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世紀の大宰相ディズマール、その野望と忠節


 オストリヒテ=アジュール皇帝エルディナント・フランツと、プロジャ王太子ヴィルヘルムおよび宰相ディズマールのあいだで話し合われた講和草案は、エルディナント陛下がその場で玉璽を()され、アドラスブルク帝国は即座に承認とした。

 最終決済権を君主エルンストが握っているプロジャがわは、草案を王都ベルンドへ送り、数ヶ所の文言の修正を条件に承認する、と回答を得て、デウチェをまっぷたつに割った戦争は、勃発から二ヶ月ほどで終止符が打たれることになった。


 もっとも、プリグで結ばれたのは、あくまでもアドラスブルク帝国とプロジャ王国、二国間の講和であり、ヴァリアシュテルンやデュレンゲンブルクなど、デウチェ連合の他国とプロジャは別個に和平を締結する必要がある。


 プロジャが第一の要件としているのは、“連合”はもはや存在していないのだと、デウチェ圏の全主権国家が認めねばならない、という点であった。


 アドラスブルク・デウチェ連合同盟の抵抗により、連合は葬り去られても、プロジャ隷下の新連合(仮)へ各国が加入を強いられることはなくなった。

 とはいえ、今後プロジャの勢力がさらに強まることは間違いなく、連合という枠を失った個別の諸邦国に対しては、統一デウチェとしてプロジャへ従うようにと、内外から圧力が高まるだろう。


 ヴァリアシュテルン、デュレンゲンブルク、サクノス、ハルファーデンの主要四王国が、和平に応じるかどうかはまだ予断を許さなかった。


    +++++


 講和条約の修正文言がまとまり、最終確認のためにベルンドへ電信が飛ばされ、返信を待っていた真夏の暑い午後のこと。


 プロジャ交渉団をもてなす席にはいたけれど、会議室での折衝には加わっていないわたしのところへ、ヴィルヘルム殿下がいらっしゃった。


 プリグ城は広大な敷地にまたがっていて、庭園や池も複数ある。アドラスブルク家の主城とされていた時期もあり、いまとなってはフィレン時代のほうが長くなっているが、歴史的にはより古い。


 大河中流域に広がる平地の中で一段高い丘の上に築かれている、という点ではアジュール王都のビュラ宮と同様なのだが、なぜかプリグ城ではビュラ宮ほど空を広く感じられなかった。かつては占星術や錬金術といった、中世的オカルトの一大聖地であった古都の雰囲気がもたらす心理的な影響だろうか。

 魔術師皇帝と呼ばれたアウグスト二世など、アドラスブルクにもオカルトに傾倒していた当主はすくなくない。


 いくらか面妖というか幻妙というか、迷信的な気配はあるものの、プリグ城の庭園は美しいものだった。

 対プロジャの戦争ではアドラスブルクの本領であるオストリヒテを守る最終防衛拠点だったので、子供たちを連れてくるわけにはいかなかったけれど、落ち着いたらゾラとテレーゼ、ヨーゼフにラースローネといっしょに、この古都の空気をじっくり味わいたいなとか、そんなことを思いながらわたしは池のほとりにあるあずま屋にいた。


 そこへやってきたプロジャの王太子が、こちらへ丁重に声をかけてくる。


「失礼します、セシーリア陛下。エルディナント陛下にお訊ねしたところ、こちらにおいでだとうかがいまして」

「ヴィルヘルム殿下、わざわざこんなところまでご足労をおかけしてしまって、すみません。わたしになにかご用でしょうか?」

「じつは……私ではなく、うちのディズマールが陛下とお話しをさせていただきたいと申しておりまして。お目どおりのお許しをいただけますでしょうか?」

「宰相閣下が……? もちろん、否やはありません」

「ありがとうございます、陛下」


 プロジャの大宰相が、いったいわたしになんのご用事があるというのやら。ていうか、ヴィルヘルム殿下が話しかけてくる前から、プロジャがわの従者の列に頭ひとつ抜き出た長躯の姿は見えていたので、ディズマール卿がいるのはわかってたんですけれども。


 形式的に、ヴィルヘルム殿下が一度あずま屋の外へ出て、宰相に許可が出たことを伝える。


 あずま屋のひさしに頭が当たってしまうディズマールは、やや身をかがめてアーチ状の入口をくぐってから、容儀にかなった礼を表した。


「アジュール王妃陛下、拝謁のお許しをいただき、恐悦至極に存じます。いくどかお目にかかってはおりますが、こうして対面をさせていただくのははじめてですね。あらためまして、プロジャ宰相を拝命しております、ベルンハルト=ディズマールであります」

