#13 妹が兄の彼女(疑惑)を全力監視し始めた件
学校に到着して、校門前で中学校舎に向かう天音と別れる。
「じゃ、いってきまーす」
「宿題、ちゃんと提出しろよ」
「はーい!」
天音は軽く手を振って駆けていった。
小さくなっていく背中を見送りながら、俺は息を吐く。
朝から中学生の宿題をやらされて、悪夢で飛び起きた頭がようやく覚醒してきた。
「……おはよう、類くん」
背後から声をかけられて、振り向く。
眼鏡をかけた黒髪の少女――強羅ひまりが、通学鞄を胸の前で抱えるようにして立っていた。
いつもの真面目そうな制服姿。けれど、ほんの少しだけ目の下に疲れが見える。
そして、なぜかその手には人参がそのまま握られていた。
「朝食か?」
「へ……?何が?」
「人参」
「あ!ち、違うよ!中等部のウサギさんにあげようと思って、ベランダのを採ってきたの!」
ひまりは慌てて人参をカバンにしまった。
家から持っていて気付かなかったのか。
そう思って眺めていると、ひまりは小さく欠伸をした。
「眠そうだな」
「っ……そ、そう見える?」
「ああ」
「……昨日、遅くまで打ち合わせがあって」
言いながら、ひまりは小さくため息をついた。
「あの、ごめんなさい。今日、放課後の練習……できないんだ」
「ああ、インスタライブがあるんだろ」
「うん。七時から配信なんだけど、その前にリハと撮影があるの。だから、直行で事務所に行かなきゃ」
ひまりは歩きながら、少し申し訳なさそうに俺を見上げる。
「ごめんね、せっかく類くんに見てもらえる日だったのに」
「別に気にしてない」
「……ありがと」
校舎に向かう道を並んで歩いていく。
ひまりのアイドルの仕事は学業優先だが、最近は放課後に仕事の予定が詰まっている。
忙しそうで、放課後に一緒に練習できないことが増えた。
ひまりの表情はいつもより少し暗く、歩調が僅かに遅い。
「……それとね、今日の配信で『重大発表』があるらしいの」
「重大発表?」
「うん。まだ詳しいことは聞かされてないんだけど……マネージャーさんが、昨日の夜にそう言ってた」
ひまりは足元を見つめながら呟いた。
その声には、微かに重さがあった。
「ちょっと不安かも。最近、グループの雰囲気も少し変わってきてて」
俺は言葉を探しながら、隣を歩く彼女を横目に見る。
その横顔は深刻そうで、ほんの少しの決意が混じっていた。
「でもね」
ひまりが顔を上げ、かすかに微笑んだ。
「それでも、今は前より楽しい。ダンスも、少しずつ褒められるようになってきたし。グループの子たちとも、ちゃんと話せるようになったし」
「それはいいことだな」
「……うん。全部、類くんのおかげだよ」
不意にそう言われて、思わず足が止まった。
ひまりは立ち止まった俺に気付かず、数歩先で振り返る。
「類くんといると、大丈夫な気がしてくるの。今は無理でも、きっとできるようになるって」
「俺は、練習を見てるだけだ」
「それがわたしの力になってるんだよ」
そう言って、ひまりは小さく笑った。
それは学校で見せる“地味な委員長”ではなく、ステージで輝く“ひめさきひまり”の笑顔だ。
ほんの数秒で、彼女はまた眼鏡の奥にその光を隠してしまった。
「類くん、いつも早く登校してるし、朝に練習見てもらえないかなぁ」
「ひまりが早起きできるならいいぞ」
「う……そ、それは……」
二人で並んで校舎へ入る。
その背中を――影から見つめる視線があった。
⸻
「……嘘」
中学校舎の階段下。
天音は身を隠しながら、じっと高校校舎のほうを見つめていた。
兄と、その隣を歩く黒髪の女子。
類の表情は相変わらず無表情だが、女子生徒は明らかに嬉しそうだった。
そして――。
二人の距離が、近い。
「お兄ちゃんが……女子と……」
天音の声が、震えていた。
「しかも……名前で呼んでた……?」
天音は、自分の耳を疑った。
お兄ちゃんが、女子を名前で呼ぶ?
あの、誰にも心を開かない系男子のお兄ちゃんが?
「なにかの間違いか……もしかして、騙されてるんじゃ……」
家では、お兄ちゃん、彼女できた?と無邪気に盛り上がっていた。
しかし、いざ目の当たりにすると不安の方が大きい。
「くぅ〜……ソシャゲの徹夜明けに、太陽が染みるぜ……」
そう呟きながらふらふらと歩いている男子生徒、伊波周。
天音は彼に気付いて、その腕を掴んだ。
天音は周の名前など知らないが、類と一緒にいる唯一の人、と認識している。
「あの!」
「んー……俺?何?」
「お兄ちゃんとよく一緒にいる人ですよね!あの女子のこと、知ってますか?」
「えーっと、あー……?あ、天音ちゃんか、類の妹の」
「そうです!お兄ちゃんが、女子と話してるんですけど。あの、なんか、騙されたりしてないですか?!」
周は天音に並んで、類とひまりの後ろ姿を眺めた。
「いいや。最近、あの二人は普通に仲いいよ。教室でもよく話してるし」
「えっ、ほんとに!?」
「強羅さんはいい子だし、騙すとかはないよ。俺はそろそろ付き合うんじゃないかと思ってる……あれ?もう付き合ってるのかな?」
「お、お兄ちゃんに……彼女が……」
その言葉を聞いた瞬間――。
天音は、がくりと膝をついた。
「そんな……」
校舎の壁に手をついて、うなだれる。
「え、なんで落ち込んでるの?」
周が不思議そうに尋ねた。
「だって、あたしのお兄ちゃんなのに……本当に、彼女ができるなんて、思ってなかった……」
「あー……」
周は、ようやく理解した。
この子、ブラコンだ。
「大丈夫だって。強羅さんはいい子だし、天音ちゃんとも仲良くできるよ」
「あたしと、仲良く?」
「だって、兄貴の彼女になるかもしれない人なんだから、仲良くできた方がいいだろ?」
「うん……そっか……」
天音は少し考えて――そして、決心した。
立ち上がり、拳を握る。
「よし!お兄ちゃんに相応しい人かどうか、あたしが見極める!」
「小姑みたいなこと言うなぁー……」
「あたしが認めた人じゃないと、お兄ちゃんとは付き合わせないんだから!」
熱い思いを持つ天音を、周は眠い頭のまま眺める。
(似てない兄妹だなぁ……)
「情報提供ありがとうございます!お兄ちゃんとよく一緒にいる人!」
「あれ?もしかして俺の名前、知らない?」
周は少し悲しそうに言った。
「伊波だよ。クラスの人気者で天音ちゃんの兄貴の大親友」
「覚えました!伊波先輩!」
天音は元気よく答えて、中学校舎へ駆けていった。
周はひとり残って、再び高校校舎のほうへ視線を向ける。
昇降口に入っていく類とひまりの後ろ姿。
その距離は、以前よりも確かに近い。
「……類の妹、面白いな。あいつ、妹にどう説明するんだろ」
周は小さく笑った。
そして――。
「……なんか、面白くなってきたなぁ」
周の呟きは、朝のざわめきに紛れて消えた。




