幻想の都にて;その3.不思議の国の海底散歩
メロヴィグの帝国政府庁舎であるメルク宮での公式晩餐会、つづいてボルヴァナト家の私城エテメナー宮でも非公式の歓待式典。夜晩くまでのおつきあいで、明くる日にわたしたち一家が出かけられるようになるころには、やっぱり午後になっていた。
万博二日めは朝から開場していて、案の定というか、すでにメイン会場の万有宮は大混雑だと侍従が教えてくれた。
実質はフィレン万博準備委員長である侍従長ルートヴィヒは、さっそく視察に励んでいるとのこと。
「パレの中を見てまわるのは、すごい人だかりであまり現実的じゃありません。河沿いの拡大会場に行ってみませんか?」
わたしの提案に、昨日はゾラとラースローネを預かって、公的立場のまま万博見物をしていなかったエルディナントさまはうなずいてくれた。
「出し物ひとつに三時間待ちは疲れそうだし、そうしよう」
「わたしもエレベータ乗ってみたいのに」
と、不満そうなゾラを、わたしは下調べしておいた情報で釣る。
「拡大会場には水族館があるらしいわ。なんでも、ガラス張りの天井の上を魚が泳いでいて、まるで海の底を歩いているような感じなんだって」
「すごいじゃん、いこいこ!」
「ほほー、それは見ものですな」
食いつきがよかったのはヨーゼフとテレーゼだったけれど、ゾラもエレベータに固執することはないか、という感じの表情になったので、万有宮を見てまわるのは特別観覧日まで先送りにして、今日はテイユ河のほうへ行くことになった。
わたしたち親子六人は、アドラスブルク帝室としての身分を伏せて、フィレンから万博見物のためにやってきた中産階級一家です、といったふうの、質素で実用的な服装を整える。いざ出発。
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テイユ河の岸辺に設けられている、船舶と大型機械の展示場は、単なるデモンストレーションではなく、実用も兼ねていた。
ペリム市の人口は180万を超えている上に、万博見物でさらに10万人以上の一時的な滞在者を抱えている。毎日消費される食料品だけでも莫大な量だ。
ステイツの、ブライトノーツの、そして地元メロヴィグの大型機械メーカーが設置した荷揚げクレーンが、陸運だけでは間に合わない日々の必要物資を、テイユ河を航行してきたはしけ船から吊り上げて補っている。
荷揚げ人足でふつうに作業するなら100人は必要なところだが、クレーンの操作員と、貨物をフックに引っかける船がわ、フックを外す陸がわの数人ずつ、10人弱で同じ仕事量をこなしていた。
これだけで、見る人が見れば機械化のすさまじい効率のほどが伝わるという、一挙両得の展示だ。
陸揚げされた貨物は、鈍重だが力強い蒸気機関駆動のトレーラーによって万有宮のほうへと運ばれていく。蒸気自動車は馬に比べるとずいぶんのんびりだが、運べる荷の量は多い。
子供たちは、巨大な鉄の竜が船から貨物を持ち上げるさまを「おおー」などと言いながら見ているばかりだったが、
「あのクレーン、オストリヒテの港湾にも導入したいな」
と、エルはすっかりおしのびでいることを忘れ、為政者の顔になっていた。
「三ヶ国のクレーン、すこしずつ形が違いますね。どれが一番性能いいんでしょう?」
「おそらく、荷揚げ場や船着き場の構造によって、向き不向きがある。鎌首型のブームが長いクレーンは、吊り上げ荷重がさほど大きくない代わりに、設置場所をあまり選ばない。埠頭の整備を前提にするなら、ステイツ製の門型クレーンが効率的だろうな」
「なるほど」
門型クレーンは船が真下に入ってこれないと使えないんじゃ……? と思ったけれど、港のほうを造り変えるのか。ステイツ人は発想が違うのね。
「ルートヴィヒに、あとでこっちも視察するよう伝えておこう」
エルはそういって、とくにメモ書きをするではなく、クレーンが動くさまを吟味の目で眺める。記憶力いいのよねエルって。わたしは書いておかないと忘れちゃうな。
もしかすると、万博の会期中に、アドラスブルク帝国とどこかのクレーンメーカーのあいだで、大きな商談がまとまるかもしれない。
ヨーゼフが、クレーンの体験操作をしてみたいなどと言い出したけれど、あいにくとこれは単なる展示ではなく、実際の荷役作業も兼ねている。子供に遊ばせているヒマはないだろう。
「バルトポルテ陛下に頼めば、貨物船がいないときに機会を作ってくれるかも」
となだめて、ひとまずは港湾コーナーを離れた。
おつぎは念願の水族館。海底散歩の雰囲気を楽しめるという、頭上に広がる巨大水槽がわたしたちを待っているはずだ。
