表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/103

命名の波紋


 お腹の赤ちゃんは男の子であろう。


 これまで四連続で性別予想が的中している皇宮お抱え産科医ヘリッシュ博士の見立てを信じて、わたしはエルディナントさまに命名のアイデアを伝えた。


 皇子ヴェンツェル――


 チェルキ語読みではヴァーツラフとなる。ベミエンの実質初代国王であり、チェルキ民族の守護聖人の名だ。


「皇子にベミエンゆかりの名をつけることで、彼らの独立志向を弱めようというわけだね。……だが、ファルツキやルーゲルは、わがアドラスブルク皇帝家に反対しているわけではない。むしろ彼らの望みは、プリグのベミエン政庁およびフィレンの中央政府という、二階建て権力の支配下から脱却し、皇帝の直臣として自決権を得ることだ。皇子の名ひとつで政治活動を沈静化させることができるだろうか」


 わたしの提案を聞いた陛下は、やや懐疑的なお顔でそうおっしゃった。


「ファルツキたちは表向き帝国の連邦化を唱えながら、実際には各領邦が真の同権を得たらとおらない、自分たちの優越的地位を認めさせようとしている、ということでしたよね。陛下にベミエン王として個別の戴冠を求めているのは、アジュールの先例につづこうとしているからではないでしょうか」


 さらにわたしが話をさきへ進めたことで、エルディナントさまの眼に理解のひらめきが灯った。

 ただし、十全の賛成ではない。


「わがアドラスブルクは、将来的に国王()()()()()()として皇子をベミエンに与える用意がある。ただしそれは、現皇帝エルディナントの代のうちではない……ということか」

「はい。わが帝国の連邦化は、いずれ避けられないことでしょう。ですが、今後10年20年の範囲ではない。つぎの世代、というのは落としどころだと思うのですけれども」

「セシィのその考えかた、革新的でありながらも急進主義からは距離を保った、良い方策であると、私個人としては称賛できる。……しかし、分割継承はアドラスブルク家法に反する。帝冠と各王冠は不可分のものだ。オストリヒテにはヨーゼフ、アジュールにはラースローネ、ベミエンにはヴェンツェル……というように、複数の君主を並び立たせるわけにはいかない」


 わたしの夫であり現実を知る政治家としてのエルディナントさまの心と、600年を閲した皇帝家の現当主としての陛下の心は、つねに重なり合っているわけではない。


 もはや形骸となっている建前や名目だからといって、()ててしまえばいいとは限らない。

 メロヴィグの旧王家は“神の代理人”という名目を放棄し、革命勢力と妥協を図った結果、断頭台の露と消えた。


 19年前の革命未遂のさい、ときの皇帝ハインリヒ陛下は自ら身を引いたけれど、アドラスブルク家は帝権を手放すことは断固として拒み、若きエルディナントさまが新帝として登極されるとともに、過激分子との武力対決を選んで帝国を守った。


 もし帝制廃止という弱気の選択をしていたら、エルディナントさまのお生命(いのち)も危うかっただろう。よくてプロジャかブライトノーツ、あるいはリュースへの亡命か。


 ……まあ、当時はすでに太后ゾラさまが重要な政策決定権を握っていたわけで、革命勢力に屈するだなんて敗北主義はありえないけれども。


 生まれもってのアドラスブルク家の人間よりもアドラスブルク魂を体現してきたゾラさまの息子として、エルディナント陛下は一族の伝統を重んじている。

 フィレンに君臨するひとりの皇帝では目配りしきれない現状があり、各邦国にアドラスブルクの血を()く者をおいたほうが統治しやすくなるというメリットは認められても、そう簡単にこれまでのやりかたを変えることはできない。


 そのあたりを陛下に納得していただくのは、たぶんわたしの役目だろう。


「アドラスブルクの家法は万年不変のものではありません。前世紀には女性継承にも道が開かれていますし、オストリヒテとイルパニアで王朝がわけられたように、分割継承にも前例はあります。それに、つぎの世代にアドラスブルクの代表としてアジュールやベミエンの統治にあたるのは、かならずしも()でなくともよいはずです。皇帝、君主はあくまでもヨーゼフひとり。ベミエン大公ヴァーツラフというかたちで、プリグに常駐させることもできるのではないでしょうか」


