従弟フィクトール
万博畜産展示場もよりの船着き場に遊覧船が到着し、わたしたち一家六人は、船内でばったり顔を合わせたヴァリアシュテルン新王フィクトールとともにヤンクルー島へ上陸した。
さきの戦争でデウチェ南部同盟を率いたヴァリアシュテルン王アウグストは、プロジャとのあいだで繰り広げられた、戦場と議場での鍔迫り合いですっかり心身を消耗し、これ以上は国王としての重責に耐えられないとして、戦後処理が一段落したところで退位、隠居している。
その後を襲ったのが、アウグストの第四子にして、急逝した兄に代わって王太子となっていたフィクトール、わたしからみると従弟にあたるこの青年であるが、はっきりいって、政治にはまったく向いていない性格であった。
とりあえず、いまはおたがいにおしのび中の身なので、仮名で呼び合うことに。
「このようなところでお目にかかるとは思いませんでしたよ、オーギュスタン男爵閣下」
とエルが不自然を感じさせない口調で話しかけるも、
「その……先日は、すばらしい贈り物を、ありがとうございます、ベルナード、さま」
フィクトールのほうはなんだかぎこちない。
「わたしたちは、フィレン在住の新興階級一家という設定だから。もっとぞんざいに」
声を低くしてわたしがデウチェ語で注意し、エルは流暢なメロヴィグ語でさらにつづける。
「私たちは家族旅行のついでに、あたらしい商売のネタを求めて万博を見てまわっているのですが、男爵はどのようなご用件で?」
「ああ……私も、領地に導入するべきあらたな知見を求めているところでしてな」
……さっきよりはマシかな。
「ほう。男爵のお好みというと、やはり建築関係ですか」
「それはもう。建築、造営関係では大いに収穫がありました。各国の文化的特色を生かしたパビリオンの造りもそうですが、とくに感心したのが、水族館の岩窟風コンクリート造形ですね。あれはぜひとも、わがく……領地の庭園にも採用したい」
エルにツボをくすぐられるや、フィクトールは急に目を輝かせて早口になった。わが従弟どのにはこういうところがある。いわゆる「箱物」が大好きで、しかも実用的ではないゴシックロマン調偏重なのだ。
「畜産展示場には、ご所領の酪農牧畜を振興するためにいらっしゃったのですか?」
「……ああ、いえ、この島の、各国の田舎風パビリオンがなかなかの観物だと、建築愛好協会の仲間から聞きましてね」
せっかく万博会場にきているのだから、産業育成について知見を広めていくように、とエルが話を振ったのに、フィクトールは自分の興味にしか関心がない様子でいる。
……うーん。ヴァリアシュテルンの国王になったという自覚がないぞこいつ。
ヴァリアシュテルンはわたしにとって生まれ故郷だ。先王が身体を張って守った独立が、このままでは台なしになってしまう。
わたしはエルの袖をさりげなく引っ張って、こっそり耳打ちした。
「すみません、フィクトールとすこし話をさせてもらえませんか。ヴァリアシュテルンを背負って立っているのだ、という責任感を持たせないと」
「わかった。まあ、きみも地元のことが心配だよね」
話しながら歩いていたので、展示場はもう間近だ。一番手前のパビリオンは、あきらかにメロヴィグ感はないが、デウチェ風とも、ブライトノーツ風ともつかない様式。
馬留めのための木の柵があるところからすると、新大陸の街道ぞいにある、宿と駅を兼ねた建物を模しているのだろうか。
わたしはわざとらしく腰をひねりながら、
「あー、ちょっと歩き疲れちゃった。わたしひと休みしたいな」
と、しんどいアピールをする。
「わたしもすこしおやすみ」
船の中では10分ほど座っていられたとはいえ、植物園の大温室で蝶々や鳥を追いかけて走りまわっていたラースローネも、少々お疲れみたいだ。
ゾラたち上の三人は、まだまだ元気そうである。
「それなら、こっちは四人で会場を見てくるよ」
さっきのわたしのささやきを心得たエルが、ゾラとテレーゼ、ヨーゼフの引率を引き受けてくれた。
「おねがいします。戻ってくるときに、ラジィにもおやつを頼みますね」
「わかった。……もうしわけないが男爵、妻と娘をしばらく見ていてもらえますか?」
「え……はい」
どうして自分が人妻の休憩につき合わされるのかよくわからない、という顔であいまいにフィクトールがうなずくと、エルは三人を連れて会場の中心部へと向かっていく。
わたしはラースローネの手を引いて新大陸(?)風の建物の中へ。フィクトールはどっちつかずの表情のままついてくる。
思ったとおり、カフェテリアがあった。
ワンピースのドレスに、前掛けとマントを兼ね備えたような刺繍入りの上っ張り(ポンチョというのだとあとで聞いた)を羽織ったウェイトレスが対応してくれた。
どうやらここは新大陸南風のパビリオンで、広大な草原で放し飼いにされている牛を追って馬を乗りまわす、ガウチョと呼ばれる牧者が休憩と情報交換のために集う、酒場をイメージしているらしい。
メニューにショコラ・ラテ(新大陸中南部はショコラの原料であるカカオの原産地だ)があったので、ラースローネと自分のぶんを頼むことにした。
フィクトールはなにを注文するかと思ったら、
「マテ茶はあるかい?」
「ございます」
「じゃあそれを」
わたしは知らないメニューをオーダーしていた。
ショコラ・ラテ二杯と、マテ茶一杯が運ばれてきたところで、フィクトールがウェイトレスにチップを渡す。
お金出そうと思ったけれど、たしかに体面上は男性が払うほうがいいか。
