連合消滅
ベミエンの古都プリグにおいて、アドラスブルク帝国とプロジャ王国間の講和条約が締結されてから 一ヶ月あまりがすぎて。
ヴァリアシュテルン、デュレンゲンブルク、サクノスの三王国がプロジャとの和睦に合意した。
サクノスの王権と領土の保全は縁戚であるリュース帝室によって強く擁護されていたため、プロジャは特別な条件をつけることなくサクノス領から軍を退去させ、その独立を保証した。
攻防と占領によって生じた、王都ドラクツェンはじめとする各都市や要塞、鉄道などの損害に対し、勝者の権利としてプロジャは賠償責任を負わない、としたていどであった。
いっぽうで、駐留中のプロジャ軍が行った、糧秣や燃料といった物資の徴発については、プロジャ主計官が発行した戦時軍票の効力を認め、プロジャ政府が支払いをすると取り決められた。
ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクの両王国との交渉においては、プロジャはサクノス相手のときより慎重に振る舞い、地理的にメロヴィグと近い両国がバルトポルテ三世と手を組まないよう、いくつかサクノスには与えなかった権利を認めた。
サクノスは基本的主権が保証され、プロジャ主導の新デウチェへの加盟も強制されない代わりに、デウチェ圏外の国家と同盟を締結する場合(デウチェから弾き出されたアドラスブルクは「圏外」あつかいとなる)はプロジャの許可を必要とする、と付帯要件がつけられたが、ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクには同盟の自由も認められた。
……一見すると、プロジャとメロヴィグを天秤にかけているヴァリアシュテルンおよびデュレンゲンブルクに、メロヴィグと同盟する可能性を残してしまっては、プロジャの利益に適わないように思える。
しかしこれは、ディズマールの巧みな外交テクニックであって、アドラスブルクを破った強大なるプロジャが、ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクとは対等な関係であると認める――と思わせることで、両国の自尊心を満足させ、警戒感を緩めさせる狙いがあった。
同盟締結の自由を保証した上で、ディズマールはヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクへ軍事協約を持ちかけた。
相互不可侵と攻守同盟を主眼とするその協約は、ヴァリアシュテルンやデュレンゲンブルクが外敵の脅威を受けたさいにはプロジャ軍が救援することを約束し、プロジャが攻撃されたさいにはヴァリアシュテルンやデュレンゲンブルクは兵力提供と指揮権移譲の義務を負うが、戦費はプロジャが持つ、とするものであった。
これはあきらかに対メロヴィグの軍事同盟である。ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクの周辺にある国といえば、メロヴィグのほかには、アドラスブルク帝国と、エトヴィラ王国と、スヴェルト連邦であり、エトヴィラはまず統一が優先課題であり、スヴェルトは永世中立が国是だ。
わがアドラスブルクのがわからヴァリアシュテルンやデュレンゲンブルクを攻撃する理由がないことは、いうまでもない。
ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクに、主権国家としての地位を捨て、プロジャが率いる新デウチェに吸収されるつもりはなかった。
攻守同盟よりは相互不可侵という条項に利得を見て、両国はまんまとディズマールの誘いに乗る。
……こうして、ハルファーデン以外の旧連合主要国は、プロジャとの和解に同意した。
残るハルファーデン、ユテニア半島の南西に広がる、歴史的に商業と交易で栄えてきた国だが、ヘムシュタインがプロジャのものになったことで、北の海岸線と、ヘラルド王国と接している西部をのぞき、すべてプロジャに囲まれた立地となった。
かつてのハルファーデンはブライトノーツと同君連合を形成していたが、現ブライトノーツ女王ベアトリスが即位したさいに、男子継承しか認めていないハルファーデンは海をへだてた島国と袂をわかった。
そのときに、あまり円満とはいえない決別をしたため、ブライトノーツ王室は大陸の親類にあまり好意的ではなかった。
つまり、サクノスを熱心に擁護したリュースのような、頼りになるデウチェ外の親戚がハルファーデン王家にはいなかった。加えて、ヴァリアシュテルンやデュレンゲンブルクのように、国外勢力と両天秤をかけてプロジャへ揺さぶりをかけられる立地でもない。
ハルファーデンの隣国ヘラルド、その南のバルディウム、ともに豊かではあるが、有する戦力は主に海軍で、陸軍は本土防衛以上の戦略を持っていなかった。
お人好しにはほどとおい、鵜の目鷹の目を具えたディズマールが、ハルファーデンに対して遠慮をするわけもなく……。
賠償金、要衝地の割譲といった、ほかの主要三ヶ国には突きつけなかった請求をつぎつぎと並べ立て、不名誉な交渉となることを嫌ったハルファーデン王室の面々が避難先であるステイツから戻ってこないのを見て取ると、ハルファーデン議会に圧力をかけた。
