幻想の都にて;その4.不思議の国での思わぬ遭遇
淡水水族館には、魚類にとどまらず、見た目はカラフルで可愛らしいながら猛毒のある新大陸南方産のカエルだとか、魚を取るのが得意な細長い口吻のワニに、水牛を仕留め幼体であればゾウすら狩るという巨大ワニ(水槽に収められていたのは、成長前の仔ワニだったが)など、エキゾチックな水辺の生き物がたくさんいた。
見どころはあったけれど、やはりインパクトとしては海水館の海底広間におよばない。これはもしかすると、訪れる順番を間違えたかもしれないなあ。
まあ、子供たちは「かわいー」とか「きもー」とか言いながらけっこう楽しんでいるみたいだから、べつにいいか。
海水と淡水、二種類の水族館を堪能しているうちに、夕方になっていた。
万博自体は夜の部もやっていて、電気を用いた新型灯火で煌々と照らされるパビリオンなど、なかなかの観物があるそうなのだけれど、わたしたちアドラスブルク帝室の面々と夕食を伴にしたい、夜会に五分でいいから顔を出してもらいたい、という申し込みがメロヴィグ政財界のお歴々から多数寄せられているので、ずっと遊んでいるわけにもいかない。
「今日はこんなものかしらね。明日はどこへ行く?」
子供たちにつぎの希望を訊いてみると、
「あんまり混んでいないところって、ほかにはなにがあるの?」
とゾラが逆に質問してきた。カタログを取り出して開いてみる。
「拡大会場には、あと動物園と植物園があるらしいわ。植物園は全体がガラス張りの大きな温室になってて、南国の鳥とかめずらしい蝶々なんかも放してあるんですって。動物園は……だいたいフィレンの動物園にもいる顔ぶれね。カンガルーっていう、アウストラント特産の動物が西方初公開だそうよ」
「ちょうちょみたい!」
わたしがカタログを指さしながら説明すると、ラースローネが勢い込んで声をあげた。
末妹が自分から主張することはあまりない。上の子三人も、ラジィがそういうなら、と植物園を明日の目的地にすることで一致した。
「時間があまったら動物園にも行けばよさそうだね。カンガルーだけ見ればいいわけだから」
効率的に万博会場を巡ろうと考えているのか、エルはそんなことを言ったけれど、特別観覧日けっこうさきだし、急いでまわらなくても万有宮の外は全部見物できると思うんですよね。
むしろパレの中をまわるのに、特別観覧の一日だけじゃ足りない気がする。開幕ラッシュの人出が落ち着いたら、一般開場日にもパレに行かないと全部のブースは見られないかも。
まあ、万博コンプリートを目指す必要はあるのか? というのはありますけれど。
……万博会場から迎賓館であるルーニア宮へ帰り、アドラスブルク皇帝一家に戻ったわたしたちは、この夜もメロヴィグの重鎮たちが列席するレセプションの主賓としてさまざまなもてなしを受けた。
以前にポリニカ問題協議のためにやってきたときと比べると、メロヴィグがわに、わが国はアドラスブルク帝国と対等以上なのだ、と肩ひじを突っ張る気配がなくなっているというか、どうにかオストリヒテ=アジュールの好意を得ようとするおもねりが感じられるような、そんな気がした。
ディズマール率いるプロジャと直接対峙することになって、メロヴィグが受けているプレッシャーは相当のものだろう。
危機感持ってわがアドラスブルクと提携する可能性をさぐっている人たちがいるいっぽうで、立法議会議員ジョルジュ=サリバンみたいに、プロジャがメロヴィグを攻撃してくることはない、と無邪気に信じている人もけっこういるっぽいんですけどねえ。
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万博植物園は、主に南国のめずらしい草花を集めた巨大な温室だ。パパイヤやマンゴー、バナナといった果物に、シナモンとクローヴ、メースなどのスパイスから、カカオやバニラみたいなとくにレアで、スイーツの材料だとは知っていても、どういうふうに実っているのかを知っている人はなかなかいないものまで。
そして温室の中を飛びまわっている色とりどりの蝶々と、木の枝に止まってさえずる鮮やかな鳥。話しかけると声まねを返してくるオウムなんかもいる。
昨日の水族館ではガラス越しに見るだけだったから、手を触れられそうなほど間近な生き物たちとの距離に、子供たちは大喜びだった。
パビリオンの解説員の人の説明にしたがって、指先に塩水(意外なようだが、蝶々は砂糖水より塩水に引きつけられる)をつけてじっとしていると、宙を舞う宝石であるかのように美しい蝶が近寄ってきて、ゆったりと羽をひらめかせてバランスを取りながら、巻きヒゲのような口吻で塩水を吸おうと指先をくすぐる。
