家庭内の円満と嵐の国際情勢
どうやら、わたしはあたらしい義妹であるイザベラ姫に嫌われているらしい。
エルディナント陛下との結婚式のとき、バルディウム王国からの参列者の一行にイザベラ姫も混ざっていたけれど、形式的なあいさつしかしていない。
ところが、実質初対面である、フィレン宮殿での皇弟夫妻お披露目のパーティ(挙式はバルディウム王都ユージュセルで行われた)の席で、イザベラ姫の態度はいきなり敵意に満ちていた。
「わたくし、自分を背高のっぽにしたもうことなかった、神に大いに感謝いたしますわ。女たるもの、夫君より高い目線でいるべきではございませんもの」
わたしへ面と向かってではなく、しかしはっきり聞こえるよう声を張りあげてのその科白に、新郎であるメルヒオールさまがちょっと引いていたくらいだ。
実際、わたしはほんのすこしだけながら、エルディナントさまより背が高い。ザルツクヴェーレで出会ったときは陛下のほうが指三本ぶんは高かったのに、わたしはそれ以降も18歳まで背が伸びつづけて、追い越してしまったのだ。
ヒールの高い靴は履かないようにしているから、並んで立ってもわたしのほうがあきらかにデカい、とは見えないはずなのだけれど。
あとで聞いた話では、イザベラ姫はユージュセルの王宮で、両親からも廷臣からもかわいい賢いと褒めそやされて育ち、己の美貌と知性に絶大なる自信を抱いて、世界中の独身王侯男子がこぞってひざまずくであろうと、意気揚々国際社交界にデビューしたそうである。
三歳にして本を読みはじめ、五歳のときには朝晩の祈祷を暗唱できたというのだから、すくなくともその頭脳はホンモノだ。わたしなんぞよりよっぽど賢い。
……が、フタを開けてみれば、麗しのイザベラ姫を娶らんと、求婚に名乗りをあげたのは三名だけ。いずれも王統男児であったが、王位継承者はひとりのみで、ふたりは玉座に手が届かない次男坊。イザベラ姫はたいそう失望したそうな。
それならそれで、迷わず王妃になれる道を選択するのが当然のようであるが、王侯貴族の結婚というのは個人の単純な好き嫌い、利害得失では決まらない。かね合いというのはつねに面倒なものなのだ。
けっきょく、並の一国の王より腐っても帝国の皇弟、メルヒオール大公がバルディウム王の眼鏡に適い、イザベラ姫もそのこと自体にはさしたる不満もなかった。なんだかんだで、アドラスブルク家の名は大きい。
数多の王冠、玉座を選り取り見取りする夢破れた以上にイザベラ姫をくやしがらせたのは、ご自慢の美貌と知性が、国際社交界においてはさほど高評価でもなかった……という現実だったそうで。
各国大使、外交官、君侯がこぞって称賛するのは、バルディウムの珠玉たるイザベラではなく、メロヴィグのバルトポルテ三世妃ルティアーナと、オストリヒテ皇帝エルディナント・フランツの妃セシーリアで、そのたびイザベラ姫は絹のハンカチを噛みしめる思い(コミックオペラの当て馬姫よろしく、実際にハンカチ噛みしめて「キーッ、くやしいっ!」とはいわなかったはず)であったとか。
……いつのまに、わたしの評判が国際レベルになってたんでしょうか? しかも悪い意味じゃなかったとは。宮廷内だとエルディナントさましかわたしのこと褒めてくれないのになあ。
とにもかくにも、かねてより目の上のたんこぶ視していた女が義姉になるということで、イザベラ姫はわたしへの対抗心を燃え立たせながらフィレンへ乗り込んできたというわけだった。
太后ゾラさまの黙認・公認をバックに、女官長エクセルハーディ伯爵夫人をトップとする、セシーリアいびりサークルの構成員がさらにひとり増えるのかと、わたしは頭痛を起こしかけたけれど、メルヒオール・イザベラの皇弟夫妻はフィレンに長居しなかった。
メルヒオール殿下は結婚祝いがてらに、エルディナント陛下よりバルティア・ロカーナ総督の拝命を受け、任地へ新妻をともなって旅立ったのだ。
「皇帝陛下も、弟ぎみになかなかの重荷を背負わせますな」
と評したのは、アングレアム伯爵。
アジュール独立運動の闘士であり追放処置を受けていたが、エルディナントさまとわたしの第二子テレーゼの誕生を祝した恩赦によって、亡命先から戻ってきた。
