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第一話:始まりはいつも血の匂い

焼けた肉の匂いがした。

私の体から流れる血と、城壁を焦がす炎の匂いが混じり合って。


ああ、またか。

そんな他人事みたいな感想が浮かぶ。


腹に突き刺さった敵国の剣。

その切っ先からじわりと広がる冷たさが、私の意識を奪っていく。


「王女様! アリシア様!」


忠実な騎士アランの声が遠くに聞こえる。

ごめんねアラン。今回もあなたを死なせてしまった。

そして私もすぐに後を追うから。


これで99回目。

もう慣れたものだ。痛みにも、絶望にも。


一年という短い時間を与えられ、隣国との戦争で必ず死ぬ運命。

それが王女アリシアである私に課せられた呪い。


次に目覚めた時、私はまた一年前に戻っているだろう。

王宮の自室のベッドの上。春の柔らかな日差しが窓から差し込む、あの朝に。


「次こそは」


もう何度誓ったかもわからない言葉を、血の泡と共に吐き出して。

私の99回目の人生は、終わりを告げた。



……ちちち。

小鳥のさえずりが聞こえる。

意識がゆっくりと浮上していく感覚。


目を開けると、見慣れた天井があった。

天蓋付きの豪奢なベッド。シルクのシーツの肌触り。


ああ、本当に戻ってきた。

窓の外からは暖かな春の日差しと花の香り。


今日の日付は覚えてる。

国王である父の誕生日を祝う式典が開かれる日。

そして一年後の今日、私は死ぬ。


100回目。

節目の数字に、私は自嘲気味に笑った。

99回も失敗したんだ。次もどうせ同じだろう?


そんな弱音が頭をよぎるのを、無理やり振り払う。

違う。今回は違うんだ。

99回の死は無駄じゃなかった。


私はこの一年間で起こる全てのことを知っている。

誰が裏切るのか。誰が味方になるのか。

どこで戦が始まり、どこで奇襲があるのか。

敵国の将軍の癖も、宮廷魔術師が隠している秘密も。

全て、全て、この頭の中にある!


