過日の因縁
ベミエンとデウチェのあいだには、歴史的に根深い反目がある。
ひとまとまりの領邦国家としては、ベミエンのほうがデウチェよりも先達であった。
デウチェの諸部族が同盟したり分裂したりしているうちに、山に囲まれたおおむねひし形の土地であるベミエンは、ひとつの王冠のもとにまとまっていた。ただし、その王位は世襲ではなく選挙制であり、権力は無制限ではなかった。
デウチェのほうはけっきょく、各大領主が主権を手放さないまま、神聖帝国というゆるい連合体となる。
選挙王候補を輩出する数家の有力貴族が、婚姻政策によってアドラスブルクをふくむいくつかのデウチェ君侯と縁を結んだベミエンも、選帝会議での投票権を得ることと引き換えに、帝国の一邦国となった。
そのときから、皇帝選挙の一票という特権を持った帝国の外部ゲストの地位を保とうとするベミエンがわと、完全に併呑して同化しようとするデウチェがわの相克がはじまることになる。
10世代を越えてつづいた争いは二世紀前の宗派間大戦で頂点に達し、敗れたベミエンは独立性を奪われてしまう。ベミエン王冠領はアドラスブルク家の世襲資産となり、選帝会議で自分自身に一票を加えることができるようになって、アドラスブルクによる神聖皇帝位独占は確固たるものとなった。実際、この時期以降、対抗帝冠請求者の立候補もなくなり、選帝会議においてアドラスブルク家以外の人間の名が読み上げられることは絶える。
ただし、デウチェがわが目論んでいたベミエン同化政策は、激しさを増しながら拡大をつづける戦火の中、永久に棚上げとなった。
土着豪族は、デウチェ人やエトヴィラ人などの新貴族に置き換えられたが、住民の大規模な入れ替えは執行されずじまいとなる。
当時は、3000キロ彼方の辺境に民衆を強制移動させる鉄道も、大洋の向こうの新大陸に追放する蒸気船もなかったわけで、仮に神聖帝国が万全なままでも、ベミエンの完全なデウチェ化は不可能であっただろうけれど。
ベミエンこそ折れたが、宗派間大戦そのものは改革派の勝利に終わり、以後アドラスブルクは「死んだ帝国」の名ばかり皇帝を代々受け継いでいくことになるのだった。
……死した帝国が漂うまま時代はすぎ、今世紀に入ってから、初代バルトポルテが「死んで棺に収められていたが、埋葬だけされていなかった」神聖帝国を正式に墓へと埋める。その後ほどなくして、バルトポルテの大帝国もまた、うたかたの夢と消えた。
取り戻された旧世界は、慎重に考えられた勢力均衡原理によって細分化される。
ベミエンは、バルトポルテの傀儡ヴァルソア公国解体後に再度列強に分割されてしまったポリニカとは違い、国土の一体性を保った。しかし、もとの領主アドラスブルクへ返還され、民族自治を許されることはなかった。
これは、分割独立となったことで、ひとつひとつの国で見ると勢力としてベミエンに劣後するようになったデウチェ諸邦が、強大な異民族国家ベミエンとの隣接を嫌ったからであり、アドラスブルクも当然ながらできるだけ多くの領地を回収しようとしたからである。
そしていま、ベミエンには、主に都市部で商工業や行政事務に携わっているデウチェ人と、ほとんどが農民ないし低賃金の工場労働者であるチェルキ人が住んでいる。
ベミエンに古くからいるのはチェルキ人のほうであり、人口比では彼らが多数派だ。ポリニカ人など、さらに数がすくない住民もいるが、とりあえずベミエンに関しては、デウチェ人とチェルキ人の確執と考えて差し支えない。
……ないはずなんだけれど。
「ベミエンの指導者って、だれなんですか? アングレアム伯やマイラー伯のような立場の人」
わたしが訊ねてみると、答えてくれたのはエクセルハーディ伯爵だった。
「政治運動の先頭に立っているのは、ファルツキとルーゲルですな。どちらも新貴族であって、先祖代々のチェルキ人というわけではありません」
蜿々16代に渡って遡ることのできる家系図を誇る帝国貴族の感覚だと「先祖代々というわけではない」あつかいされるが、ベミエンがアドラスブルクの世襲領となり、叛乱チェルキ土豪貴族を廃し帝室に忠実な者たちをあらたな領主貴族として移入させてから、ざっと250年たっている。ルーツがデウチェ人、あるいはエトヴィラやポリニカ、アジュール人であっても、充分ベミエンの習俗に溶け込む歳月だ。
「ファルツキにしろルーゲルにしろ、かつて叛徒の征伐で功績を挙げ、わがアドラスブルクが叙爵した者の末裔だ。時が流れるにつれ帝室の藩屏としての意識が薄まり、ベミエン自治の権利を求めるというならまだわかる。なぜ連邦化なのだ」
そうおっしゃったエルディナント陛下へ、アングレアム伯は肩をすくめてみせる。
「税逃れがしたいのですよ、端的には」
「……浅はかすぎませんか? アジュールがフィレン政府と協議して、帝国全体のための拠出金を負担し、軍務も引き受けていることを、ベミエンの責任ある立場の人たちが知らないわけはありませんよね」
