再会
ゼクフィコ帝妃イザベラ陛下、メロヴィグを電撃訪問――その速報は、ベラスを発した船がメロヴィグ西海岸のル・クロトへ入港するより前に、フィレンまで届いた。
海上で復路の特別船と遭遇したメロヴィグ海軍の快速艇が、イザベラ妃が乗っていることを報せられて大急ぎで先まわりしてきたのである。
いまや重大ニュースは、海峡を隔てたブライトノーツからでも五時間あれば西方全体に伝わる。もう20年もすれば、新大陸とのあいだの海底ケーブルも安定して、世界中のできごとがその日のうちに報道されるようになるだろう。
義妹が急にこっちの大陸へ戻ってくると聞いてわたしもおどろいたけれど、いつも昼餐は職場である帝国政庁でお摂りになっているエルディナントさまが、私房へ一度戻っていらしたほどだった。
あわてる料理番や配膳係りたちへ、みなと同じものを一食ぶんだけ持ってくればいいと告げ、エルディナントさまはわたしたちがお昼の途中だったテーブルへおつきになる。
「イザベラが、いまメロヴィグに向かっている船に乗っているとか」
「わたくしたちもその話で持ちきりよ」
と、憂い顔でおっしゃったのは太后ゾラさまだ。嫁のイザベラ妃もさることながら、愛息メルヒオール陛下のことが気がかりでしょうね。
「バルトポルテの違約を伝えられるなり、外交通知を挟まずにすぐイザベラを特使として送り出さねばならないほど、ゼクフィコの状況はよくないのか……」
先日のメロヴィグの手のひら返しについては、わたしたちも当然知っている。エルディナントさまは「これが議会なるものの不定見だ」と党派政治に批判的なことを述べられていたけれど、まめにニュースが入ってくるメロヴィグと違って、ゼクフィコは遠い。
「イザベラさまはペリムとユージュセルをご訪問されることになるでしょうけれど、フィレンまでいらっしゃるでしょうか?」
わたしがなんとなしにそう言うと、ゾラさまとエルディナントさまはそろって眉根を寄せた。
なにかまずかったですかね……?
エルディナントさまが口になさったのは、わたしが予想していないことだった。
「セシィ、きみに否やがなければだが、イザベラのところに行ってもらえないだろうか?」
「わたしでお役に立てるなら、もちろん。ですが、わたしでだいじょうぶでしょうか?」
わたしが小首をかしげると、ゾラさまからも意外なお言葉が飛んできた。
「わたくしからも頼むわ。いまイザベラを一番助けることができるのは、たぶんあなたよ、セシィ」
「わかりました。お役に立てるかどうかはともかく、とりあえずイザベラさまのもとへまいります」
今日中にイザベラ妃を乗せた船は入港するだろうから、いまからトライエットまで行ってのんびり船では追いつけない。汽車が苦手なゾラさまに陸路の強行軍は無理なので、そうなるとわたししかいなかった。
頭の中で経路を考えながら、エルディナントさまにイザベラ妃と落ち合う手はずを連絡してもらえるようおねがいする。
「ペリムだと、たぶん間に合いませんから、ユージュセルか、そのつぎにイザベラさまがお立ち寄りになるところで合流できるよう、調整をしていただけると助かります」
「とりあえずフリエンツフルトに向かってくれ。汽車が着くまでには日程をすり合わせておく。あとの話は現地要員から聞いて」
「承知いたしました」
お昼ご飯をすませてから大わらわで準備して、またしてもホルツェンレムス伯爵夫人となったわたしはフィレン駅から汽車へ飛び乗った。
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「セシーリアお義姉さま、会いたかった!」
「イザベラさま、だいじょうぶですよ、落ち着いて」
三年半ぶりに顔を合わせた義妹は、かなり憔悴していて、まずは彼女がひと心地つくまで背中をさすっていなければならなかった。
