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爾平和を欲さば、戦さに備えよ《Si vis pacem, para bellum》


 フゼッペ社との契約を締結したわたしは、ふたたびホルツェンレムス伯爵夫人として汽車に乗り、フィレンにではなくビュラへと帰った。


 ビュラ宮では、夏季休暇に入っていたエルディナントさまが、テレーゼ、ヨーゼフ、ラースローネとともに、わたしとゾラを出迎えてくれた。


「きかんしゃでお出かけとか、ママとゾラだけいいなー」


 デウチェのほぼ東の端から西の端まで往復する汽車の旅から帰ってきた母と姉を、羨ましげな視線で見るヨーゼフへ、


「おみやげもらったわよ」


 と笑いかけ、わたしはキタイベル中尉を手招きする。


 皇子の前に進み出た中尉は、片ひざついて、ひと抱えほどある円筒状のものを差し出した。布で覆ってある。


「なに……?」

「自分でたしかめてごらんなさい」


 母親(わたし)に言われ、ヨーゼフはなぜかおそるおそると手を伸ばして布を取りのけた。たちまち、その顔がおどろきと喜びで輝く。


 中尉が抱えていたのは、機関車のミニチュアだ。1/24サイズとのこと。契約に気をよくした大砲王が、皇太子殿下にとプレゼントしてくれたのである。


 ホンモノと同じ素材で造られている上に、タンクに水を入れて、木炭なり、石炭のかけらを燃焼室で燃やすと、実際に動くのだという。


「すっごい、すっごい!」

「あー、無理無理! 絶対持てないから、重いよ」


 自分でミニチュア機関車を抱えようとするヨーゼフを、あわてて制止した。鋼鉄と真鍮でできているので、見た目の三倍くらい重たいのだ。

 最低限の従者しかつれていない汽車の旅なのでとても持って帰れない、と最初は断ったのだけれど、キタイベル中尉が「このくらいなら持てますよ」といって受け取ってくれたのだった。


「落としてしまうと、壊れて動かなくなってしまうかもしれませんからね。自分が持ちますよ、殿下」

「……え、ほんとうにうごくの?」

「実物と同じ仕組みだそうです。炭をひとかけら拝借して、やってみましょうか」

「やるやる!」


 すっかりミニ機関車に夢中のヨーゼフは、中尉といっしょに水と燃料を調達すべく、厨房のほうへと向かっていく。水と木炭なら、従僕か侍女に頼めばすぐ出してくれるはずだ。

 ままごとやお花よりチャンバラや鉄砲が好きな性質(たち)の次女テレーゼも、汽車を走らせるのに興味があるようでついていった。


 いっぽうのゾラは末妹のラースローネを抱っこして、レッセ峡谷のおみやげである牛乳キャラメルコンフィチュール・ド・レを食べさせてあげていた。あのあたりはメロヴィグにほど近いので、食文化にいくらかメロヴィグ風のところがあるのだ。

 太后ゾラさま監督のもと、フィレンの皇宮にいるあいだは甘味不足の生活を送っているラースローネは、お姉ちゃんがくれたお菓子に大喜びだ。


「あまくておいしい!」

「よかった。虫歯ができたらおばあさまにあまいもの食べたってバレちゃうから、あとでしっかり歯をみがこうね、ラジィ」

「はーい」


 子供たちがそれぞれ動きまわるのを見守ることのできる位置で、エルディナントさまは穏やかな笑みを浮かべている。わたしもそのとなりに立って、言葉は交わさずにただ手を伸ばし、エルと指を絡めて平穏な家族のひとときにひたった。


