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勝者と敗者

作者: 木こる

「いってらっしゃいませ、ご主人様」


最後の客を見送り、本日の業務は終了した。

従業員の女性たちはそそくさと更衣室へ向かおうとするが、

店長が慌てた様子で、そして申し訳なさそうに彼女らを引き留めた。


こんなことは滅多にない。

というか初めてだ。


“緊急ミーティング”というイベントが発生したのだ。


従業員一同はこれは何事かと顔を見合わせ、

とりあえず彼の後に続いて応接室に入った。



なぜかそこには非番の4人が待機しており、

今日働いた8人と合わせて12人の従業員が勢揃いする形となった。


そして店長の椅子には小太りの中年男性が腰掛けており、

だがそれに関して店長は何も文句を言わないどころか、

彼に対して平身低頭の姿勢を貫いていたのだ。


嫌な予感がよぎる。


これは、クレームだろうか。


(自分に何か至らない点があったのだろうか)

(彼氏がいることがバレたのだろうか)

(裏アカでネットに客の悪口を書いたのがバレたのだろうか)

(うわ、めんどくせえのが来た)


彼女たちの中には様々な思惑が渦巻いていた。



場の緊張をほぐそうとしたのか、

小太りの男は一同に屈託のない笑顔を見せた。

その不細工な造形はとても見られたものではないが、

彼女たちは条件反射的に営業スマイルで応じた。


男性客は“ご主人様”、女性客は“お嬢様”として扱う。

ここはそういう店なのだ。

彼レベルの容姿の“ご主人様”は見慣れている。


「ははは、そんなに身構えなくてもいいよ

 べつに僕は文句言いに来たわけじゃないからさ

 そもそもこの店は初めてだし、

 ただビジネスの話をしたいだけだから安心してよ」


一同はホッと安堵のため息を吐いた。

少なくとも彼はクレーマーではない。

“ビジネス”という単語を使ったということは、

彼はどこかの会社の営業担当なのだろう。


なんだろう。

何かのアニメとコラボでもしようというのだろうか。

店の性質上、そういう企画が持ち込まれたとしてもおかしくない。


だが、またしても予想は外れたのだ。



「僕は、君たちを1日貸し切りたいんだ」


彼女たちは「なんだ、貸し切りコースか」と納得しそうになるが、

そういうのは店長に話を通せばいいはずだ。


店を貸し切る客は2〜3ヶ月に1回程度のペースで現れるが、

事前にVIPご主人様と打ち合わせたことなど今までない。

いつも当日の朝になってから貸し切りの日だと聞かされてきたのだ。


それに『君たちを』という部分が引っかかる。

店を借りるのではなく、人を借りるという口ぶりだ。

別の店への派遣、雑誌の取材、テレビなどのメディア出演……。


色々と考えてみるが、店長の態度がどうにも腑に落ちない。

彼は小太りの男に対して怯えているようにも見え、

従業員一同と目を合わせようとはしなかった。

何か後ろめたい事情でもあるのだろうか。



「僕は、君たちを1日貸し切って、

 好きな時に好きなだけエッチなことがしたいんだ

 これはその交渉さ

 充分な報酬は用意してあるし、

 君たちにとっても悪い話ではないはずだから、

 是非、話を聞くだけでもお願いできないだろうか?」



彼女たちはポカンと口を開け、お互いに顔を見合わせた。


小太りの男は少し長めに頭を下げた後、

ゆったりとソファーにもたれかかって返答を待った。

彼は非常識な発言をした後だというのに悪びれておらず、

持参したダイエットコーラを美味しそうに飲み始めた。


そしてさっきまで目を合わせようとしなかった店長が、

こちらの反応を確認しようとチラチラと視線を向けるようになった。

今気づいたが、店長の足元にはアタッシュケースが置かれている。

それは、小太りの男の隣に積み上げられている物と同じだった。




