#11 感情が爆発した結果、そっちの方向に進展した件
それから数日経った放課後、
いつものように校舎裏でひまりの練習を見ていた。
だが――今日のひまりは、いつもと違った。
動きが鈍い。
ステップを踏み間違える。
呼吸が乱れている。
「今日は、もうやめろ」
「え……? なんで、ですか?」
「やっても無駄だ」
「そ、そんなことないです! もっと練習しないと……!」
ひまりはそう言ったが、限界がきたように膝から崩れ落ちた。
「大丈夫か」
俺が駆け寄ると、ひまりは顔を上げて無理に笑顔を作る。
「だ、大丈夫です……ちょっと、疲れてるだけで……」
しかし、笑顔のまま瞳から涙が零れた。
ぽたぽたと地面に落ちる涙に、ひまりは慌てて両手で顔を覆った。
「ち、違うんです! 泣いてるわけじゃなくて……!」
「無理するな」
俺はひまりの隣に座った。
しばらく震えていたかと思うと、ひまりは声を上げて泣き始めた。
「ごめんなさい……大丈夫って……言ったのに……」
「……」
俺は何も言わず、ただ彼女の隣に座っていた。
「わたし……本当は……すごく辛くて……」
ひまりの声が震えていた。
「学校のこともそうだけど、お仕事のことも、グループの順位のことも……なんか、色々わかんなくなっちゃって……」
「……」
「でも、心配かけたくなくて……大丈夫って……言っちゃって……ごめんなさい……嘘ついて……」
「……謝らなくていい」
俺は静かに言った。
「強羅は十分頑張ってる」
「……」
「泣きたい時は泣けばいい」
俺はそう言って、ひまりの頭を撫でた。
「俺は、ここにいるから」
その言葉を聞いて――ひまりは、さらに声を上げて泣いた。
-----
しばらくして、ひまりは泣き止んですっきりした顔になっていた。
「……ごめんなさい。泣いちゃって……」
「気にするな」
俺はポケットからハンカチを取り出し、差し出した。
「これ、使え」
「……ありがとうございます」
ひまりはハンカチを受け取り、涙を拭いた。
「少しは落ち着いたか」
「はい! 泣いたら、少しすっきりしました」
ひまりは赤く涙が滲んだままの目で小さく笑った。
俺は少し考えてから、口を開いた。
「……もし」
「はい?」
「もし、強羅が望むなら解決策はある」
「解決策……?」
ひまりは期待を込めた声で繰り返した。
俺はうなずく。
「ああ。俺には、お前を妨害してる奴らを黙らせる方法がある」
俺が使えるのは、組織で身に着けた技術。
人の命を奪うやり方もあれば、犯罪にならない程度のやり方もある。
だが、今の家で世話になっている手前、母親と天音に迷惑がかかる方法は選ばない。
「でも……」
俺は続けた。
「それをやったら、今と同じように一緒にいられなくなるかもしれない」
「え……?」
「少なくとも、今のように放課後に教えることはできなくなると思う」
ひまりは、じっと俺を見つめた。
そして――。
「……それなら」
ひまりは、小さく笑った。
「しなくていいです」
「……」
「わたし、兎山さんと一緒にいたいから」
ひまりは俺を見つめた。
「兎山さんがいなくなるくらいなら……わたし、今のままでいいです」
「……」
「それに……泣いてすっきりしたし、もう大丈夫です」
ひまりは笑顔を見せた。
その笑顔は――少しだけ、いつもの彼女に戻っていた。
「……そうか」
ひまりがそう決めたのなら、そうしよう。
俺は小さく頷いた。
「……あの、でも、ちょっとお願いなんですけど……」
ひまりが小さく口を開いた。
泣いていたのとは別に、照れた様子で赤い顔をしている。
「なんだ」
「兎山さんって……わたしのこと、なんて呼んでますか?」
その質問に、俺は少し戸惑った。
「……強羅」
「ですよね……でも、実は、わたし……『強羅』って苗字、ちょっと苦手なんです」
「……そうなのか」
「そうなんです。強そうで……わたしに似合わないっていうか……なんか……ギャップがあって……」
「ギャップ?」
「はい。小さい頃から、よくからかわれたんです。『強羅なのに弱っちい』って」
「そんなことないと思うけど」
「そう行ってくれるのは、兎山さんくらいです……だから……その……」
ひまりは視線を泳がせた。
「う、兎山さん、わたしのこと……下の名前で、呼んでもらえませんか?」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。