「どうぞ、おかけになってください。……わたしに、お話というのはなんでしょうか、ディズマール卿?」


 ここのあずま屋には据えつけのテーブルとベンチがある。わたしの向かいに着座したディズマールへ、城つきの従者がお茶を出した。

 ディズマールの大きな手がカップをつまみ、お茶をひと口すする。ただそれだけの所作なのだが、長い腕が遠まわしに動いているように見えた。


 カップをソーサーへ戻し、プロジャ宰相の視線がこちらへ据えられた。感情の読み取れない眼だ。


「エルディナント陛下とアングレアム首相によると、わがプロジャの国家戦略をもっともよく見とおし、対抗措置を考案なされたのはセシーリア陛下であるとか。ぜひ、後学のため直接お話しをうかがいたく存じまして」


 あー……まためんどうな。

 わたしは深慮遠謀でものごと考えたりしてるわけじゃないんですってば。全部エルディナントさまのためだし、いずれ帝位を受け継ぐことになるヨーゼフのためだし、ゾラとテレーゼとラースローネが、自分の意にそわぬ政略結婚を強いられずにすめばいいなあ、くらいしかないですよ。

 わたし自身がエルと相性抜群で相思相愛なのは、奇跡的偶然でしかないわけですから、期待していいもんじゃないんです。


「わたしは、エルディナント陛下の妻として夫の(たす)けになれることをしただけです。帝国全体とか、ましてプロジャ王国の国家戦略への対抗だなんて、考えていません」

「アドラスブルク皇帝は帝国そのものです。エルディナント陛下のためにというあなたの行動は、帝国の利益にかなうものでもありましょう」

「わたしが愛しているのは()()ではなく、人間であるエルディナントさまです」


 買いかぶられるのも、底意を見透かされるのも気に入らない。わたしはウソではない範囲でのみ答えた。


 最新兵器と50万の軍勢以上に、その智謀によってプロジャ躍進の原動力となっている不世出の大政治家――いったい、ディズマールはなにを言いたいのか。


「私の母()……いえ、セシーリア陛下ほどではありませんが、賢い女性でした」


 唐突に自分語りに話題を変えて、ディズマールはつづける。


「当家は、歴史こそあるもののこれといってパッとしない、片田舎の郷士(ユンカー)です。最近エルンスト陛下より爵位をいただき、『卿』呼びをされるようになりましたが、出来星分限にすぎません。母の実家は多くの学究の徒を輩出してきた、土地貴族ではない名門で、私は母に言われるまま地元を出てベルンドの寄宿学校(ギムナジウム)に進み、官吏試験を受けて小役人になりました。一度は反発して辞めたのですが、いざ郷士ぐらしをしてみると、私には父のように、農村で平穏な毎日を送る才能はない、ということだけがはっきりしました。……母の目が黒いうちに、手堅い俸禄を得て安心させてやることができなかったくせに、けっきょく、いまの私は彼女が指示していた道の延長線上にいるのです」


 ディズマールはエリート街道を一直線に駆け上がったわけではなく、将来を嘱望されていた能吏だったにもかかわらず、キャリアの下積みをせず投げ出して実家の農園を継ぎ、立身出世に背を向けようとした――という話は、わたしもなんとなく聞いた憶えがあった。


 その後、メロヴィグの政変をきっかけに、プロジャに限らず西方(オチデント)全体が革命騒ぎに揺れる中、保守派の立場から、いかに大衆蜂起を防ぐべきか、上からの改革で社会を善導する必要があると論説を発表し、先王アルブレヒトに近い枢密派(カマリラ)から注目され、中央に呼び戻されることになったのだとか。


 ……己の半生録を語るディズマールの意図がつかみきれないまま、わたしは一般論で応じた。


「身分ではなく実力によって登用される、プロジャの新体制の象徴が、宰相閣下ご自身であると聞いています」

「身分制から実力制への移行は、プロジャにのみ限られたものではありません。メロヴィグやブライトノーツ、リュースも、広く人材を求めています」

「……新時代のデウチェに、(ふる)い帝国の居場所はない、それが閣下のお考えですか」


 わたしがすこしばかり会話の剣呑さを増すと、ディズマールの眼がわずかに動いた。


 口のほうは、さらに話を別方面へ転がしていく。


「かつてデウチェ統合のために、連合各国から代表人が選挙され、しかし各政府からは独立した権限を持って議論した連邦準備議会は失敗しました。陛下には、その失敗原因はいずれにあったとお考えでしょうか?」

「自前の軍備がなかったからでしょう」


 わたしがひと言で片づけると、ディズマールは左眉だけを吊り上げた。

 前振りのない唐突な質問であって、べつに答えなくともよかっただろうけれど、ここで言葉を濁す必要は感じなかった。


 かつてフリエンツフルトで議論され、実現されなかった汎デウチェ統合。そしてつい先日に決裂し、戦争にいたったデウチェ会議。ディズマールは、いずれもオストリヒテを筆頭に、連合諸邦国が既得権へ固執したことが原因だと考えている。