 ここが大きなお城であることをのぞけば、どこにでもある、ふつうの平和な一家の日常だろう。


 今回の旅行でわたしが持ち帰ってきたおみやげは、いま手持ちにあるわけではない。子供たちがいるところで話す内容でもなかった。


    +++++


 ビュラへ戻った翌日、エルディナントさまとわたしはアジュールの国王夫妻として会議室で席を並べた。


 アジュール政府の閣僚は、首相アングレアム伯爵と、陸軍相バラジョヴァ伯爵、産業相フォルツキーが出席。リッテ渓谷までわたしと同道した宮内卿マイラー伯爵が、〈大砲王ウォルフ〉率いるフゼッペ社とアジュール王国政府のあいだで交わされた契約について報告する。


「――改修型鋼鉄製後装砲200門、年内に納入するとフゼッペ社より確約を得ました。ひとえに、セシーリア陛下のすばらしい交渉手腕あっての成果です」

「先行して教導用の砲を12門、今月中に受領できるとのことでありますので、各砲兵部隊に順次慣熟訓練を施し、本納入後は検収をすみやかに行い、年明け一月中には200門すべてを実働部隊へ配備完了させます」


 新型砲到着を見越して、いまから準備しておくとバラジョヴァ陸相がつづけ、エルディナント陛下は満足げにうなずく。


「どうにか間に合いそうだな。あとは、戦える体勢が整う前にプロジャの挑発に乗らないようにするだけだ。王妃、きみのおかげだ。ありがとう」

「いえ、フゼッペどのに先見の明があったからこそです。まだまだ利益が出るにはほど遠い段階のアジュール鉄道の権益の意義を、説明なしで理解してもらえました」


 わたしは謙遜というわけではなく首を左右に振る。アジュール国有鉄道株の過半数というのは、額面だけでみれば新型砲200門の代金とは釣り合わないのだ。

 いちおう説明するつもりはあったのだけれど、利に聡い大砲王には、51%の議決権の意味するところをこちらからわざわざ話して聞かせるまでもなかった。


「まさか、王妃陛下が個人でアジュール国鉄の株を3%もお持ちだとは思っておりませんでした。しかしながら、アジュール鉄道の議決権の過半数、フゼッペ社に握られてしまって、今後に差し障りはないでしょうか……?」


 いささか不安げにそういったのは、産業相フォルツキーだった。アジュール政府が保有する議決権つき国有鉄道の株を拠出するように求めたのは、陛下とわたし、アングレアム伯で相談した結果だ。


 政府の議決権が半分を切っても、フゼッペに過半数を握られるわけではない、と判断して応じたのに、まさかわたしが3%アジュール鉄道株を持っていて、フゼッペに渡すと約束してしまうとは思っていなかったのだろう。


「約款にあるとおり、敷設ルートの変更や廃線といった重要議案に関しては、過半数ではなく2/3の議決権が必要ですから、フゼッペは勝手にアジュール鉄道を解体して売り払ったりできるわけではありません。フゼッペが考えているのは、アジュール鉄道に自社の鉄鋼を使わせることですから、当面はわれわれにとってもフゼッペにとっても利益のある取引になったはずです」

「そう願いたいものですが」


 まだ安心しきれていない様子のフォルツキーをよそに、エルディナント陛下はべつのことをお訊ねになられてきた。


「それにしても、現金払いにこだわっていたフゼッペが、どうしてアジュール鉄道の株は受け取ってくれるとわかったんだい、セシィ? 国債にしろ国有鉄道の株にしろ、国富を証券化したものに変わりはないと思うんだが」

「ええと……仮に一国の政府が倒壊し国体に変更があった場合、国債は新政府が継承を拒否するかもしれないけれど、地下資源であるとか、鉄道や運河などの基幹インフラにおいては、その価値が減じるわけではないから、だと思います」


