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「漠然とした不安」なんてクソ喰らえ しかし生きることが現状辛い

何から話していいか混乱している中、文章で、私小説的に独白しようとするなら、芥川龍之介に対して言及するのがいい駆け出しになるのではと考えた。


好きな小説家に芥川がいるが、木登りの前後に彼が呟いた「ぼんやりとした不安」というのは、僕の中にはない。


「死にたい」という表現すら違う。明確に僕は生きていたい。ただし"健康に"、という注釈付きだ。


病歴の具体的言及は避けるが、「線維筋痛症」だ。以下7項目をざっくり箇条書く

・2017年初頭に病気が明確化し、

・2018年に働けなくなり、

・2019年から日常生活にすら困難になっていき、

・2020年に医療従事者が免許区分外の治療を行い(つまり無免医師と化して)医療ミスを受け、

・コロナ禍で病状がさらに悪化し、

・2022年から定期的に貧困に見舞われ食うものに困窮し、

・2024年からPTSDでどんどん精神的にできない行動が増え……生きていくのが辛い


さらにきついのが、身体上の痛みの対応策が見つからない中択に入った精神科の医師と上手くいっていないことだ。月7万の障害年金と手帳のために何とか今の精神科を続けているが、2022年から数回精神科を信用で気なくなる出来事があり、PTSDを話して緩和を測れるような「安心出来る相手」ではまったくない。


精神科は訪問診療の形態をとっていて、数駅先に行くことすら困難な状況の自分には代わりを探すこともしんどい状況だ。



……さて。


しかし僕はこの文章が「小説家になろう」に投稿されることを知っている。しかも活動報告ではなく作品「エッセイ」として投稿されることを知っている。


ここで伝えたいことはなにか?


それは……「上記のような状況でもなにかしたいと『創作』という目的(かつ手段)を見出した人々が交流できる場を『ネット上で』探している」という切な願いだ。


元々、僕は舞台表現系のアート関連に関わっていた。サーカスのジャグリングとアートをまぜたような界隈だ。


(僕は末端の人間でよい実績やら何やらが上手くいく前に病に倒れてしまった)


闘病数年間は創作から引いて何とか何十件もの病院をめぐり解決策を探していたが、良くならずに年数が経った。2023年頃から闘病しつつ創作をはじめた。ただし身体表現など持っての他の体調なので、小説と作曲が可能な表現として選ばれた。今できる範囲で行って人々に届けたいし、作品として残って欲しいという願いがある。



しかし、上記病歴に書いた通り、創作中にもじわじわ病は進んでいっている。



ここで難しい話なのだが、友人と呼べる人は僕が創作を再開する前にコミュニケーションの失敗で離れていってしまった……いや、病が扱いづらすぎたと言っていい。「線維筋痛症」というのが1番端的に表した僕の病だが、僕の病気は耳、鼓膜周りにも影響した。音は振動である。つまり、聴けない類の音があり、それが続くと耳に炎症が起きるのだ。



ああ、これのせいで色々と都合が悪くなった。いわゆる「普通のお見舞い・普通の福祉」が受けにくくなってしまった。これとコロナ禍と医療ミスが重なったんだ。酷いものだ。

運の悪さだけでなく自分の中に反省すべき点というのもあるのだが、それを今ここで書いても仕方がない。


病前の自分は"ぼっち"ではなかったが「自分から誘わず相手が誘ってくれる」タイプの友人は皆無だった。今は「ぼっち・孤独」そのものだ。


遠回りしてしまったが、これと創作の話が関わって来る。

イメージとして、「病に倒れた創作者にはある種の普遍性がある」と思っているのだ。


コロナ禍・耳・線維筋痛症という特異な状況下では「対応不可」だった「手伝い」が、創作という「補助線」が生まれたことで、ある種の明確さが生まれた。


言ってみれば、

・小説家における筆を走らせる人の分業、資料閲覧の代役

・作曲家の分業

・イラストレーターの絵描き姿勢の補助

・机周りの整理

・撮影


また、そうした実利的手伝いだけでない、会話の起点としての創作……



ああ、しかし創作前に切れてしまった人々との繋がりを再び繋げなければ、せっかくのこの普遍性も意味をなさない。すでにボクのこの状況に対応できる友人は1人もいない。







ネット上の人間関係はリアルよりさらに希薄だ。望みなどない。


ボクがネット上で他に生きることが辛くなってしんどい人を探しても、彼ら彼女らは「死にたい・自殺したい」という表現が先行していて、助かる手立てはないし、はけ口としてコメント欄やにっくき某SNSなどに負の言葉を垂れ流してはいるけれど、実際手を取り合って助け合おうという気概はモテぬタイプの人々の集まりで(これを腑抜けと批判したいわけではない、彼ら彼女らはそういうタイプという話だ)、助けを実際に求めているタイプの自分とは相容れないのだ。



そして創作界隈上で病んでる姿をみせて大丈夫なのは、結局「病みプロモーション」が上手なタイプの人々だ。残念なことに、僕はこのタイプの立ち回りが絶望的に下手だ。


そのフィルターを超えて某SNSなどで絡んで来た人は、「悪い意味」で頭のネジが外れた人たちで、まるで話が合わなかった。







つまるところ「病んでるがそれの発散に創作という手段を選んでる人」という仲間をボクは求めている。そういうタイプか、そういうタイプの創作を「行動として」応援してくれる人をいまも僕は諦め切れず求め、彷徨っているのだ。



創作が広く人々に広まることが、"無敵の人"になって事件を犯すよりよほど社会や見捨てた人への復讐になると思ってるし、広く広まっていれば死ぬことの恐怖はないタイプだ、自分は。


しかし、今の状態で死んだり発狂(比喩ではなく文字通りのニュアンス)したくはない。




まだ諦められない


まだ諦められない


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