「店長……

 もしかして、私たちを売ったんですか?」


沈黙を切り裂いたのは、ボーイッシュな従業員シエル(源氏名)だ。


開店時から勤めている最古参なので仕事ができるのは当然として、

後輩の面倒見が良く、頼れるリーダーを体現したような人物である。

背が高く、中性的な顔立ちをしているので女性客からの受けも良く、

彼女なしでは今ほどの人気店にはなれなかっただろう。


そんな一番つき合いの長い彼女から真顔で問われ、店長は目を泳がせた。

その反応にシエルは怒りが込み上げ、鬼の形相へと変貌する。


感情が爆発する寸前、それを止めたのは小太りの男だった。


「おいおい、店長さんを責めるのはお門違いだよ

 その金は君たちを売って得た金じゃない

 僕が彼から買ったのは“君たちと交渉する権利”だよ

 これから僕に買われるかどうかを決めるのは君たち自身さ」



そう言われるも、すんなりと納得できるわけがない。

ワンクッション挟んだおかげで怒鳴りはしなかったものの、

彼女は店長への怒り、不信感を捨てられなかった。


「交渉もクソもないだろ!

 うちは風俗店であっても、性的なサービスを行う店じゃない!

 そう言って断ればいいものを、なに受け取ってんだよ!

 あいつがなんと言おうと、金を手にした時点で私たちを売ったも同然なんだ!」


「いや、私も最初は断ったんだけどね?

 でも、今回は特別というか、その……」


言い淀む店長に、従業員一同は苛立ちを募らせる。


「何がどう特別だって言うんですか!?」

「私たちは売春婦じゃない!」

「いくら受け取ったんだよハゲぇ!!」

「私たちを変な奴から守るのが店長の仕事でしょ!?」



一斉に責められて縮こまる店長を見かね、再びフォローが入る。


小太りの男はコーラを飲み終えるとフウッと一息ついて立ち上がり、

積んであったアタッシュケースを机の上にドスンと置き、

その重そうな音で注目を集めてから蓋を開けた。


「……これ、いくら入ってるかわかる?」


一同は思わず息を呑んだ。


ケースの中身はギッシリと敷き詰められた札束だった。

こんな光景はドラマや映画の中でしか見たことがない。


「えっと……1000万くらい……かな?」


誰がそう答えたのか、一瞬わからなかった。

が、それはアニメ声のララがつい出してしまった地声だった。


「ははは、それじゃ少なすぎるよ

 とりあえず、この1束が100万円だよ

 思ったより薄っぺらくてびっくりするでしょ」


そう言い、男は100万円の札束をうちわのように扇ぎ出した。

その薄っぺらくない塊があった下にも、まだ札束が積まれているのが見える。


ララに続き、指名率No. 1のルナが答える。


「じゃあ、3000万……ですかね」


「まだまだそんなもんじゃないよ

 こんなにまとまった金を見たのなんて初めてだろうし、

 君たちにはちょっと難しいかもね」


本人にその気はないのかもしれないが、なんだか馬鹿にされている気分だ。

だが、彼の言う通りだ。100万円を1単位として数えた経験などない。


「5000万」


一同は原田さんの回答に「これで当たりだろう」と思ったが、

男は黙って首を振るだけだった。


そうなるともう、次の桁に移るしかない。

格ゲー上級者のノアが最後の回答。



「1億……?」



彼女たちは再び息を呑む。


そして、男が「正解」と言わんばかりに笑顔で親指を立てた。


1億円。

その大金が今、男の隣に1単位として積み上げられている。


なるほど、これは特別だ。

興味のない人間に聞く耳を持たせるには充分すぎる金額だ。

店長が(ほだ)されるのも無理はない。


金には魔力がある。


つい先程まで「死ねゴミカス」と思っていたデブが、

急にイケメンに見えてきたのだ。



「おい待て、みんな!

 騙されるんじゃあない!

