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暗雲は遠しと見えども


 スレズヴェルヒとヘムシュタイン――北洋へ向け突き出ている半島の南半分とつけ根に位置しているふたつの公国を、アドラスブルク帝国とプロジャ王国が分割統治するというのは、そもそもの最初から不自然であり、不安定な協定であった。


 本土から遠い飛び地の管理に音を上げたアドラスブルクが、ヘムシュタインを自分から手放すように仕向ける――それが、プロジャの宰相ディズマールが最初に考えていた長期的な術策だったのかもしれない。


 しかし実際には、分割による決着がついてから半年もたたずに、あらたな問題が噴出していた。


 スレズヴェルヒにおいてマイネレンベルク大公ルートヴィヒを支持する結社が摘発され、プロジャ治安当局に追われた運動員がヘムシュタインに逃げ込んできたというのである。


 プロジャがわから強い口調で叛乱分子の捜索と摘発をするよう要請され、ヘムシュタイン詰めのアドラスブルク治安担当官は困惑した。


 ヘムシュタインの治安維持策として、アドラスブルクはオストリヒテ=アジュール軍を駐留させていたが、警察活動については以前からの現地要員に任せていたからである。

 オストリヒテ警察は、微に入り細を穿ち執拗という意味で、主に反体制運動をしている活動家から恐れ嫌われている。つまり有能といえば有能。しかしそれは何十年にも渡って積み上げてきた、地元の地理的・人間関係的構造への知悉あってのことであり、ヘムシュタインにすぐ応用できるわけではない。人員の導入計画もなかった。


 端的にいえば、予算がないからである。


 そしてヘムシュタインに古くから住んでいる地元の人々は、ディズマールの札束ビンタによって継承権をあきらめさせられたマイネレンベルク大公に、いまでも同情的だ。スレズヴェルヒから活動家が逃げ込んできたというニュースが入ってくる前から、マイネレンベルク大公への連帯を表明する動きはちらほらあった。

 警察官とてひとりの人間であることは、いうまでもない。


 要するに、ヘムシュタインには親マイネレンベルク大公運動を取り締まる能力がなく、また意思も薄かった。


 これを機会と捉えたか、声高に指摘し糾弾してきたのがディズマールだ。


 補償金を受け取り、正式に継承権を放棄したマイネレンベルク大公に、いまなおスレズヴェルヒやヘムシュタインの統治権があるかのごとき言説を唱えるのは、完全な違法行為であり、叛逆である。

 ヘムシュタインを統治するアドラスブルク帝国施政当局は、厳格な取り締まりを行わなければならない。その任に耐えられないのであるなら、ヘムシュタインを放棄すべきだ。わがプロジャ王国へ治安維持を委譲するのであれば、当方は遺漏なく社会秩序を保つであろう。


 ……というのが、フィレンに送りつけられてきた抗議文の要旨である。


 もはや法的根拠を持たないマイネレンベルク大公の継承権を主張する勝手連の運動など、黙殺するだけですむにもかかわらず、針小棒大にことを荒立てようとしている。


 当然、例によってフィレンの帝国貴族重鎮たちは即座に沸騰した。


 諮問会議決議文にいわく、内政干渉もはなはだしい、プロジャのエルンスト王へ宰相ディズマールを解任するよう即時最後通牒を宣告すべし――と。


 ディズマールが独断でこんな安い挑発をするわけはない。エルンスト王以下、プロジャ政府の枢要にある人物のあいだではとっくに意志統一(コンセンサス)が成っているのだ。


 いま戦えばアドラスブルクに勝てる、それがプロジャの目算。


 裏を返せば、わがアドラスブルクとして、まだプロジャ相手に戦端を開くわけにはいかなかった。


    +++++


 年明けそうそう、エルディナント陛下の詔勅によりオストリヒテ・アジュール連絡会議が開催された。


 皇宮の年初儀式があったのでアジュール政府の閣僚も全員フィレンにいたけれど、会議に出席するよう召喚されたのは、首相アングレアム伯爵と陸軍相バラジョヴァ大将に、宮内卿マイラー伯爵だけだった。

 フィレン帝国政府がわは、オストリヒテ・アジュール連絡相エクセルハーディ伯爵と、イルヒベルクの後任であるヒューメ外相、そしてヘムシュタイン司政長官バームガルデン侯爵が出席。


「新年だというのに、ゆっくり飲む間もなく仕事で悪いな。バームガルデン長官、ヘムシュタインの統治でなにか問題は起きているか?」


 公式の帝国政府の閣議ではないので、出席者それぞれの位階に則った仰々しいあいさつは抜きだ。ごくあっさり切り出された陛下の下問に、初参加であるバームガルデン侯爵はややまごつきながらも答える。


「えー、いえ、大過なく治まっております。たしかに、マイネレンベルク旗を掲げた行列などがないわけではありませんが、女子供も混じったのどかなものでして、暴動などにいたる気配は一切ございません。……前より野菜が高くなった、という話を聞くていどです」

