嵐の予感
内部での対立があらわになったわがアドラスブルク帝国だけれど、内戦勃発の瀬戸際、というほどの危機に陥ったわけではなかった。
そもそも強力な軍備を持っているのは、フィレン中央政府をのぞくとアジュールだけだ。そのアジュールはすでに高度な自治権を獲得している。
ベミエンはじめとする帝国内のそのほかの領邦は、アジュールにつづいて自治権を獲得したいとともに、デウチェ人によって牛耳られている地方行政の実権を、現地の多数派民族の手に移したいと望んでいた。
読み書き計算が特殊技能であった旧時代において、事務仕事の才能に恵まれていたのは土豪貴族をのぞけばデウチェ人のみだった。だが、近年の教育の普及により、諸民族の平民出身者でも事務員や官吏が務まるようになったのである。
そうした時代の変化は、各地のデウチェ人にとって都合の良いことではない。彼らはオストリヒテ本領の親戚たちと連携して、地方改革を妨害していた。
いちおうつけ加えておくと、役所仕事を独占してきたデウチェ人が、諸民族を詐欺まがいの規則で縛って搾取したり、不正を働いて私腹を肥やしていたというわけではない。
デウチェ人というのは、書類事務に異様な情熱を注ぐ性向を持っているのである。自己利益のために規則を曲げることすら嫌う、偏屈なところがあるのだ。
身内人事が好きで、他人からも拝み倒されると見て見ぬふりをしがちなエトヴィラ人などは、デウチェ人ととにかく反りが合わない。
デウチェ人は自分たちの厳格さに自信があり、客観的にもそれは間違っていないのだが、自意識過剰でもあり、ちゃらんぽらんな他民族に行政事務をゆだねたくないと思っているのだ。
ベミエンのファルツキたちによる連邦化の提唱とその頓挫も、ハーツィアのポリニカ人による反対宣言をのぞけば、おおむね各地の多数派民族と、帝国の変化を嫌う少数派デウチェ人による政治的闘争の結果であった。
――と、いうのが、産休がてら今回の騒動をあらためて検証し直して、わたしがたどり着いた結論でした。
ヴェンツェルはすくすくと育っていて、これまでの四人と同様、わたしには子育てについて悩む権利すらない。日に二回か三回、乳母たちに囲まれているわが子のところへ行って、かわいいかわいいと愛でるだけの、ある意味ではお得な立場である。
「わたしもおねえちゃんになったんだから!」
と、ラースローネなんかは母親のわたしよりも張り切って弟のお世話をしているけれども。
いま、わたしたちアドラスブルク皇帝一家はしあわせだ。そのしあわせも、帝国の安定あってのことである。現状のあやういバランスの維持を長くは望めない。
ハーツィアのゴルホフスキが、いまというタイミングで帝国のありようについての議論に首を突っ込んできたのも、ゼクフィコへの移民計画が中途半端に終わったことで、汎ポリニカ問題の解決が宙ぶらりんになってしまったからだ。
すでに西太洋を渡っている10万人ほどについては、移民団長ヴィトゥスが新ゼクフィコ大統領ロペス・ガルシアと交渉して市民権を認めさせたが、さらなるポリニカ人の受け入れは決まっていない。すくなくとも、すぐにというわけにはいかないだろう。
民族問題だの領土紛争だのと言っても、本質としては食い扶持の確保の話である。
自分らの国を持てていないポリニカ人にとって、殖えつづける同胞たちにどのように土地を分配していくか、その決定権を他民族に握られている状況でのほほんとしているわけにはいかないのだ。
指導者であるキャリテルスキ公爵は、見とおしをしめせと支持者たちから突き上げを受けていることだろう。ポリニカのハーツィア支部長というべき立場のゴルホフスキも、同胞に対して「仕事してます」アピールをする必要があるというわけだ。
公務に復帰したらどこから手をつければいいのやら……と、わたしは考えあぐねる日々だったのだけれど、あらたな衝撃は国外からやってきた。
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ヴェンツェルがはいはいをするようになったこの年の秋――
かつてはアドラスブルクの本家筋によって治められていた大陸の西の端、イルパニアにおいて政変が生じ、女王マリナが追放された。
民衆派による革命ではなく、軍部のクーデターだったが、絶対君主制を取り戻そうとしていたマリナ女王は不人気で、世論はクーデターの首魁フランシスコ=エラドを支持する。
暫定大総統となったエラドは開明的な人物で、軍事独裁政権を率いる意思はなく、女王マリナが廃そうとしていたイルパニア憲法の遵守を条件に、あらたなる君主を探しはじめた。
エラド自身はマリナの長男カルロスによる継承を提案したのだが、王子の人の良さは国民の多くが認めるところながら、同時にかなりのマザコンであるという点も知られていた。
カルロスが王となれば、母マリナに恩赦を与えて帰国を許し、王位すら返上してしまうのではないか……? 女だてらの剛腕であらゆる権力を管掌しようとしていたマリナの復活を懸念する議会は、エラドが上程した継承案を否決する。
エラドは、政治的良心のゆえに決議に対する拒否権を発動せず、空の玉座は宙に浮いた。
そうなれば、周辺国がちょっかいを出してくるのは必定だ。
女王マリナが亡命したさき、ベルボーン家の故地でもあるメロヴィグは、旧王家の血筋で、マリナにとっても遠縁にあたるフィリップ(イルパニア読みだとフェリペになる)を新王として推薦した。