南国の陽射しでオリーブ色に灼けている膚は一見健康的であったけれど、むきたてのゆで卵のようだったかつてのハリとツヤを憶えているわたしの目には、その表面のザラつきとくすみが気になった。
水が合わなかったというのもありそうだが、多くは精神的なものだろう。帝妃ともあろうものがロクな食べ物も口にできないほど、さすがにそこまでゼクフィコ帝国政府が追い込まれているわけではない。
「もう、この大陸にわたくしたち夫婦の味方はいないのですわ……」
「ペリムでバルトポルテ三世と直接お会いすることはできましたか? ルティアーナさまとは?」
「会見だけは、できましたが……」
わたしとイザベラ妃が合流したのは、バルディウム王国の首都ユージュセルにあるゼクフィコ大使館だ。イザベラ妃にとっては久方ぶりの祖国ということになる。
イザベラ妃から、まずはペリムでのできごとについて話を聞いた。
――ゼクフィコ全権特使として、バルトポルテ三世の、メロヴィグ政府の約定違反を糾弾するため、イザベラ妃は勇んで港町ル・クルトから帝都ペリムへと直行した。
ところがそこで待っていたのは、ゼクフィコ帝妃陛下を歓迎するレセプションの準備すらされていない、平常運転そのものの花の都だった。
政府庁舎であるメルク宮では受けつけで追い返され、休会日だという理由で、立法院議長からも、閣僚からも面談を断られる。
バルトポルテ三世の邸宅であるエテメナー宮だけはゼクフィコ特使一行を迎え入れたが、あくまでも私人、皇帝夫妻の友人としてのあつかいであった。
憤激するイザベラ妃からメルヒオール陛下直筆の手紙を受け取ったバルトポルテ三世は、きわめてしおらしい態度で、ゼクフィコがわの怒りを当然のことだとして、違約の指摘に対する反論のひとつもせず、ただ己の無力を嘆きつつ、むしろ強調した。
「私は字面から連想されるような、絶対権力者としての〈皇帝〉などではないのですよ、イザベラ陛下。私はメロヴィグ国民のごきげんしだいで、明日断頭台に登らされてもおかしくはない。ここメロヴィグはそういう国なのです。――混迷のゼクフィコにも皇帝を与え、メロヴィグと同じ楽土を建設させよ……それが数年前の国民の主張でした。私は国民の意向を受けた議会にしたがっただけです。いまは、ゼクフィコから手を引き、投資したカネを取り戻せ……という論調に変わってしまった。私の独力ではどうにもできないのです」
……このバルトポルテ三世の自己弁護には、いちじるしい欺瞞がひとつある。ゼクフィコ干渉は、メロヴィグ国民の総意によって進められた海外政策ではなく、モラン公爵とルティアーナ妃の主張にバルトポルテ三世が流された結果だったからだ。
ただ、介入打ち切り議決に対し、バルトポルテ三世の拒否権は事実上効果がなく、無力であるということだけは正しい。
つづいてイザベラ妃と面談したルティアーナ妃は、個人としてゼクフィコ皇帝夫妻への同情と共感を大いに表明し、メロヴィグ議会の裏切りを口をきわめて罵ったが、なにもできることはない、という点では夫と変わりない結論を述べただけだった。
イザベラ妃をとくに消沈させたのは、ゼクフィコ帝冠を放棄し、退位して亡命するようにと、ルティアーナ妃が勧めてきたことであったという。
「ルティアーナさまが親切心でおっしゃったということはわかっています。ですが……都合が悪くなったから国を捨てて逃げる――そんな浅い覚悟で、わたくしもメルヒオールも、ゼクフィコ帝冠を受諾したわけではございませんわ」
イザベラ妃は、自分たちは半端な気持ちでゼクフィコの玉座に就いたわけではないと、涙ながらに主張した。
わたしにはいささか耳が痛い。わたしは、革命派によってエルやヨーゼフが犠牲の羊にされそうになったら、帝国なんか三日で投げ売りして亡命する気しかなかった。
