血脈の業
帝妃イザベラ薨去――
その報せは、当然ながら西太洋を越え、本国ゼクフィコにも伝えられた。
直行便ではなく合衆国経由の定期船による報知だったが、非公式なニュースとしては、ベラス港に船が入るよりも早く、ステイツ内の電信ネットワークと国境を行き来する人々を介し、帝都エル・オーロにまで伝わっていた。
初報より遅れること一週間、フィレン政府からイザベラ妃逝去の顛末についての正式な報告書、および弔意文を受け取ったメルヒオール帝は、最愛の妻を喪った哀しみと、あらたな姫が遺されたことを神と亡き妻へ感謝したい、とするコメントを発表し、予定されていた公式行事をキャンセルし服喪に入ると布告した。
皇女の名を、亡き母より取ってイザベラ姫としたい、という太后ゾラの意見にメルヒオール陛下は賛同し、その旨もしるしてフィレンへ弔意に対する礼状を折り返し送付した。
イザベラ妃の訃報はすでに広く知られていたので、皇帝の公式声明を受けてゼクフィコ各地に半旗が掲げられ、人々は喪服に着替え、あるいは袖に喪章をつけて、若くして神の御元へ召された帝妃を悼んだ。
帝国政府が喪に服すよう指定したり強制したわけではなく、イザベラ妃はゼクフィコへ渡ってからのわずかな年月で、幅広い階層の人々から親しまれるようになっていたのである。
貧しいながらも、ふだんは南国らしい陽気な音楽と声に包まれているゼクフィコの町村が静まり返る中、メルヒオール陛下はわずかな供まわりのみを連れて帝都エル・オーロを極秘に出立し、ステイツとの国境地帯へ向け北へと馬を進めた。
ゼクフィコ北部では、エル・オーロの帝国政府を認めず、メルヒオール陛下を「僭主」と見なす、自称正統政府大統領ロペス・ガルシアが、ステイツの支援を受けながら実効支配を敷いている。
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ゼクフィコ駐留メロヴィグ軍の総司令ファンテーヌ元帥は、ここしばらくのあいだ、ひそかにロペス・ガルシアを支持するゲリラ軍団の掃討作戦をサボタージュしていた。
バルトポルテ三世が遠からず送ってくるだろう召還状にしたがってメロヴィグ本国へ帰投するべきか、あるいはこの地で軍事政権樹立を宣言するべきか、野心を弄んでいたファンテーヌであるが、さすがに帝妃イザベラの訃報を聞いて、駐屯地には半旗を掲げさせていた。
パトロール中の騎兵隊が皇帝らしき姿を見たと報告したため、元帥は大あわてで馬に飛び乗り、駐屯地に立ち寄る気配などみじんもないまま街道を進んでいくメルヒオール陛下を追いかける。
「陛下、皇帝陛下、お待ちください!」
「……うん? ああ、元帥か。べつに貴官の手をわずらわせる気はない。わざわざ出迎えてくれなくてもかまわんぞ」
「なにをおっしゃっているのですか! このさきはゲリラどもの巣窟ですぞ、そんな10騎にも満たぬ行列で向かわれるなど、自殺行為です!」
危険を強調するファンテーヌだったが、メルヒオール陛下は皮肉げに肩をすくめた。
「そのわりには、このあたりはずいぶんと平和そうではないか。ここにくるまでも、真新しい墓や焼き討ちされた家屋などは見なかった。わが妻の訃報で、ゲリラとのあいだに休戦の申し合わせでも成立したのかな?」
「……お、おおむねそんなところであります。ゲリラどもには帝国への畏敬や帝妃さまを悼む心などありませんが、農民たちは進んで喪に服しておりますから。いま血を流せばやつらも民衆からの支持を失います、しばらくは武装中立といったところです」
じつをいえばずっとサボっていたことが現地へやってきた皇帝へ露呈しないよう、ファンテーヌはその場しのぎでごまかそうとする。
元帥にうさんくさい動きがある、という密告はとっくに受け取っていたメルヒオール陛下は、素知らぬ顔でうなずいてみせた。
「予も、北部においても人々がイザベラの喪に服してくれていると聞いてここまでやってきたのだ。休戦がつづいているうちに、ロペス・ガルシアと直接話がしたい。もし彼の居場所を知っているのなら、元帥に案内を頼みたいが」
「へ……? えー、いえ、小官は、ロペス・ガルシアの所在について、なんら関知をしておりません」
現在は暗黙の停戦こそ実現しているものの、ロペス・ガルシアのゲリラにさんざん苦しめられてきたメロヴィグ軍である。独立王朝建設を夢見るファンテーヌは数度に渡って密約を打診してきたのだが、ロペス・ガルシアは一切の交渉に応じていなかった。
国外勢力、とくに旧大陸列強に対するロペス・ガルシアの激しい敵意を知っているファンテーヌに、彼らの本拠地へ自らおもむく胆力などありはしない。
元帥の答えを受けて、メルヒオール陛下はとくに意外そうでも残念そうでもなかった。