「アリシア様? お目覚めですか?」

扉の向こうから侍女のセラの声がする。


「ええ、起きてるわ。すぐに準備を」

いつもと同じ返事。でも、声の響きはいつもと違うはずだ。


ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。

そこに映っているのは17歳の私。まだ戦争の絶望を知らない無垢な王女の顔。

でもその瞳の奥には、99回分の死と経験が宿っている。


「失礼します」

セラが入ってきて、手際よく着替えの手伝いを始める。

豪華なドレスに身を包み、髪を結い上げられていく。

いつもなら憂鬱なだけのこの時間も、今日だけは違う。

これから始まる戦いのための儀式のように感じられた。


「セラ」

「はい、なんでしょう?」

「今日の式典が終わったら、私の私室に来てちょうだい。人払いを忘れずに」

「え? かしこまりました」

セラは少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。


彼女は私の幼馴染で、一番信頼できる侍女。

そして、一年後の戦争で真っ先に命を落とす一人でもある。

今回は絶対にそんなことさせない。


準備を終えて部屋を出ると、廊下で護衛騎士のアランが待っていた。

銀色の鎧に身を包んだ、真面目な顔。

私のために99回死んでくれた忠実な騎士。


「おはようございます、アリシア様」

「おはよう、アラン。今日もよろしくね」

「はっ! この命に代えましても」


その言葉を聞くたびに胸が痛む。

もうその命を無駄にはしない。

あなたにも未来を見せてあげるから。


父である国王が待つ謁見の間へ向かう。

長い廊下を歩きながら、私はこれからの計画を頭の中で組み立てていた。


最初の標的は決まっている。

戦争を最も強く望んでいる男。国内で最大の兵力を持つ強硬派の筆頭。

バーンズ公爵。

あの男をまず排除しなければ、何も始まらない。


99回のループの中で、私は様々なことを試した。

父を説得しようとしたこともある。でも無駄だった。平和を願うだけの理想論では誰も動かせない。

敵国の王に和平交渉を申し込んだこともある。でも返ってきたのは嘲笑と奇襲だけ。

毒殺を試みたこともある。でも警戒が厳しく、失敗に終わった。

剣を取って戦うこともした。魔法を極めて戦場に出たこともある。

でも個人の力だけでは、巨大な戦争の流れは変えられなかった。


だから今回は全てをやる。

外交も、暗殺も、内政も。

私が持つ99回分の知識と技術と人脈を総動員して、この戦争そのものを根っこから消し去るんだ。


謁見の間に着くと、すでに多くの貴族が集まっていた。

きらびやかな服に身を包み、笑顔で談笑している。

でも知っている。この中にどれだけの裏切り者がいるのかを。


父の前に進み出て、誕生日を祝う言葉を述べる。

「アリシア、よく来たな」

父は満足そうに頷いた。

彼はまだ知らない。自分の娘がどれほどの覚悟を決めているのかを。


式典は滞りなく進んでいく。

退屈な挨拶、優雅な音楽、豪華な食事。

私は周りの貴族たちの顔と名前を一人一人確認していく。

味方になる可能性がある者、敵として排除すべき者、利用できる駒。

頭の中の情報と照らし合わせていく作業。


ふと視線を感じて顔を上げた。

そこにいたのは宮廷魔術師のゼノン。

年の頃は20代半ばだろうか。いつもフードを目深にかぶっていて、表情が読めない謎めいた男。

彼は私のループに何か関係している。確信はないけど、そう感じていた。

彼だけはループの中で時々、他の人間とは違う反応を見せることがあったから。

ゼノンは私と目が合うと、静かに一礼して人混みの中に消えていった。

今はまだ彼に接触する時じゃない。


式典が終わり、私は足早に自室へと戻った。

しばらくして、セラがやってくる。


「アリシア様、お呼びでしょうか?」

「ええ、入って」

セラを部屋の中に招き入れ、私は扉に鍵をかけた。


「アリシア様?」

怪訝な顔をするセラに、私は向き直る。

「セラ、あなたにお願いがあるの」

「なんでしょう?」

「あなたの実家は薬草の問屋よね? ある薬を秘密裏に手に入れて欲しいの」


私は紙に一つの薬草の名前を書いた。

それを見たセラの顔が青ざめる。

「こっ、これは…! 即効性の毒じゃないですか! いけません! こんなもの、何にお使いになるのですか!」

「必要だからよ」

「ですが!」


私はセラの肩を掴んで、真っ直ぐに彼女の目を見た。

「セラ、お願い。あなただけが頼りなの。これから私がやろうとしていることは、この国を…ううん、あなたやアランや、みんなを守るために必要なことなの」


私の瞳に宿る真剣さに、セラは息を呑んだ。

いつものおっとりとした王女様じゃない。まるで歴戦の戦士のような鋭い光。


「信じて」


その一言に、セラはしばらく葛藤していたが、やがて小さく頷いた。

「…わかりました。アリシア様がそこまでおっしゃるのなら」

「ありがとう」


これが第一歩。信頼できる協力者の確保。

次に私はアランを呼んだ。


「アラン、あなたにはバーンズ公爵の屋敷の警備状況を調べて欲しいの」

「公爵様の屋敷を? 何故です?」

「いいからお願い。内部の見取り図と、警備の交代時間が知りたいのよ」


アランもセラと同じように驚き、戸惑っていた。

でも彼は忠実な騎士だ。私の命令に疑いを挟むことはしない。

「…御意」

短い返事だけを残して、彼は部屋を出ていった。


これで準備は整った。あとは実行するだけ。


夜。

私は侍女の服に着替えて城を抜け出した。

99回も繰り返していれば、抜け道の一つや二つ、簡単に見つけられる。

向かう先はバーンズ公爵の屋敷。

昼間にアランが調べてくれた情報を元に、闇に紛れて潜入する。


これまで何度も暗殺を試みて失敗した相手。でも今回は違う。

セラが手に入れてくれた毒がある。

これはただの毒じゃない。99回の知識で見つけ出した、特殊な植物から作られる無味無臭の気化する毒。

ワインに混ぜる必要も、食事に仕込む必要もない。

公爵の寝室にこれを置いておくだけでいい。数時間後には眠るように死んでいるはずだ。

心臓発作として処理されるだろう。誰にも気づかれずに、戦争の主犯を一人消すことができる。


屋敷への侵入は驚くほど簡単だった。

アランの情報は正確で、警備兵の配置も巡回のルートも全て頭に入っている。

音もなく壁を登り、目的の寝室の窓にたどり着く。

ガラスを特殊な道具で静かに切り取り、中へ滑り込んだ。


豪華な調度品が並ぶ広い寝室。

天蓋付きのベッドでは、ターゲットであるバーンズ公爵が大きなイビキをかいて眠っている。

憎い男だ。この男のせいでどれだけの血が流れたか。


ポケットから小さな小瓶を取り出す。

蓋を開けて、ベッドサイドのテーブルの上にそっと置いた。

中の液体がゆっくりと気化していくのがわかる。

これで終わり。あとは屋敷を出るだけ。


そう思った時だった。


「そこで何をしている?」


冷たい声が背後から響いた。

しまった!


振り返ると、そこには一人の男が立っていた。

月の光に照らされたその顔を見て、私は息を呑む。

長い銀髪に、血のように赤い瞳。


敵国であるガルア帝国の若き将軍にして最強の騎士。

レオンハルト・フォン・リンドブルム。


なんで彼がここにいるの!?

まだ戦争は始まっていないはず。彼が我が国の王都にいるなんてありえない!

99回のループの中で、一度もなかった事態。


レオンハルトは静かに剣を抜いた。

その切っ先が、真っ直ぐに私の喉元に向けられる。


「お前が、バーンズ公爵を狙う暗殺者か」


まずい。

どうする? 戦う? 逃げる?

頭が高速で回転する。でも答えは出なかった。

なぜなら、私の計画はもうこの時点で崩壊しているから。


100回目にして初めてのイレギュラー。

私の知らない未来が、もう始まっている?


冷や汗が背中を伝う。

レオンハルトの赤い瞳が、私を射抜いていた。


「答えろ」


その声には、一切の慈悲がなかった。

ああ。


もしかして。

私の100回目も、ここで終わりなのかな?

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