第12話 曽根崎くん、忍くんを初見する。
横山が陶芸教室に入会しない。
陶芸教室へ入会する事が不安になっていた俺に、更に追い打ちをかける出来事が起こった。
家に帰って、夕飯を作っている母に陶芸教室へ行く旨を伝えた。
「お母さん。俺、陶芸教室行くから」
「はぁ!?」
母はハンバーグを焼いているようだ。
フライ返しを持ったまま振り返って驚愕の顔を見せた。
「あんた、月謝とかどうすんの?」
「いや…出してくれるんじゃないの?」
母は眉根を寄せて思いっきり不快そうな顔をした。
「自分で出しな!!」
そう言って再びフライパンに向き直る。
「そんなお金ないよ」
妹が2階から降りてきた。
今日は帰るの早いな。
「あんた、そんな事してていいの?」
「何が?」
「1年後には受験でしょ?」
「そうだけど、まだ高校卒業後に何するかは決めてないよ」
妹が椅子に上がり、食器棚の引き戸を開けてお菓子を物色し、チラリとこちらを見る。
母は再び振り返り、
「あんた、自分の事でしょ?」
そう言ってまたフライパンの方を向き、手に持っていたフライ返しでハンバーグを裏返した。
「塾とかなら、お金出すけど?」
俺は、陶芸教室に行く事を断念した。
瞳子さんの工房に電話し、入会をキャンセルする旨を伝えた。
電話に出たのは、知らない陽キャのおばさんだった。
1か月後、体験の時に作った湯飲み茶碗が焼きあがったと瞳子さんから連絡があった。
そうだ、その時に瞳子さんにRainを聞こう。そう決めていた。
横山からは「俺の分も取ってきて!」と言われ、不本意ながらも1人で行く事にした。
その日は雪が降っていて、工房の近くのバス停に着く頃にはうっすらと雪が積もり始めていた。
バスから降りて、1ヶ月ぶりだなぁと感動した。
日本海からは死ぬほど冷たい潮風が吹き付け、身体がガクガク震える。
走って坂を登り、塀の中に足を入れた。
振り返ってみると、薄く積もった雪の上にうっすらと俺の足跡がついている。
右を向くと、駐車場の隅に白い軽自動車が停まっていた。
体験に行った時も停まっていたから、この自動車は瞳子さんの車なのだろう。
波が岩にぶつかる音と、風が吹きすさぶ音がすごい。
寒すぎて耳が痛くなってきた。
小走りで玄関へと急ぎ、ドキドキしながらインターホンを押した。
すぐに玄関の扉が開き、瞳子さんが現れた。
「久しぶり」
マスクをしていて口は見えなかったが、可愛い三日月型の目が笑っていた。
「お久しぶりです」
会釈をすると、工房へ案内してくれた。
引き戸を開けると、暖かい空気が身体を包んだ。
真ん中のテーブルの上には、俺と横山が作ったであろう湯飲み茶わんが置いてあった。
「さぁ、座って」
言われるがまま湯飲み茶碗の前に座ると、瞳子さんも隣に座ろうとした。
妹を送ってくれた時と同じ服装。
紺色のタートルネックに、暗い茶色のチェック柄ロングスカート。
瞳子さんがスカートに手を添えて座ろうとしたその時、工房の引き戸が開いた。
そこには、紺色のブレザーの中に真っ黒なカーディガン、さらにその下に白シャツを着て、グレーのズボンを履いた男が立っていた。
色白で、一重。身長は俺よりなんぼか高い。
この制服、阿見山高校か。
「あ、忍君」
瞳子さんは曲げていた膝を伸ばし、立ち上がった。
しのぶくん?
「ちょっと待っててね」
と言うと、瞳子さんはその男に小走りで近付いて行った。
男は俺の事はまるで目に入っていないように気にも留めず、瞳子さんが近づいて来るのを待っている。
瞳子さんが、男の肘の辺りを叩くと、2人共工房の外に出た。
戸が閉まると、エアコンの音だけがしていた。
それから、さっきの男がなぜ名前で呼ばれるんだろうと胸の中がモヤモヤした。
「先生、俺、受かってました。」
「え!?おめでとう!!」
瞳子さんと男の会話が聞こえてきた。
思わず耳がぴくッと動く。
受かったって、受験の話か?
なぜ瞳子さんが?家庭教師もしてるのか?
