秘密のふたりごと
「陛下、メロヴィグ新皇帝による、首都改造計画についてご存知でしょうか?」
わたしが切り出すと、エルディナントさまは眉根を寄せながら目をしばたたかせた。
「……バルトポルテの、か? やつがペリムにあたらしい都市計画を布告したという話は聞いているが」
陛下の口調が、セシィの夫エルではなく、皇帝として、執務中のものに変わったことで、わたしは手応えを感じた。
メロヴィグのバルトポルテ三世は、オストリヒテ皇帝であるエルディナント・フランツにとって、いくえにもアンビバレントな感情を呼び起こす存在であるのだ。
神聖帝国を滅ぼした怨敵の類縁にして後継者であり、アドラスブルクはじめとする各国王家皇統が一丸となって“正常化”したメロヴィグを、ペテンでふたたび掌握した世界秩序の裏切り者。
しかし同時に、無軌道で暴力的な急進反王権主義者による暗黒政治から古き良き君主制を奪回し、再興した救世使でもある。
わたしとの挙式のすこし前、エルディナントさまは、帝政復興を宣言したバルトポルテ三世こそメロヴィグの正当君主である、と承認するのを渋り、なかなか親書をしたためようとなさらなかったそうだけれど、あざやかな騒擾鎮圧執行者として、その技巧には学んでいた。
国内各地で君主制反対を叫び、議会を延々と引き伸ばし戦術で麻痺させ、ときにテロルや暴動を引き起こす、共和主義者、各民族主義者、社会主義あるいは無政府主義者たち。
彼らが一枚岩ではないこと(それぞれの主義者間の敵対関係だけでなく、同じセクト内ですら険悪だった)を利用して、個別に籠絡し、妥協案を提示しておとなしくさせておいて、ある日、出し抜けに軍と警邏隊を総動員して一網打尽にする。
そのやり口は、ともすれば騙し討ち、卑劣と謗られかねないものだったが、初代バルトポルテが得意とし、その甥も身につけていた政治上のレトリックだった。
ちなみに甥バルトポルテが「三世」を称している理由は、初代バルトポルテの息子シャール・バルトポルテが、父が廃位されてからのほんの数日間のみながら、帝政勢力残党によって担がれ、バルトポルテ「二世」として書類上はメロヴィグ皇帝の地位にあったとされているからだ。
両バルトポルテは機を見るに敏で、大多数の民衆が、政治屋気取りたちの茶番と内ゲバに辟易したタイミングを測ってことを起こし、「分裂を終息させた法秩序の擁護者」として称賛を獲得したのである。
非合法政権を総選挙と議会評決で正当化し、さらに大総統から皇帝へ成り上がったバルトポルテ三世と違い、アドラスブルク帝国政府はれっきとしたオストリヒテはじめとする諸邦の統治機関であるから、国内の混乱を収拾するのにうしろ暗いところもない。
先帝ハインリヒ陛下に退位を余儀なくさせた、首都フィレンと帝国各地での反政府運動に対し、エルディナントさまは剣のみを用いて弾圧せず、ペンのみで叛徒の訴えに承認を与えもせず、最終的には少数の叛乱指導者を処刑、あるいは追放し、最低限の流血にとどめて鎮定することができた。
……帝国軍の流した血が最低限という意味で、国内の各勢力には相争わせ、民衆のあいだに平穏待望ムードを広めた結果ではあったが。
またしてもくだくだしい前説を並べ立ててしまったけれど、ようするに、西方の鬼子バルトポルテ一党は、裏を返せば周辺の各国政府へ、急進改革勢力から君主制を守る権謀術策を教えたのである。
国を壊して変革をもたらそうという向こう見ずな勢力を抑え、秩序だった社会改善を統治者側から下々へ与える――欽定改革こそが啓蒙君主たる当代の各王、皇帝の務めであり、エルディナントさまもその考えに基づいて、即位以来施政をなさっている。
そしてそれは、わたしの父フリードリヒが理想とする政治哲学でもあるのだ。