 国家存亡に責任ある立場としては不謹慎さがあるなと感じつつ、わたしは自分が理解している範囲で答えた。


 プロジャとわがアドラスブルクが、近い将来戦火を交えるであろう蓋然性は高い。回避できるに越したことはないけれど、もしどうしても衝突が防げなかったとして。


 戦争の勝敗そのものがどうなるかの予想はできない。それでも、はじまった戦争がいつか終わるのだけは間違いない。


 フゼッペの立場として、一番損がないのは、交戦当事国双方に鋼鉄砲を売り、戦争で被害を受けたとしても再建が必須の分野に足がかりを作っておくことだ。

 アドラスブルク帝国の国債は紙クズになるリスクがあるけれど、国内の鉄道は壊滅したとしても絶対に再敷設が必要であり、フゼッペ社はどう転んでも損をしない。

 ゲスな考えかたをすれば、フゼッペの鋼鉄レールをフゼッペの鋼鉄砲で破壊して、また敷設し直すのが一番儲かるのだから。


 ゆえに、アドラスブルク帝国内の鉄道権益の証書を受け取るぶんには、フゼッペの背信をプロジャ政府は勘ぐらなくても平気なのである。

 そもそも新型大砲を他国に売るな、というのがプロジャ政府の本音ではあろうけれども、叙爵を断ってプロジャ王権との一体化から距離をおいたのはフゼッペのがわだ。そこで強引に独占契約を守らせようとしてもうまくいかないであろうことは、大砲王の抜け目ない態度をみればわかる。

 たぶんディズマールあたりが、フゼッペに圧力をかけるより、資金力にものをいわせてプロジャ軍が後装式鋼鉄砲を一番多く購入するほうが得策だ、と判断したのだろう。


 今回のわがアドラスブルクとの交渉に関しては、フゼッペの立場からすれば、アジュール鉄道よりもオストリヒテ鉄道の株券を受け取れたなら、より望ましかったに違いない。

 あいにくと、オストリヒテ鉄道の株は、これまでのフィレン政府の財政赤字を穴埋めするため、すでに大半が民間に払い下げられてしまっているので、わたしたちにはアジュール鉄道株しか手持ちがなかったのである。


「……なるほど、つまりフゼッペは、個別の国家の存続には関心がなく、自分の商売でいかに利益を上げるかしか考えていないのか」


 儲けのためならなんでもする、守銭奴フゼッペ像が脳裏に思い浮かんだらしい、嫌悪感ある表情になったエルディナントさまへ、いちおう大砲王をひとこと弁護してあげるべきかなと、わたしは補足をつけくわえた。


「フゼッペどのは、革命思想に対して明確に否定的な考えを持っていました。社会改善は秩序を保ちながら行わなければならず、既存の体制を覆して更地から作るべきものではないと。プロジャ政府への協力も、単に地元だから、というだけの理由ではないように感じられました」

「つまりフゼッペは、アドラスブルク帝国も無政府主義革命に対する防壁足りうると評価したわけですな。ヴァリアシュテルン公爵フリードリヒの娘として、欽定改革思想を受け継いでおいでのセシーリア陛下は、まさにフゼッペとの交渉役に最適であられた」


 アングレアム伯が大げさなことを言い、バラジョヴァ陸相とフォルツキー産業相が『おおっ』だなんて勝手に感動して、畏怖の眼差しでこっちを見てくる。


 そんなたいそうなもんじゃないですから、やめてくださいよ、と言いたいのだけれど、わたしの素を知っている陛下とアングレアム伯、マイラー伯は、わかっていてやっている。


 オストリヒテ=アジュール帝エルディナント・フランツの妃として、アジュール王妃としてのわたしには、雰囲気だけで臣下を傾倒させるカリスマがなければならないのだ。

 虚像だけれど、エルディナントさまの補佐をするためには必要なこと。


 ただ……エルディナント陛下はアドラスブルクの当主として、600年つづく帝国の統治者として、3000万の臣民に対する真の責任感を持って政務に取り組まれているけれど、わたしはそうじゃない。


 わたしが守りたいのはエルと子供たちだけ。家族のしあわせと、ほつれゆく帝国の維持――相容れるようで重なってはいない、このふたつの命題は、いつまで同じ道を歩んでいられるだろう……。


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