通とは言い難いのでは?)
心の中でツッコミを入れつつ、俺はため息を吐いた。
「……わかった。行く」
「え、ほんとに!?」
天音が目を輝かせる。
母が微笑む。
俺は逃げ場を完全に失った。
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それほど広くないライブ会場。
それなのに、俺がこれまで踏み込んだどんな”戦場”よりも騒がしかった。
人、人、人。
光と音と熱気。
(……敵意はなし。だが、圧がすごい)
会場に入った瞬間、俺の中の”観察者モード”が自動的に起動した。
出入り口の位置、観客の動線、非常口までの最短ルート。
天井の高さ、音響設備の配置、照明の死角。
暗殺者時代に叩き込まれた習慣は、今もなお消えない。
「お兄ちゃん、わたし女限行くから!」
「……女限?」
「女性限定エリア! アイドルがもっと近くで見れるの!じゃあね!」
天音は嬉しそうに手を振って、人混みの中へ消えていった。
(……置いていかれた)
俺は会場の端、壁際に立つ。
周囲を見渡すと、ほとんどが男性客だ。
大柄な男性が密集していて、天音のような背が低い女性はほとんどステージが見えない。
(なるほど。だから”女性限定エリア”があるのか)
納得しつつ、俺はスマホを取り出した。
先ほど見ていたドラマの続きを見ようかと思ったが、ステージが暗転し、観客が一斉に息をのむ。
次の瞬間、スポットライトが照らし出したのは、キラキラと輝く衣装に身を包んだ少女たちだった。
「Re⭐︎LuMiNaの登場ですーっ!!!」
女の子の声が響き、会場が爆発するように沸いた。
俺はその熱狂を、少し離れた場所で見つめていた。
音楽が鳴り響く。
ピンクとブルーの照明が交互に点滅し、ステージ全体が幻想的に彩られる。
アイドルたちは笑顔を浮かべながら、完璧に揃ったダンスを披露していた。
(……Netflixのアイドルドキュメンタリーで見たやつに似てる)
俺は無意識に、観察モードに入っていた。
――全員、視線が一点に集中している。
――歓声と振動が同期している。
――平均年齢は10代後半から4、50代まで。男性八割、女性二割。
――熱中症のリスクあり。換気不足。
暗殺者時代に培った”群衆解析”が勝手に発動していた。
職業病、恐るべし。
だが――
「ターゲット、確認」
無意識に、心の中で呟いていた。
センターから少し外れた位置。
ツインテールに結んだ髪。
みどりが基調の衣装。ステージ用のメイクが施され、キラキラと輝いて見える。
が、笑顔を浮かべながらも、どこかぎこちない。
ダンスは完璧なのに、時折ふっと影を落とすような表情を見せる。
呼吸のリズムが乱れている。
肩に力が入りすぎている。
目線が定まらない。
(……無理してる。あれは、限界のサインだ)
なぜそんなことがわかるのか、自分でも不思議だ。
たぶん、戦場で”折れかけた心の顔”を何度も見てきたからだろう。
(この前見たドラマにも、こういう子がいた。最後、死んでたな)
ライブが終わり、観客たちが出口へと押し寄せる。
天音が女限エリアから戻ってきた。満足そうに笑っている。
「お兄ちゃん、どうだった!?」
「……みんな、頑張ってたな」
「感想それだけ!? もっとこう、『最高だった!』とか『また行きたい!』とか!」
「……良かった、とは思う」
「素直じゃないなぁ。あ、わたしトイレ行ってくるから、ちょっと待ってて!」
天音はそう言って、また人混みの中へ消えていった。
(……また放置か)
俺はため息をつきながら、会場の出口付近へ向かった。
その時だった。
ふとステージ裏の方に、ひとつの小さな影が見えた。
暗がりで、肩を震わせている。
(泣いてる?)
気づけば、足が勝手に動いていた。
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そして、冒頭のシーンへと繋がる。
少女――ひめさきひまりは、俺が差し出した『Starry@Prism』のタオルを胸に抱きしめたまま、もう一度だけ振り返った。
「……また、会えるよね」
俺は答えなかった。
ただ、静かに会場を後にした。
彼女はまだ知らない。
その”優しさ”を向けた相手が、かつて幾人もの命を奪ってきた人間だということを。
そして俺も――この時はまだ気づいていなかった。
彼女が誰なのか。
どこで会うのか。
それを知るのは、明日の朝、教室で眼鏡をかけた地味な少女を見た時だ。