 あれは偽札かもしれないんだぞ!」


シエルの指摘に、一同はハッと我に返る。

同時にイケメンフィルターが剥がされ、男は元の小太り中年に戻った。


危ないところだった。

全員が魔法にかけられる中、彼女だけは自我を保っていたのだ。

さすがはリーダー。店長よりも頼り甲斐がある。


が、頼りない店長がすぐさま反論した。


「いや、偽札ではないよ

 受け取る前に確認したけど、全部本物だったよ」


再び金の魔力が一同を襲う。

男はイケメンとブサメンの間を行き来し、

なんとも言えない生物が誕生した。


「もしその金が本物だとしても、

 どこから出てきた金なんだ!?

 怪しすぎるだろ! 関わるべきじゃない!」


「いや、それも確認したけど100%クリーンで安全な金だよ

 彼は世界の長者番付にランキングされている大富豪でね、

 わずか1秒足らずで我々の生涯収入を上回る金額を動かしているんだ

 1億や2億なんて額は、彼にとっては端金(はしたがね)さ」


その言葉に、小太りの男はカチンと来る。


「おいおい、店長さん

 勝手に代弁しないでくれよ

 僕は1億円を端金だなんて思ったことはない

 金の価値をよくわかってる だから成功したんだ」


店長は青ざめ、即座に地面に頭を擦り付けた。

そんな店長を尻目に、シエルは男に苦言を呈する。


「それだけの金があるのなら、

 夜の店にでも行けばいいじゃないか!

 そこで望むがままに楽しめばいいだろ!

 あなたがどんな性癖を持っていようと構わないが、

 私たちのような昼職の人間を巻き込まないでくれ!」


「いやあ、夜職の女の子を集めてプレイしたことはあるよ

 やっぱりみんなプロだから上手いんだけど、

 演技してるのがバレバレで萎えちゃったんだよねえ

 どうも僕は素人の生々しさを求めてるみたいでね、

 だからこうして君たちと交渉しに来たんだ」


「だったら自分から身売りしてる女を買えばいい!

 立ちんぼとか、パパ活女とか、そういうのがいるじゃないか!

 よく知らないけど、そいつらは個人で活動してる素人だろ!」


「たしかに君の言う通りだ

 でもね、そもそものターゲットが違うんだよ

 今回は“本物のメイド喫茶の店員さん”を集めたくてね

 あと10人で目標の100人に達するんだ

 できれば人集めはこの店で最後にしたい

 あちこち移動するのは疲れるよ デブだからね」


「私たちは、その90人とは違う!

 交渉は終わりだ! もう諦めて帰ってくれ!」



リーダーの揺るぎない姿勢に1人の後輩が目を覚ました。

シエルに憧れて働き始め、彼女と同じボーイッシュ路線を目指すアスカだ。


「先輩の言う通りだ!

 ボクたちはお前が思うほど安い女じゃないぞ!

 たとえ10億積まれたとしても、決してこの身を売ったりはしない!」


「じゃあ、100億円ならどうかな?」


「100億ぅ!?」


アスカは揺らいだ。



「100億って、そんな……

 ちょっと待ってくださいよ

 そんなの聞いてませんよ

 あまりにも私と額が違いすぎるじゃないですか」


そう発したのは、既に1億円を受け取っている店長だった。

経営者として、誰よりも儲けていいという自負がある。


「額が違う?

 そんなの当たり前じゃないですか

 実際に嫌な思いをするのは彼女たちなんですから、

 それだけ多くの報酬を受け取って然るべきでしょう

 それに、あなたとの取引はもう終わってるんだ

 1億円が少ないと感じたのならその時に言えばよかったのに、

 今更ごちゃごちゃと文句を言われても困りますよ」


1億円。

決して少ない金額ではない。

だが、100億円と比べるとどうしても見劣りするのは否めない。


店長は泣いた。

大金を手にしながらも、なぜか悔し涙が止まらない。

男の口ぶりからすると値上げ交渉が可能だったのだ。

彼は100億円をポンと出せる相手なのだ。

その事実に気づくことができれば、もっと富を得ることができたはずだ。



「100億を12で割ると、えっと……いくらだ?」


最年長ながらも妹系キャラとして根強い人気を誇るユウナ。

計算を始めたということは、彼女はもう乗り気なのだ。


「いやいや、割る必要はないよ

 僕は1人当たり100億円を出すと決めている

 たった1日、この僕と遊ぶだけで100億円だよ?