ラースローネは大興奮で、蝶々が指に止まる前にはしゃいで動いてしまっては逃げられる、というようなことを繰り返していた。
鳥の中でもとくに頭が良いというヨウムに、計算をさせるコーナーもあった。0〜10までの数字が書かれたカップの下にコインを隠して、ヨウムに計算問題を出すと、答えのカップをひっくり返してコインを回収してくるのだ。
なお通じる言葉は、ブライトノーツ語がわかるというのが一羽に、メロヴィグ語を理解するのが二羽。デウチェ語は伝わらないようです。
まあ、太后さまが教育しているから、子供たちはみんなメロヴィグ語ペラペラで、わたしよりずっと上手いんだけども。
「3+7-10はなーんだ?」
テレーゼがちょっといじわるな問題を出したにもかかわらず、ヨウムは迷いなく「0」のカップを蹴爪で引き倒し、くちばしにコインをくわえて係員さんのほうへと持っていく。コインと引き換えにエサがもらえるのでやっているのだ。
「ほほう、この鳥はヨーゼフより賢いな?」
「このくらいぼくもできるし!」
いじられ担当ヨーゼフがお姉ちゃんの軽口に憤慨していると、まだおやつがほしい様子のヨウムが、問題を出してくれと言わんばかりにコインをくわえてやってきた。ヨーゼフが手をさし出すと、手のひらの上にコインをおく。
係員さんが布で目隠しを張ってくれて、ヨウムから見えないようにコインの上にカップを伏せ、ヨーゼフは賢い鳥にとびきり難しい問題を出した。
「18÷5 のあまりは?」
ヨウムは首を二、三くるっくるとまわすと、すこし迷ってから「3」のカップを蹴り倒した。……が、そこにコインはない。
「正解じゃん。……ヨーゼフ?」
「あれ……2じゃなかったっけ……」
「だめだこりゃ」
いみじくも鳥以下の頭脳を披露してしまった弟へ、テレーゼは情けないものを見る目を向ける。
いっぽう、あるはずのコインがなくて不思議そうな顔をしているヨウムには、ちゃんと係員さんがごほうびのエサをあげていた。すみませんね、うちのアホの子が自分で解けない問題出したりして。
下を向いていたたまれない雰囲気になっているヨーゼフを、ほかのお客さんもいる前でさらしものにしておくのはさすがにかわいそうなので、予定よりちょっと早いけれど植物園からは失礼することにした。
「ここで栽培してるバニラビーンズを使って、畜産パビリオンでは搾りたてのミルクを使ったスイーツを作っているんですって。おやつにしようか」
『さんせーい』
寄り道のプランにも抜かりはありません。畜産パビリオンは、飼育設備のスペースの問題、動物たちが醸し出す臭いの問題をともに解決するため、メイン会場とその周辺の拡大会場からすこし離れた、テイユ河の川中島であるヤンクルー島に設営されている。
昨日立ち寄った、荷揚げクレーンの並んでいる大型機械展示会場の近くに、シャトル船の発着場があった。
今回の万博に合わせて就航したという遊覧船は、ガラス張りのキャビンで、眺望の良さと快適性を両立している。
万博のチケットを持っている人なら、乗船賃は当然無料。家族六人で乗り込み、10分ほどの短い船旅にいざ出発、というところで。
気がついたのは、エルだった。
わたしたちが陣取った席から二列離れたところに座っていた、シルクハットに片眼鏡という、デウチェ風の紳士。片眼鏡を気取るには、いささか歳が若すぎる。伊達というか、変装のつもりだったのか。
なんかこっちのことを見てくるなあ、とは思ったけれど、わたしはそこまで違和感を覚えなかった。わたしたち一家にしろ、アドラスブルク皇帝夫妻とその皇子皇女だと見破る人はいないまでも、すくなくともペリムっ子とは毛色が違う。だから、異国の地でデウチェ人を見かけたから、思わず視線が向いているのだろうと。
エルは一度席を立って、紳士の横まで行くと、こっそりとなにかをささやいた。紳士は動揺した様子で、最初のうちは首を左右に振っていたけれど、エルがさらにひと言ふた言つけ加えると、観念したように首を縦に振る。
わたしのとなりに戻ってきたエルは、ごくさりげない口調でこういった。
「彼、フィクトール新王だよ」
「え……ヴァリアシュテルンのですか?」
「そう。きみの従弟の」
まだフィラメントを用いた電球が発明されていないので、この時代の電灯はアーク灯であり、野外照明向きではあったものの、眩しすぎて屋内での使用には耐えなかったそうです。
電灯こそまだ普及していなかったものの、ガス灯はかなり取り回しが良くなっていたので、19世紀のパリっ子は相当の宵っ張りだったとか。