 エルディナントさまは、アドラスブルク家法の改定にまで踏み込んだわたしの話にも、不快そうなお顔はなさらなかった。穏やかな表情でうなずき、こう応じられる。


「セシィの意見はわかった。だが……家法や継承法をすぐに変えるというのは性急かな。ひとまずは、男の子が生まれたらヴェンツェルと名づけよう。うまくすれば、それだけで帝国内の波風は凪いでくれるだろう。ヨーゼフが成人するのもまだ10年以上先のことだ。ヴェンツェルが統治者として仕事をこなせるようになるころには、さらなる通信技術の進歩で、宮殿の一室にいながらして帝国内のあらゆる場所の状況が手に取るように把握できるようになって、わざわざ領邦首府に地方政庁を置く必要もなくなっているかもしれない」


 陛下がわたしの政治的進言に対して態度を保留するのはめずらしい。わたしはこれまでも外交や国内政治について提言を述べてきたけれど、帝国そのものやアドラスブルク家のありかたにまで口出ししたことは、ほとんどなかった。

 エルディナントさまの言いかたにトゲはなかったものの、やはり妻であっても踏み込み難い一線というのはあるみたい。


「そうですね。男の子が生まれる前提の話ですし、先走りすぎてもしかたありません」

「女の子でもかまわないさ、無事に生まれてくれさえすれば」


 わたしが話を切り上げると、エルはやさしく抱きしめてくれた。……ああ、しあわせだなあ。


 いまは政治のこととか考えすぎないようにして、元気な赤ちゃんを産むことに集中しなきゃね。


    +++++


 年が明けてからしばらく、ほぼ予定日どおりに、わたしはつやつやの玉のような赤ちゃんを産み落とした。名医へリッシュ博士の予言はまたも的中、男の子。


 五度めとなればさすがにかなり馴れたもので、あんまりしんどい思いをせずにすんなり出てきてもらうことができた。


 今回なにより助かったのは、臨月ということで、年初の皇宮最大行事に冒頭30分のみ出席して、あとは辞去できたことだった。いやあ、儀式サボれるって最高。

 ヨーゼフのときは出産から一週間しかたってないし手心あるよねと思ったら、太后(ゾラ)さまが許してくれなかったのよね。


 あとで聞いた話では、長女のゾラがたいそう立派にファーストレディ代行役を務めてくれたとか。……つぎも代わってもらえないかしら。


 大貴族さまがたが皇宮に詰めかけているさなかに陣痛がはじまっていたら、どえらい数の見物人に囲まれて、分娩室にいるのか見世物小屋にいるのかわからなくなっていたところだったけれど、さいわいお腹の赤ちゃんは、皇宮の人口密度が平常に戻るまで生まれてくるのを待ってくれた。


 生まれる前から空気読める良い子だなあ、ってママはまだ見ぬ第五子に早くもぞっこんラヴでありました。


 そんなふたりめの皇子の誕生に帝都フィレンは沸き返り、エルディナント陛下からすでに命名候補が決まっていると告げられた太后ゾラさまも、とくに反対することなく受け入れてくださった。


 こうしてつつがなくヴェンツェルと名づけられた、わたしたちの次男だったけれど、その命名が思いもよらない波紋をもたらす。


 ベミエンのチェルキ人よりも、ハーツィアのポリニカ人のあいだで大きな反響を呼び起こしたのだ。


 ヴェンツェルはチェルキ語読みだとヴァーツラフとなり、ご当地の英雄王であるということはすでにご紹介しましたが、ポリニカ語形だとヴァツワフとなり、やはり偉大な王の名となります。ベミエン・ポリニカ王を兼ねた大王も歴史上ふたり存在しています。


 定例の帝国領邦議会(政策決定権はない形式上の議会)のためにフィレン入りしたハーツィアのポリニカ人代表は、昨今ベミエンが提唱しているアドラスブルク帝国の連邦化に断固として反対する、と表明した。


 ハーツィアは帝国の各領邦の中で取り立てて大きくもなく、現状では中央政府の決定に対する拒否権も持っていない。

 ベミエンの主張に同調したほうが得るものが多いはずのハーツィアが、なぜ連邦化に反対したのか。アジュールやオストリヒテすら、ベミエンの活動を苦々しく思いつつも公式には態度を明確化させていない中で、なぜハーツィアがまっさきに声をあげたのか。そのきっかけが皇子の命名だったのはなぜか。


 ……またややこしいお話しになるので、次回にまわしましょう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