第15話 瞳子さん、忍君の笑顔を目撃する。
「先生って何で離婚したんですか?」
予期せぬ言葉に生徒様の作った器を落としかけた。
何とか落とさず持ち直し、テーブルの上に木板を置く。
「…何でだろうね?」
そう言ってテーブルにもたれ、電動ろくろの前に座る忍君を観察した。
後ろの窓には灰色の空と日本海。
梅雨時でジメついた工房内には、土が湿った奥深いにおいが充満している。
今日は生徒様の予約が入っていないため、終日レッスンはない。
私は窯で食器を素焼きする作業をしに工房にやって来ていた。
忍君はいつも工房に居る時は何かしら成形しているのだが、今日はろくろの前に座ってボーッとしていた。私が「今日はどうしたの?」と聞いて返ってきた言葉が冒頭のひと言だ。
忍君は両膝の上に手を組んだ腕をのせ、上半身を前のめりにして顔を左側に向けた。
「すみません、いきなり。」
と言うと顔を正面に向け、目だけ動かして一瞬こちらを見て、下を向いた。
「どうしたの?」
忍君は人をからかったり、馬鹿にしたり、マウントを取りたがるような性格ではないはず。
というか、あまり他人に興味なさそうだし。
そうなると、多恵子さんから聞いて純粋に興味が湧いて気になっているのか。
こんな大人に興味湧いてもらって光栄だけど…。
「いや、何となく…です。お話したくなければ、大丈夫です」
いつもの無表情で淡々と答える。
「別に私は良いんだけど…」
目の前の純粋な高校生に、私の身の上話は悪影響なんじゃないだろうか。
「じゃあ、話して頂けませんか?」
そう言うと忍君は両手の拳を膝の上に乗せ、背筋をピンと伸ばした。
「えー…どうしよっかな」
やはり悪影響な気がする!
忍君の瞳を見ているとそう思った。
「ええ」
忍君が立ち上がる。
「僕、今日は田中先生にお話聞こうと思って土を触らず待ってたんです」
なんで?
そんなにこのオバハンの離婚話聞きたい?私なら聞きたくない。
「陶芸してる時は話せないんで…」
確かに、今まで工房で一緒に居ても忍君が作業中の時はアドバイスする以外は一切話さなかった。
成形等が終わってから、片付けながら専門学校がどんな所か話したり、入試の時の話をしたぐらいだ。
「せっかく待ってくれてたのに、そんな話でいいの?専門学校の話とかする?」
「いえ、それはまたの機会に」
そして、忍君と私はどちらともなくテーブルの前の椅子に座った。
「本当に私の話なんかでいいの?」
「はい。嫌でなければ、是非。」
初めて見た時は一重だと思っていたが、実は奥二重だった忍君。
近くで見ないと分からない。
「先生、借金隠されてたんだ」
忍君の表情は変わらない。
僅かにうなづいている。
「まだお付き合いしている時に借金があるか聞いたら、借金なんてないって笑って言ってたの。金額は大した事なかったんだけど、嘘つかれていたのがね。」
忍君はうなづく。
「それだけじゃなくて、浮気や不倫もされてたかも知れなくて。それまでは疑惑だったんだけど、借金してたのが判明してからは先生からするともう疑惑では済まなくなったの。」
「相手に負担がかかる嘘をつける人は、やはりこれからも疑いますよね…」
忍君が口を開いた。
「そうなの!結局は、好きだの愛してるだの言ってても、なら何でその好きで愛してる相手に負担を掛けるような事をするの?って思っちゃった。」
忍君は顎に手をやり、うなづく。
「その方は、口が上手だったのですね」
「そう。結婚前から喧嘩の度に別れようとしたんだけど、言いくるめられたり、待ち伏せされたりして別れられなくて…。仕事場や家の前に来られても無視すれば良かったなぁって。」
「…でも、相手の方はきっと瞳子さんが無視できないって分かっててやってますよね。」
「…そうだね」
ん?瞳子さん?