「そうか。まあ、自分で探してみるさ」
「せ、せめて護衛をもうすこしお連れください」
「いや、あまり大人数では、先方を刺激するだろう」
飄然とした態度で、メルヒオール陛下は軽く馬の腹を蹴って騎行を再開した。アドラスブルク家に忠実なオストリヒテ騎兵がつづく。
その背を見送って、剽悍で残忍なゼクフィコゲリラ兵の恐ろしさと、アムゼカを滅ぼしたイルパニアへ民族的憎悪を溜め込んでいるロペス・ガルシアの怨念を垣間見てきたファンテーヌ元帥は、ぶるりとひとつ身を震わせた。
「怖いもの知らずなのか、単なるもの知らずか……」
およそ300年前、アムゼカ征服当時のイルパニアを治めていたのは、メルヒオール陛下の父祖たるアドラスブルク皇帝家なのである……。
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比較的降水量があり緑の目立つゼクフィコ中部域を抜けたメルヒオール陛下は、北部の乾燥地帯へと入った。ここからステイツとの国境までは、岩山や砂漠が多い。
砂礫の積もった大地から、柱のような、あるいは球のようなサボテンが点々と生えている土地だ。
特産の竜舌蘭酒を合衆国へ(ステイツ経由でさらに旧大陸にも)輸出していて、荒涼とした大地から想像されるよりは経済的に豊かな地域でもあった。
北部要衝の街ティパワへたどり着いたメルヒオール陛下は、身分をあきらかにしてロペス・ガルシアとの会見を求めた。
このあたりの都市はエル・オーロから行政官を受け入れていないし、帝国政府に税金も支払っていない。ロペス・ガルシアの〈ゼクフィコ共和国〉に属している。
共和国が敵視し、その首に懸賞金もかけられている「ゼクフィコ皇帝」が先触れもなく現れたことで、当然ながらちょっとした騒ぎになった。
騙りだろうと取り合わない者もすくなくなかったが、いくつかの証拠の品と、南部にも商談のために出入りしているというステイツ人の実業家が、メルヒオール帝に間違いないと受け合ったことで、その身分は確認される。
護衛も従者もなし、ひとりだけでくるのなら会ってもいい――ロペス・ガルシアからの伝言を持ったゲリラ兵が現れると、メルヒオール陛下は即座に承知して供まわりをティパワの旅籠に待たせ、単身でそのあとにしたがった。
……街道すじからは離れた荒野の中、草木生えぬ殺風景な小山の半ばを巧妙に掘り抜いた岩窟の中に、ゲリラの指令所はあった。ここ一ヶ所だけということはあるまい。
そこかしこを動きまわっているゲリラ兵たちは、そろいの制服こそ身につけていないものの、新型の銃で武装していた。おそらくは、内戦の終結によって武器あまりとなったステイツから、安く火器が流れ込んでくるようになったのだろう。
あまり雨の心配をする必要はないからか、無造作にガラスの嵌っていない天窓が切られている、岩窟の中としては明るい部屋で、痩身長躯、サーベルのように鋭く険しい雰囲気の男が、ゼクフィコ皇帝を待っていた。
無愛想な沈黙を保ったまま銃を手に居並ぶ、ゲリラ兵たちのあいだを進み、メルヒオール陛下は脱帽して叛乱勢力の頭目に対し敬意を表した。
「ロペス・ガルシア閣下、突然のご無礼にもかかわらず、面談の希望を快諾していただき、お礼を申し上げます。私はアドラスブルク家のメルヒオール、現在エル・オーロをはじめとする、ゼクフィコの中心部を統治しております」
メルヒオール陛下は「皇帝」とは名乗らず、あくまでも丁重にロペス・ガルシアへ話しかけた。
ロペス・ガルシアは、椅子から立たず、足を組んだままゼクフィコの皇帝を睨めつける。
「ひとりでここまでやってきた度胸だけは認める。自覚はあるのか僭主よ。貴公は簒奪者であり、アムゼカ民族から国を盗んだ者だ。この場で首を刎ねられても文句を言える立場ではないぞ。……なにをしにきた」
「閣下もお聞きおよびのことと思いますが、先日、私の妻が身罷りました。いま私には、なにも怖れるものがありません。私が望んでいるのは、ゼクフィコの平和的統一と全人民の幸福、これだけです」
尊大かつ激越な口調のロペス・ガルシアに対し、メルヒオール陛下は穏やかに応じた。
ロペス・ガルシアは、フン、と鼻を鳴らす。
「ゼクフィコの平和的統一だと? 簡単なことだ、貴公がいますぐにオストリヒテの山奥へ帰ればすべて収まる。これまでこの地を乱してきたのはだれか? 貴公ら東大陸の植民地主義者だ。本当に平和とゼクフィコ人民の幸福を望んでいるというなら、さっさと帰れ」