わたしはあきれ声をあげることになった。ベミエンのファルツキたちは、まさかアジュールが対価の支払いなしでオストリヒテと同等の立場を得たとでも思っているのだろうか。
「ベミエンは、プロジャとの国境地帯だという自分らの立地を高く売りつけることができると考えているようです。たしかに重要ですが、それだけでベミエンが帝国の各地域の中で特権的地位に昇れると目論んでいるのなら、甘い見込みだ。ただ、彼らはベミエン単独で、フィレン中央政府と対等な交渉を進めるのは難しいとわかっている。それだけに厄介です。連邦化の機運を帝国全土に広めてもらうわけにはいかない」
アングレアム伯は、ベミエン指導者たちが描いている戦略図を知っているようだ。アジュールの首相として、そう簡単に帝国内のほかの領邦と肩を並べられるわけにはいかない。ライバルになりうる諸民族、他地域の動静は常日頃からチェックしているのだろう。
「悪いのは連邦化そのものではありません。帝国の各地域が、アジュールと同じように高度な自治権を獲得するならば、それぞれの内部においてデウチェ人は実権を失う。おそらくファルツキとルーゲルの計画には、ベミエンの主導権をチェルキ人が握ることはふくまれているでしょう。……ですが、ほかの地域に火種をバラまくことになると意識はしていない」
マイラー伯が、みな嫌な予感として頭に浮かんではいたが口には出していなかったことを、はっきりとした言葉に変えた。
ベミエンの主張は、表面的には正当だ。フィレン政府が単純に規制・弾圧するのは道理に適わない。アドラスブルク帝国として、ポリニカの民族自決に理解をしめし、バルトポルテ三世と協調してリュースの野心をくじき、プロジャの東方拡大政策に釘を刺したのはほんの数年前の話である。
視点の角度を変えて、エルディナント陛下が質疑をつづけた。
「仮にベミエンが、アジュールと同様に賦課金と兵役の割り振りを受け入れて自治権を得る場合、どのていどを担うことになるのだ?」
「経済規模から見て、帝国予算の二割というところでしょう。アジュールの現在の負担率は三割です。軍役としては、平時に二個師団、戦時はその三倍というところかと」
エルディナントさまの下問に、エクセルハーディ伯が答える。そこへ、アングレアム伯がベミエンの皮算用をつけ足した。
「税金については、ベミエンはプロジャとの貿易に関税をかける権利を自分たちのものにして自腹を傷めないようにするつもりです。兵役についても、さきのプロジャとの戦争を引き合いに出して、被害担当地域なのだから人的拠出は国境から離れた内地が負担すべきだと主張しますよ」
「そのわがまま、実際に連邦議会が招集されたら、ほかの地域の代表は残らず反対にまわりますよね」
わたしにはやっぱりあきれることしかできない。まず自ら負担を引き受けると表明したアジュールに比べて、ベミエンの態度はあまりに自分本位ではなかろうか。
……いや、ファルツキやルーゲルから直接話を聞いたわけじゃないから、ベミエンが自己中だと断定するのは早合点かもしれない。アングレアム伯の立場からすれば、ファルツキらは競争相手なわけだし。
「王妃陛下がおおせられるとおり、ベミエンの運動は矛盾を抱えています。彼らの主張する連邦制度が達成されるとき、彼らの目的は否決される。連邦制移行は帝国政府に対する揺さぶりでしかなく、個別に特権を確保したいというのが彼らの本音です。ですが、マイラー伯が危惧しているように、脅しとしては成立している。放置しておくわけにはいきません」
アングレアム伯は要するに、いまのうちにベミエンを潰せと皇帝陛下へ教唆している。
真に帝国を案じる気持ちのゆえか、アジュールの首相として自邦の優越的地位を守るためなのかはわからない。
ただ……ここで陛下が動かれるなら、ファルツキやルーゲルを引見なさるだろう。アングレアム伯は不当な讒言をしているのではなく、彼らに分不相応な野心ありと確信があるのか。
はたして、エルディナントさまはやはりこうおっしゃった。
「予がプリグへ行く。エクセルハーディ伯、ファルツキとルーゲルをプリグ城に招喚できるか」
「手配いたします」
エルディナントさまが、ファルツキとルーゲルに直接会うためのセッティングをするようエクセルハーディ伯へ指示されるのを聞いても、アングレアム伯の貌に焦りや不満の色はない。
ベミエン指導者たちが陛下と直談判することになっても、都合が悪いとは思っていないようだ。
ファルツキとルーゲルは単なるエゴイストなのか、それとも、ベミエンもアジュールのように帝国を支える柱になれるのだと売り込みをかけて、その引き換えに自治権を欲しているのか。
エルディナントさまが直接お質しなさるのであれば、ファルツキたちの腹蔵によからぬ思惑があったとしても、底の浅い計略に引っかかったりはしないと思うけれど……。




