#17 朝の登校で人参食べられると話が入ってこないんだが
朝の通学路、
昨日のインスタライブの後で深夜まで盛り上がって寝坊している天音を置いて、俺は一人で登校していた。
単なる視聴者の天音がああなのだから、ひまりはどうだろう。
そんなことを考えていると、前を歩く小柄な姿に追いついた。
「あ……類くん、おはよう……」
ひまりは声に元気がない。
表情も沈んでいて、目元がどんよりしている。
「おはよう。眠そうだな」
「ううん、大丈夫。ただ……いろいろ考えてて」
ひまりはそう言いながら、カバンをもそもそと探った。
中から細い人参を取り出すと、眠そうな顔でぽり……ぽり……と齧る。
「人参だ」
「うん……うわっ!無意識に食べてた!」
「それ、ウサギの餌じゃないのか?」
「今日のは違うよ!同じ人参だけど、自分用!人気投票……始まるから……ちょっとでも可愛くなりたくて……」
昨日のインスタライブ。
重大発表――『グループ内人気投票』。
ひまりが落ち込む理由は、わざわざ言われなくても分かる。
が、俺はひまりから人参を取り上げた。
「美容の前に、ちゃんとご飯食べろ」
「あ……」
人参を握りしめたまま、俺は少し間を置いて続けた。
「ひまりは充分可愛い」
「え……」
ひまりは目を丸くして固まった。
頬がうっすらと赤く染まっていく。
「あ、あの……今……」
「でも、勝ちたいなら逃げ腰はよくない」
俺はひまりの動揺を無視して続けた。
(……言い過ぎたか?)
ひまりの顔が真っ赤になっている。
しかし、今はそれより人気投票の話だ。
「昨日の配信、ひまりだけ自信がなさそうに見えた」
「そ……それは……」
「きっとファンはそういう所を見ている。アピールしないと勝てるものも勝てない」
ひまりはぎゅっと唇を噛んだ。
認めたくないという顔をしている。
「……わかってるけど……わたし……苦手、なんだよ……そういうの」
「苦手でも、やらないと変わらない」
そう言うと、ひまりは一瞬うつむき、そして小さくうなづいた。
「そう、だね。うん、類くんの言う通りだよ」
その納得は表面だけだと、俺には分かった。
ひまりは、まだ迷っている。
教室に着く前に、他の生徒に誤解されないように離れる。
ひまりはいつも以上に静かだった。
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昼休み、ひまりはカバンを抱えて職員室へと向かっていた。
小テストで赤点だった、英語の補習課題を受け取るためだ。
職員室に入り、英語教師に声をかけるとすぐに課題を渡してくれた。
「強羅さん、これ補習のプリントね。芸能活動で忙しいだろうけど、遅れないように」
「あ、はい……ありがとうございます」
教師はひまりが芸能活動をしていることは知っている。
が、担任以外には詳細を伝えていない。地味なこの生徒がアイドルだと知ったら驚くだろう。
(はぁ……類くんみたいに、何でもできたらよかったのに)
心の中で小さくため息をつく。
(類くんは顔もかっこいいし、運動もできるし……困ったことなんて、ないんだろうな……だから自信があるんだよ……)
そう思った瞬間、後ろから声がした。
「あれ、強羅さん?」
振り向くと、周が職員室を出たところだった。
「伊波くん?」
「もしかして……補習仲間?」
「みたい……」
少し気まずそうに答えるひまりに、周は自分の持つプリントの束を振る。
「一教科だけ?それなら優秀じゃん!俺なんて見てよ!この束!」
「あ、ありがと……英語がね、どうしても苦手なんだ……」
「英語?なら、類に聞けば?あいつ、めっちゃ分かりやすいよ」
「そう……類くんって、頭もいいんだね」
「あー……今はね」
周の言い方に、ひまりは首を傾げた。
「今は……?」
「類ってさ、半年前に転校してきただろ?」
周は補習プリントを振りながら、少し声を落とした。
「その時は、英語以外全部ボロボロだったんだよ。特に国語。マジで小学生レベル……よりも下」
「えっ……」
ひまりは息を呑んだ。
「帰国子女?って聞いたら、意味分かってなかったもん。海外暮らしが長いのかと思ったけど、聞いても全然教えてくれないし」
「そうなんだ……」
「でもさ、半年で全部追いついた上に、俺なんて軽く抜かされちゃってさぁー。補習仲間だと思ってたのに」
周は明るく笑ったが、ひまりの胸には重いものが残った。
(……類くんも、苦労してたんだ)
完璧に見えていた。何でもできると思っていた。
でも、それは”元から”じゃなくて、“努力してきたから”。
(わたし、何か勘違いしていたかも)
ひまりは、いじけていた自分が途端に恥ずかしくなってきた。
類と話さなくては、と考える。
「……ありがとう、伊波くん!」
ひまりはプリントを胸に抱えて駆け出した。
向かったのは、学校の屋上。
扉を開けると、類はいつものように柵に背を預けてスマホを見ていた。
「……あ、類くん」
ひまりが声をかけると、類はひまりが持つプリントに気付く。
「補習課題か」
「う、うん……」
隣に立つと、スマホの画面がちらりと見えた。そこには、家族ドラマの再生画面。
画面が気になって覗いたせいで、類との距離が近くなる。
肩が触れそうなくらいで、ひまりの心臓がどきどきと高鳴った。
「……類くんって、いつもドラマ見てるよね。好きなの?」
「学んでる」
「……学ぶ?演技を?」
「違う。普通の家族を」
「普通の、家族?」
「そう」
(家族って、学ぶものなのかな……?)
ひまりは、自分に両親がいることは当たり前で、類が言っていることが理解できなかった。
しかし、半年前に転校してきたこと、全く似ていない兄妹。
何か複雑な事情があるのかもしれない。
そう考えてひまりはそれ以上尋ねなかったが、類は首を傾げた。
「普通は、こうやって勉強しないのか?」
「あ!ううん、人によると思う!変じゃないよ!」
スマホをしまおうとした類に、ひまりは慌てて言った。
(……類くんも、いろいろあるんだ)
胸の奥がきゅっとなる。
朝の言葉――「もっとアピールしろ」という言葉。あれは、できない人間への突き放しじゃなかった。
類は、できないことから逃げなかった。苦手なものから目を逸らさず、努力して、自分を変えてきた。
そして、ひまりにもそれができると信じている。
だから、あんなふうに言ったんだ。
(……わたしも、逃げたくない)
ひまりは小さく息を吸った。
「……類くん」
類が顔を上げる。
「わたし、人気投票に向けて、もっと、ちゃんと考えてみる」
「そうか」
「逃げてばっかりじゃ、今のわたしから変われない……勝てるやり方を、頑張ってみる」
類はこくりとうなづいた。「当然だ」とでも言うような、その態度。
ひまりには、それがとても優しく見えた。
「……ねえ、類くん」
ひまりは一歩、類に近づいた。
「これから、もっと練習に付き合ってもらえる? わたし、本気で勝ちたいから」
類は少し驚いたように目を瞬かせて、それからまたうなづいた。
「ああ。任せろ」
ひまりの胸の奥で、小さく火が灯る。
(……わたし、頑張る。昔のことは忘れて、ちゃんと、自分から前に出る)
人気投票なんて怖い。自分の順位がまたつけられるなんて、もっと怖い。
でも――
(逃げるのは、もうやめよう)
類がいる。類が見ていてくれる。
それなら、わたしは戦える。
ひまりは固く手を握り締めた。