 しかも僕は絶倫ってわけじゃないし、

 本番をするとしてもせいぜい3人くらいさ

 残りの97人はほとんど何もされない可能性が高い

 ……まあ、プレイ内容はその時の気分次第だけどね」


「あ、あの……

 暴力的な行為はありますか?

 あと汚いのとか、そういうのはちょっと……」


人妻メイドとして一定層に需要があるハナからの質問。

NG項目の確認。こちらも落ちたとみて間違いない。


「暴力かあ

 全身を縛って吊し上げたりはするかもしれないけど、

 蹴ったり殴ったりはしないから安心してよ

 せいぜいお尻をひっぱたくくらいさ

 汚いのは僕も無理だね〜

 おぞましい趣味は持ってない……と自分では思ってる」


ハナは胸を撫で下ろした。

これで1人陥落だ。



「ハナさん、耳を貸しちゃダメですよ!

 あなたには旦那さんがいるでしょうが!」


常識的な指摘をしたのは、やはりシエルだ。

彼女だけは億の金を前にしても目の色を変えず、

一貫して仲間の尊厳を守ろうと戦っている。


ごくまれにいる、金では動かない人間。

小太りの男はそういう人種が好きだった。

ただし、それがアニメの登場人物であればの話だが。


今の彼にとって、シエルは邪魔な存在でしかない。


「シエルさん

 1日だけ我慢して一生分の富を手にするか、

 何も得ずにプライドを守り抜くか、

 どちらを選択するかは個人の自由だ

 君は後者なんだろうけど、

 それがみんなの総意だとは思わないほうがいい」


「そんなはずは……!」


そんなはずはない。

大金が無くとも人は幸せになれる。


そう言いたかった。


が、シエルは言葉を詰まらせた。



彼女以外の従業員は皆、男に恍惚の眼差しを向けていた。

正確には彼が持っている金、そしてこれから自分が手にする金に。


100億円。

これが10万円や100万円だったら、きっと半数以上が断っただろう。


が、あまりにも次元が違いすぎた。


男は正しかった。

たった1日、不細工の相手をするだけで巨万の富を得られるのなら、

そのビッグチャンスをみすみす逃す手はない。


シエルは見誤っていた。

みんな、そこまでプライドを大事に思って生きてはいない。

世の中の人間のほとんどは、目先の金が欲しいのだ。




失意のシエルは壁にもたれかかり、

片手で顔を覆って考え込んだ。

その光景を横目に申し訳なく思いつつも、

従業員一同は次の段階へと進んだのである。


「さて、君たちは僕の要求に応じてくれるということでいいね?」


11人のメイドが本気の笑顔で意思表示をする。

これから100億円が手に入るのだ。

相手が不細工だろうがデブだろうが、あまりにも小さなことだ。



「1人余計だから、辞退してくれないかな」



笑顔が凍りつく。


彼が求めているのは“100人の本物のメイド喫茶の店員さん”であり、

もう既に90人を確保しているのだ。


残り10人。


11人は多すぎる。


「……101人じゃダメなんですか!?

 人数多いほうが楽しいと思うんですけど!」


前科者のミミが問う。

ここまで来て、1人は100億円を諦めろだなんて理不尽な話だ。

たった1人くらい増えても、彼にとっては誤差の範疇だろう。


だが、彼には許されない数字だった。


「この企画、『1兆円で遊ぼう』って思い立って始めたものだからねえ

 100億円を100人に配って、ちょうど1兆円なんだよね

 “1兆100億円”ってすごく中途半端で気持ち悪いじゃん?

