狂王フィクトール
「……つまり、あなたは、わたしの言うことならなんでも聞いてくれるってこと?」
フィクトールがどういうつもりなのか、わたしにはさっぱりわからない。
片ひざついて畏まり、フィクトールはわたしの顔を仰ぎ見る。
「セシィが心から望んでくれるなら、僕はどんなことだろうとするよ」
「多少つき合いが長いからといって、そのよしみにつけ込んでヴァリアシュテルンの国益をアドラスブルクのために毀損させるつもりはないわ。わたしがいまあなたに望むのは、不本意なのはわかるけれど、きちんと国王としての務めを果たしてもらいたいということ。それと、そろそろ結婚したら?ってくらい」
わたしはこれでも従弟のことを心配しているつもりだ。なのに、フィクトールは心底信じられない、という貌になる。
「そういうことじゃなくて。……結婚しろっていうのか、僕に?」
「いつまでも独身ってわけにはいかないでしょう、国王として」
「……違う、違うよセシィ。僕はアドラスブルクの帝妃としてのきみに話しをしているわけでもなければ、アドラスブルク帝国の権益代表者としてヴァリアシュテルン王への要望を話してもらいたいわけでもない」
フィクトールは、どうして言葉は通じているのに話が伝わっていないんだ、といいたげだった。わたしも同様だ。
「あなたとわたしは、外交の話をするためにここにいるのよ。それに、あなたに家庭を持ってほしいというのは、わたし個人の思いでもあるわ。万博のとき、ペリムでもすこし話したでしょう?」
いい機会だから、このさい具体的な希望を聞いて結婚相手の人選に入ろうかと思ったところで、フィクトールは幼児がいやいやをするかのように首を振った。
「……僕が結婚しない理由が、きみは本当にわからないのか?」
「わかるわけないでしょう。理由があるなら、教えてちょうだい」
わたしがそう言うや、フィクトールはいまにも死んでしまいそうな顔になった。「おまえは私たちの本当の子供じゃないんだ」と両親から告白された10歳児でも、こんな身も世もない表情はしないのではなかろうか。
「僕はずっと……ずっと……最初から、きみのことだけを愛していたからだ、セシィ! アドラスブルク皇帝が、婚約者を捨てて妹に乗り換えたというニュースを聞いたあの日から、僕はずっと壊れてるんだ。いまさらほかのだれかと結婚したところで直るものじゃないさ」
血を吐くかのような形相でフィクトールは叫び(ノルジードラ大佐には聞こえないていどにだが)、その内容はわたしにとって予想だにしないものだった。ただ、心にはなにも響かない。
「遅い」
「……遅い?」
「どうしてずっと黙っていたの。わたしがシャルロッテお姉さまにひっついてザルツクヴェーレへ行く前に、あなたから『愛してる』とひと言聞いていたら、エルディナントさまに求婚されたときに違う答えを返したでしょう。『わたしには放っておけない従弟がいるから、陛下はシャルロッテお姉さまと結婚してください』って」
わたしが淡々と告げると、フィクトールは呆然となった。
「セシィ、きみには僕への気持ちがあったのに、僕が愛を言葉として伝えていなかったから、皇帝陛下の求婚にうなずいたっていうのか……」
「いいえ、そうじゃないわ。わたしの心にはだれも住んでいなかった。恋をするだとか、ひとを愛するだとか、そんな感情はわたしの中に存在しなかった。最初にエルディナントさまがわたしの心のドアをノックした、それだけのことよ。もしあなたが一番めの訪問者だったら、わたしはあなたを中に入れていたでしょう」
ロマンのかけらもないわたしの言いように、フィクトールは眼で冗談だろう、と訴えていた。口に出しては、こういう。
「ただ一番最初に声をかけてきたから、というだけの理由できみは自分の結婚を決めたっていうのか。もし相手が君侯貴族ではない、農民や炭鉱夫だったとしても、きみは求愛を受け入れたか?」
「相手の心にウソがないと感じたら、べつに身分を問うつもりなんかなかったわ。そもそも長男が貴族ではないお嬢さんと結婚していたのだもの、うちの一家に結婚相手を身分で足切りするという基準はないのよ。……もっともそれは、父の方針であって、母はわが子に名誉ある結婚をさせることにこだわっていた。だからこそシャルロッテお姉さまは完璧な淑女として育てられていたし、皇帝陛下の婚約者となっていた」
わたしが遊び半分でお姉さまについていったばっかりに、母と太后さまの思惑は大いに狂うことになった。
