懐かしい顔、はじめての顔
船の甲板と岸壁のあいだに桟橋がかけられ、わたしたちはテセジア島へ上陸をはたした。
わたしはマックスの背を押して、うながす。まっさきに再会するべきなのは、この父子だ。エルディナントさまも、振り返ったマックスにさきへ行くようにと、うなずいた。
マックスはレヒトハイネン男爵夫人から生後七ヶ月になった妹を引き取り、たいせつにたいせつに胸に抱きながら父の前へと進んでいく。
南国の陽光でオリーブ色に灼けた膚、短く刈り込まれた金色の髪に、ほおからあごまで連なっているやはり金色のヒゲ――メルヒオールさまの精悍な貌には、もはや苦労知らずの王侯の次男坊といった面影はひと欠片もない。
「マクシミリアン、しばらくぶりだな。大きくなった」
「父上……いもうとのイザベラです、だいてあげてください」
息子の腕からはじめて顔を見る娘を抱き取り、メルヒオールさまはいとおしげに語りかける。
「イザベラ、わが娘よ」
ちいさなイザベラは人見知りしないほうだ。父との初対面だとわかっているのかいないのか、まんまるに目を開いてメルヒオールさまをただただ見返す。
娘を右腕で抱いたまま、メルヒオールさまは左手を伸ばしてマックスも引き寄せた。
我慢の堰が切れて、マックスは父へすがりつく。
「父上! 母上は……ぼくにはなにもできませんでした。かなしかった、さみしかった!」
「今日まで、よくひとりでがんばったなマックス。そばにいてやることができなくて、本当にすまなかった」
メルヒオールさまは愛する妻の最期を看取ることができなかった。その無念を表に出すことはなく、遺された子供たちを慈愛の念を込めて抱きしめる。
周囲のゼクフィコ帝国関係者から、すすり泣きが漏れる。わたしも涙が流れるのを抑えられなかった。
エルディナントさまがわたしの肩を抱いて引き寄せ、絹のハンカチで目もとを拭ってくれる。
父子の抱擁がすんだところで、エルディナントさまが弟ぎみのほうへと進み出た。わたしも陛下のとなりに並んで、メルヒオールさまからイザベラ皇女を預かる。
兄弟は互いの背に腕をまわし、熱くいだき合った。
「よくぞ無事に戻った、メルヒオール」
「わが力およばず、ゼクフィコに安寧をもたらすことができませんでした。アドラスブルクの名折れです」
「おまえは為しうるかぎりのすべてを尽くしたよ。恥じることはない、胸を張っていい」
わたしはまた目から涙があふれ出してしまった。イザベラを抱っこしているので、拭き取ることができない。
ゼクフィコとオストリヒテの従者たちが「アドラスブルク万歳」と唱和し、皇帝兄弟の再会を言祝ぐ。
つづいてメロヴィグ財務卿ヴァリュー(メルヒオールさまに借金を被せたオルソンの後任)たち、バルトポルテ政府の関係者がメルヒオールもと陛下にあいさつする。
アドラスブルク皇帝であるエルディナントさまのもとには、アルカディア自治政庁のテセジア島駐在官らが表敬にやってきた。
……いつまでも港で立ち話というわけにもいかないので、メルヒオールさまが滞在している島のホテルに移動することになった。
細かい法的な話や、具体的財務処理については大陸へ戻ってからが本番になるとしても、今日は夜晩くまで話し合いがつづくだろう。
アルカディア諸島は別名「花の島」と呼ばれていて、各島の随所に花があふれている。
石造りのレトロな感じのホテルの建物の周囲にも、まだ花はついていないけれど、大陸本土では見かけない種類の植栽が生け垣になっていた。
衛兵役をしている立ち番の中から、わたしはようやく探していた顔を見つけることができた。
「ノルジードラ大尉、お疲れさまでした。無理を聞いてもらってほんとうにありがとうございます」
「いえ、アドラスブルク家に仕えるものとして、当然の務めです」
ポリニカ槍騎兵の赤い軍装から、アジュール騎士の黒チョッキに青い肩帯姿へ戻っている大尉は、折り目正しい敬礼で応えてくれた。
エルディナントさまもやってきて、極秘任務をやり遂げた大尉をねぎらう。
「貴官をビュラ宮つきの近衛連隊に配属するつもりだったのだが、『特務のため軍籍留置のまま原隊離脱中』と言われて、どういうことなのかと思っていた。……まさか、ゼクフィコまで渡っていたとは。貴官は弟の生命の恩人だ。どれだけ感謝をしても足りることはない」
「もったいないお言葉です。陛下のご許可を得ないままアジュールを離れたこと、本来であれば重罪に値します。原隊復帰以上を望むつもりはございません」
「なにを言うか。アドラスブルクの器を問われることだ、大恩ある貴官に報奨なしというわけにはいかぬ。そもそも貴官は、罪に問われるようなことなどしていない。王妃はアジュールにおいて、予と同等の君主権がある。その命にしたがった貴官の行動は、すべてアジュール王国の法に則ったものだ、帝国法はおよばない」
陛下が述べられたことは、全体としてのアドラスブルク帝国と、オストリヒテ=アジュール二重帝国体制の特異性である。
