第十二話:百回目の夜明け
私たちの最後の旅が始まった。
目指すは、敵の本拠地と化した王都。
バーンズ公爵が、神になろうとしている場所。
道中、戦争が激化しているという報せが次々と耳に入ってきた。
私とレオンハルトの『裏切り』を大義名分に、両国の兵士たちは憎しみを燃やし、血で血を洗う泥沼の戦いを繰り広げている。
その全てが、バーンズ公爵の筋書き通りに進んでいるのだ。
一刻の猶予もなかった。
王都は、バーンズ公爵の私兵によって固められ、厳戒態勢が敷かれていた。
正面からの突破は不可能。
どうやって、城へ潜入するか。
途方に暮れていた私たちの前に、一人の人物が現れた。
「アリシア様!」
それは、商人風の外套を目深にかぶった、侍女のセラだった。
「セラ! 無事だったのね!」
「はい! アリシア様を信じておりました!」
彼女は、一人ではなかった。
その背後には、バーンズ公爵のやり方に疑問を抱いていた、エリントン侯爵派の騎士たちが数名控えていた。
彼らは、公爵の独裁に反旗を翻す機会を窺っていたのだ。
「城へ入るための、抜け道を知っています」
セラは、私たちが知らない秘密の通路の存在を教えてくれた。
99回のループでも知り得なかった道。
私が諦めなかったことで、未来は、私の知らない形で、確かに変わり始めていたのだ。
そして、脳内に直接、あの魔術師の声が響いた。
ゼノンだ。魔道具を使った遠隔通信魔法だった。
『王女様、面白いことになってきましたな! 公爵はペンダントと半ば同化している状態。物理的な攻撃だけでは倒せませんぞ。奴とペンダントの繋がりを、断ち切るのです!』
最後のピースは揃った。
私たちは、セラと騎士たちの手引きで、再び王宮の地を踏んだ。
息を潜め、見張りの兵士たちを避けながら、目指すは玉座の間。
心臓の音が、うるさいほどに響く。
ついに、たどり着いた玉座の間の扉の前で、私は二人の仲間を見た。
「アラン、レオンハルト。これが、最後の戦いよ」
「御意」とアランが頷く。
「ああ、派手なフィナーレになりそうだな」とレオンハルトが笑った。
扉を、蹴破る。
そこにいたのは、玉座の前に立つバーンズ公爵、ただ一人。
しかし、その姿はもはや人間ではなかった。
玉座に埋め込まれたクロノスのペンダントが、心臓のように脈動し、おぞましい魔力が公爵の全身を駆け巡っている。
彼の瞳は、金色に輝いていた。
「来たか、亡霊よ。貴様の100回に渡る無駄な足掻きも、これで見納めだ」
公爵は、私たちを嘲笑う。
「私には見えるぞ。貴様たちの未来が。一秒後、お前は右に避け、そこの騎士は前に出る!」
その言葉通り、レオンハルトとアランが動く。
しかし、公爵はそれを予知していたかのように軽やかに攻撃をいなし、二人を同時に弾き飛ばした。
強い!
未来が読める相手に、どうやって勝てと?
「無駄だ! この私には、時間の流れが見えているのだ!」
公爵が高笑いする。
絶体絶命。
だが、私は諦めなかった。
未来が見える? 時間の流れが見える?
上等じゃない。
私には、99回分の『ありえたかもしれない未来』の記憶がある!
「アラン! 34回目の時のように、床を滑って足元を狙って!」
「レオンハルト! 81回目の戦場で、あなたがマルクス将軍を破ったあの技を!」
私は、叫んだ。
それは、この世界の誰も知らない、私だけが知る未来の断片。
「なっ…!?」
公爵の動きが、一瞬だけ乱れた。
彼の頭の中に、私の声に呼応して、ありえないはずの未来の光景が流れ込んだのだ。
その隙を、二人は逃さない。
アランの奇襲が公爵の体勢を崩し、レオンハルトの必殺の一撃が、その肩を浅く切り裂いた。
「小賢しい真似を!」
公爵は、ペンダントの力で瞬時に傷を癒す。
だが、私は構わず叫び続けた。
存在しないはずのループの記憶を、次から次へと彼に叩きつける。
「55回目、あなたはここで毒に倒れた!」
「23回目、帝国の奇襲で城は炎に包まれた!」
「99回目、私はあなたの兵士に殺された!」
過去、未来、ありとあらゆる可能性。
矛盾した時間の情報が、濁流のようにペンダントを通じて公爵の精神を蝕んでいく。
「ぐ…うああああ! やめろ! 私の知らない未来だと!? ありえん! ありえん!」
彼の未来予知が、膨大な偽りの情報によってショートしたのだ。
金色の瞳から光が消え、彼がただの男に戻った、その一瞬。
「「今だ!!」」
私の声と、アラン、レオンハルトの剣が、完璧に重なった。
二人の渾身の一撃が、バーンズ公爵の胸を貫く。
そして、私は玉座に向かって駆けていた。
脈打つペンダントに、手を伸ばす。
王家の血を引く者として、この呪われた秘宝に命令する。
『私を、解放しなさい!』
その瞬間、世界が真っ白な光に包まれた。
まるで、長い鎖が砕け散るような感覚。
99回分の悲しみと絶望が、光の中に溶けていく。
私の意識は、そこで途切れた。
◇
…ちちち。
小鳥のさえずりが、聞こえる。
私は、はっと目を開けた。
見慣れた、自室の天蓋付きベッド。
まさか、また…?
恐怖に駆られて寝台を飛び出し、カレンダーを確認する。
そこに記されていたのは、私が死ぬはずだった日の、『次の日』の日付だった。
ループは、終わったのだ。
私は、初めて見る『明日』を迎えたのだ。
呆然と窓の外を眺めていると、扉がノックされた。
入ってきたのは、アランだった。
その顔には、見慣れた心配そうな表情が浮かんでいる。
「アリシア様、お目覚めでしたか。昨夜は、大変な…」
彼は、生きている。
私のために死ぬ運命から、解放されたのだ。
「…アラン」
涙が、勝手に溢れてきた。
「おはよう」
「…おはようございます、アリシア様」
バーンズ公爵の死と、彼が残した反逆の証拠によって、戦争は急速に終結へと向かった。
父王は公爵に操られていたことを知り、深く悔いた。
そして、帝国の新たな和平交渉の使節団として、王都を訪れたのは、レオンハルトだった。
数週間後。
すっかり平和を取り戻した王宮のバルコニーで、私は彼と並んで立っていた。
「…不思議な気分だ」と彼が言った。
「敵としてではなく、こうして隣に立っているのが」
「ええ、本当に」
穏やかな風が、私たちの髪を揺らす。
眼下に広がるのは、平和な王都の営み。
99回、焦がれても手に入らなかった、当たり前の日常。
「これから、どうするんだ?」
彼の問いに、私は微笑んで答えた。
「さあ? 考えてもみて。私の未来は、今日から始まるのよ。予定なんて、何もないわ」
「そうか。それなら…」
レオンハルトは、少しだけ照れたように言った。
「その予定のない未来に、俺も加えてはもらえないか?」
その言葉の意味を、ゆっくりと噛み締める。
私たちの戦いは、終わった。
でも、新しい未来を築いていくという、長くて、きっと楽しい旅が、これから始まるのだ。
私は、彼の手をそっと握った。
空は、どこまでも青く澄み渡っている。
百回目のループの果てに掴んだ、初めての夜明け。
その光の中で、私の本当の人生が、今、始まった。