第44話 忍君、郷帰る
「ただいまー」
11時頃、おばさん家の戸を開いた。
バス停から実家には帰らず、そのまま坂道を上って行った。
5月の日本海は、エメラルドグリーンとコバルトブルーのグラデーションが穏やかに煌めいている。
この景色は、離れてみてより深く心に刻まれている故郷の風景だ。
K市内の専門学校に通って2年目。
ちょくちょく帰って来てはおばさんと母のお墓参りに来ていた。
今回は連休の合間で、久しぶりにバイトも休みだったから帰郷した。
「お帰り、忍ちゃん」
左手の工房の扉から、瞳子さんが顔を出した。
「…ただいま、です」
不意を突かれ、言葉が出てこない。
「びっくりした?」
意地悪そうに、瞳子さんはニヤッと笑う。
「おばさんから、今日は工房が休みだと聞いていたから…」
会えないと思っていた。
「忍君が帰って来るって聞いて、今日は焼成作業の予定を入れてたんだ」
目尻の下がった猫みたいな顔。
「そう、なんですか」
瞳子さんとも離れて暮らす事になったけど、学校で陶芸をしていると今までもらった暖かさや、予期せぬ瞬間に襲ってくる寂しさも忘れてしまう。
「多恵子さん、お花買いに行ってるからちょっと待っててねって。」
「分かりました」
そう言って瞳子さんは工房の椅子に座った。
俺も、隣の椅子に腰掛けた。
「どう?最近、専門学校は?」
小首を傾げると、サラサラの毛先が頬の上を滑って息でふわりと持ち上がった。
その様子に感嘆しながら、瞳子さんに近況報告をした。
「今年は卒業制作があるんですが、まだテーマが決まってなくて。」
「そっか、早いね~。もう卒業に向けてだもんね…」
「瞳子さんは、卒業制作は何にしたんですか?」
「私はねー、燭台を作ったよ」
「へぇ、ロウソク立てるあの…」
「そうそう」
繊細な、瞳子さんらしい。
「どんなテーマで作ったんですか?」
「うーん、記憶が曖昧だけど確か…生命と呼吸みたいな」
「はぁ…」
実際に見てみたいと思ったその時、工房の扉が開いた。
「忍ちゃん、お帰り!!」
おばさんが片手に白、赤、黄の大菊を抱えて立っていた。
「ただいま」
そして、工房の留守を瞳子さんに頼み、おばさんと2人で母のお墓参りへ向かった。