「メロヴィグ首都ペリムと、ここフィレンには共通点があります。歴史ある古都であり、国の中枢であるというだけでなく、かつては軍事的な要衝でもありました」
わたしは陛下へ話をつづけながら、テーブルの上に一枚のビラを広げた。
バルトポルテ体制に抵抗してメロヴィグから亡命してきた、とある自由主義者がペリム新都市計画に反対するために配っていたものだ。
一時期父のサロンに出入りしていたのだけれど、逮捕状がまわってきたので、留まりつづける場合はかばえないと伝えて、それとなく立ち去ってもらった。
父は自分を頼ってきた逃亡者を追っ手に売ったりはしないものの、身を挺して匿ってあげるほどの侠気もない。
そんな、どっちつかずな父の半端さはともかく、ビラにはこうある。メロヴィグ語だから、わたしは解読に手間取るのだけれど。
『抑圧者バルトポルテは、自分の独裁に反対する者たちが抗議行動を起こせないよう、庶民の砦を破壊しようとしている!!』
アジテーションの文句はさておいて、このビラの便利な点は、わかりやすいペリムの地図が載っていて、区画整理予定地が網かけされているところだ。
細くて狭い上に行き止まりばかりの道が入り組んでいて、無秩序に家屋や商店が建て込んでいる、貧民街が一掃されることになっていた。
民衆を煽動する活動家の拠点が失われ、蜂起のさいに道路を封鎖するバリケードも作れなくなる、という面はたしかにあるだろう。
それに加えて、いまとなっては役立たず、交通の妨げとなるばかりの、旧い城壁も完全に撤去されることになっていた。
ビラの文字列には目もくれず、ペリム街区略図のみを見ていたエルディナントさまは、すぐに口を開く。
「フィレンも城壁を廃し、交通網を一新すべしというのが帝妃の意見か」
さすが陛下。革命派のビラ一枚から、彼らが訴えている次元とは異なる、戦略的視点でものごとを読み取ることができる。
「はい。ペリム同様、フィレンの城壁や稜堡も、もはや現代の火砲に対する抗堪性は期待できません」
「興味深い。私のほうでも検討してみよう。……つづきは、また明日ね」
椅子を立った陛下は、執務中の皇帝エルディナント・フランツから、優しいわたしのエルの顔に戻っていた。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
「きみを選んだ私の正しさは、かならず証明されると思っていた。母も廷臣たちも、見た目で選んのだろうというが、私はきみに知性と新時代の精神の光を感じたんだ、セシィ」
「ご期待にそえると……いいのですが」
「いずれ、みなもきみの真価を認める日がくるさ」
おやすみのキスとしては少々濃いくちづけを交わして、エルディナントさまはわたしの寝室をあとにされた。
……正直いえば、もう一度ふたりでベッドに戻りたかったけれど。
焦っちゃ駄目か。ロミアは一日にしてならず。フィレンの新都市計画ができあがるころには、きっと陛下とわたしの愛も、あらたな段階に到っているはずだ。
+++++
陛下とわたしの帝都改造計画は夜ごとに進展していった。
わたしはペリムとフィレンの街区図を並べて寝室の壁に貼り、陛下と事後の睦み言代わりに、昼のあいだ考えておいた新都市計画の腹案を語り合った。……もちろん、陛下とわたしだけになる時間以外は、街区図の上からべつの絵画をかけて隠している。
バルトポルテ三世のペリム改造計画は、ブライトノーツ連合王国の首都ロンディミオンを参考にしたものだから、わがフィレンは孫引きということになる。
このみっつの古都の共通点は、大きな河川に面していて、文明の黎明期からずっと人が住みつづけてきたところ。
西方文明の始祖であり世界の心臓ロミアもまた、テゴナ川のほとりからはじまった。人間の生活は水と切り離すことができない。