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万博水族館は、淡水館と海水館にわかれている。どちらもコンクリートで造成された洞窟風の空間に見物客が足を踏み入れるという、ちょっとした冒険心をあおる趣向で、単に各地の水棲生物が収められた水槽が並んでいるわけではない。
あたかも海底にたたずんでいるかのような気分になれるという、話題の大水槽は海水館のほうにあるので、まずはそちらへ。
やはりというか、未知の海中洞窟を探検におとずれた、といった感じを醸し出す内部通路の気配は、子供たちに大ウケだった。
テレーゼとヨーゼフはお目々をキラキラさせているが、ラースローネはちょっとびくついて、ゾラの手をしっかり握っている。
わたしはエルと並んで、子供たちがフラフラとどこかへはぐれてしまわないよう、すこしうしろから四人が視界に入るようにしてついていく。
壁面のそこかしこが、あたかも自然の岩の裂け目であるかのように、四辺がややゆがんだかたちで切り欠かれており、そこに嵌ったぶ厚いガラスの向こうで、大きさも形も色もさまざまな魚や、タコや、ウミヘビが泳いでいる。
埋め込み水槽の前なり横なりに、プラーナ周辺の熱帯海に生息するめずらしい種類の魚とサンゴであるだとか、西太洋に広く分布するありふれた種類で市場にも並んでいる魚だ、など、説明書きの記されたプレートが設置されていた。
万博を開催する理由のひとつとして、大衆に教養を与えるというひそかな目的があり、啓蒙政策を推進するバルトポルテ政府が、興味本位でやってきた見物客にすこしでもあらたな知見を身につけてもらいたい、と気を配っている様子が垣間見られる。
……といっても、生きた状態の海の生き物たちを見る機会がすくない民衆のために、毎日60万トンもの海水を、海岸線から100キロあまり離れたペリムまで運んできているというのだから、なんとも壮大だけれどお金がかかってしかたない。
もちろん、高度な機械化あってのことだ。巨大なタンクを備えた海水運搬船がテイユ河を遡上して、蒸気式ポンプによる効率的な転送システムで水族館の大水槽に直接給水し、古くなった水と入れ替えている。人海戦術でやっていたんじゃ、何万人も必要で、とても維持できないだろう。
わがアドラスブルク帝国の都フィレンは、海から300キロ以上あるわけで、仮に万博を開くとしても、海水水族館は設置できませんねえ……。
なんて、世知辛い計算を頭の中でしながら世界各地の海の幸(この変な魚食べられるかな?なんて考えてしまう)を見てまわっていたわたしだったけれど、水族館の一番奥、目玉の海底広間にたどり着いて、さすがに余計な思考は脳裏から吹っ飛んだ。
頭上のみならず、いまやってきた通路がわの壁面をのぞいた三方向すべてが、鉄骨で補強されたガラス張りになっている。広間の中ほどまで歩を進めれば、掛け値なしに視界全部が海中の光景だ。
「すごい……」
サメの白いお腹を下から見上げる機会があるとは思わなかった。これはまさに、自分が人魚になって海底でくつろいでいるかのようだ。
子供たち四人も、ただただ驚異のまなざしで、上を、右を、左を見ていた。
もちろん、貸し切りではないので、周囲にはほかの見物客たちがたくさんいる。だが、騒ぐ人はまったくいない。みんな周囲に広がる海の世界に圧倒されているのだ。
「これは見事なものだね。考えた人は気宇が壮大だ」
エルも純粋に感心している口調だった。
わたしたちはしばし身を寄せ合い、指を絡み合わせ強く手をつないで海中の絶景に見入った。
すこし怖く感じるのだ。ガラスが破れて水が押し寄せてきたらどうしよう、というような意味合いではなく、人間が本来存在しえない海底の眺望を目のあたりにしているという事実が、なにか、摂理に反しているような気がして。
「なかなかおアツいですなあ、ご両人」
茶化す口調のテレーゼの声で、わたしはわれに返った。
「……もういいの?」
「われわれはかまいませんぞ、おじゃまはしませぬ」
テレーゼだけではなく、ヨーゼフも、ゾラとラースローネも海底世界は充分堪能した、といった顔だ。
ていうか、子供たちからしばらく目を離してしまっていた……。これは保護者失格。エルはちゃんと見ててくれた感じだけれど。
「すこし人が溜まってきているし、場所をあけてあげるほうが良いかもしれないね」
エルに言われて周囲を見渡してみると、たしかに混雑度が増していた。あんまり人でぎゅうぎゅうだと、視界いっぱいに広がる海中の様子を楽しめないだろう。頭上はつねに視界が開けてはいるけれど。
わたしたち親子は海底広間をあとに、淡水館へと向かうことにした。
地球における第2回パリ万博に出展された、大水槽の活用を始めとする水族館の展示手法は、今日まで続く水族館の雛形になったものだそうです。




