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皇帝の妻=太后のしもべ(この「=」を「≠」に変えたい)


 初孫ということもあり、ゾラさまのわたしに対する()()()はいくぶん柔らかくなった。


 ダンスや、立ったり座ったり歩きかたのレッスンは、当然中断。わたしのほうの趣味である、乗馬やフェンシングもできなくなってしまったのはいささか残念だけれど、これは仕方ない。


 わたしは身体をいたわり静かにすごす時間が増えたけれど、エルディナント陛下やゾラさまがお忙しいのは変わらない。

 空き時間を有効活用するには、ゾラさまの息がたっぷりとかかっている女官長エクセルハーディ伯爵夫人たち女看守(ドラゴン)だけでは、手も教養も足りないので、わたしが実家で急ごしらえの帝妃教育を受けていたころの講師や、その弟子が皇宮門の通行証を交付されて顔を見せるようになった。


 父フリードリヒのサロンに出入りしていた知識人や論客たち、皇宮の守旧派からすれば異端者だ。

 わたしにとっては、フィレンにやってきてからこのかた、ずっと監視の目に囲まれ、よくわからないメロヴィグ語で皮肉と嫌味を言われつづけてきた中、ひさしぶりに旧知の人たちと慣れ親しんだ言葉で語り合うことのできる時間になった。


 もちろん、わたしが外部からやってきた講師からレッスンを受けているあいだも、太后ゾラさまの目と耳を務める女官たちはずっと見張っている。だが、進歩派知識人たちは、街角や市中のカフェで、叛乱分子を疑う官憲からマークをずっと受けているので馴れっこだ。

 女官たちに秘密警察の鋭さを期待するのは無理難題というもので、事実上わたしの監視網の一部はザルと化した。


 歴史や神学の復習と、以前は時間切れで取りかかれなかった範囲の勉強をしつつ、合間の雑談でヴァリアシュテルンの思い出話や、現状について語を交わす。

 父フリードリヒは結婚式にお義理で出席して以降、やっぱりフィレンに近寄ろうとしないのだけれど、いくらかの言伝ては講師たちの口を介して届けてくれた。

 そんな話の中で、わたしは婚礼の儀のパレードのさいに感じた疑問の答えを知ることになった。


 どうして、沿道の民衆から「皇帝陛下万歳」よりも「帝妃殿下万歳」という声のほうが多くあがっていたのか。


 進取派の面々が、いささか盛ったわたしの前評判を、民衆のあいだに流布していたのだ。


 いわく――


「新帝妃セシーリアはアドラスブルクの旧弊を吹き払うためにやってきた」

「セシィは弱者と少数派の理解者である」

「セシィはいずれ帝国のかたちを変えるだろう」


 ……なんというか、過大評価だし面映い。


 でも、父と理想を共有する人たちが、わたしのためにささやかなキャンペーンを張ってくれていたことは、ありがたく感じた。

 そして、民衆はアドラスブルクの変化へ期待を寄せている。


 皇宮の外には、わたしの味方がいる――このことは、ずっと孤立しているとばかり思っていたわたしの心を、ずいぶんと勇気づけてくれた。


    +++++


 わたしの、そして皇帝エルディナント・フランツの第一子は女の子だった。

 会心の結果、とはいかなかったけれど、帝妃として最低限の役目は果たせたといえよう。


 わたしの懐妊を受けて婚活を再開した姉のシャルロッテが、タルシス・ヴェルタ侯の跡継ぎゲオルクどのとの婚約を決めた、といううれしい報せを聞くこともできた。

 もっとも、婚約だけで正式な結婚は期日未定の保留。これは、最悪の事態が連続した場合、シャルロッテお姉さまがいまだにエルディナント陛下の帝妃候補として、保険の計算に入れられているということを意味するだろう。


 初産の疲れでわたしがベッドで横になっているあいだに、ゾラさまはあらかじめ準備していた手ぎわのよさで、彼女にとっては初孫となる皇女の身辺を固めていった。


 エルディナントさまとわたしはずっと名前の候補を考えていたのに、ゾラさまは独断で名前まで決めてしまった。

 わたしにはひと言の相談もなく。エルディナントさまには、決定事項の最終確認、というかたちで通告はあったそうだ。


 ……皇帝陛下なんだし、そこで頑として撥ねつければ、さすがにゾラさまでもそのままゴリ押しはしなかったと思うんだけど、なあ。


 わたしは立ち会えずじまいの洗礼式とともに、娘の名前は確定してしまった。

 皇女ゾラ――そう、太后殿下は初孫に自分と同じ名を与えたのだ。


 無神経だと腹を立てるべきなのか、支配力を誇示していると怖気をふるうべきなのか。


 とまれ、なにごとにおいても主導権を譲らないゾラさまの用意周到さを、ひとりめの女の子で確認できたのは、ある意味ではわたしにもまだツキのかけらが残っているといえよう。