 わたしの理解では、武器を持たずして主権はありえない。武器だけ持っていても、振るう覚悟がなければやはり無意味だ。

 それは今回、プロジャの一方的な連合消滅宣言と新秩序のもとでの統一要求に対して、アドラスブルク・デウチェ連合同盟が劣勢承知の上でなお抵抗をしめしたことにより、証明されたものと思う。


「なるほど……あなたがアドラスブルクでもっとも現実的(リアリスト)であることがよくわかりました、セシーリア陛下」

「こちらからもひとついいですか?」


 わたしが問うと、ディズマールは試されることをおそれる気配を見せず即座にうなずいた。


「もちろんどうぞ、私にお答えできることであればいいのですが」

「閣下は、わが夫エルディナントへ『アドラスブルクの領内に生まれていれば仕えていた』とおっしゃいましたが、もしあなたがフィレンの帝国大臣となっていたら、どのような政策を進めましたか?」


 わたしの質問に、ディズマールはしばし黙考する。適当に答えてお茶を濁そうというつもりはなく、真剣に熟慮しているように見えた。


「そう……ですね、この一両年の範囲であれば、スレズヴェルヒ・ヘムシュタイン紛争で結ばれたアドラスブルクとプロジャの提携が途切れる前に、オストリヒテの西部州いくつかと、トゥレナジェンとフォーゼンの交換をプロジャへ持ちかけたでしょうか」


 ディズマールは、アドラスブルクとプロジャのあいだで、地理的に勢力図を調整することで衝突は回避できただろうと言っている。

 トゥレナジェンはもとを正せばアドラスブルクの領地であったところだが、フォーゼンは旧ポリニカであり、デウチェ圏ではない。


「アドラスブルクはあくまでデウチェ領域からは立ち去るべきだと、それが閣下のお考えですか」

「デウチェは分割できない――それは、プロジャの政策に携わっているからではなく、この時代に生きている人間としての私の直感です」


 こう述べたディズマールの眼に、瞞着や詐偽の色はないようにわたしには思われた。


「なるほど。デウチェをプロジャへ委ねたとして、その対価になにを求めますか?」

「ポリニカの主の証であるジグムントの王冠をエルディナント陛下へ捧げ、リュースの有する領域もふくめ、歴史的全ポリニカをアドラスブルクの治下へ加えることをプロジャに確約させます。場合によっては、アドラスブルクとプロジャの連合でリュースを討つことになるでしょう」


 ごまかしやその場しのぎではなく、真面目に考えてこんなことを言ってのけるとは……こいつはやはり怪物だ。


 ディズマールがプロジャに生まれ落ちたことを、わたしとしては感謝すべきなのかもしれない。

 アドラスブルクの宰相として手腕を振るうディズマールによって、エルディナントさまが果てのない征服事業に駆けずり回らせられる――そんな世界よりは、いまの現実のほうがいくらかマシだろう。


「プロジャ王にもアドラスブルク皇帝と同じていどにはポリニカ王冠の請求権がありますが、プロジャ宰相として、閣下はいまおっしゃった政策を実行に移すおつもりはないのですか?」

「汎デウチェ統合にとって、リュースは主敵ではありません。もちろん、リュースを味方だと考えるのは浅はかですが、すくなくとも、こちらから攻撃するべきではない」


 つまり、ディズマールのつぎの狙いはメロヴィグということになる。連合解消後にプロジャが主導する新デウチェの初期メンバーにはならないであろう、ヴァリアシュテルンやデュレンゲンブルクが向こうから傘下に加わってくるよう、メロヴィグとの緊張関係に巻き込んでいくつもりだ。


「閣下のお考え、よくわかりました。そちらから、まだなにかあれば、おうかがいしますが」

「いえ……セシーリア陛下、本日は貴重なお時間をまことにありがとうございました。直接お話しをさせていただき、じつに有意義でありました」

「わたしも、閣下の政策がプロジャ王家への忠節にもとづいていることがわかって安心しました。今後も職務にご精励ください」

「ありがたきお言葉。――それでは、失礼いたします」


 ディズマールが立ち去ってから、いまさら、昼下がりの庭園がずいぶんと暑くなっていることに気がついた。わたしの顔や首筋、背中にすら汗の一滴も浮かんではいない。ディズマールとの差し向かいのあいだ、もうすこしで鳥肌が立つほどの寒気があった。


 プロジャは、もうわがアドラスブルクにとって敵国ではない。ただ……問題は、これからプロジャは、メロヴィグとの対決姿勢を強めていくだろうということだ。


 どちらにつくか、あるいは、中立を保つべきか。



ディズマールこれでエピソードタイトルに現れること4度目……お前が主人公か?(作者がそういうこと言ってどうする)

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