「卑怯ですね」
「…そうだね。でも、私もそれの繰り返しで依存していったんだよ。」
「どうやって、断ち切ったんですか?」
「うーん、断ち切ったっていうか、断ち切られた?借金が判明して周りの大人は皆別れなさいって言ったね。あ、ちなみに元夫は15歳年上のバツイチ子なしだったの。」
「そうだったんですか」
何だか包み隠さず話してやろうって気になる。
忍君は膝の上に乗せた手の平をギュッと握った。
「それでも、ほんの少しでもまだ私は思ってたけどね。借金返して、浮気もしないで迎えに来てくれるんじゃないだろうかって」
忍君は真っ直ぐに目を見てくる。
「今も…ですか?」
「ないない」
頭の横で手を振った。
「離婚届出すまでは、自分の依存心からヨリ戻しちゃおうかな〜なんて思った時もあったけどね。出してからは、もう前しか見てないよ」
忍君が唇をギュッと噛んだ。
「あれだけストーカーしてた人が、あっさりですね。」
「離婚届出してからはね。何度かまだ好きですメール来てたけど、ヨリ戻す気はないってはっきり伝えたよ。もう騙されないぞ!って思ったね。」
忍君はフゥーっと息をつき、窓の方を向いた。横顔を見ていると、口角が少し上がった。
「…もしかして笑ってる?」
忍君はゆっくりとこちらを向き、目をクシャッとさせてフッと鼻で笑った。
「え?先生の事バカにしてる?」
「何でですか」
「今鼻で笑った!」
指差すと、忍君は顔中いっぱいに無邪気な笑顔を広げた。
こんな忍君の笑顔初めて見た。
ワンコ系笑顔だ。
「ほら!馬鹿にしてる!」
「してないですって」
笑うレアな忍君を見てると、私も笑えてきた。
「もー、学校とかで絶対話さないでね!」
「話しませんよ」
「ホントかなぁ…?もうー。」
忍君は急に何かに気付いたような顔になり、それからいつもの真面目な顔をした。
「今はいい人いないんですか?」
「聞いて何になるの?」
いるわきゃない。
婚活でも行こうか。
「いや、何となく」
平然とした顔で答える忍君。
この子、私の心をえぐって楽しいか?
「いないです!」
そう言って席を立った。
「はい、もうお話おわり!先生はお仕事しまーす!」
忍君も席を立ち、お辞儀をした。
「ありがとうございました」
「いいえ。」
素焼きするために生徒様の作品を並べようと棚に向かった。
すると、忍君の腕が後ろからニュッと伸びてきた。
「え?練習しなくていいの?」
「今日は…瞳子さんの手伝いを。瞳子さん、休みの日も工房に来て教えてくれてたっておばさんに聞いたので」
さっきから田中先生から瞳子さんに呼び名がクラスチェンジしている。
親しみを持ってくれたんだろうか。
「どうせする事ないんだから、いいのに」
ここ1ヶ月は週6で工房に来ている。
陶芸を真剣にやっている忍君の姿を見ると、ついつい休みの日なのに工房へ足が向いてしまう。
「たった3時間くらいだし、それがなかったらお昼まで寝てるくらいだから。」
生徒様の作品を棚からテーブルに並べ終えた。
「瞳子さんは、寝る前とか何してるんですか?」
隣を見ると、忍君はアゴに手をやり生徒様の作品を眺めている。
「スマホ触ってる」
「…スマホ触って何してるんですか?」
「ブログ見てる。ミネヤンブログ。」
何も反応がないので、隣に目をやる。
忍君は固まっていた。
「…それ、僕のブログです」
え?
「嘘でしょ?」
忍君も、男子高校生らしい冗談を言うんだなぁ。
「ほんとです。」
目を見開き、口元に笑みを浮かべながらこちらを向く。
「ミネヤンブログ。1年前から始めたブログです」