王室に生まれたイザベラ妃と、公爵家といっても政治権力とは無縁の田舎貴族の娘であるわたしの、責任感の差だろう。
……もっとも、王の中の王たるアドラスブルク一門に生まれたエルディナントさまは、帝国を放擲するなんて考えに同意はなさらないだろうから、もしものときはアジュール軍でも使って力ずくで連れ去るほかあるまい。
弟ぎみであるメルヒオール陛下も、自らの安全を理由にした退位など肯んじないに違いなかった。玉座と帝冠は神から授かったもの、一身命惜しさに投げ出すなど、棄教に等しい――おそらく、彼はそういう。
「イザベラさま、アルベール陛下とはお話になられたのですか?」
わたしはつぎの質問に移った。イザベラ妃のお父上であるフェリクス陛下は、昨年の暮れに崩御されている。いまバルディウムの王冠を戴いているのは、イザベラ妃の実兄であるアルベール陛下だ。
「昨日、兄とは会いました。ですが、バルディウムとして進んでゼクフィコ情勢に関与するつもりはない、メロヴィグとブライトノーツが全面支援を再開するなら、イルパニアの代わりに政権承認くらいはしてやろう……などと、見え透いた言い逃ればかり」
兄上のすげない態度を咎め立てするイザベラ妃には、以前の誇り高く、他人のちょっとした言動に機嫌を損ねがちな姿がすこし戻ったように見えた。
もしバルトポルテ三世とルティアーナ妃が、もっとふてぶてしい態度でいたら、イザベラ妃は怒りの炎を持続させて、ペリムで粘り腰の交渉をつづけていたかもしれない。狙ったわけではないだろうけれど、メロヴィグ皇帝夫妻は正直に自分たちの不誠実さと無力を認めたことで、イザベラ妃の気勢を削いでいたのだ。
なお、アルベール陛下の言いぶんはもっともである。最初は三国合同だったゼクフィコ帝国後援団は、そうそうにブライトノーツとイルパニアが抜け、いまやメロヴィグまでも脱落してしまったのだ。バルディウム王国として、内戦を切り抜けた合衆国を敵にまわすリスクを取ってまで単独支援など、できたものではない。
……メルヒオール陛下の実家でありながらロクな援助をしていない、アドラスブルク帝室の一員であるわたしの口からは、とてもアルベール陛下を薄情者と非難はできなかった。
残るはブライトノーツか。この事態の元凶でありながらゼクフィコ干渉から一抜けして、無関係のフリをしている古狐だが、ステイツとの太いパイプはメロヴィグやバルディウムにはない大きな武器だ。
「イザベラさま、ブライトノーツへ向かわれますか?」
「予定にはありませんでしたが、行ってみるしかないかもしれませんわね。成算は薄いけれど、ロンディミオンからなにか引き出せ……」
「イザベラさま!?」
大使館の談話室で、ソファに並んで座って話していたため、急に意識を喪ったイザベラ妃が、床へ倒れ込むまえに身を支えることはできた。
「お、お妃さま!!?」
「医者、医者!」
ゼクフィコかバルディウムの侍従たちが取り乱す中、ひとまずわたしはイザベラ妃の身をソファへ横たえ、そのかたわらにかかんで容態をたしかめた。
浅くてすこし苦しげだけれど、呼吸はしている。やや熱っぽいかもしれない。これは、もしかすると……。
「呼ぶなら婦人科の医師を」
わたしが声をあげると、あわてふためくばかりだった侍女のひとりがこっちへ寄ってきた。この種の人たちは、具体的な指示を受けることに馴れている。
「婦人科、ですか」
「イザベラさまはご病気ではないわ。ご懐妊よ、たぶんね」
地球の歴史では、フランス議会と世論どころか、ナポレオン三世も、皇后ウジェニーも、みんなで一致してメキシコ皇帝マクシミリアンのことを見限ります。作者としてはフィクションにことよせて「フランス人とか全員クソやで」と書きたいわけではないので、いくらか変えました。
メルヒオールはマクシミリアンより政権運営頑張ってますしね(マクシミリアンも大真面目ではあったのですが)。