アジュールは帝国の一部であるが帝国の隷下にはなく、アジュール王国の臣民であり軍人たるノルジードラ大尉は、すべての作戦行動について、事前に皇帝であるエルディナントさまへ通知し、裁可を得なければならないわけではない。
わたしの脱法行為に対する、陛下としてのフォローでもある。大尉をゼクフィコへ送り込んだのは、アジュール王妃として権能の範囲内だということ。……ギリギリですが。
「騎兵大尉ノルジードラ、本日ただいまをもってエルディナント陛下の指揮下へ復帰します。ご下知を」
アジュール王としてのエルディナントさまへあらためて敬意を表するノルジードラ大尉へ、陛下は有無を言わせぬ口調で告げる。
「アジュール王国軍北ホロッケー旅団第二ガラント連隊所属ノルジードラ騎兵大尉、貴官の現所属を解き、近衛大佐としてビュラ勤務を命じる」
「イエッサー」
皇帝陛下には無断の、お伝えするわけにはいかない作戦であり、報奨の保証はできない、という話に迷いなくうなずいてくれたノルジードラ大尉の忠誠に、エルディナントさまはしかるべき対価を与えてくださった。よかった。
それにしても陛下、めちゃくちゃ記憶力良いですね。ノルジードラ大尉あらため大佐の所属連隊とか、わたし憶えてませんでしたよ。
大佐の案内で、メルヒオールさま救出作戦に従事してくれたもとポリニカ義勇兵たちのところも順ぐりにまわって、陛下は彼らの希望する報酬を約束された。
軍務をつづけたいという者にはアジュールでの軍籍を、シャバでの仕事に戻りたいという人には希望する地域での地所を、再度新大陸で己の運命を試したいという冒険家には現金で支払う。
……ホテル内で警備をしていたポリニカ精鋭最後のひとりと話をしたところで、ちょうどメルヒオールさまが臨時会議室になっている食堂から出ていらした。
「肩の荷が下りるには、もうしばらくかかりそうです」
「さきにゼクフィコから手を引いたのはメロヴィグだ。向こうの請求に耳を貸す必要はないぞ」
交渉はつねにギブ・アンド・テイク、ゼクフィコ帝国を見捨てたメロヴィグになにかを支払う義理はない、と、国際政治の荒波を渡ってきた先達として弟へ助言するエルディナントさまに対し、メルヒオールさまは穏やかな顔でかぶりを振った。
「メロヴィグ派遣軍も多くの血を流しました。義務はなくとも、道義的負債はなお残っています」
「メルヒオール、ゼクフィコ皇帝でなくなったおまえは、オストリヒテ大公として、アドラスブルクの皇弟として、以前の権利をすべて回復している。……だが、それ以上ではない。ゼクフィコ帝国の主でいることが前提だった借財は、返しきれないぞ」
「わかっています。オストリヒテの、アドラスブルク帝国の臣民に負担がかかるようなことにはしません」
身内の情を国家の大事に優先させてはならないのが君侯の習い――船に乗る前、マックスへエルディナントさまが伝えていたことだ。
メルヒオールさまは、このさきフィレンから受け取るオストリヒテ大公としての歳費のほとんどを、ゼクフィコ帝国債の利払いに割くおつもりなのだろうか。旧総督政府時代のツケであって、メルヒオールさまの借金ではないのに。
せっかくの再会そうそうにお金の心配をしてばかりなのもアレなので、わたしは話題を変えることにした。
「メルヒオールさま、マックスやイザベラとごいっしょに、ペリムで万博見物をなさるのはいかがですか?」
「それもいいな。なかなか見どころがあるぞ。マックスは今後、アドラスブルクのみならずバルディウムの王室にも連なることになる。将来に備えて見聞を広める良い機会だ」
エルディナントさまもそうおっしゃったけれど、
「子供たちをお願いできますか、義姉上、兄上。私はできるだけ早く、トライエットへ戻りたいのです」
と、メルヒオールさまが述べられたことで、彼は万博で物見遊山気分になれないのだと、わたしたちも思い出した。
「……そうですね。イザベラさまに早くお会いしたいですよね」
「おまえが無事帰ってくれたことで、浮かれすぎていたな。すまん」
「いえ、イザベラのことについては、感謝するばかりです。もしゼクフィコで出産となっていたら、娘すら生まれてくることができなかったでしょう。私の心だけの問題です、兄上、義姉上を責めるつもりなど毛頭ありません」
そこで一度メルヒオールさまは会議の席へ戻られたが、積もる話は尽きず、メロヴィグがわと今後の交渉についてたたき台をまとめた(本交渉はペリムのバルトポルテ三世とのあいだで詰めることになる)あとも、エルディナントさまたちは、夜更けすぎまで兄弟の時間をすごされていた。
国破れ、最愛の伴侶を喪っても、一命さえあれば人生はつづく。
アルカディア諸島のモチーフはアゾレス諸島です。現在のアゾレス諸島では、ほぼ全域に広がっているアジサイが名物となっているそうですが、アジサイは日本始めとする極東原産の植物なので、作中の想定年代である19世紀後半だと、まだ持ち込まれる直前、あるいは最初の苗木が植えられたばかりで、大きく広がる前だと思います。ホテルの周囲の生け垣がアジサイ、という想定です。




