公私幸福度反比例の法則?
アドラスブルク皇帝エルディナント・フランツはプリグへ行幸なさり、ベミエンの政治指導者ファルツキ、およびルーゲルを引見され、陛下自ら彼らの真意を問い質し、陳情をお聞きになった。
そこで具体的にどのような話し合いがされたのか、わたしは直接知ることができなかった。エルディナントさまはフィレンの守旧派たちの反対意見を押さえ、アジュール王妃としてのわたしに同行を許可してくださったのだけれど、わたしのほうがプリグへついていくわけにはいかなくなってしまったからだ。
しばらくぶりの妊娠が、わたしの足を縛ったのである。
……まあ、末っ子ラースローネが生まれてからも、非常時をのぞけばエルと毎晩睦み合っていたわけだし、子を授かって不思議なことはない。むしろずいぶんあいだが空いたものだ。
ただ、このタイミングでの懐妊は、運命の意地悪さというか、神のあまり好意的ではない御心を感じずにはいられなかった。
フィレンへお戻りになったエルディナントさまから、ファルツキたちは、近年のエトヴィラ統一やポリニカの民族運動に対するアドラスブルクの譲歩、アジュールへの高度な自治権の付与などを挙げて、ベミエンにも同じ聖恩をくだされたいと請願してきた、というお話しをうかがうことはできた。
ベミエンに帝国の一体性を損なう意図はなく、あくまでも穏健な政治運動なのだと彼らは強調したという。
陛下はその場での確答をなさらなかったのだが、ファルツキらは以後も主張を引っ込めなかった。ベミエンにとどまらず、アドラスブルク帝国内に連邦化を求める機運はじょじょに広まっていき、このままでは既得権を奪われると感づいた各地のデウチェ人の反発も否応なく高まって、きな臭い空気が漂いはじめていた。
民族問題に関知しない皇帝としての立場が、エルディナントさまにベミエンへ強い措置を講じることを躊躇させたのだ。
ベミエン潰しは、アジュールの王妃としてわたしがやるべき仕事だった。しかしわたしは、ほしいままに振る舞うことのできる女帝というわけではなく、臨月でも政務をこなしつづけたメレナ・テレーゼのごとき鋼鉄の肉体も持っていない。
アジュール政府首班であるアングレアム伯には、権限のグレーゾーンでベミエンの政治運動を妨害する準備があった。だがそれも、アジュール君主権の半分を持つわたしの許可なしでは実行できない。アジュールに認められている権限は、あくまでも領邦内に限定されている。帝国の他地域におよぶ治安活動を、首相の独断で発令するというわけにはいかなかった。
「私の首などどうでもいいことです。アドラスブルクのために、わがアジュールはいくらでも汚れ仕事をする覚悟があります」
懐妊中の王妃のご機嫌うかがい、という口実でフィレン皇宮の私房を訪ねてきたアングレアム伯はそういったけれど、非公式な話をするために伯と時間を合わせてわたしのお見舞いにいらしたエルディナントさまは、その捨て身の忠義を謝絶なさった。
「目先の動揺を鎮めるために貴兄を失うわけにはいかない。貴兄の首と引き換えにベミエンを抑えたところで、得られるのはほんの一時しのぎだけだ」
「アジュール人とチェルキ人、あるいはポリニカ人とルテヴィン人が争っているぶんには、帝国に真の危機は訪れないのです。ですがデウチェ人が動き出せばもう止められない。彼らはデウチェ統合のみを求め、諸民族のことは支配下に組み込むか、さもなくば放り出すでしょう」
「わかっている。だが、こちらがわのデウチェ人から催促されても、プロジャがすぐに動くことはない。ディズマールはまず南部同盟との合流を優先するだろう」
アングレアム伯は危機感のある口調だったが、陛下は、まだ時間の猶予がある、焦る必要はない、というお考えのようだ。
「……仮に連邦化を拒否されたベミエンが独走しようにも、帝国からの離脱を宣言すればリュースに攻め込まれる。ベミエン単独では防衛不可能でしょう。ファルツキとルーゲルも、対リュースにプロジャを引き込めないことは承知しているはずです」
大きくなってきたお腹をさすりながらわたしがそういうと、エルディナントさまとアングレアム伯は虚を突かれた貌でこちらを見た。
「セシィ……きみはやはり地上最高の戦略家だな。そうか、リュースが出てくるか」
「リュース、ルテヴィン、ポリニカ、そしてチェルキが太祖を同じくする民族グループだというのは、大デウチェ言説に対抗するべく、近年リュースの民族主義者が唱えていることですから。いますぐ、あるいは一両年中にベミエン独立が強行されたら、リュースは確実に動きます。ベミエンとリュース領ポリニカのあいだにはプロジャのトゥレナジェンがあるように見えますが、ディズマールはリュース遠征軍の絶対阻止には拘泥せず、見返りしだいで領内の通過を許可するでしょう」
その事態はわがアドラスブルクにとっても悪夢としか言いようがないのだが、帝国から見ると二割の領土をリュースに奪われることになるのに対し、ベミエンはすべてを失う。ファルツキらにとって、実行に移せる自爆戦略ではないはずだ。
そしてディズマールはプロジャ領への直接侵犯ならともかく、ベミエン狙いのリュースと全力で戦おうとはしない。トゥレナジェンを一時的にリュース軍の回廊とするだけなら、交渉で解決しようとするだろう。それは、以前にプリグ城の庭園で語っていた、彼の「あるべきデウチェ観」の話から推定できることだった。