 出産という女の大仕事をこなせば、どうがんばっても丸一日は動けない。自らも経験ずみでそのことをわかっているゾラさまは、だからこそわたしがベッドの上にいるうちにすべてを差配した。


 つぎは男の子を産もう。その子は、アドラスブルク帝室の子として太后殿下にゆだねるのではなく、わたしとエルディナントさまの子として育てるのだ。


 ……それでもひとつだけ、わたしはゾラさまの決定に異を唱えた。もちろん、面と向かってではなく、エルディナント・フランツ陛下にそれとなく伝えることで。


 新皇女ゾラの乳母として太后ゾラさまが選んだのは、マルティナという男爵夫人だった。彼女の夫はレヒトハイネン大佐なる軍人で、貴族の三男坊であったが、戦功によって実家の継承ではなく、あらたな門地を()てることを認められ男爵となっている。一時期、皇太子時代のエルディナント少尉の上官でもあったという人だ。


 問題は、レヒトハイネン夫妻は子に恵まれず、男爵夫人マルティナには子育ての経験がないことだった。


 もちろん、お乳の出る女性は複数人、別途確保されている。とはいえ……。


「陛下、アドラスブルクの皇女は、勲章ではございません。レヒトハイネン大佐の功績と忠節に報いたいという、太后殿下のお気持ちは理解できますが」

「帝妃の意見、よくわかった。……母も無神経だな、子育てがどれだけ大変か、知らぬわけではなかろうに」


 どうやらかつての上官どののプライベートについては知らなかったようで、エルディナントさまは眉をひそめながらもため息をおつきになった。せっかくの新貴族称号が一代かぎりで潰えることになりそうな、レヒトハイネン大佐の不運を思いやられたのか。


 もっとも、王侯貴族というのは、自分の手では子育てしないものだ。ゾラさまも、産みの苦しみこそ身をもってわかってはいるが、昼夜問わず緊張を強いられ、おちおち眠ることすらできない乳幼児お世話の修羅場に対する認識は甘いのかもしれない。

 まあ、わたしもつい先日にひとりめ産んだばかりで、耳学問以上のことは知りませんけれども。


 エルディナントさまはすぐに動いてくださった。世界に冠たるアドラスブルクの新皇女の乳母役を務めるのが、子供を持たぬ女性――というのは、あらためて指摘してみれば、やはり異様さが際立つ。


 ゾラさまも意外にすんなりと陛下のご懸念(わたしがこっそりささやいたのだと、たぶん気がついただろう)にうなずき、レヒトハイネン男爵夫人は名誉的な()()()として、実務には携わらず、養育係りたちの人事権も持たないことになった。

 当然というか、ゾラさまとて、最初からレヒトハイネン男爵夫人ひとりに任せるつもりがあったわけもなく、豊富な人員が用意されていたからあっさり話が進んだのである。


 それでも、男爵夫人マルティナが、手のみならず口も出さないようにすることは、わたしにとって重要だった。個人の好き嫌いで、乳の出が良い乳母とか、あやすのが上手な乳母がクビにされるような事態は避けたい。

 そして、子供好きで子供から好かれる女性というのは、たいがいの場合において()()()ではなく、やんごとない人々からは嫌われやすい、というのがわたしの実感だった。


 望みのときに会うことすら叶わないわが子なれど、尽くせる範囲で手は尽くした。


 馬丁や羊飼いの子供たちといっしょに育ち、ときどき遊び友だちについて行って領民のあばら家にあがり込み、干からびた黒パンと豆スープだけの食事をしていた自分の幼少期を顧みて、まったくわがウィンシュテンシュア・ゴットハウゼン家は、貴族として異端もいいところだったのだな、とわたしは感慨をあらたにしていた。


 なるほど、土の匂いなど一切しない皇宮の生活を規範とする人たちからすれば「浮浪貴族(ルンペンクラット)」と呼びたくもなるか。


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