矢面に立とうとしない王家に不信感を抱いたハルファーデン国民は、議事堂の前に押しかけて、プロジャに統合を求めるよう気炎を上げる。
当然、ハルファーデンとして独立を保つなら多額の賠償金が税というかたちで降りかかるが、プロジャの一部となるなら一般国民に負担はない――と、ディズマールの息がかかった民族主義団体が吹聴してまわっていたのである。
商業で財を成した新興階層が多いハルファーデンの代議員たちは、不在の王家への忠誠よりも経済性を選び、プロジャに併合を求める議案は少数の貴族、王党派の反対を押さえ、重大決議に求められる2/3の票を得て可決される。
違法な叛逆だとして、王家になおも忠実な一部の議員が軍を動員しようとしたものの、そもそもプロジャとの戦闘で疲弊している上に、王族に見捨てられていると感じて士気が奮わないハルファーデン軍は、駐屯地から議事堂へ向けてだらだらと行進している途中でプロジャ軍に遭遇すると、抵抗することなく武器を引き渡して投降してしまった。
かくして、ディズマールの策略どおり、しかしほぼ合法的に、ハルファーデン王国は解体されてプロジャの一部となった。
そのほかには、主要四王国よりひとまわり小規模ながら、反プロジャの一角としてアドラスブルク・デウチェ連合同盟に加わっていたケッセル大公国もまた、ハルファーデン同様にプロジャの一部として併合される憂き目を見た。
ハルファーデン王家と違って、ケッセル大公の一族は国外に逃亡したりはしていなかったのだが、かねて国民から大いに不人気で、プロジャの一部になったほうがマシだと、議会によって自発的に身売りされてしまったのである。
ケッセル大公家は代々中世的な反動派で、領主権を疑うことなく重税を課し、新聞を発禁にし、集会を取り締まって民衆から嫌われていた。
とくにひどかったのが初代バルトポルテ台頭前に当主だったモーリツで、税の支払いができなくなった住民を戦列艦の搭乗員や傭兵として外国へ売り飛ばし、「民の血肉で肥え太った豚」と揶揄されていたという。
バルトポルテ体制が敷かれる前のデウチェは、形骸化してはいたものの神聖帝国であり、各領邦の統治者は、あくまでも皇帝の封臣なり代官(例外は、独自の君主権を確立して以降のプロジャ王国)であって、絶対権を有する君主ではなかった。モーリツは、法的にも適格性を欠いた支配者だったのである。
……当のモーリツは、悪口以外になんらの報いも受けないまま、贅沢三昧にその生涯を終えたのであったが。
さすがに今世紀に入ってからのケッセル大公はそこまでの暴君ぶりではなかった(皮肉なことにデウチェ再編で絶対君主権は確立されたのだが)ものの、しかし絢爛な衣服に豪壮な城、そして美食を愛好する大公家は、おせじにも国民から慕われているとはいえなかった。
けっきょくのところ、ケッセル大公が反プロジャ同盟に参画した理由も、ディズマールのいうがままに連合改革がなったら地位を追われるとわかっていたからであり、残念ながら妥当な結果を迎えたわけである。
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本格的な秋になるころには、都市の城壁に空いた砲撃の穴や、爆破された鉄橋の基部の上に仮架橋された木製部分といった物理的残響を残しながらも、戦火の空気はデウチェからすぎ去った。
国がふたつ、自由都市がひとつ消滅(フリエンツフルトは特権を剥ぎ取られ、プロジャの一都市とされた)したが、デウチェ内での整理統合であり、外国勢力による領土の蚕食ではないと、前向きに評価する向きのほうが多かった。
プロジャ宰相ディズマールは、公約どおり普通選挙制度(といっても選挙権を有するのは男性戸主のみだが)にもとづく議会を最高機関とするあらたな国家連合を設立すると宣言し、デウチェに属する全主権国家へ参加を呼びかけた。
とくにプロジャと密接な関係にある六ヶ国が即座に加盟すると表明し、南北対立ではアドラスブルク・デウチェ連合同盟がわについた国々も、ディズマールが口先だけでなく本当に普通選挙制議会の設置を約したことで、独裁への懸念がいくらか薄れ、加盟が真剣な検討に値すると考えるようになった。
最終的には、サクノス王国もふくむ、20の国と自由都市が加盟する〈北デウチェ連合〉が成立を見ることになる。
ディズマールはプロジャの国内議会に対しても、これまで否決を無視して強硬執行してきた各予算の事後承認を求め、一定の歩み寄りをしめした。
議会のがわも、ディズマールの軍事と外交の勝利を認めないわけにはいかず、現政権発足以降脱法運営されてきたプロジャ政治は、ようやく正常化へと向かいはじめた。
プロジャがデウチェの再構築へ本格的に動き出したいっぽうで、ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクは新連合へ合流せず、独自の枠組みを作ることを選択する。
南デウチェ同盟――ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルク両王国に、バーゼル大公国、ルケッペ侯国からなるこの小グループは、プロジャにデウチェの主導権があることは認めながらも、いずれ統一の美名のもとに諸邦国の主権を奪い、大プロジャ帝国の成立を宣言するのではないかと疑っていた。
その答えは、遠からずあきらかになることであった。