みょうに太い銀製のストローでマテ茶をひと口すすって(ボンビージャというこのストローで冷ましながら飲むものらしい)から、フィクトールが感慨深げな声でこういった。
「セシィとこうしてゆっくり座って話すだなんて、ずいぶんとひさしぶりだ。……20年くらい?」
「大げさね。15年よ」
五年も余計に歳を食った気分にさせないでほしいと、わたしが訂正したところで、甘いショコラを早く飲みたいけど熱い、とふぅふぅしていたラースローネがカップから顔をあげる。
「ママとダンシャクって、むかしからのおともだちなの?」
「従姉弟だからね。ラジィとマックスみたいなものよ」
「わたしのパパとマックスのパパがきょうだいだから、わたしとマックスはいとこ。ママとダンシャクは、パパがきょうだいなの? それともママ?」
ラースローネのこの質問には、フィクトールが答えた。
「セシィのお母上であるアマーリエさまと、僕の父アウグストは姉弟なんだ。だから、セシィと僕は従姉弟になる」
「なーるほど」
ちゃんと理解できたのかどうか、ラースローネはショコラに意識の集中を戻す。
「フィクトール、あなたもいまは気楽な立場の王子さまじゃなくて、ヴァリアシュテルン国王なのだから、万博の出展から国内産業の振興について学ばないといけないわよ」
わたしが本題を切り出すと、フィクトールは肩をすくめた。
「セシィは変わらないね。むかしも『こんな派手なだけの城じゃ人が住めない』とか『見栄えばかりで水の確保がまったく考えられてない』やら、ずいぶん駄目出しされた。子供の遊びの図面書きで、実用性なんて気にするようなことじゃなかったのに」
「あなた、王位を継いでからさっそく新規築城に取りかかっているわよね。いまはおとぎの城を造っていられるような時代じゃないのよ。……要塞を築いて、プロジャやメロヴィグに備えろっていう意味でもないけれど。下手に軍備を拡張したら、逆に警戒を招いて先制攻撃の口実にされるだけだし」
いい歳したオトナ(しかも王さまである)に、こんなお説教をするというのは、適切ではないのだろう。ただ、わたしにとってヴァリアシュテルンは、アドラスブルク帝国、ゼクフィコと並んで、他人ごとですますわけにはいかないお国である。
そしてフィクトールの態度は、まるっきり口うるさい母親か姉に閉口する男の子のそれだった。
「わがヴァリアシュテルンは、かつて西方有数の良質な石材の産地であって、伝統的に石工も多いんだ。単なる道楽じゃない、彼らに仕事を与えないと」
「それはわかってる。あなたが個人的にお城をひとつくらいこしらえるぶんには、技術を継承して保持するという観点からも悪いわけじゃない。教会の聖堂は50年、100年に一度改修する必要があるから、伝統的な石工の業を守ることはヴァリアシュテルンにとどまらず、西方圏全体にとって有益だわ。国王としてのあなたの仕事は、それだけじゃ足りないといっているの。みっつもよっつもメルヘン建築をしたところで、石屋と職人以外の一般国民は潤わないでしょ。何十年かすれば観光名所になるでしょうけれど」
……われながらガミガミおばさんだな、と思いながらも、小言が収まらない。わが帝国には、フィレンにもビュラにも、わざわざ君主としての要諦だの、為政者の務めについてなどと、説いて聞かせる必要のある人がいないから、フィクトールの足りなさが目についてしまうのかも。
フィクトールが、急に捨てられた子犬みたいな目になってこっちを見た。
「セシィ、国王だ皇帝だといっても、みながみな、きみのように統治者としてふさわしい資質を持っているわけじゃないんだ」
「わたしにだって資質なんてないわよ。エルディナントさまと結婚してから勉強しただけ」
やればできるって、というはげましのつもりだったのだけれど、フィクトールは幼児がいやいやをするように、かぶりを振る。
「僕は向いてない、そんなことわかってる。……ヴァリアシュテルンは、兄が継ぐはずだった。僕は公爵にしてもらって、許された歳費で毎年すこしずつ、夢の城を築いていくつもりでいたんだ。父が疲れたのもわかるよ、僕じゃ絶対に軍を率いてプロジャと戦うなんてできなかった。生まれた順序なんて無視すればよかったんだ、どうして僕が……」
「ダンシャクしんこーく」
望まぬ重荷を背負わされたと、フィクトールは弱音を吐露した。
話の具体的意味はわからなかっただろうけれど、いとこ叔父の苦悩顔にラースローネが端的なコメントを付与する。
自分がちょっと足りないことは自覚していて、でも優秀な兄がいるから大丈夫なはずだ……その目算が崩れて戸惑っている、という気持ち自体は、わたしも理解できた。
わたしも、シャルロッテお姉さまがウィンステンシュア・ゴットハウゼン公家の体面を守ってくれるから、自分は淑女失格でも平気だと、15の夏のあの日までは高をくくっていたから。
それまでの気楽さと、将来の自由が全部吹き飛んでもなお、わたしが自分を見失わずにすんだ理由といえば……。
「フィクトール、あなたに必要なものがわかったわ」
「僕に必要なもの……?」
「結婚よ。あなたがいま得るべきなのは、重荷を分かち合ってくれる伴侶だわ」
ここで第6話の伏線がようやく回収です。なぜ十代なかばの少女にすぎなかった、結婚したばかりのセシーリアに都市計画の素養があったのか。おさないころに、築城マニアであり建築オタクのフィクトールといっしょになって、空想都市を設計して遊んでいたからなんですね。




