ふたつの大義
ベミエンの首府プリグは、アドラスブルク帝国きっての古都だ。かつては錬金術や占星術といった、医療や統計学に取って代わられる前は国家運営の枢要であることもあったオカルトの中心地であり、フィレンではなくプリグを帝国の首都と定めた皇帝もすくなくなかった。
現在プリグ城には、先帝でありエルディナントさまの伯父上である、ハインリヒ上皇が住まわれている。
生まれたときから政治に興味を持ったことが一度もなく、在位中も大臣や官僚、そして義妹であるゾラさまに任せきりだった上皇さまは、表敬としてごあいさつにうかがったわたしへ「エルディナントたちもそろっておるよ、まあがんばりなさい」とひと言おっしゃったのみで、会議室まで顔を出すこともなかった。
才能がないのに政治に関与して大炎上するよりは、向いていないことはやらずにやる気と能力がある人にゆだねるのも、君主の資質のひとつではある。
わたしが到着したときには、会議室はすでにアドラスブルク帝国のプロジャ対策本部と化していて、これまで見たことのない数のスタッフが動きまわっていた。
オストリヒテ大元帥服をまとったエルディナントさまはじめ、軍服姿が多い。カール大公のほかには、宮廷儀式のときに、とおりいっぺんの会話をしたことがあったかな?というていどの、なんとなく見憶えだけはあるような気のする顔ばかり。
詰襟のオストリヒテ軍服とは違う、シャツにチョッキのアジュール軍装の人もいた。最近おなじみのバラジョヴァ大将に、首相のアングレアム伯爵も今日は軍服だ。軍人ではないからだろう、マイラー伯はきていないみたい。
「司政官バームガルデン侯以下、わが帝国のヘムシュタイン統治委員および、駐留オストリヒテ=アジュール軍はハルファーデン領へ脱出したそうです」
新着のニュースが読み上げられ、会議室内に安堵のため息が響く中、わたしはエルディナント陛下のとなりの席へ向かう。
「遅くなりました」
「お疲れさま、セシィ。母から電報は受け取ったが、イザベラの具合はどうだった?」
「主に精神面からきていた過労だと思います。ゼクフィコ情勢から離れて、お腹の赤ちゃんのことを一番に考えていただければ、ご本人の体調も回復するでしょう」
「よかった」
「できれば、おそばについてさしあげたいのですけれど」
「すまないが、いまきみの力を必要としているのはわが帝国のほうだ。イザベラは母に任そう」
エルディナントさまは真顔だった。そんなこと言われると……なんか、自分にこの帝国を窮地から救う、すごい秘策が編み出せるような気がしてきちゃうじゃないですか。
「状況の再確認だ。細かい数字は省いていい、手短に」
実質、遅参のわたしに聞かせるためだけに、陛下は現在デウチェ全土がどうなっているのか説明を命じる。カール大公のとなりに座っている、オストリヒテ参謀部の将官らしい軍人が口を開いた。
「プロジャ軍は各地で臨戦態勢を整えておりますが、宣戦布告は通知されてきておりません。ヘムシュタインへの侵犯についても、二国間協定違反に対する緊急措置であり、秩序維持のためのやむをえない治安活動であって、戦争行為ではないとの主張をしております」
会議卓の上に広げられている広域地図には、展開ずみのプロジャ軍をしめす赤い凸型のコマが並べられていた。ひとつがおよそ三万人からなる一個軍団を表しているから、すでにプロジャは総勢で50万を超える大軍勢を動員していることになる。
ただし、各群(一群あたり三個ないし四個軍団)のあいだはそれぞれ離れていて、すぐにアドラスブルク帝国領内へこぞってなだれ込んでくる、という状況ではなかった。ハルファーデンやサクノス、ヴァリアシュテルンにデュレンゲンブルクといった、デウチェ連合の主要国へにらみを利かせる配置となっている。
プロジャにとってはまだ「威嚇」の段階だ。なにがなんでも開戦の火蓋を切る、という構えではない。デウチェ各国へ、戦わずして軍門に下るよう、あるいは最低でも中立を守るように圧力をかけている。
……つまりは、連合各国への「ビビらせ」がすんだら、わがアドラスブルクに向けて進撃してくるってことですけれども。
いっぽうのこちらがわアドラスブルク帝国、オストリヒテ=アジュール軍は、総数では60万と、プロジャをしのいでいる。
ただし、そのうち20万はエトヴィラ方面に配置されているので、対プロジャには使えない。プロジャ軍も動員した全兵力をアドラスブルク帝国攻略に投入はできないだろうから、不利とまでは言えない彼我の数量比だ。
もうひとつの問題は、招集された帝国軍部隊はまだ展開が完了しておらず、移動中であることだった。
ディズマールがその気になれば、すぐにトゥレナジェンからプロジャ軍第二群12万が突入してくるここベミエン州の守備隊は、四万ほど。
「いまプロジャに攻撃されたら、わが帝国のみならず、ハルファーデンやヴァリアシュテルンもひとたまりもないですよね。……サクノス軍は展開すませてますけれど。どうして宣戦布告をしてこないんでしょうか?」
戦力配置を眺めて首をかしげたわたしに、陛下が解説してくれる。
「ディズマールがやりたいのは、征服戦争ではない。ただ勝利することはやつの目的ではないのだ。プロジャの力を見せつけ、全デウチェを威伏して統一を果たしたい。ゆえに、できればプロジャのがわからさきに宣戦布告をするのは避けたいと考えているのさ」