最近イルパニアからの独立を回復した隣国ポートガルドは、ミゲル摂政王子の弟リカルドの名を挙げた。もっともこれは、長年イルパニアの属国あつかいされ、ときには併合されていたポートガルドのちょっとした意趣返しであって、本気でリカルド王が実現するとは思っていないだろう。
イルパニア国内でもベルボーン家の縁者が王位継承に意欲を見せるなど、エラドと議会の思惑を超え、にわかに新王問題は混沌としてきた。
……ならばいっそのこと王制を廃止して共和国にするか、という議論が出そうなところであるが、イルパニア王統が消滅すると、親戚であるポートガルド王家に名目上の相続権が生じる。
イルパニアとポートガルドの力関係の逆転に前例がないわけではなく、エラドも議会も、権力の実態はともかく、形式上の王制をなくすつもりはなかった。
国内に利害関係のしがらみがなく、メロヴィグやポートガルドといった隣国から操られる心配のない王……エラドと議会有力者らは検討を重ね、ひとりの候補に目星をつける。
その人物とは、プロジャのアルティック公爵家長子テオドール。イルパニア呼びならテオドロとなる。
デウチェ君侯ではあるが、バルトポルテ戦争後の領土再編の結果、アルティック公は現在治める邦国を持っていなかった。
テオドロの母はポートガルドのミゲルの伯母にあたり、血筋としてもイルパニア王家にゆかりがあって、しかもポートガルドのメンツもあるていどは立てることができる。
プロジャは改革教派の多い国だが、アルティック公家は代々正教派の信徒であった。
資格充分、その上イルパニアの国内派閥とは実質無関係の人選。新王テオドロは玉座に担ぎ上げてもらった感謝で、余計な口出しをすることなく、おとなしく議会にしたがってくれるに違いない。
自分たちの選択に満足したエラドと議会は、さっそく推戴状をアルティック公へと送った。
……イルパニア人たちは気にしなかった問題点として、アルティック公家はプロジャ王家の傍流であり、保険的意味合いながら王位継承順が設定されているほど血筋が近しいという事実があった。
仮に本家が断絶したなら、改革派への改宗が条件になるとはいえ、アルティック公家の男児にはプロジャの継承権があるのだ。つまり、逆もしかりということ。
エラドと議会によるテオドールへの王位打診は、プロジャ王がイルパニア王をも兼ねる未来の可能性に、道を開くものであった。
かつてイルパニアとデウチェがアドラスブルク家によって治められていたころ、東西から挟撃されるかたちとなったメロヴィグは、ありとあらゆる機会を捉えて、アドラスブルク王朝に対して予防戦争をしかけてきた。
ロミア教皇の不興もどこ吹く風で、改革教派の各国と同盟を結んでまで神聖帝国を攻撃してきたのだ。神聖帝国が名ばかりの「死んだ」帝国になったのは、メロヴィグによるなりふり構わぬ攻勢の結果といえる。
当時のメロヴィグ王家は革命の断頭台によって滅び、デウチェの主はアドラスブルクからプロジャに代わったが、本質的にデウチェとメロヴィグがレヒテ河流域をはさんでにらみ合う構図はいまも変わっていない。
さらにイルパニアの継承権が潜在的にプロジャ王家のものとなれば、メロヴィグの危機意識を呼び起こさないわけがなかった。
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当然ながら、王位の誘いを受けたアルティック公がわは、イルパニアの招きがはらむ危険性にすぐ気づいた。
アルティック公はプロジャ王都ベルンドへ出向いて、本家の長であり国王であるエルンスト陛下にことのしだいを報告し、相談する。
エルンスト王は、君主という名誉ある地位への勧誘は喜ばしいことであり、神の思し召しであろうとしながらも、当事者の判断を尊重するとしてあえて干渉しなかった。そのいっぽうで、王家とアルティック公家を完全に分離し、継承権を廃して関係国の懸念を払拭しよう、という話に踏み込むこともなかった。
アルティック公は息子テオドールに王位受諾の意志があるか確認したが、イルパニアに行ったことがなく現地の言葉もわからない公子は、あまり乗り気でない様子だった。
プロジャに比べるとあきらかに「田舎」であるイルパニアの王さまになるより、年々発展していく地元に残って公爵位を継ぐほうが、お気楽で豊かな人生を送ってゆけるのはたしかだろう。
アルティック公にはテオドール以外にも子息が多くいる。長男を手放しても公爵家の継承に問題はなかったが、手塩にかけて育てた愛息を遠い異国へ送り出してまで「国王の父」という栄光を得るべきなのか、という点には公自身疑問があった。
なにせ、現時点で輝かしき新興大強国プロジャの王家に連なる一族なのだ。今後二代三代のあいだではないが、ゆくゆくはプロジャ王冠そのものが転がり込んでくるかもしれない。さらなる冒険が必要だろうか?
息子の意を受け、アルティック公はイルパニア議会へ断りの返書を出そうとしたのだが、そのタイミングで、とある大物が横からくちばしを突っ込んできた。
……その大物とは、だれあろうプロジャ王国宰相ディズマールである。
外交戦の天才ディズマールが、ここでイルパニア王位問題に干渉してくるとは、あまり穏やかな展開は想像できませんよねえ……。




