クズの事情
今回の裏テーマはいくつかあります。
一つは、結局誰が一番のクズ? であります。
つまりは、意外なカップルが、あっさりと結ばれる運びとなってしまった。
「いやいや、何でっ?」
叫んだのは、金田健一だった。
新学期が始まる前に、今度保育園に上がる息子を連れ、夫婦そろって速瀬家を訪ねた時、丁度速瀬伸の兄弟たちの家族もやってきていた。
ようやく、恩師の病院の外科医になった伸には、複雑な家庭環境がある。
母親であるリンは、河原巧と縁を結ぶ前に、双子を出産して育てていたのだ。
その双子の父親が、今は真倉姓を名乗っている男で、健一の叔父に当たる金田玲司の恩師でもある速瀬良で、最終的にその父親の姓を継いだのが伸だった。
それだけでも複雑怪奇な経歴なのに、今ではその父親の本妻とその子まで加わった上、その本妻側の家系も恐ろしく複雑だった。
健一の師匠も、その末端にいるようなのだが、正直その手の話は、頭が混乱しそうで聞きたいとは思わない。
そんな弟子の性格を知っている師匠の方は、身内話をする人ではないから、自分が所帯を持った今も、ごく普通に接していたのだが、これはその師匠に関わる、聞き捨てならない話だった。
「何で、師匠の伯母さんと、セイさんがくっつく運びなんだよっ? 何で、誰も不服を言わないんだっ?」
カ家からの情報ではなく、古谷家からの知らせを受けて訪ねてきた、望月千里の口から告げられ、それは決定事項とのことで、セイ側の側近たちに不服がある様子はないと、付け加えられた。
「まあ、何やら色々と、画策はあるようなんだが、静観するようにと雅からも言伝されている」
「み、雅さんからもっ?」
健一の妻の朋美も、恩師の報告に驚きを隠せない。
夫婦で顔を見合わせていると、その二人の息子とカード遊びしていた真倉由良が、静かに言った。
「……仕方ないんじゃない? どうやらその蓮って人、相手にクズと思われるような所業を、やってしまったらしいから」
それを受け、その母親も無言で頷きながら、息子と子供が遊ぶさまを見守っている。
「蓮が、クズ? あり得ない。あの人、本当に我慢強くて……」
「その、我慢が切れたんだろうな」
信じられないと首を振るリンに、良が頷いて続けた。
「しかも自覚があるらしい。ったくあの人は、第三者扱いで、とんでもない相談を持ってきてくれたもんだよなあ」
「リンたちは、どちらかというと蓮に近いから、偏った意見じゃあ余計に混乱すると、そう思ってたみたいだから、仕方ないんじゃないかな」
「? 何の話だ?」
ユメのしたり顔での言い分に、河原巧が首を傾げる。
息子の章は、保育園に上がる子供と、弟相手のカード遊びで、ピンチに陥っており、会話に加わる余裕がない。
女性陣とともに、料理の腕を振るい、早い晩酌を始めた伸と健一は、同い年なのに後輩という二人の男が、子供相手に手こずる様を見守っていたのだが、急遽恩師の訪問を受け、緩い空気のまま報告を受けたところだった。
酒は強い方だが、余りに意外な婚姻が成立しそうな塩梅に、堪える事が出来ずに叫んでしまった健一である。
カ・シュウレイの妊娠の話はおいておいて、その相手がセイというのは、無理がある。
だが、それを知っているはずの雅やエンがすぐ傍で立ち合い、セキレイと面会した。
「……それはその、蓮さんがやらかしたことを、あの二人はおろか、セイの周囲の人たちも知っている、という事ですよね? 一体、何をやらかしたんですか?」
セイという若者は、細身で小柄な美しい人だ。
その色白さが、妙に儚げに見せる要因で、保護欲を掻き立てられる者も多いのだが、実態は真逆だ。
人前では大人しく、虫も殺せぬように振舞っているが、大胆に動き回り、何事も大雑把で、どちらかというと、蓮の方が几帳面な方だと思う。
過去に何があってそんな性格になったのかは知らないが、己の体を駆使して、敵を討つことにも躊躇わない若者で、よっぽどのことがない限り、心身共に傷つくという事がなさそうな人だ。