「ペリム計画にある幅員120メートルの大通りは、いまは過剰なように感じられますが、将来を見すえれば適正な規模だと思います。それと、大きな公園。フィレンにも造りたいですね」
「なるほど。用地は確保できる、陸軍の練兵場と兵舎を郊外に移転させるから」
「それはまた……ずいぶんと思い切りがよろしいですね、陛下」
「市内では手狭だとかねてから考えていた。踏ん切りとしてはちょうどいいよ」
わたしがロンディミオンやペリムの都市設計の理想点や、ヴァリアシュテルンの首都ミューゼン、プロジャ首都ベルンドなどから取り入れたいアイデアを話すと、フィレンで生まれ育って街のことをよく知っている陛下は、実現するならどうすればいいかを答えてくれて、場合によってはフィレンでは残念ながら採用できないと教えてくれる。
わたしたちの空想の都市は、街区図の上にどんどん具体的な形となって描き込まれていき、夏の終わりには、予算さえ工面できれば実際に造ることができる、というところまで練り上がっていた。
こっそりと、計画図を避暑地ザルツクヴェーレにも持っていって、そこでは陛下もふだんの一日14時間政務から離れるので、一気に仕上がったのである。
ちなみに、ザルツクヴェーレとは「塩の泉」という意であり、ここの塩泉は身体によく、とくに婦人に効があるとされている。
結婚後なかなか子に恵まれなかった太后ゾラさまは、ここの泉で温浴することで待望の男児を授かり、幼少のみぎりには「塩の皇子」と呼ばれることもあったエルディナントさまは、機縁のあるこの地を夏のご静養先にしているのだ。
……その塩泉の効果だろうか。
「申しぶんない出来だ。勅令を発布し、正式な都市計画として実施する。きみの名前も入れたいが、どうかな、セシィ」
できあがった新帝都フィレンの図を前に満足げな表情を浮かべて、エルディナントさまはわたしの関与も明記したいとおっしゃってくれたけれど、それには首を横に振る。
「いえ、お気持ちだけで充分です」
「なぜだ……? これは七割きみの仕事だよ。母も大臣たちも、これをほとんどきみがひとりで作ったと知れば、出しゃばるな、だなんて偉そうなことはいわなくなるさ」
「認めていただけたとしても……しばらく、お仕事できなくなりそうなので」
「それって……まさか……」
おどろきと期待の入り交じる顔のエルディナントさまへ、わたしははにかみながらうなずく。
「はい。できたみたいです」
「そうか……! よくぞわがアドラスブルクにあらたな一員をもたらしてくれた! 身体を大事にしなければな。くだらない帝妃レッスンはとうぶん休みだ、元気な子を産んでくれ」
気づかいながらわたしを抱きしめてくれるエルディナントさまの全身からは、ほんとうの愛情が感じられた。
このひとが皇帝ではなく、もうすこし気楽な立場の中級・下級貴族、あるいは庶民だったら、もっとしあわせだけを追い求めることができただろうか……一瞬、そんな考えがわたしの脳裏をよぎる。
避暑地にも当然ながらゾラさまはついてきていて、毎日のマナー教室がつづいていたのは、エルディナントさまのおっしゃったとおりで、懐妊によってしばらく解放されることになるのは間違いなかった。
ただ……このタイミングで子を授からなかったら、陛下の都市計画勅令にわたしの名前も併記されて、政務能力を証明する機会になっていただろう。ゾラさまたちの態度も変わったかもしれない。
なおもわたしの関与をかたくなに拒むままであったら、陛下はわたしのために人事権を行使してくれたかも。
だが、あらたな生命をわが身に宿した以上、政治的な行動はしばらくお休みだ。
帝妃という立場だと、一度に両方は手に入らない。
エルとセシィとしての夫婦の愛を、真の意味で実感したその瞬間、わたしは、割り切っていたはずのものが、ひとつこぼれ落ちていくことに気がついてしまった。