 だから僕は100人というラインを動かす気はないよ」


金銭感覚の次元が違う。

やはり彼は100億円すら端金に思っているのではないか。

だが今、憂慮すべき点はそこではない。


誰も辞退する気はない。

だとすると、誰かを蹴落とすしかない。



口火を切ったのは、花粉症のマヤだった。


「ハナさん、旦那さんを裏切っちゃダメですよ!

 たしかお子さんがいましたよねえ!?

 ご家族やご近所さんにバレたら大変ですよねえ!?」


「え、何それ! 脅してんの!?

 言いふらしたらアンタも破滅させるよ!?

 てか、うちには子供が2人もいるんだし、

 一番お金が必要なのは私でしょ!

 マスク取ったらブスのアンタが諦めなさいよ!」


「なんだとババア!?

 オメエの口が臭せえからマスクしてんだろ!?

 オメエが喋る度に、歯の神経が腐った臭いがすんだよ!」


「あァ!?

 テメエの歯もボロボロにしてやろうか!?」



取っ組み合う2人の間に、マシュマロボディーのチハルが割り込む。


「2人とも落ち着いてください!

 諦めるべき人間なら他にもいるはずです!

 例えば先週、女性の人権について熱く語ってたナギさんとか!

 人をお金で買うとか、それって完全に人身売買ですよね!?

 社会派の人間として、反論したほうがいいんじゃないですか!?」


「なっ……飛び火させんなデブ!

 私は一般論を語っただけでしょうが!

 そんなことも判断できないなんて、アンタの頭の中、

 脳味噌の代わりに脂肪が詰まってんじゃないの?」



ここでルナ参戦。


「ナギさん、それは言い過ぎですよ!

 私としてはアスカさんが退くべきだと思います!

 憧れのシエル先輩を見習って追従しましょうよ!」


「……そうしたいとは思ってたけど、

 さすがに100億を諦めるのは無理だね!

 金に困ってないお前が退けばいいだろ!

 複数の彼氏に貢がせてんの、とっくにバレてんぞ!」



ユウナが名案を思いつく。


「ねえ、こうしない?

 辞退した人には1人10億ずつ出し合うってのはどう?

 そしたらみんな公平だし、喧嘩しなくて済むでしょ

 その条件だったら私が辞退してもいいよ」


その案に一同は賛成しそうになるが、

トラップに気づいたのはララだった。


「どこが公平だバカヤロー!

 それじゃ何もしてない奴が一番儲かるだろ!

 いい歳して算数もできねえのかよ!」


「でも、この方法なら11人が全員一度は100億を手にできるじゃない!

 差は出ちゃうけど、消費税みたいなもんだと思って諦めましょうよ!」


「その10億の差は還元するんだろうなあ!?」


「え、ダメ〜?

 アイディア料として納得してよ〜」


「「「 ふざけんな! 」」」


一同の合唱により、ユウナ案は却下された。

だが、金で退いてもらうという考え自体は悪くないので、

その方向で話が進められた。



問題は金額だった。


「残った10人が91億ずつ、辞退した1人が90億……

 数字だけ見ればほぼ公平かもしんないけど、

 なんの苦労もせずにその金額はやっぱりおかしいよ

 実際に働かされる側はいろんなリスクを抱えるわけだしね」


ノアの言葉に考えさせられる。


単純に、性病にかかるリスクだけではない。

あの男は気分次第でプレイ内容が変わると言っていたのだ。

彼はノーマルな性癖だと自称していたが、

実際はえげつない欲望を潜めているかもしれない。

大金を受け取る以上、現場でそれを断るのは許されないだろう。


もし撮影ありだとすると、当然身バレが怖い。

その映像が流出すれば、消せない記録として残るだろう。


それに相手は遥か雲の上にいる超スーパー金持ちだ。

裏社会との繋がりがあったとしても全く驚かない。

何かのきっかけで危ない目に遭うかもしれない。


そんな様々なリスクを抱えて91億円。

人間としての尊厳を失わずに90億円。


よほどの守銭奴でもない限り、誰もが後者を選ぶだろう。



「1人5億ずつ出し合って50億……

 10人の手元にはほぼ倍の95億が残るし、それでいいんじゃないかな?」


「それがよさそうね

 じゃあ私がその金額で辞退しますので、皆さん頑張ってください」


「はああ!?