「公国のころのヘムシュタインは関税同盟圏内だったからな」


 北国であるユテニア半島は寒冷なので、耕地よりも放牧地のほうが多い。畑で育つのは馬鈴薯や蕪といった根菜類で、葉物野菜はもうすこし温かな地方からの輸送に頼っている。

 むかしは漬物(ザワークラウト)としてしか食べられなかったけれど、鉄道の発達によって新鮮な野菜も手に入るようになったのだとか。

 アドラスブルク領になったことで、ヘムシュタインはプロジャ主導の関税同盟からはじき出されてしまったわけだ。プロジャ領となったスレズヴェルヒでは、以前のダンヴィケ圏時代よりも関税が低下したことによって、物価がいくらか安くなっているだろう。


「ディズマール宰相の抗議はあきらかに大げさです。そもそも、当のマイネレンベルク大公には、もう統治の野心がないのですから」


 といったのはヒューメ外相だった。


 その指摘のとおり、たとえスレズヴェルヒとヘムシュタイン双方の住民がこぞってマイネレンベルク大公を君主として招請しても、彼がいまさら引き受けることはないだろう。圧倒的プロジャの国力と、それを十全に操るディズマールの政治手腕にマイネレンベルク大公は屈服したのだ。


 つまりプロジャに、ひいてはディズマールに、マイネレンベルク大公をいまさら警戒する意味などない。アドラスブルクに圧力をかける()()に使っているだけだ。


「ですが内政干渉ですからな。ただ黙っているわけにもいきますまい」


 エクセルハーディ伯はそういって肩をすくめた。


 バカバカしいけれどもこれはメンツの問題であって、プロジャに言われっぱなしのままで反論もしないでいれば、デウチェ連合内でのアドラスブルクの威信が低下してしまう。アドラスブルク帝国に統治力なし、というイメージを充分流布させたら、ディズマールはつぎの手を打ってくるに違いない。

 たとえば、スレズヴェルヒとヘムシュタインで住民投票を行って、帰属先を選択させようと提案してくるとか。

 民族自決・主権在民を好むバルトポルテ三世なんかはまっさきに賛同を表明するだろうし、デウチェ連合内でも否よりは賛の意見のほうが多くなるだろう。


 多数の少数民族を抱えたわがアドラスブルク帝国にとって、住民投票は悪夢だ。それぞれ好き勝手にやらせるとすぐ内戦になるから、皇帝の名のもとに諸民族平等(に支配権がない)体制を敷いているのだから。


「バラジョヴァ大将、新型大砲の配備状況はどうなっている?」


 エルディナントさまは結論を急がず、ひとつずつ確認を進めていく。


「先年のうちにフゼッペ社より、新型砲200門受領完了しております。検収の結果、火門不備一、旋条不備二、すでに完動品と交換もすみました。予定どおり今月中に各部隊へ配備できる見込みですが、砲弾の備蓄を考えれば、今年の上半期いっぱいは時間が欲しいところです」

「半年、どうにか時間を稼がないとな。……戦わずにすむ方法があれば、それに越したことはないが」


 バラジョヴァ大将の報告に、陛下は腕を組む。


「スレズヴェルヒ・ヘムシュタイン協定は、アドラスブルクとプロジャの二国間で締結されたものです。連合会議で正式に採択を求めるよう、ディズマールに打診してみるのはいかがでしょうか」


 アングレアム伯の提案は、マイネレンベルク大公支援運動そのものを無意味化すれば、プロジャはいちいち気にする必要がなくなるだろう、という間接的な回答だった。


 マイラー伯が首をかしげる。


「乗ってくるでしょうか? マイネレンベルク大公支持派の動向など、ディズマールは実際のところ歯牙にもかけていないでしょう」

「まあ、ただの言いがかりだな。連合全体での議論になどしたら、紛糾するばかりでわが帝国にとっても面倒なことになるが。それでも、ディズマールの要求にバカ正直にしたがって治安要員を増強するよりは安上がりだ、やってみよう。ヒューメ外相、要領はわかるな?」

「フリエンツフルト会議に小委員(パネル)開催を要請し、ベルンドへは公文を打電します」

「それでいい」

「御意に」


 陛下の指示を受けてヒューメ外相が各地の外交官へ連絡するため席を立ち、会議もお開きとなった。


 会議のあいだただ椅子に座っていただけのわたしへ、エルディナントさまが声をかけてくる。


「今日はどうしたんだいセシィ? ずっと黙っているだなんて」

「すこし……気になるんです」

「と、いうと?」

「ディズマールはまだなにか仕込んでいるはずです。なにか……見落としがあるような」


 読めそうで読めない、川の向こう岸の看板に書かれている、かすれた文字を識別しようと目を眇めている気分だ。


「いま考え込みすぎる必要はないよ。ディズマールはたしかに底が知れないが、すくなくとも明日プロジャが宣戦布告をしてくることはない。せっかくの年はじめだ、もう仕事のことは忘れよう。アジュールから極上のワインが届いているよ」

「……そうですね」


 エルディナントさまの公私の切り替えの早さは羨ましい才能だ。夫としての顔になったエルが差し出す手を取って、わたしたちは会議室からご馳走が並んでいる大広間へと向かった。



アジュールのモチーフであるハンガリーは、有名なトカイワインの生産国でもあります。

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