「お言葉ではありますが、旧総督政府の崩壊後、メロヴィグ・ブライトノーツ・イルパニアの三国による干渉がおよぶまで、十数年の猶予があったにもかかわらず、ゼクフィコの統一は成りませんでした。閣下は総督政府時代の僚友マクシモンと争われ、そのほかにも、ゼクフィコの覇権をうかがうものは枚挙にいとまがない。……メロヴィグ軍はまもなく本国へ引き揚げますが、それだけで、これまで閣下と協調してきた各地の領袖は野心をあらわにするでしょう。私の在不在は、このさきに予見される混迷にさしたる影響をおよぼしません」
メルヒオール陛下が平静な声でこれまでのゼクフィコ分裂の歴史を指摘すると、ロペス・ガルシアは椅子を蹴倒しながら立ち上がった。
山刀を抜き放って、メルヒオール陛下の首すじへと据える。
「ゼクフィコ中に不和と混沌を撒き散らした侵略者の末裔が、どの口でほざくか!」
「わが身に流れる血の業を否定するつもりはありません。閣下がお望みとあらば、この首は差し上げましょう。新時代のカルテスとなりますか、閣下?」
カルテスとは、アムゼカ帝国を征服したイルパニアの聖征主義者であり、東海より現れし金髪白皙の天の使者、という現地の神話を利用して皇帝レトソモクを騙し、最後は帝国の隠し財宝のありかを知ろうと、拷問の末に死へと至らしめた男である。
自らを亡国最後の皇帝に、ロペス・ガルシアを彼が忌み嫌う征服者に擬したメルヒオール陛下の言は、当然ながらアムゼカの継承者を自認するロペス・ガルシアを激昂させたが、同時に彼の理性と矜持へ訴えかけるものでもあった。
「きさまは皇帝ではない。その首に価値などありはしない、思い上がるな!」
「アムゼカ帝国は、1000年を閲し神話の時代よりつづいていた国ではなく、その征服の過程が人々に歴史として語り継がれている支配者でした。ゆえに、帝国からの解放をささやくカルテスの甘言に、人々は乗ってしまった。……いま、エル・オーロとその周辺には、私のことを皇帝だと信じている人々がいます。閣下、あなたがゼクフィコの統一を求めるのであれば、私を現代のレトソモクとして殺し、カルテスとなるべきです。あなたは黄金が目当てだったカルテスとは違うのですから、道義的に恥じる必要もない。あなたは詐りの解放者ではないはずだ」
「……よくさえずるな、さすがは嘘つきイルパニア人の末裔だ。これ以上効果のある命乞いはなかなかないぞ。そうだとも、私は断じてカルテスではない。きさまをここで殺すことは、わがアムゼカの誇りが許さない。エル・オーロへ帰るがいい簒奪者よ、その罪を裁くのは私ではなく人民だ」
山刀を納め、ロペス・ガルシアは背を向けた。復讐よりも道義を重んじるアムゼカ戦士の誇りを確認し、メルヒオール陛下はいま一度訴えかける。
「閣下、私の首で統一の決着をお図りにはならないというなら、どうかわがエル・オーロ政府との交渉に応じてください。私には政治権力を放棄し、平和裏な政権移行に協力する用意があります」
「勘違いするな。自ら出向いてきたきさまを殺すのは、われらの正義に反するというだけだ。きさまの罪が死に値すること自体に疑いはない。交渉などありえん」
「アムゼカ帝国が在りし日のころから、この地に住んでいた民族はひとつだけではありません。多少顔ぶれは変わりましたが、いまもそれは変わっていないのです。交渉はなく、無条件での服従を要求されれば、エル・オーロとその周囲の人々は武器を把るでしょう。閣下が望まれるのは血をともなう革命なのですか?」
平和的権力移譲の話し合いを求めるメルヒオール陛下に対し、振り向くことなく、ロペス・ガルシアは冷たい声で応じた。
「それを決めるのは私ではない。まして、かつてこの地を血で染めたアドラスブルクの末裔であるきさまに、無血の改革を乞う資格などないぞ」
……会見は打ち切りとなり、無愛想なままながら、ゲリラ兵たちはメルヒオール陛下を丁重にティパワの街まで送り届けた。
ロペス・ガルシアに交渉を拒絶されて帝都エル・オーロへ帰ったメルヒオール陛下を待っていたのは、駐留メロヴィグ軍の撤退日が確定したとするバルトポルテ三世からの正式な通告書であった。
形式的な暇乞いへ訪れたファンテーヌ元帥へ、メルヒオール陛下は淡々と帝国からの退去を認める。
関係各所に張りめぐらせた情報網から、どうやらロペス・ガルシアにステイツをのぞく国外勢力と協力する気はないらしい、と察したファンテーヌは、ゼクフィコ軍事政権の創建をあきらめて本国へ帰ることを選んだようであった。
リュウゼツランの樹液から作られたお酒としてテキーラが有名ですが、「テキーラ」というのは特定産地のブランド名であり、総称としてはメスカルとなります。
スパークリングワインのうち、シャンパーニュ地方のものを「シャンパン」というのと同じですね。
最近ではお酒としてのテキーラより、発酵前のアガベシロップが、オーガニックな甘味として店頭で目立つようになってきている感もあります。