 何言ってんのハナさん!

 さっきは『一番お金が必要なのは私』とか言ってたじゃん!

 2人のお子さんのためにも頑張って稼いできなよ!

 代わりにマスクブスの私が辞退してあげるからさあ!」


「いやいやいや、私ほら、だって人妻だし!

 やっぱり愛する夫を裏切ることなんてできない!

 50億でも充分大金だし、若いみんなに稼ぐチャンスを譲ってあげるわ!」


「年齢の話を持ち出すなら、最年長の私が辞退します!

 そもそも私が言い出した案だし、その権利はあるでしょ!?」


「逆に、一番若い私が辞退しようと思います!

 人生これからだし余計なリスクは回避したいです!

 それに私デブなんで、100人もいる空間では邪魔になると思うんで!」


「若いからこそいろんな経験をしたほうがいいよ!

 これも社会勉強だと思って飛び込んできなよ!

 リスクを避けてちゃ何も得られないよ!」



流れが変わった。

さっきまで誰を排除するかで揉めていたのに、

一転してその席が当たり枠と化したのだ。


つまり、50億円でもまだ多いということだ。


「じゃあ3億……!

 1人3億ずつで30億!

 辞退したい人は手挙げてー!」


当然、全員が挙手した。

これでは何も変わらない。


「思い切って1億……!

 辞退した人には10億! 残りのみんなには99億!

 ここまで差がつけば、さすがに意見が分かれるよね!?」


その願いが叶い、手を挙げる者と挙げない者に分かれた。


が、6対5。

傾向としては年齢の低いメンバーが辞退を申告し、

年齢の高いメンバーがビッグチャンスにしがみついた形だ。


「あれ?

 ハナさん手挙げないの?

 愛する夫を裏切れないんじゃなかったの?

 意見ブレすぎじゃないの?」


「だって10億ぽっちじゃあね……

 この気持ち、みんなもわかるでしょ?

 夫には悪いけど、私はもっとお金が欲しい」


「開き直ったよ……」



とりあえず意見は割れた。

ここからは金額を下げていく作業だ。

元の100億円からは程遠い数字になるだろうが、

それでも一生遊んで暮らせるだけの財産にはなるはずだ。


6人が向かい合い、最後の1人になるまで競い合う。


……かと思いきや、「パン、パン」という音が中断した。


小太りの男は拍手を送ったわけではない。

その無益な争いを事前に防ぐために動いたのだ。


「はあ〜……

 わかった、わかったよ

 君たちの意見はよくわかった

 『働きたくないけど金は欲しい』……そうだろ?

 僕は、そんな舐めた考えをしている人間を雇う気はない

 どうやら交渉決裂のようだし、もう帰らせてもらうよ」


男が立ち上がり、従業員一同は背筋を凍らせた。

何がいけなかったのかすぐには思い当たらないが、

とにかく彼女たちは、彼を怒らせてしまったのだ。


誰が辞退するか即座に決めなかったのがいけなかったのだろうか。

それとも話し合いの中で「デブ」という単語を出したせいだろうか。

リスクを気にしすぎて不信感丸出しだったのが癪に障ったのだろうか。


なんにせよ、これだけははっきりしている。



このまま彼を帰したら1円の儲けにもならない。



「──私! 私が辞退する!

 取り分については後で話し合いましょう!

