第25話 瞳子さん、後から知ってしまう
「先生の甥っ子さん、どうなるかと思ったけど。ちゃんと学校も行ってて偉いわ」
坂根さんは慣れた手つきで電動ろくろの上で回る土を
おわん型にしながら、そう言った。
元気そうな、ふくよかな腕が勢いよくろくろの上で動いていく。
坂根さんは、ここ横峯陶芸教室で一番長く通ってもらっている生徒様だ。
「…どうなるかって、忍君、どうかしたんですか?」
顔を上げ、私の目を見た。
「あら、言っちゃダメだったかしら…」
動揺した坂根さんは、手元が狂って花瓶にしようとした土の端を
くにゃりと曲げてしまった。
「何があったんですか?」
坂根さんは少し迷っていたけれど、電動ろくろを止めて
こっそりと、私の耳元で囁いた。
「先生の甥っ子のお母さん、この間入院したのよ。」
「忍君の、お母さんが…ですか?」
「そう。先生も妹さんが入院したから、この間から元気がなかったのよ。」
「…確かに」
何だか様子が変だった。この前忍君と多恵子さんと一緒にお茶した時、
何かあったのだろうかと思ってしまうような言動があった。
不思議に思っていたが、詮索するのも変だと思い、聞かなかった。
「それでいつ退院されるのですか?」
坂根さんは表情を曇らせ、少しだけうつむいた。
それだけで、深刻な病状なのだと悟る事ができる。
「前から、たまに入院したりしてたみたいだけどね。今回は、もう…」
そんな。
「癌みたいで。あと1年もつかどうからしいわ。」
言葉が出ない。何て言ったらいいのか。
そういえば、忍君が急に工房に顔を出さなくなった時期があった。
テスト期間だったから、てっきり勉強に集中していたからだと思っていた。
多恵子さんも、テスト期間だからじゃないかな?と言っていた。
忍君の、いつもより青白かった顔が浮かぶ。
紅茶を無表情で飲む横顔。
「忍君のお母様が入院されたのって、6月頃ですか?」
「うーん、それくらいだったかしら?」
坂根さんはバケツに両手を入れ、手に付いている土を洗った。
「てっきり、田中先生は知っているものだと思ってたわ…」
「いえ、何も…」
「きっと、余計な心配かけないように黙っていたのね、2人とも。うっかり悪い事しちゃったわ。」
坂根さんはポケットから出しているタオルで、ポンポンと手を拭きながら言った。
「いえ、私が無理やり坂根さんに教えて下さいって言ったので…悪いのは私です。坂根さんは何も悪くないです」
しばらく2人で、ぼんやりしていた。
坂根さんは、平行四辺形の底で、ゆったりと真ん中が膨らんだシルエットをしている花瓶を成形した。
坂根さんが作った花瓶を、誰も居ない教室でぼんやりと眺めていた。
今日は夕方18時まで生徒様が続き、最後の生徒様が帰られた頃にはもう日が沈みかけていた。
日本海は穏やかで、浅葱色のもやが空と海を覆っている。
工房のブラインドを下ろし、電気をつける。道具を片付け、電動ろくろの上を雑巾で拭き、
床をほうきで掃く。仕上げにクイックルワイパーで床を拭く。
工房の端っこの椅子に座り、棚に置いてある坂根さんの花瓶を眺める。
ずっと、坂根さんが言っていた事が頭の中をグルグルと回っていた。
「ごめんね…」ポツリと呟く。
多恵子さんも忍君も、心配かけまいと言わなかったのだろうけど、
つい気になって坂根さんに聞いてしまった。
この前、多恵子さんが「ありがとうね」と言ってくれたのは、
事情を知らない私が呑気に話せたからなのだろうか。
だとすると、聞かなかったという事にした方が良さそうだ。
多恵子さんにはお世話になっていて、日頃から恩返しがしたいなんて思っていながら。
私には何もかける言葉が見つからない。
このまま知らないふりをして、いつも通り呑気に話しかける事しか、できない。
忍君にだって、元気がなさそうだったのはテストの点が悪かったから?
なんてバカみたいな事、思ってしまった。
「ごめんね…本当に、ごめん」
坂根さんの成形した花瓶が、ぐにゃりとにじんで見えた。