エルディナントさまにとっては、わたしは単なる婚約者の妹ではなく、以前に森の狩猟場で見かけていた、気になる存在だったわけだけれど、わたしがそのことを聞いたのは結婚して10年もたってからだ。
フィクトールは肩を落として、つぶやく。
「……僕の意気地が足りなかったから、それだけなのか」
「身も蓋もない言いかたをすればね」
すくなくとも当時のわたしは、フィクトールのことが嫌いではなかった。好きにはいくぶん距離があっただけだ。
王家と公爵家のあいだで取り交わした正式な婚約ではない、子供の口約束レベルであっても、「大きくなったらお嫁さんになってよ」と言われていたら、イヤだとは答えなかっただろう。
もっとも、時間をいまさら巻き戻すことはできない。
わたしはエルディナントさまと結婚して、たしかに最初のうちはとくに想い入れもなかったけれど、すぐにエルと子供たちのことを心から愛するようになったし、仮に神か悪魔にべつの人生の可能性を試さないかと持ちかけられたとしても、せいぜい皇帝ではないエルとの生活を模索してみたいと思うていどで、ほかのだれかとの結婚なんか考えられない。
そしてそのことを、いまのフィクトールには理解できないだろう。だからこそ彼も結婚するべきなのだ。かならずしも結婚は恋愛の帰結である必要はない、ことに王侯貴族にとっては。
結婚してからすることのできる恋だってある。エルとわたしのように。
……しばらく下を向いていたフィクトールが顔をあげた。
「僕がグズだったということはわかったよ。いまさらだけど、ひとつ勇気を出そうと思う」
なにかを吹っ切ったような感じはするが、わたしが期待している方向ではなさそうだ。
とはいえ、あずかり知りえなかったにしろ従弟がこじらせることになった原因はわたしにあるのだから、話しくらいは聞くべきだろう。
「なにかしら?」
「セシィを愛しているという僕の気持ちに変わりはない。受け入れてくれとは言わないよ、僕がきみを愛しているということを、認めてくれさえすれば。ディズマールが持ちかけてきている件は断るし、きみの指示するとおりにヴァリアシュテルンを動かそう」
中世の騎士は、しばしば人妻(仕える君主や領主の奥方のことが多かった)に対しプラトニックな愛を誓い、彼女とその旦那を守るため戦場へ向かったという。
フィクトールは、時代遅れの騎士になりきって倒錯を昇華するつもりなのか。
ここでわたしが口先だけで彼の気持ちを認めれば、ヴァリアシュテルン王国を意のままにコントロールできるということになる。アドラスブルク帝国として、外交上の目的は達成されるが。
……それはほんとうに正しいこと?
「フィクトール、男女の愛ではないけれど、わたしはわたしなりにあなたのことがたいせつよ。見ているとどうにも危なっかしくてハラハラしちゃう、従弟どのとしてね。……いまのわたしから言えるのは、あなたはヴァリアシュテルンの国益に沿わなければならないということ。たしかにそれは、わがアドラスブルク帝国として困った事態にはなるけれどね。大プロジャ帝国とその初代宰相ディズマールの急所をつかむ、あなたがさっき冗談交じりに言ったことは、外交的にはきわめてクレバーな方針よ」
個人的感情より国家国民のために動くべし――わたしは君主としての心得をフィクトールへ講じていた。どうしようもなく矛盾していると、自覚しながら。
アドラスブルクの帝妃として、自国の利益を投げ捨てているのだから。
わたしの話に対し、フィクトールは乾いた笑いを浮かべていた。ただ、どこか懐かしげでもある。
「セシィはむかしっから、正論しか言わないよね。僕が自分の夢だけを詰め込んだお城の設計図を描くと、『防衛設備がない、冬をしのぐための食糧貯蔵庫がない、トイレがない』って。きみが見ているのはいつも現実。……だから僕は、きみのことを愛していると伝えるのが怖かった。『夢ばっかりの白馬の王子に興味はない。だいたい、王子自身が夢見がちでいるようじゃ頼りにならない』とか言われそうで」
「あはははは……いや、ごめん。でも、たしかに15歳のわたしなら言いかねない。でもね、わたしもいちおう乙女だったんだから。もし真物の王子さまから『将来の結婚を前提におつきあいしてください』って言われてたら、『まずアウグスト陛下にお話しして、それからうちの父に許しをもらってください』くらいの返答はできたわよ」