そんな人を、蓮が傷つけた、という。
しかもあの、カ・シュウレイが、クズと言い切るような所業で。
これは、相当の心の準備が必要な案件だ。
健一が生唾を飲み込んで聞く姿勢になった時、伸の慎重な問いに良が答え、話し出した。
発端は、年末のパーティだった。
年末年始の数日前に、数か月前から招待状を送り、一つの会社の忘年会にしては膨大な顧客が参加した、カ家の会社のパーティだった。
「ああ、兄貴と親父も、招待されたって言ってました」
「ああ。篠原家も、社長と和泉先輩が参加したと」
だから、そこでの出来事も、健一と伸に伝わっていた。
「……カ家の跡取りと、その婚約者のお披露目も、あったと聞きました」
「ああ。セキレイ殿の、画策でな」
頷いた良に頷き返し、健一は報告してきた兄の、興奮した様子を思い出す。
「……カ社長と一緒に登場した蓮さんも、盛装して無茶苦茶いい男だったが、婚約者の女性も、全員が固まるほどの女性だったぞっ」
そう、全員が、その美しさに見惚れるを通り越し、固まってしまった。
昔の教訓話に、女神や天女を引き合いに出して女を称賛し、もしくは女自身が自画自賛してしまい、怒りを買って呪われる話がある。
この話に恐ろしいなとか、そこまでやるかと言う感想しか思い浮かばなかった実は、ああ本物の女神と、人間の女の美を比べるのが、烏滸がましいかったのだと、納得してしまったのだった。
蓮の弟のコウヒも目を剝いて固まるその隣で、辛うじて目を見開いて驚いているカ姉弟の前にやって来たその女性は、ゆっくりとお辞儀をして言った。
「遅くなってしまいました。申し訳ありません」
固まったまま、女性を目で追っていた実は、その無感情な声で我に返った。
艶やかな黒髪をまとめ上げ、黒い生地に柄を盛り込まれた振袖に身を包んだ女性の声に、聞き覚えがあったのだ。
「ぐほっ」
「親父、泣く場じゃないっっ」
何処かでそんな声が、沈黙した場に響いたが、それすら気にならない光景が、そこでは起こりつつあった。
セキレイの傍に立っていた蓮は、その女性が近づいてくるまで、呆然と見つめたまま立ち尽くしていたが、女性が丁寧に挨拶を終えた時そっと動いたのだ。
「……随分と、めかし込んだんだな。誰かと思ったぞ」
「ああ。あんたの婚約者役と知って、優さんが張り切ってしまって。どうだろう? あんたと並んで、見劣りしないかな?」
やんわりと言って首を傾げる女性に、蓮は微笑んで手を差し伸べる。
「そりゃあ、オレの不安だ。オレの方が、見劣りする」
沈黙していた会場が、どよめいた。
女性が、ゆっくりと微笑んだのだ。
「うおっ」
「……親父」
口を抑えて呻く父親を窘めながらも、実の目は二人にくぎ付けだった。
微笑んだ女性は、蓮の手に己の手を乗せ、挨拶のために歩き始めた。
「……挨拶で回ってくる前に、親父を宥めて落ち着かせるのに苦労したって、愚痴っていました」
愚痴を聞きながら、健一は内心喜んでいた。
完全に盛装した女性セイを、平然ととは言えないが、しっかりとエスコートできた蓮は、一人勝ちしたようなものだったはずだ。
今のセイは長髪ではなく、黒髪の鬘か何かでそれを誤魔化すしかなく、蓮にとってはそれだけが残念だった事だろう。
だからこそ、今の状況が信じられない。
「……問題は、その後だったんだ」
その場にいなかった良は、コウヒにその時の事を詳しく聞いていた。
この顔合わせを画策したセキレイが、更なる画策をしていたことを、その義理の息子は暴露したのだ。
カ・セキレイは、自国が英国によって薬に侵され、ボロボロになっていく様を嘆き、今の会社の礎とも言うべき組織を作った。
自分の故郷の地の、膨大だが痩せた地を耕し、薬草と食になる植物を栽培し始めたのち、加工品の薬物の生成にも力を入れ始めた。
化粧品や、サプリメントにも手を伸ばし、自国の雇用問題を始めに、異国の地にまでその手を伸ばし、今では日本でも製造工場が存在する。