「先生、ありがとうございました」
「私は、何もしてないよ。じゃあ、後でね…」
「先生。」
「何?」
「…また、陶芸教えて下さい」
その瞬間、瞳子さんに陶芸を教えてもらった時の場面が思い浮かんだ。
この野郎、瞳子さんに手を重ねて欲しいから教えてくれって言ってるんじゃねえだろうな。
と、自分の事は棚に上げて戸の方をじっと睨んでいると、ガラッと音を立てて戸が開いた。
「ごめんね、お待たせ!」
予想しないタイミングにはっとして、中途半端に瞳子さんへ気持ちの悪い愛想笑いを向ける事になってしまった。
「…今の男は誰なんですか?」
聞くと、瞳子さんが隣に座りながら話す。
「あぁ、忍君はね。ここの横峯陶芸教室を運営している、横峯多恵子さんの甥っ子なの」
そう話している瞳子さんは何だか嬉しそうだ。
「阿見山高校の3年生でね。私と同じ陶芸の専門学校に行くって言ってて、応援してたんだ」
「へ、へぇ…」
「さっき、入試に受かってたって報告しに来てくれてたの」
そう弾んだ声で言うと、柿ピーのような形の目をした。
何だ、陶芸の先生として嬉しいってだけか。
…でも何でこんなにモヤモヤするんだろう。
「そうなんですね。おめでとうございます」
"よし。今日は帰り際に絶対瞳子さんからRainを聞いて、仲良くなって、そして彼氏になった暁には夜のレッスンを…"
瞳子さんの胸を見ながら決意を心の中で繰り返していると、俺の股間がうずき始めた。
「本当、いい子なんだよ。忍君…。高校生で私より12歳も年下なのに、私なんかより大人で」
ん?
「そうなんですね~」
白々しかっただろうか。
俺は焦っていた。
「そうそう、これがこの前の体験で作ってくれた湯飲み茶わん!」
瞳子さんは話を切り替え、目の前の茶碗を手の平で差した。
うわの空で瞳子さんの話を聞いた後、俺は自分自身考えていなかった言葉を発した。
「俺、やっぱ入会します」
瞳子さんは驚き、湯飲み茶わんをくしゃくしゃにしたざら半紙で包む手を止めた。
「え?でも、お金がって…」
「バイトして通います」
「来年、受験だって…」
「俺、高校卒業してから何になりたいかまだ決まってないんです」
瞳子さんはざら半紙から両手を離し、おなかの前で逆三角形を作った。
「でも、何で陶芸を?」
「俺、瞳子先生と話したいんです。」
瞳子さんの笑顔が固まった。
「あの。正直陶芸には興味全然なくて。でも、瞳子さんと仲良くなりたいんです」
瞳子さんの顔をすがるように見つめる。
しばらく沈黙があった。
耳に掛けられた黒髪が、はらりと頬に落ちる。
落ちた黒髪をせわしなく再度耳に掛けながら、眉を下げて困り顔をしていた瞳子さんはさっと笑顔を作った。
「そっか。でも、あんまりその道を選ぶのはおすすめできないかな」
そう言うと、再びテーブルに向き直って梱包作業を始めた。
「どうしてですか」
瞳子さんが俺の作った湯飲み茶わんを箱に詰めて蓋をし、もう1枚置いてあったざら半紙へと手を伸ばす。
「ここの陶芸教室に通おうと思ったら、1年で10万2000円必要になります。高校生の君には大金でしょ?」
「だから、バイトして稼ぐんです」
瞳子さんはお茶碗を梱包する手を止めずに話す。
「部活とかはしないの?していなくても、この間一緒に来てた友達と遊んだり。わざわざ興味のない陶芸教室を選ばなくても…」
「帰宅部ですし、横山は彼女が居て最近あんまり遊んでくれません。それに、通ってみたら楽しいって思えるかも知れません。」
横山の茶碗も箱に詰め終えた瞳子さんは、俺に向き直った。
「塾とか行けば?」
「俺、ここの陶芸教室に通いたいんです」
必死だった。
「将来の夢とかは決まってないけど、今、俺はここの陶芸教室に通いたいんです」
瞳子さんは、悲しそうな顔をしている。
何でそんな顔をするの?
「それだけは確かなんです。だから、今度入会金と月謝持ってきます。」
瞳子さんは大きく息をついて、いつもの優しい笑顔に戻った。
「そっか。じゃあ、待ってます」
バスの中で、俺は瞳子さんの姿や言った言葉を繰り返し思い出していた。
「すぐに辞めたっていいんだからね?無理しないでね」
そう言って、笑顔で玄関先から手を振ってくれた。
でも、俺は悔しかった。
あの、横峯忍とかいう男の話をする時の瞳子さんの笑顔が浮かんでくる。
見たくなかった。
俺に向けられている笑顔とは比べ物にならない位、親しみのこもった感情が見える笑顔を見せていた。
瞳子さんの笑顔は優しい。けど、もっともっと優しくて、穏やかな顔だった。
瞳子さんは横山忍に、心を開き許している。
俺も、陶芸を教えてもらっている内にそんな瞳子さんの笑顔を引き出せるんだろうか。
早速バイトを探そう。
そう思って、スマホを取り出した。
その時、俺は瞳子さんのRainを聞くのを忘れていた事に気付いた。