「ベミエンに火遊びをさせておくというのは、あまりよい方策ではないように私には思えますが」
アングレアム伯は、ファルツキとルーゲルのことはまだ泳がせておけばいいという、わたしたち皇帝夫妻の考えにあまり賛成できないようだ。
「首相の懸念はわかる。だが、いまわがアドラスブルクが必要としているのは、ベミエン、ひいては帝国全体を締めつけることではなく、忠実なるアジュール民族と、その首班であるアングレアム伯、貴兄だ。実際に有事が起きたときに、首相がその椅子からいなくなっていたのでは意味がない。起きるかもしれない有事の芽を摘むために貴兄の首を犠牲にするというのは、予には見合った取引だとは思われない」
「皇帝陛下のもったいないお言葉、臣の胸に沁みます」
エルディナントさまに対し深く頭を垂れ、感動を表したアングレアム伯だったけれど、かならずしもセリフどおりではないかもしれない。
ベミエンを確実に潰してアドラスブルク帝国の連邦化を阻止し、皇帝直属の権威と武力を保持しつづけたい――それがアジュール首相としての、アングレアム伯の本音であろうから。
陛下は前回の会議で「国家全般の負担をどの領邦が引き受けるのかを決める前に分割だけを行えば、同じことの繰り返しになる。まず権限を求めるベミエンの主張を認めることはできない」とおっしゃっていた。
裏を返せば、ベミエンなり、ハーツィアなりが、向こうのほうからしかるべき責任を引き受けると表明してきたならば、皇帝政府として自治権を付与するのにやぶさかではない。
皇帝の寵を得ようと、諸民族が競い合って負担を申し出てくる――神聖帝国全盛期には、しばしば見られた光景だ。
もちろん、いまの時代にそんな夢みたいなことが起きると期待するほど、エルディナントさまの脳内にお花畑は広がっていない。
とはいえ「どうせわがアジュールのほかにアドラスブルク家の味方はいませんよね?」と、足もと見た指摘をしてくるアングレアム伯の言を、全面的に認めて権限を預けることもできないのだ。
皇帝の権威とアジュールの武力の一体化は強力な中央政府を生み出してくれるように思われるけれど、今度はデウチェ人の離反を招くことになる。
アドラスブルクを「諸民族のクズ籠」にして、単一民族国家大デウチェを実現させようというのは、デウチェ民族主義者が以前に試みかけたことだ。
皇帝家がアジュールに肩入れしすぎれば、ベミエンの連邦化政策の成就を座して待つまでもなく、早期にデウチェ人の叛乱とプロジャ介入を招いて、アドラスブルク帝国は崩壊してしまうだろう。
けっきょくアドラスブルクがその帝国を維持するためには、各有力民族のあいだで、ふた股どころではない複股をかけてバランスを取っていかなければならない。
その結果、めっちゃヨイショしているような感じになった陛下のお言葉だけれど、アングレアム伯も政治的駆け引きに関してはプロ中のプロだ、裏は読み取っているだろう。
「アングレアム伯、あせらなくてもだいじょうぶですよ。わたしが公務に復帰できたときに状況が改善していなかったら、伯の計画を実行しましょう。……それは、よろしいですよね、陛下?」
「アジュール王妃としてのセシィの判断に口は挟まないよ」
わたしの確認に、エルディナントさまははっきりとうなずかれた。アングレアム伯も、この場で自分の意思を押しとおすよりは、将来的な言質で満足すべきだと妥協したようだ。
「それでは、私はこのあたりで失礼いたします。セシーリア陛下、ぜひ元気な御子をお産みください。わがアジュールは、つねに両陛下の忠実な臣民であります」
「本日はお見舞いありがとうございました、アングレアム伯」
「アングレアム首相、今日は妻のためによくきてくれた。わが帝国にとって、貴兄とアジュールは今後も頼みの綱でありつづけるだろう」
「重ね重ね、両陛下よりあたたかきお言葉を賜りまして、欣快至極にございます。本日は御所への推参をお許しいただき、誠にありがとうございました」
アングレアム伯が辞去すると、エルディナントさまは皇帝としての顔からわたしの旦那さまの顔になって、ベッドの縁に腰かける。
エルの腕が伸びてきて、わたしの身をやさしく抱き寄せてくれた。
「きみは身重だというのに、仕事に巻き込んでしまってすまない」
「いえ、非公式とはいえ、アングレアム伯を交えて政策のお話しをする機会を作っていただけて、ありがたかったです」
「妃の懐妊を十全に喜ぶことができない私は、皇帝として失格だ。……きみの助言なしで、やっていく自信がない」
「わたしも……赤ちゃんができて嬉しくないわけないのに、どうせならあと二、三年早くきてもらいたかったなあ……って思っちゃうんですよね」
本音を言ってくれるエルがいとおしくて、わたしもついぶっちゃけてしまった。
エルはわたしのお腹に耳を当てて、赤ちゃんが身動きする音を聞いてから、いたわりよりすこし激しいキスをしてくれた。
……正直ムラムラしました。ああもう、するわけにはいかないのがもどかしい。たぶん、エルも同じ気持ちだっただろう。
帝妃として一番の務めは次世代の皇族をひとりでも多く産むこと。それはわかっているけれど。
公私ともにジレンマを感じる五度めの妊娠だった。
皇帝夫妻に5人めの子供ができたりと、いよいよ地球史との乖離幅が広がってきました。これからが真の本番です。
…書ける時間が少なすぎておふ●っきゅー!ってなってるのは作者自身なんですよねえ。