「それでは、プロジャがしびれを切らすまで、防備を固めながら待ちますか?」
「軍の展開は進めるが、ただ待っているだけではまずいな。プロジャの威嚇が功を奏する前に、連合各国を結束させて抵抗を呼びかけたい」
「連合会議で、プロジャにつくかアドラスブルクにつくかを決めるよう、各国に態度表明を要求なさるのですか?」
「危険な賭けだ、と言いたいんだね。覚悟の上さ。失敗しても、デウチェすべてが敵になるだけだ、プロジャの全軍団と戦うことになるのと、大して変わらないよ」
胆をくくった貌でエルディナントさまはそうおっしゃり、カール大公、アングレアム伯、バラジョヴァ大将と、各軍団の具体的配置についての討議に移られた。
デウチェ主要国のうち、サクノス王国はプロジャの動きに反発してすでに軍を臨戦態勢で布陣させていたが、ハルファーデン、デュレンゲンブルク、ヴァリアシュテルンの三国は、中立を保つか、こちらの味方になってくれるか(プロジャにつくことはない……はず)わからない。なので、いくぶん流動性が大きい計画だった。
そのほかの20あまりの中小邦については、アドラスブルクとプロジャがそれぞれ掲げる大義に対する、信任投票として以上の意味はない。純軍事的には無視して差し支えない要素だ。
わたしはアングレアム伯とバラジョヴァ大将からアジュール軍の準備態勢について詳しい話を聞き、ひとつ作戦のタネを提案して会議に貢献することができた。
……名軍師セシーリアの評判を得るより、にらみ合いだけで今回の危機が過ぎ去って、戦争にならずにすんでくれたほうがいいですけれど。
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フリエンツフルトの連合会議において、プロジャ王国がデウチェ連合憲章に違反したとする非難決議、および、懲罰動議の採決が行われた。
オストリヒテ外相ヒューメが論拠としたのは、連合加盟国どうしが事前通告なく交戦することを禁じた連合憲章の条項と、アドラスブルク帝国とプロジャ王国が結んだスレズヴェルヒ・ヘムシュタイン分割協定ではなく、両国とダンヴィケ王国が締結した講和条約の一文であった。
そこには「今後当事国は、スレズヴェルヒおよびヘムシュタインの平和を守るために最大限の努力をする義務を負い、地域住民を紛争から保護するためにあらゆる手段を講じるものとする。ダンヴィケ王国、アドラスブルク帝国、プロジャ王国の三ヶ国協調のみで事態の平和的解決が困難な際は、デウチェ連合に調停を付託するものとする」とある。
プロジャ宰相ディズマールは、個別の条項をつまみ食いして解釈することで実力行使の正当化をしてみせたが、ヒューメもまた、不法行為におよんだのはプロジャのほうだ、と条文のパッチワークをしめした。
ディズマールはすでにフリエンツフルト会議の無益を放言してベルンドに去っていたが、プロジャ代表として残っていた代理公使ギッセンは、
「スレズヴェルヒ・ヘムシュタイン問題の当事国は、デウチェ連合加盟国としてのオストリヒテではなくアドラスブルク帝国であり、連合憲章の交戦禁止範囲ではない。また、プロジャ軍によるヘムシュタイン進駐は『地域住民を紛争から保護するためのあらゆる手段』の範疇であり、連合への調停付託要件を満たしていない」
と、ディズマールがおいていった作文で反論した。
議論は平行線。決着は票決に持ち越される。
……プロジャの連合憲章違反を認定する非難決議は、23の邦国と自治都市が賛成票を投じて可決された。反対したのはプロジャ王国と、プロジャに全面的に依存している従属邦六ヶ国。棄権が二。
なお、自治都市や小邦の持ちぶん一票から、オストリヒテとプロジャの四票まで、構成邦国の規模に応じて持ち票は違うので、実際の票数は46:13であった。
対プロジャ懲罰動議にまで踏み込んだ票決は、棄権が増えて37:13での可決となる。
もっとも、ディズマールが指摘した「違反国に対する罰則規定がなく法的拘束力のない」連合会議の決議なので、懲罰に実質がともなっているわけではなく、象徴にとどまるものであった。
それでも、サクノス、ハルファーデン、デュレンゲンブルク、ヴァリアシュテルンの四王国が、オストリヒテとともにプロジャ懲罰に同調し、外交的にはフィレン政府がベルンド政府に勝利を収めた。
プロジャ王国代理公使ギッセンは、ディズマールから預かっていた二通目の封筒を開けて声明文を読み上げる。
「今回の決議によって、デウチェ連合の有名無実はなんぴとの目にとってもあきらかなこととなった。本日ただいまを以てわがプロジャ王国は永久にデウチェ連合より離脱するが、これは脱盟ではない。連合が消滅しただけのことである」
ギッセンにつづき、プロジャ従属邦の代表六名も席を立ち、議場を去った。
プロジャ軍の展開状況についてちょっと書いてありますが、編成はそんなに厳密ではないです。この時代、地球ではプロイセンには師団制度があり、オーストリアにはまだなかったりという状況でした。
プロイセンでは1個軍が3ないし4個軍団で、1個軍団が2個師団という編成みたいですが…「軍」が「軍団」より大規模とか直感的でないので「群」に変えたりしてます。




