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私情と国益のジレンマ


 わたしに結婚を(すす)められてからのフィクトールは、急に心ここにあらずみたいな様子になって、会話がどうにも噛み合わなくなってしまった。


 そこへ戻ってきたエルとゾラたちが、大温室のバニラとしぼりたてミルクのソフトクリームが美味しかったけれど、溶けてしまうから運んでこられない、と教えてくれて、ラースローネが「いますぐいく!」と目の色を変えた。


「……それでは、私はこのあたりで。奥さまと久闊を叙する機会をいただきまして、ありがとうございました、ベルナードどの」


 カフェの代金を支払って、フィクトールがエルに会釈した。


「オーギュスタン男爵閣下とうちの妻は同郷でしたね。積もる話ができたならよかった。会期中にまたお会いすることもあるでしょう、そのときは、建築関連のほかにも展示を見てまわりませんか」

「そのさいには、ぜひ」


 君主業の先達として、王侯の視点で万博をどのように見ればいいのか教えてあげられると示唆したエルに対し、フィクトールはあいまいにうなずいただけで、なぜか船着き場のほうへと歩き去っていく。ヤンクルー島の、各国田舎風パビリオンを見にきたんじゃなかったの?


 エルも首をかしげて、わたしに訊いてきた。


「彼はいったい、どうしたんだい?」

「……ちょっと小言いいすぎたかも。子供のころからあんまりにも変わってなさすぎて」


 じっくり話すのは15年ぶりだったけれど、わたしはアドラスブルクの帝妃で、フィクトールはヴァリアシュテルンの王子だったわけだから、これまでも年に一度かそこらは儀式で顔を合わすことがあったのだ。

 ヴァリアシュテルン新王の即位式は、プロジャとの戦後処理のごたごたと、イザベラ妃のことがあったために、エルとわたしは直接参列できなくて、公使を派遣するにとどまっていたが。


 儀式のときに見かけるフィクトールは、なかなかの王子さまっぷりで、立派になったなと思っていたのに、15年のあいだ中身はまったく進歩していなかったとは。


 フィクトールの背中を見送っていたエルとわたしを、ラースローネが慌ただしげな声で急す。


「パパ、ママ、はやく。ソフトクリームたべるの」

「はいはい、ごめんラジィ。いこうか」


    +++++


 従弟と思わぬ遭遇をしたその夜に、今度はメロヴィグ帝妃であるルティアーナさまから、わたしに個人的な呼び出しがかかった。いずれ公式な饗応ではなく私的な席に招かれるだろうと、予想していた範囲のことではある。


 エルディナントさまに、ルティアーナ妃からお招きされたと伝えると、


「私も、近いうちに個人として会おうとバルトポルテに言われている。セシィの判断に任せるけれど、まあ、()()()()()


 と言って送り出してくださった。


 ルーニア宮からエテメナー宮までは、馬車で10分かからない。余人無用、ふたりだけで、という指定にしたがって、エントランスに侍従を待たせ、帝妃陛下の私室へ案内してもらうと、ほんとうに侍女のひとりすらいなかった。


 正装ではない、最近になって中産階級向けにペリムの百貨店(グラン・マガザン)が売り出しはじめた、既製服(レディ・トゥ・ウェア)のナイトドレスでわたしを迎えたルティアーナ妃は、バルディウムのものだというワインを開けた。


「イザベラが好きだったのよ、これ」

「あ、一度イザベラさまからごちそうになったことあります」


 メロヴィグ帝妃手ずからの酌を受けて、こちらからもお返しし、共通の友人であったイザベラ妃を偲んでグラスをかたむけた。


「良い子から順に死んじゃう。哀しいわ」

「悪い子どうし、しぶとく生きましょう、アナさま」


 ボトル一本が空になるまで、差しつ差されつ、けっこうなペースで飲んだ。


 干したグラスをテーブルにおいて、ルティアーナ妃が差し向かいからわたしのとなりへ席を移す。


「悪い子として、あなたにおねがいがあるの、セシィ」


 そういうルティアーナ妃は、酔っているように見せて眼は完全にシラフだ。


「わたしも悪い子ですから、アナさまのご希望にそえるとはかぎらないですけれど……なんでしょうか?」

「わたくしたちの帝国は、風前の灯よ。ことによってはゼクフィコよりもさきに崩壊しちゃうかも」

「ゼクフィコの件でアナさまやバルトポルテ陛下を責めるつもりは、イザベラさまにもありませんでしたよ。国内を早く固めて、メルヒール陛下への支援を再開なさってください。それがイザベラさまのお望みでもあります」

「そのためには、セシィ、あなたたちの帝国とわがメロヴィグ帝国のあいだの、揺るぎない友情が不可欠だわ」


 ……はい、このお話ですよね。わかってました。とりあえず、すっとぼけますけれども。


「わがアドラスブルクは、ボルヴァナト帝国の忠実な友人でありますし、これからもそうですよ」

「あなたやエルディナント陛下の心を疑うつもりはないわ。具体的なカタチが必要なの」

「……と、おっしゃいますと?」

「うちのアンリはもうじき11歳になるわ。そろそろ、婚約者を決めても早すぎるというほどじゃない。あなたたちのお姫さまも、考えるべき時期がきているわよね?」


 ルティアーナ妃は単刀直入に用件へ切り込んできた。わたしがはぐらかそうとしているのに気がついているからか。


「ゾラはまもなく12になります。テレーゼは秋に10歳です。(とし)としては、たしかにアンリ殿下と釣り合っていると存じますが、ボルヴァナト家の殿がたというのは、男盛りを特定の女性に縛られないことで英気が高まっているように思えますけれど」