マイラー伯の旧知でもあり、アジュール語教師という名目でわたしの自習サロンに出入りするようになっている。ただし、マイラー伯は独立派ではなく対帝国協調論者で、アングレアム伯とは論敵どうしであり、べつに仲が良いわけではないそうです。
……まあ、わたしもいろんな立場の人から話を聞いて、ちょっとでもエルディナントさまのご苦労を疑似体験してみようと思いまして。
「バルティア・ロカーナの統治は難しいのでしょうか?」
訊ねてみると、アングレアム伯はついと肩をすくめた。
「前任者が禍根を残しておりますから。10年前の状況であればともかく、いまあの地をフィレンに縁あるものが治めるのは無理があるでしょうな」
「10年前……騒乱期よりも情勢が悪化しているのですか?」
エルディナントさまの初陣の舞台が、そういえばバルティア戦線だったなとなんとなく思い出し、わたしは質疑をつづけた。
「叛乱を鎮圧したフラディキ将軍が、つい先日までそのままバルティア・ロカーナ総督を務めていましたからね。あの石頭の老人がアジュール総督になっていたら、われわれは老若男女問わず、最後のひとりが斃れるまでフィレンへの抵抗をつづけたでしょう。……私の立場からは、それが良かったとも悪かったともいえませんが」
アングレアム伯は皮肉げな口調だった。強権総督がアジュールにきていれば、自分は追放されずに抵抗運動もつづいて、いまごろは独立していたぞ、という自負か、あるいは自分の追放措置だけで収まって、流血がつづかなかったことへの安堵か。
フラディキ将軍……軽快なテンポ、高揚感あるリズムとメロディで、フィレン交響楽団一番の人気曲目となっている「フラディキ行進曲」のインスピレーションを、作曲家ヨハン=シュトレーゼに与えた人物だ。
オストリヒテにとっては偉大なる英雄も、敵として相まみえた人々からすれば憎き弾圧者か。軍紀に厳しい名将だとエルディナントさまは褒めていたけれど、軍隊を締めつけるのと同じ感覚で民政をすれば、たしかに恨みを買うだろう。
「メルヒオール殿下は苦しい立場におかれた、それがアングレアム伯の見立てですか」
「大公はなかなかの器量の持ち主だと、私の耳にもうわさは聞こえてきています。海軍改革を一両年で成しとげたとか。ですが今回は陸の上の話ですし、なにより手足が筋悪だ」
メルヒオールさまがオストリヒテ海軍を大いに刷新なさったと、エルディナントさまがお褒めになっていたのはわたしも覚えている。
兄たる皇帝が陸軍総帥だから皇弟には海軍をやらせてみよう、というていどの安易な任命からはじまったらしいが、メルヒオール殿下は先進海軍を有するブライトノーツからよく学び、港湾を整備し、海軍学校のカリキュラムをあらため、制服も時代に合わせて一新、さらに新造艦を複数進水させて、列強にふさわしい艦隊を誕生させたそうな。
バルティア・ロカーナ地方はエトヴィラ半島のつけ根部分であり、オストリヒテ海軍の母港トライエットからもほど近い。メルヒオール殿下の功績と、新生海軍との連携も視野に入っている人事のように思えるのだけれど。
「手足の筋が悪いというのは?」
「メルヒオール大公の下につけられた軍司令のグライですがね、転向アジュール人でして、知らぬ仲ではありません。およそアジュール人らしくない、肝の矮さい男だ。10年前の騒乱のときに、グライは要人と軍隊を要塞に避難させて縮こまり、結果的にはよく守りました。実際のところ、やつは討って出る度胸がない臆病者なのですよ。叛乱の炎が噴き出る寸前の各市を巡察し、民衆を慰撫してまわる今回の任務にはまったく不適当な小物です。皇弟どのもお気の毒なことだ」
アングレアム伯による辛辣なグライ将軍評だったが、額面のまま受け取ることを、そのときのわたしは躊躇した。アジュール民族の誇りを捨ててフィレン政庁への奉仕を選んだ同胞に対する、色眼鏡があるのではないかと勘ぐったからだ。
……グライ司令はアングレアム伯がいったとおりのへっぽこ将軍で、メルヒオール殿下のみならず、エルディナントさまにとってもとんだ疫病神になるのだけれど。