すくなくとも、仮予約ありだったら、エルディナントさまから求婚されたとき、お姉さまからのふくませもあっての、あきらめ混じりでのうなずきで応じることはなかっただろう。
あのときのわたしはけっこう腹を立てていたのだ。皇帝陛下のことを、なんの落ち度もないお姉さまを捨てた、敵だと思っていたくらい。
……そう、いろんなことの微妙なかけ違い、すれ違いがああも重ならなかったら、わたしがエルと結婚することはなかっただろう。
結果として、いまわたしはしあわせだけれど、失われた可能性というものをフィクトールに垣間見せられた気がした。
ちゃんと当初の予定どおりにエルディナント陛下とシャルロッテお姉さまが皇帝夫妻となり、わたしはフィクトールと結婚してヴァリアシュテルンの第二王子夫人になっていたかもしれないのだ。
たぶんそのていどの違いでは、ディズマールによるデウチェ統一プログラムの進行に変化はないから、いまごろはアウグスト陛下が引退し、兄上の早逝によって王太子に繰り上がったフィクトールがヴァリアシュテルン王となって、わたしは王妃か。
そうなっていたら、きっとわたしは「無駄遣いをやめろ」と口うるさいことをいって、このアルフウェルデン城の建設を止めていたに違いない。
「……セシィ、なにを考えているんだい?」
「もしもわたしがあなたと結婚していたら、このお城は造らせなかっただろうな、って」
フィクトールからすれば一世一代の告白だったのに、わたしの受け止めかたは真剣味が足りないと思われるだろうか。
いまさらになってちょっと気が差したわたしだったけれど、こちらを見るフィクトールの貌は、すくなくとも不愉快そうではなかった。
「セシィのそういうところが、好きだよ。いまもね。……ああ、最初からわかってたんだ、きみは籠の鳥じゃない、厳しい自然の中で生き抜く知恵をそなえた森のフクロウみたいな存在なんだって。その環境が、野山じゃなくて、人間の世界を舞台にしているだけ」
「あなたもエルディナントさまみたいなこと言うのね」
「……皇帝陛下が、僕と同じことを?」
エルディナントさまのことを、さっきからフィクトールは「皇帝陛下」と呼ぶ。彼なりの隔意のあらわれなのか。
「陛下は、『自分が求めていたのは籠の鳥のような女性ではなかった。だから決められていた婚約者のシャルロッテではなく、わたしを選んだ』そんなふうなことを言ったの。結婚して、10年もたってからね。それまでわたしは、どうしてお姉さまをさしおいて自分なんかが選ばれたのか、怖くて聞けなかった」
「……そうだったのか。すこしだけ、あきらめがついたよ。皇帝陛下の女性を観る眼に間違いはなかった。気まぐれで盗られたわけじゃない、そう思えば、いまのきみのしあわせを祝福はできる」
「ありがとう、フィクトール」
これで心のわだかまりは晴れた。ずいぶん歳月を空けてしまったけれど、フィクトールと腹を割って話すことができてよかった……と、わたしは思ったのだけれど、つぎの手番をきちんと彼はにぎっていた。
ようやくというべきか、王としての自覚に目醒めたフィクトールの眼は鋭い。
「セシィのアドバイスに従う。だから、覚悟しておいてほしい。デウチェの明日はプロジャのものだ。アドラスブルク帝国の未来は明るくないよ」
「ええ。それでいいの。詐りの愛で縛って勝利を得たくはないわ」
「きみは自分の誠意と真心を優先して、帝国の途を誤った。これまでにない失態じゃないのか」
「そうね。たぶん、あなた以外が相手だったら、ウソをつけたでしょう」
わたしが肩をすくめると、フィクトールは軽くため息を吐く。
「僕はウソでも良かったのに」
「あなたは、忖度や手心のことを気にしない、そんなわたしを好きでいてくれたのでしょう?」
「わかってるだろう? 僕は夢見がちなんだ。現実的じゃない、ふわふわした甘い幻想に住んでいたいのさ。きみに騙されたかった。真実のきみのほうが美しいということはわかっていても、まぶしすぎるから」
「……倒錯っぷりがすごすぎて、理解が難しい」
「そうだろうね。皇帝陛下は大した男だよ。きみを伴侶としていて怖気づかないんだから」
「あなたが褒めていたって、陛下に伝えておく」
「……そういうところだよ、セシィ」
ひとことで言うならデリカシーがない――ヴァリアシュテルンのフィクトールによるセシーリア評は、そういうことらしい。
もっとBSS感を出す予定だったのですが、フィクトールがちょっと物わかり良くなりすぎましたね。……ただ、この倒錯心理は迫真です(作者は重病)。