 みんな、とりあえずそれでいいよね!?」


例の案を言い出したユウナが名乗りを上げる。

他の10人はコクコクと頷き、誰が退くのか一瞬で決まった。


が、男は彼女たちに冷ややかな視線を向けて言い放つ。


「君たちはさっき、全員が辞退したがっていたじゃないか

 だからお望み通り、君たちに仕事を与えるつもりはない

 もう100億円の報酬を受け取らなくていい 以上だ」


「え、え、いやっ、ちょっと待ってください!」

「働きます! むしろ働かせてください!」

「どんなプレイにも応じます! 本当になんでもします!」

「なんなら半額でも構いませんから!」


必死に引き止めようとするが、男はもう彼女たちに興味を失っていた。


彼は幼い日の記憶を思い出した。

小学生の時、遠足のバスで誰が彼の隣に座るのか、

女子たちが言い争いをしていた光景だ。

ジャンケンで負けた女子が大泣きしたので、

結局、担任の先生の隣に座らされたのを覚えている。


誰が辞退するのかで従業員一同が揉めていた時、

男の脳裏にはその辛い記憶が蘇ったのである。




男が耳に手を当て、「終わった」と呟くと、

応接室には黒服の男たちがゾロゾロと入ってきた。

その威圧感に従業員一同はたじろぎ、無意識に壁際へと体を寄せる。


だが黒服たちは彼女らに用があったわけではなく、

積み上げられたアタッシュケースを回収しにきただけのようだ。

彼らは手際良く1億円の入ったケースを次々と台車に乗せ、

とうとう最後の1箱まで回収し終えると速やかに部屋から立ち去った。


彼女たちは思った。

あの金は一体なんだったんだろう、と。

もしかしたら、彼の機嫌次第ではあれをボーナスとして貰えたのではないか。

100箱も無かったとは思うが、たった1箱だけでも人生を変えられる額を。


彼女たちは、店長と同じく交渉のチャンスを逃したのだ。



「それじゃあ、僕はもう行くよ

 邪魔して悪かったね

 結果は残念だったけど、なかなか楽しい時間だったよ」


男はにこやかに別れの挨拶を告げる。

対する11人の従業員は絶望と後悔の入り混じった表情であった。


気づけば部屋から店長の姿が消えていた。

おそらく彼女たちから「分け前をよこせ」と言われる前に逃げ出したのだろう。


男は部屋を出る前、シエルに目を向けた。

彼女は他の従業員たちと同じく何も得ることはできなかったが、

同時に人間としての尊厳を失わずに済んだ。

少なくとも彼女は金目当てで他人を蹴落とそうとするような人間ではない。

対話中は邪魔な存在に思えたが、今では純粋に尊敬している。



そして男が去り、当店初の緊急ミーティングは終了したのだった。






──その後、人間関係の悪化により次々と従業員が職場を辞めていった。


きっかけはあの時の口喧嘩だろうが、それ以外にも原因はある。

大金を逃した悔しさや、金に目が眩んで理性を失ったという恥ずかしさ、

そして1円たりとも分け前をよこさなかった店長への不信感。


そんなこんなで半年後にはシエル以外の全員がいなくなった。


店長もいなくなった。

彼はあの時の1億円を投資に注ぎ込み失敗したようで、

妻子を残してどこかへ消えてしまった。



これはもう店を畳むしかないと思っていたシエルだったが、

地域の皆様の支援により、なんとか営業を続けることができた。

しかしそれは一時しのぎであり、いつまで持つかわからない。


そこで彼女は大胆な路線変更を試みた。



メイド喫茶から執事喫茶へ。



自身の強みを知っている彼女は男装に身を包み、

メインのターゲット層を女性客に絞って店を生まれ変わらせたのだ。


その試みは見事に成功し、店は元の活気を取り戻すことができた。




それから3年後、シエルは同性のパートナーと結婚し、

ささやかな幸せを噛み締めながら平穏な日々を送っている。

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