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次女テレーゼの誕生から半年ほどがたち、太后ゾラさまが「出来の悪い嫁をそろそろ再教育しなければ」という眼になってきたところで、都合よくというか、わたしはまたまた悪阻に襲われた。
けっきょく、帝妃教育は結婚式以降ほとんど捗らないまま。とはいえ、結婚まる四年で三度めの妊娠、帝妃の本懐としてはきわめて順調なペースであり、太后殿下といえどこれにケチはつけられない。
そして今回は、なんだか男の子のような気がしていた。長女ゾラ、次女テレーゼのときとは、お腹の中の子の動きが違うのだ。
わたしのお腹がだんだん大きくなるにつれ、エルディナントさまがこれまでより執務を早く切りあげて、夕方には会いにきてくださるようになった。
「セシィ、具合はどうだい? なにか足りないものはないか?」
「お気づかいありがとうございます。三度めですから、だいぶ慣れました。元気な男の子を産める、そんな気がします」
「男の子ならなおいいが、女の子だって構わないさ」
ちいさいゾラはわたしのお腹に耳を当てて、まだ見ぬ弟(推定)のたてる物音を聞き取ろうとする。そろそろ一歳のテレーゼはきょとんとしていて、ちびすけ仲間が増えるということが、いまひとつよくわかっていないようだ。
ああ、しあわせってこういうことなんだなあ。
ところで……あの、義母さま、そのお顔すごく怖いです。孫娘ふたりにはけっこうお祖母ちゃんらしい優しい表情なのに、どうしてわたしにはいつまでも、その人殺してそうな眼なんですか?
とはいえ、太后ゾラさまもいま怖いのは眼だけ。医師も今回は男児の可能性が高いと明言しているので、わたしへの直接干渉はひかえるようにしている。
エクセルハーディ伯爵夫人たち女看守勢も、帝妃教育休講中のわたしが、自習サロンでアジュール革新派の面々となにを話しているのかチェックが追いつかず、眉間にシワを寄せているばかりだ。
皇宮内に秘密警察を立ち入らせるわけにはいかないから、わたしたちの符丁まみれの会話の全貌をつかむのは不可能だろう。
……べつに、アドラスブルク帝国打倒の陰謀とかじゃないですから。だいじょうぶですよ、そんなに嗅ぎまわらなくても。
――そして、エルディナントさまとの結婚から四年と八ヶ月、わたし自身の生まれ日でもある、年末の降誕祭前夜に、わたしは男の子を無事出産した。つぎなる皇帝となる、帝国の継承者。
フィレン中の教会の鐘が打ち鳴らされ、陸軍の帝都駐留部隊は皇帝であり大元帥であるエルディナントさまとその皇子のために、祝砲を撃ちまくった。
エルディナント……いえ、夫のエルは、人目もはばからず男泣きに泣きながらわたしを抱きしめ、太后ゾラさますら、ついにいたわりと慈しみの表情で、わたしのことをねぎらってくれた。
「これで、あなたがつぎの国母よ。おめでとう、そして、ありがとう、セシィ」
「ゾラさ……いえ、ありがとうございます、お義母さま」
……たぶん、これが、わたしのみならず、エルディナントさまやゾラさまにとっても、人生最良の日だったのだろう。
皇宮の外では、束の間収まっていた嵐が、ふたたび吹き荒れようとしていた。
反アドラスブルク帝国の暴動再燃、そしてその陰で糸を引く、列強各国による干渉がはじまったのだ。
ストーリーの背景として、この世界の19世紀国際情勢の争点には「近東問題」が含まれていません。この世界では仮想オスマン帝国(アルハディラ・ウルス)の勢力がいまだ衰えておらず、仮想ロシア帝国(リュース)の対外戦略を大きく縛っているからです。
そのあたりの経緯は、当「ヒストリカル・ロマンス」シリーズの年代的前後作「胡族の王弟と商都の姫」(この作品に出てくるメラム・ウルスの姉妹国がアルハディラ・ウルスとなります)および「待ち続ける女に奇跡は起きるのか」をお読みいただけると、すこし書いてあります。いまのところ空白になっている14~17世紀にあたる部分も、今後気が向くたびにちょいちょい書いていくつもりです。




