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第27話 長いトンネル

暗い。

暗い。


暗い。




目の前の男は何て暗い顔をしているんだ。

目には前髪の影が落ち、両目の下には隈が出来ている。

頬はこけ、不健康そうな青白い顔をし、虚ろな目でこちらを見ている。



この一軒家は、少し歩くと日本海を見下ろせる場所に建っている。

日が落ちかけた外からは、家の中まで光は届かない。


洗面台の上についてる電球が「チィ…」と音を立てて明滅する。

光の抑揚に酔い、また吐いた。







「…母さんはどこだ?」


鼠色の作業服を着た男は当たり前の様に家に上がって来ていた。


僕が学校から帰ってすぐの出来事だった。

帰って来て、すぐにおばさんの所に行くつもりで鍵を開けっ放しにしていた。

それがいけなかった。


「いないよ」


その男は僕を一瞥すると、家中を探しだした。

母さんのタンスの前で動きを止め、しばらくタンスをじっと見た後、こちらを振り向いた。


「…父さん、恥を承知でお願いしたい事があるんだ。」


目の前の男は、気持ちの悪い声で喋る。

畳の上に土下座をして、必要以上に大きな、悲痛ぶった声で言った。


「お金を…貸してくれないか?」


背中を、踏み付けてやろう。


「…何回目?」


「…本当に、すまない…!!」


「すまないって思うんだったらさ…」


言いかけて言葉を飲み込む。

そうだ、この男には何を言っても伝わらないんだった。


「…今度はいくらなの?」


「…100万円」


「何に使うの?」


男は顔を上げた。

必死で可哀想な人間を演じている。


「頼む…雅也が、病気で…」


「あっそ」


男は額を畳に擦り付ける。


「こんな事…母さんに頼むのは間違ってるって分かってる。けど、お父さんと妻とではどうしようもないんだ…」


目の前の男は泣き始めた。


「もし雅也が死んだら…お父さん、もう死ぬしかない…!!」


泣きながらそう叫んだ。

嗚咽を交じえて泣く演技をしている。


前にも同じ様な光景を見た。

もう、うんざりだった。


「母さんには話しておくから。とりあえず帰って下さい」


男は顔を上げない。


「頼む頼む頼む!!…頼むからぁ〜」


演技続行。幾らかもらうまで帰らないつもりか。


「あの…本当に、話しておくから。」


畳が、汚れる。

この男の汚い涙と鼻水と涎で。

腹の底から頭頂まで苛烈な苛立ちが駆け抜けて行く。

包丁でその汚い背中を、刺したい。


刺したい。

刺したい。

刺したい。


駄目かな?


「帰らないと殺す」


僕はいつの間にか手に包丁を持っていた。

男はギョッとし、すぐに立ち上がってそそくさと帰った。

玄関の戸が閉まる音がして、しばらく耳鳴りがしていたが、止んだ。


ほら、演技じゃないか。

僕は包丁を台所の収納へ戻して、畳の上を確認した。

濡れた痕が。付いて居た。


吐き気が込み上げ、すぐに窓を開けて換気をした。が、遅かった。


トイレに行くのも間に合わず、洗面台で吐いた。

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