第8話 曽根崎くん、横山くんと陶芸体験に行く。
バスを降りると、日本海から猛烈な風が吹きつけて来た。
「うひゃー!なんちゅう風や!」
波は高く、雨がポツポツと降り始めている。
傘は持ってきていない。
「ちょう、陶芸教室どこや!?」
「バス停から歩いて3分ってホームページに書いてあった。あ、あれじゃね?」
前方の坂の上に、ブロック塀から飛び出ている黒い瓦屋根の家が見えた。
あらかじめホームページで地図を確認していて良かった。
このまま海沿いの坂道を真っすぐ歩けば良いはずだ。
歩道が狭いため、横山が車道にはみ出して隣を歩く。
「それにしても、海沿いは寒いなー」
「うん、寒すぎ」
もう10月も終わる頃だ。
ブレザーの下に学校指定の黒いセーターを着ているが、それでも寒い。
坂を上り切った所で、俺たちは彼女が働いている陶芸教室の敷地前に到着した。
俺たちの身長くらいだから、170㎝くらいだろう。
それくらいの高さのブロック塀で囲まれた建物。
塀には門とかはなく、そのまま車で突っ込めるみたいだ。
塀の中に足を踏み入れる。
左手の海沿いに家があり、右手に車3台ほど駐車できそうな空き地がある。
先日から続いている雨でぬかるんだ地面に、足跡が付いている。
その足跡は、端っこに駐車してある白い軽自動車から家まで続いている。
「でっかい家やなぁ」
「ほんと、金持ちなんかな?」
玄関に向かう。
ネコ、カエルの置物が芝生の上に置いてある。
「これ、あの人が作ったんかな?」
横山がニヤニヤして言う。
「さぁ?そうなんかな?」
「何や、つまらん。生返事やなぁ」
「そんな事ねぇよ。」
ドキドキしてきた。
心臓の音が、いつもよりやかましい。
『横峯陶芸教室』
「すうごいな!看板まで作ってはるわ!」
横山は陶器でできた看板に驚いていたが、
俺はそれどころではなかった。
"この、扉の向こうに彼女が…"
よし、まずは深呼吸をし…
「あ、ピンポーン♪」
こいつ、インターホン押しやがった。
横山ァァァ!!
「お前、勝手に押してんじゃねえよ!!」
横山に顔を近付けて叫んだ。
「あー、うるさっ!寒いねん。早よ中入りたいねん」
両手で腕を持ってカサカサと自身を温める仕草をする。
頭をはたいてやろうかと思ったその時。
「はーい、少々お待ち下さい」
彼女の声。
紛れもなく、彼女の声。
あの日から、ずっと忘れられない人の。
途端に身体が硬直し、心臓がせわしなく動き始める。
「ぷぷッ。ほんま可愛いなぁ~曽根崎くんは」
横山のいつもの茶化しをスルーしてしまうくらい、俺には余裕がなかった。
そして、扉が開いた。
「こんにちは。」
やば。
肌白。綺麗。
「あ…」
思わず目を伏せた。
その拍子に、図らずも水色のエプロンをした彼女の胸に目が行ってしまう。
Bカップくらいだろうか。
「こんにちは!16時から予約していた、横山と曽根崎です!」
横山が横から割入って挨拶をする。
あばばば。俺は今、挨拶も返せないくらい緊張している。
こんな時ばかりは、本当に横山が友達で良かったと思う。
「お待ちしてました~」
彼女はにっこり笑い、「寒かったでしょ?」と言って中に入るよう促した。
中に入ると、横山が俺の肘にぶつかりながら前に出てきた。
「もう、めっちゃ寒かったです!また雨降ってきましたよ~」
彼女はそのまま、玄関の左側の引き戸を開け、中に入るように促した。
振り返った瞬間に、彼女の束ねられたツヤツヤの黒髪が「キュルン」と揺れた。
俺が猫なら、飛び掛かってじゃれついている所だ。人間で良かった。
中は思ったより広く、おしゃれな感じだった。
大きな窓があったが、ブラインドが下げられていて外は見えなかった。
「うわー、あったかぁ~」
エアコンがついていて、工房内は暖かい。
俺と横山が部屋に入るのを確認すると、彼女は引き戸を閉めた。
「どうぞ、座ってね?」
部屋の真ん中にあるテーブルの前に、椅子が3つ用意されている。
横山、俺が座り、隣に彼女が座る。恥ずかしくて、うつむく事しかできない。
彼女はエプロンの下から首から下げている名札を取り出し、両手で持った。
「じゃあ、自己紹介からします。講師の田中瞳子と言います。今日は、よろしくお願いします。」
田中…とうこ。瞳子さん。
初めて名前を知った。とうこ、とうこ、とうこさん。
「はい!よろしくお願いします!」
横山、無駄に声がでかい。
「…よろしくお願いします」
「じゃあ、今度は…」
瞳子さんは、俺を手の平で差した。
「俺?」
この時、座ってから初めて顔を上げた。
それと同時に思い切って瞳子さんの顔を見た。
瞳子さんは、丸くて大きな目を見開き、
「そう、おれ」
と言いながら、俺の真似をして自分を人差し指で差した。
目を細めて微笑んでいる。まぶしくて、慌てて目を伏せた。
「…曽根崎渉です。」
しばらく静寂があった。
「わたる君、ね。どんな字かくのかな?」
「さんずいに…歩くって書きます」
「へぇ~!渉くんかぁ。いい名前だね!」
やめて。きっと今、俺は耳まで真っ赤だ。
「はいはいはい~!次、おれおれ!!」
間髪入れず、右手を真っすぐに上げて大声でアピる横山。
瞳子さんが手を叩いてキャッキャ笑っている。
チラ見してみると、妹より年下の女の子が笑っているような、無邪気な笑顔だった。
「俺、横山しげるって言います!漢字は、長嶋茂雄の、茂です!」
「長嶋茂雄って、横山くんの年代でも知ってるの?」
瞳子さんが身体をこっちへ乗り出す。
「親父が野球好きで、知ってます!」
「へぇ、そうなんだ~」
くそ!やっぱイケメンでトークが上手い横山の方が注目されるよな…。
シュンとしていると、
「2人とも友達なの?」
と聞かれた。
俺は横山の方を向き、横山も俺の方を向いている。
「もう、大親友ですわ!」
そう言うと同時に肩を組まれ、引き寄せられた。
椅子から転げ落ちそうになり、焦った。
「うわっ、やめっ…」
慌てて座り直したが、その一連のダサイ動きを
瞳子さんに見られたと思うと気持ちが海底2万マイル程沈んだ。
キモイとか思われていないだろうか。
瞳子さんの顔をチラ見する。
「2人は、何で陶芸体験に来ようと思ったの?」
瞳子さんは、聖母のような微笑みをたたえていた。
俺も横山も沈黙している。
エアコンが暖かい空気を送り込み続ける音が部屋を満たす。
「それはですねー。曽根崎くんが…」
「ああああああ!」
叫びながら横山と瞳子さんの顔を交互に見た。
横山は涙袋を膨らませ、意地の悪い笑みをしている。
こいつ、絶対面白がっている。
「ど、どうしはったん?曽根崎くん!」
わざとらしく横山が聞いてくる。
「若いのに、陶芸に興味があるのね?」
背後から穏やかな声で瞳子さんは言った。
振り返ると、椅子から立ち上がり、テーブルの下から何やら道具を取り出していた。
「じゃあ、今から今日の体験の流れを説明します。」
そうして、陶芸体験のレッスンが始まった。