発火点
わたしはゼクフィコのメルヒオール陛下へお手紙を書いて、外交公文ではなく一般郵便として新大陸行きの定期船で送った。
イザベラ妃が妊娠されていること。
ご出産まではトライエットの旧大公邸ですごしていただくので心配はいらないこと。
マクシミリアン皇子がそばにいてくれればイザベラ妃の気が安らぐだろうし、皇子もお母さまのお近くのほうがよいのではないだろうか、ということ。
ユージュセルからトライエットまでイザベラ妃をお連れする手段については、わたしは汽車でいいと思ったけれど、太后ゾラさまが断固反対し、船旅を主張なさった。
「汽車の速度と振動は、母体にとってぜったいに有害である」
電報の文面越しでも伝わってくる義母の烈気に、わたしは義妹の身柄をお任せすることを承知した。
海が荒れたら船の旅も妊婦にはよくないと思うんですけれど……まあ、この季節なら平気でしょう。
ゾラさまが自ら船に乗ってイザベラ妃を迎えにいらっしゃるということで、わたしはしばらくユージュセルのゼクフィコ大使館で義妹のそばについていた。
そうしているうちに、手足の軽いむくみや吐き気といった妊娠初期の症状が出はじめて、イザベラ妃のお腹にあらたな生命が宿っていることがはっきりしてきた。
イザベラ妃の体調が落ち着いた隙を見ては、義妹の代わりにゼクフィコの外交官を連れてユージュセル王宮に行ってみたり、ロンディミオンのブライトノーツ政府へ電報を打ってみたりもしたけれど、色よい返事は得られなかった。
ブライトノーツもバルディウムも、やはり合衆国の顔色をうかがっている。
ロンディミオンのタッセル外相からは、ブライトノーツとしては近くロペス・ガルシア政権を正当なゼクフィコ政府として承認する予定であり、退位して平和裏にロペス・ガルシアへゼクフィコを明け渡すようメルヒオール帝を説得してくれれば、ロンディミオン政府はもと皇帝の身の安全を保証するよう、ロペス・ガルシアへ強く要求する――だなんて、逆提案が届く始末だった。
かなり前に一度お話ししたと思いますが、ブライトノーツが共和主義者合衆国を仲介役に、ロペス・ガルシアと交わしていた密約について、当事者以外ではじめて知ることになったのは、わたしだったというわけなんです。
これは当然、いまイザベラ妃に話して聞かせるべきことじゃない。ゼクフィコ大使に、ブライトノーツは完全にロペス・ガルシアがわについている――と本国へ極秘報告書を送らせるのみにとどめて、大使館内にうわさも流れないよう口をつぐんでいるしかなかった。
イザベラ妃が船でバルディウムを離れてから、各国駐在のゼクフィコ外交官たちで対策を練ってもらうほかないだろう。……といっても、全権特使だったイザベラ妃が事実上リタイアしてしまったいま、残ったゼクフィコ外交部要員になにができるかは心もとなかったが。
わたしがユージュセルに到着してから10日ほどたって、太后ゾラさまの乗ったオストリヒテの船が、アルトウェーベンに入港すると連絡が入った。海から運河で内陸部へとさかのぼって、首都ユージュセルの北50キロほどのところにある、バルディウムの交通の中心地だ。
ひとりめのマックス皇子のときも悪阻が重かったイザベラ妃を気遣いながら、わたしはユージュセルからアルトウェーベンまで河を下るはしけ舟を手配した。
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アルトウェーベンで義母に義妹の身を託し、わたしは汽車でデウチェ連合内を突っ切るルートで帰国の途についた。向かうさきは帝都フィレンでも王都ビュラでもなく、ベミエンの首府プリグである。ベミエンはオストリヒテの北がわに位置するアドラスブルク最北の領邦であり、プロジャと国境を接している。
いまやアドラスブルクとプロジャの直接交戦は避けがたい情勢となっており、最後の調停の努力がディズマールによってひとつひとつ粉砕されつつあった。
ディズマールはデウチェ連合改革案を持ち出してフリエンツフルトの議場を紛糾させるのと相前後して、エトヴィラと同盟してロカーナ地方への攻撃を準備させていた。
以前に当時のアドラスブルク外相イルヒベルクを脅した戦略上のゲームを、ディズマールは実際にやってみせたのである。
むろんながら、これはわれわれアドラスブルク帝国にとって看過しがたい敵対行為だった。