雇用費は自国より高いが、その分精密な加工を施せる人材も多く、逆に発展を望めるようだ。
その結果、大きな催しを異国でできるほどにまでなっており、ようやくセキレイ本人の望みを叶えるための、下準備が出来つつあった。
「一つの準備は、随分前に出来上がってたんだ」
最もそれは、最近になって知ったことだ。
セキレイの望みは、実の息子である蓮が思い人と所帯を持って子を持ち、孫を抱ける幸せを噛みしめることだ。
だが、その蓮が思う相手が曲者だったのだ。
その昔、蓮とねんごろになったと言う若者は、どう考えても子を望める人間ではない。
だが、息子本人は、その若者に未だ囚われているように見え、それならばとセキレイは、ある禁忌の研究を始めていた。
今の性転換は、子まで望める変化ではない。
ならば、本当に、体を一から生まれ変わらせられる薬を、作れまいかと考えたのだ。
「……実は、完成の一歩手前まで、いっていたらしい」
「マジですか」
明らかに正規の法では作り出せない薬を、セキレイは開発しつつあったが、新たな情報が手に入り、そんな方法を使わずとも、子が望めるかもしれないと思い当たったのだ。
セキレイはそれを知ると、完成間近のそれを完全に消滅させたうえで、ある計画を立て始めた。
消滅させることにしたのは、たった一つの望みのために作りはしたが、よそに使う気はなかったからだ。
その望みを、薬で叶えなくてもいいなら、必要がない。
勿論、その別案が使えない時のために、作り方を頭の中にとどめてはいるが、パーティ前の顔合わせで見た蓮の思い人の姿を見て、可能と判断した。
そして、その日のうちに計画を実行してしまったのだ。
「……セキレイ殿が、大昔から作っていた薬の中に、惚れ薬がある」
所謂、媚薬と言う奴だ。
それを、蓮の婚約者として雇った女性に、隙を見て使う計画だった。
「……クズ」
「ああ。しかも、卑怯なことに、どうやら当日身に着けていた、貴金属の一つの肌につける部分に、入念に練り込んでいたらしい」
歩いている間に、肌から体に入り込むように細工された、逃れようもない毒牙だった。
一緒にいた蓮が、女の異常に気付いた時には、遅かった。
何とか自分の宿泊場としてあてがわれていた、ホテルの部屋に運び込んだが、完全に体に取り込まれてしまった媚薬を、しかも父親渾身の薬品を抜き出すすべは、なかった。
コウヒが父親の挙動のおかしさに気付き、それを知ったのは随分後だ。
パーティの閉場が近づいたのに、兄と婚約者の女性が、戻ってくる様子がなく、それを指摘しても平然としているのを見て、おかしいと思ったのだ。
その時には、シュウレイも誰か相手を見つけたらしく姿が見えずにいたが、兄の方が心配だったコウヒは、父を強く詰問した。
そして、恐ろしい計画を知ったのだ。
完全にだまし討ちの様相で女性を狂わせても、蓮がそれに乗るとは思っていなかったが、父親の薬の強力さを知るコウヒは、もしもの不安を抱えて蓮の宿泊する部屋へと向かい、強くノックするとすぐ、当の兄が顔を出した。
恐ろしく憔悴しているが、怒りを全面ににじませた顔だ。
「すぐに、連絡先を変える」
低い声が、短く告げた。
怒りを抑えたままの、親子訣別の言葉だった。
そのままドアを閉められてしまい、焦って父親を呼びに行き、再び戻った時には、その部屋は無人となっていた。
「……」
「蓮は学生をしているから、そう簡単に住居は変えられないが、元々コウヒ殿すらその場所を知らなかった。連絡先は本当に変えられて、それを知らせてきたが、父親の方に知らさないようにと、釘を刺していたらしい」
だから、先日の面会の日取りも、コウヒを介して伝えられたが、この件を受けて、弟との連絡経路まで断つことを、考えているようだ。
「……父親以上のクズと、そう思われる心当たりが、蓮にはあったんだ」
それはまさに、婚約者役を買ってくれた女性を、自宅に連れ帰った先での出来事だった。
父親の余計なお節介が、とんでもない結末を呼んでおります。