 わたしがそういうと、ルティアーナ妃は不機嫌げに柳眉を逆立てた。


「それがよくないのよ。英雄色を好むなんて、それらしい言い訳を並べ立てて、初代も三世も、不実な女遊びばかり。フィレンの皇宮に閉じ込められていたシャールは、品行方正な青年将校として立派な振る舞いをしていたでしょう? もし若くして亡くならなければ、アドラスブルクの援助のもとで帝国を早期再建して、三世の出番はなかったはずだわ。ボルヴァナトの男は、早いうちから手綱を締めて育てるべきなのよ」


 大バルトポルテに対しても、夫である三世に対しても、ルティアーナ妃はなかなか辛辣だ。

 二世たるシャール・バルトポルテに関していえば、もし夭折することなくオストリヒテ軍の有力な将軍に、さらにボルヴァナト帝国再興の旗印となっていたら、太后ゾラさまとの関係でアドラスブルク帝室に激震が奔っていたと思うけれど……ifの話にそこまで細かいツッコミをするのは野暮でしょう。


 ルティアーナ妃が、愛息アンリ殿下を浮気性の男にはするまい、と決意していることだけはよく伝わってきた。


「わたしは親として、娘たちと特定のだれかとの結婚を決めてしまいたくないんです。もちろん、アンリ殿下とうちの娘たちのだれかが、お互いに望むというなら、わたしは全面的に賛成しますし、エルディナントやフィレンの政府重鎮が反対しても、わたしはふたりの味方をしますが」

西方圏(オチデント)の各国元首夫妻の中で、一番しあわせそうにしているのは、あなたたちじゃない。あなたの結婚は親が決めたものではなかったにせよ、エルディナント陛下から一方的に見初められた結果であって、地道に育んだ恋ではなかった。それでもあなたはしあわせをつかめたわ。娘たちの恋愛結婚にこだわるのはどうして?」


 わが子の将来のみならず、帝妃であるご自身の、そして蜜月でこそなくなっているが、夫君バルトポルテ三世の運命に関わることなので、ルティアーナ妃が食い下がってくるのは当然だろう。


 この点について、わたしには不動の見解がある。


「奇跡に二度めを期待できるとは思っていないからです。エルとわたしは、たまたま相性が良かった。それは偶然です。結婚がさきにはなったけれど、わたしはエルとたっぷり恋をして、いまもしている。……それでも、姉のシャルロッテがエルディナントと結婚していた場合より、ほんとうにわたしのほうが、彼により大きなしあわせをもたらすことができているのか、というところについては、確信がないんです」


 生意気承知のものいいではあったけれど、ルティアーナ妃は怒らなかった。


「……惚気けるわねえ。羨ましいわ、あなたたち夫婦が。バルトポルテは、結婚しなくても手に入る女はすべて結婚せずにすます、そういう男だった。わたくしは、結婚以外では決して操を渡さないと突きつけて、帝妃の地位を得たわ。……でも、バルトポルテにとって、わたくしはコレクションのひとりでしかなかった。結婚を絶対条件とせずにバルトポルテを楽しませる女が、メロヴィグには多すぎる」

「アナさまは、ご自分はいま、しあわせではないとお考えなのですか?」


 もし皇帝である夫が、釣った魚にエサをやらない主義で、毎晩べつべつの女のもとに通うような男だったら、わたしならどうしただろう。

 皇帝相手に、妻のがわから離婚を申し立ててもとおらない。実家に帰るか、皇子か皇女の将来だけに希望をつなぐか、あるいはいっそ、旦那から離婚を切り出してくるよう仕向けるために、こっちも男を作るか……。


 ルティアーナ妃は間違いなくアンリ殿下に賭けてはいるけれど、それ以外をあきらめきっているような感じはない。


 やはりというか、ルティアーナ妃は昂然と(かお)を上げ、こうおっしゃる。


「わたくしは、自分の選んだ道が間違っていただなんて認めようとは思わないわ。バルトポルテの女癖が悪いことは最初から承知の上だったし、自分の魅力で忠実な犬に(しつ)け直せると自惚れていたわけでもない。わたくしが選んだのは、メロヴィグの皇帝であるボルヴァナト一門最有力の男であって、人間としてのロイ・バルトポルテ=ボルヴァナトに惚れ込んだわけではなかった。セシィ、あなたの生きかたは美しくて、理想的だと思うけれど、真似しようとしてできるわけではないし、あなたのやりかたであったら、わたくしが欲しい人生は手に入らなかった。あなたの方針はわかったけれど、もちろん、わたくしはあきらめないわ」


 この、堂々として女王然としたルティアーナ妃のものいいが、わたしは好きだし、あこがれる面もあった。


「アナさまとアンリ殿下が、ゾラやテレーゼとお話しをなさるぶんには、わたしはお邪魔しませんから」

「あなたは本当に良い子ね、セシィ。……おねがいだから、悪い子のわたくしひとりをおいて天国に行ったりしちゃいやよ。気のおけない友人をこれ以上喪いたくないわ」

「だいじょうぶです、わたしは立派に〈悪い子〉のがわですよ、アナさま」


 ……さらにボトルを一本空けたルティアーナ妃は、最後はわたしのひざの上で眠ってしまった。なんだか、彼女のほうが若いお嬢さんで、わたしが酸いも甘いも噛みわけた大年増みたい。


 苦労人なのは、確実にルティアーナ妃のほうのはずなのだけれど。


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