オストリヒテ外相ヒューメはデウチェ連合会議でプロジャ非難決議の採択にこぎつけたが、ディズマールはそれすらも民族主義の動員に逆用した。
いわく、デウチェ連合は既得権益層の巣窟、アドラスブルク帝国の走狗であり、もはや正しく機能していない。
プロジャ王国だけが、デウチェ人によるデウチェ人のための、あらたなる統一デウチェを創建できるのであり、連合会議がこのまま自己保身のために改革案を否決しつづけるのであれば、物理的に破壊して再構築するほかない――と。
プロジャは、ディズマールは、ここにいたってアドラスブルクを狙い撃ちする政策から、デウチェ連合そのものの解体にまで論争を拡大させた。
民族主義者たちが、各国の王宮前で個別君主の退位とプロジャ王のもとでの統一デウチェに合流するよう要求する中、ディズマールはあらためてデウチェ議会選挙の制度案を提示し、採決を迫った。
選挙区の区割りやそれぞれの議員定数にまで踏み込んだ具体的な草案だったが、要は親プロジャ派が過半数を握る恣意的な選挙区構成であり、その上オストリヒテには議席割り当てがなかった。
オストリヒテ在住のデウチェ人には権利がないとでもいう気か、という抗議の声が出て当然のはずだったのだが、事態が帯びる熱が議論の輪にいる人々の頭から冷静さを奪っていた。
民族主義者はただひたすらデウチェ統一万歳を唱え、自由主義者のインテリたちは、大衆を巧みに動員するディズマールに革命の陰を見て、議会設立という陽の部分を認めようとしなかった。
王党派は強く威信ある大プロジャ誕生の気配を歓迎する者がいるいっぽうで、「おらが国の王さま」が単なる田舎貴族のひとりになってしまうことを惜しむ、地域への愛着を持ち地元名士による自治を望む地方分立支持者まで、微妙な色わけがあった。
いずれにしても、ディズマールは本質となる議論を持ち出しながら、細かな点から人々の目をそらさせて、改革とプロジャによる統一への道か、現状維持と閉塞への道か、という奇妙な二項対立がいまのデウチェの問題なのだと、錯覚させることに成功していたのである。
事実上、アドラスブルクに対してディズマールは、プロジャに無条件で屈服するか、戦争を選べ、と二択を突きつけていた。連合各国に対しては、アドラスブルクを見捨てれば助けてやらんでもないぞ、という付帯選択がついている。
ディズマールのケンカ腰の態度に対して、フィレンの帝国政府はやむなく戦時動員を発令した。連合会議でどんな結論が出ても、アドラスブルクとプロジャの戦争はもう防ぎようがない。これほど苛烈な要求を出されては、戦って負けても戦わずして白旗を揚げても同じだった。
あとはプロジャの属国ではないデウチェ連合諸邦が、どのくらい敵にまわるか、中立でいてくれるかていどしか違いはなかった。
……と、アドラスブルクは交渉を断念してしまっていたのだが、採決寸前で、ヴァリアシュテルンとデュレンゲンブルクを中心とした連合第三極が、戦争回避へ向け粘り腰の採決をひねり出した。
プロジャ提出のデウチェ連合議会設立議案は、条件つき可決。
ただし、連合加盟諸邦国に保証されている自治権に鑑み、普通選挙を実施するかどうかの判断は各邦国の議会で決定するものとする。
ディズマールがこれまで巧みに使いこなしてきたレトリックをうまく逆用した、ギリギリのいなし。各議会は二週間以内に結論を得るべしと時間制限をして、無期限の遅延行為だとディズマールがいちゃもんをつける隙もふさいでいた。
完全にあきらめていたヒューメ外相は、親プロジャ派、親アドラスブルク派、第三極のあいだを駆けまわって調整に尽くした、サクノス代表ノイステンシュタインの前で泣いたという。
これですくなくとも、連合加盟諸邦国の各議会が選挙への賛否をあきらかにして、再度連合会議が開かれるまでは平和が保たれる……と思われたところで。
突如スレズヴェルヒとローゲンベルクから進出したプロジャ軍がヘムシュタインを侵犯し、開会準備中だったヘムシュタイン議会を制圧した。
地域議会の開催は、スレズヴェルヒおよびヘムシュタインの分割統治を定めた、プロジャ・アドラスブルクの二国間協定に違反する――それがディズマールの論法だった。
個別条項のパッチワーク……狡猾だが法理の上では破綻のない詭弁で、ついにプロジャは実力行使に踏み切ってきた。
わたしがプリグ駅に到着したのは、まさにヘムシュタインの国境が突破され、電信による速報が汽車を追い越して、プリグの街がざわついているさなかであった。