「……下の名前?」
「はい。『ひまり』って……」
ひまりは恥ずかしそうに俯いた。
「ダメ、ですか……? だって……その……どうせ、周りの子たちに変に思われてるんだったら……」
ひまりは少し自暴自棄になっているようだった。
「いっそ、本当に仲良くなっちゃってもいいかなって……」
「……」
俺は少し考えた。
下の名前で呼ぶ、か。
「わかった。じゃあ、ひまり」
そう名前を呼んだ瞬間――ひまりの顔が真っ赤になった。
「あ、あの……やっぱり、ちょっと恥ずかしいかも……」
「どっちだ」
「で、でも……嬉しいです」
ひまりは照れくさそうに笑った。
「……それなら」
俺は続けた。
「ひまりも、俺のこと名前で呼べ」
「え……?」
「俺のことも『類』でいい」
ひまりは目を見開いた。
「で、でも……」
「ひまりが俺に名前で呼ばれるなら、ひまりも俺を名前で呼べ。じゃないと、フェアじゃない」
俺はそう言った。
ひまりは少し考えて――恥ずかしそうに頷いた。
「……わかりました。じゃあ……る、類……さん」
「……さん、はいらない」
「え……」
「類でいい」
俺は即答した。
ひまりは顔を真っ赤にしながら――。
「る……類……くん」
くん、もいらないと言おうとしたが、これ以上ひまりが赤くなると大変そうだ。
それでいい、と俺はうなづいて続ける。
「あと、敬語もいらない」
「え……?」
「ひまりはいつも敬語使ってるだろ。名前で呼ぶなら、敬語もいらないだろう」
ひまりは驚いたように俺を見た。
「で、でも……」
「名前で呼ぶのは友達だ。なら、敬語はいらない」
「わ、わかった……!じゃあ……これから、敬語やめる……やめるね!」
「ああ」
俺は頷くと、ひまりは嬉しそうに笑った。
「類くん……ありがとう……! あー……!」
ひまりは笑顔で言ったが、すぐに顔を真っ赤にして地面に突っ伏した。
「……大丈夫か」
「だ、大丈夫……ちょっと、恥ずかしくて……」
ひまりは顔を上げずに答えた。
「……泣いたり照れたり、忙しいな」
「ご、ごめん……」
ひまりは顔を上げて、照れくさそうに笑う。
泣いていたのが嘘のような笑顔で、俺はようやく安心した。
-----
その日の夜。
家に帰ると、天音がリビングのソファに寝転んでテレビ番組を見ていた。
「お兄ちゃん、おかえりー」
「ただいま」
天音が歌番組でもアイドルの配信でもない番組を見ている。
珍しい、と天音の横でテレビを見る。
タレントやアイドルが出ているバラエティ番組で、Re⭐︎LuMiNaのメンバーのきらりが出ていた。
「きらりちゃん、センターだからね。ソロの仕事で地上波に出てたりするんだよ」
俺がテレビを見ているのに気付いて、天音が説明してくれた。
きらりはRe⭐︎LuMiNaで赤担当のセンター。
グループ内の人気はいつもトップ。
「お兄ちゃん、きらりちゃんが推しなの?」
「そういうわけじゃない、けど」
笑顔で淀みないトークをするきらりに、ひまりを重ねてみる。
顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたひまりが、こんな風になるなんて想像ができない。
しかし、目標は高い方がいいはずだ。
「ねぇ、最近お兄ちゃん、なんか楽しそうだね」
俺が考えていると、天音が突然顔を近づけて言ってきた。
「……そうか?」
「うん。前より忙しそうだし。今日も嬉しそう。なんか良いことあった?」
「別に」
俺は適当に答えた。
だが、天音はにやにやしながら続けた。
「絶対何かあるって。もしかして!好きな子でもできた?!」
「……」
「え、マジで?!お兄ちゃん、初めて否定しなかった!」
「違う」
「遅い!もうバレてる!お母さーん お兄、彼女できたってー!」
「やめろ」
俺は天音の口を塞いだ。
母親が聞きつけたら、普通の男子高校生らしいと喜んで恋愛指南を始めるに違いない。
「んー!んー!」
天音は口を塞がれたまま、目で訴えてくる。
(まだ彼女じゃないの?じゃあ片思い?!)
そう言いたげな目だ。
「まだ、そういうんじゃない」
俺は小声で言った。
「んー?んー!」
(でも気になってるんでしょ?それなら恋だよ!)
「違う」
俺は天音の口を塞いだまま、テレビを見続けた。
まだ、恋愛ではないと思う。
だが、ひまりの笑顔を見たいと思っている。
ひまりの成長を、見守りたい。
今は、それだけは確かだ。




