死の商人フゼッペ
マイネレンベルク大公がスレズヴェルヒとヘムシュタインの継承権を放棄し、二公国はアドラスブルク帝国とプロジャ王国によって分割統治される――と、正式な協定とともに帰属問題の決着が発表され、デウチェ連合中から不満と憤りの声があがっていた夏の盛りのこと。
わたしは汽車に揺られてデウチェの西の端、メロヴィグ国境にほど近い、リッテ渓谷を目指していた。
リッテ渓谷は風光明媚な景勝地としても知られているけれど、遊びに行こうというわけではない。
アドラスブルクの帝妃としての身分は伏せられ、わたしはホルツェンレムス伯爵夫人なる、アジュール貴族に嫁いだヴァリアシュテルンの旧帝国騎士の娘で、不幸にも若くして未亡人になってしまった……という設定であった。
まあ、ご時世がご時世だけに、アドラスブルク帝室関係者が御用列車仕立てて、デウチェ領内を汽車の旅ってわけにはいかないんですね。
あと、用件も他国、とくにプロジャに漏れるとまずいのです。
ホルツェンレムス伯爵は山をいくつか所有していたが、最近になって地下に石炭が埋まっていることがわかった。未亡人としては、夫の残してくれた財産を有効活用したい。……というカバーシナリオのもと、周辺諸国でもっとも炭鉱業が発展しているリッテ渓谷へ視察のためおもむく、というのが現在のわたしの役柄なのでした。
連れているのは、リッテ渓谷の有力な炭鉱業者の御曹司相手に、できればこのさいに婚約も決めたい、ということになっている長女のゾラ(子供に偽名で役を演じきれというのは難しいので名前は変えない)と、執事マクレガーということになっているマイラー伯爵に、家僕ということになっているキタイベル中尉とノルジードラ大尉。そしてアジュール人侍女がふたり。
一両まるまる占有できる御用客車の旅ではなかったものの、一等客車のボックス席は充分に快適だった。以前メロヴィグへいったときは、車内でずっとお行儀よく座っていなければならなかったゾラは、気ままにしていても口うるさく注意されない道中が楽しそうだ。
「お母さま、えんとつがたくさんある!」
窓を開けて外を眺めていたゾラが、テンション高く声をあげた。
リッテ川、ヴェルデ川、タシュレット川、そしてそれらを合して北海へそそぐレヒテ河――石炭とともに鉄鉱石も産するこの一帯はデウチェ最大の工業地域であり、プロジャ産業の心臓である。
座席を立って娘のとなりへ行ってみると、すこし風は煤くさい。汽車が噴いている煙のせいばかりではないだろう。流れる川の水面の青と丘陵の草木の緑がつづくのどかな光景のあいだに、工場が建ち並んでいて、煙突からはもくもくと黒煙が立ち昇っている。
「掘り出した石炭を燃やしてるのよ」
「きかん車みたいにうごくわけじゃないのに、どうして?」
「石炭を燃やして汽車を走らせるかわりに、機械を動かしているの。石炭を燃やしてモノを動かす装置は蒸気機関っていうんだけど、その前は水車をつないで動かしていたのよ。だから、このあたりにはむかしから工場がたくさんあった」
「どうして水車を使わなくなったの?」
「雨が降らなくて川の水がすくなくなると、水車を動かすことができなくなっちゃうから。石炭は掘り出しさえすれば、お天気と関係なくずっと機械を動かすことができるってわけね」
わたしの説明に、ゾラは納得の表情を浮かべてから、ちょっとまてよ、という顔になった。
「それなら、石たんがあれば川の近くじゃなくても工ばを作れるのじゃない?」
「そういうこと。大きな川がダヌール河くらいしかないアジュールにも、石炭があれば工場を作れる。このあたりの工場を運営している人と会って、アジュールにも工場を建てようってお話をするためにきたのよ」
いや、自分の娘とは思えないほどゾラは賢いなあ。実際には、水運の活用とか、工業用水の取水とか、川辺に工場を立てるメリットはいまの時代になっても健在なのだけれど、細かい例外事項の話をして頭をこんがらがらせる必要はないだろう。まずは原則的な考えから。
「わたしもおばあさまやお母さまみたいに、大きくなったら、オストリヒテとアジュールをはってんさせるためにはたらくの」
将来の希望に燃えて、ゾラのお目々をお星さまが彩っている。太后ゾラさまは、孫娘がまさに名も意志もご自身の生き写しに育とうとしていることへ、どのような感慨をお持ちなのだろうか。
政治から遠ざけたはずの嫁が、こうしてアジュール王妃というかたちで国政に関与していることを苦々しく見ているのと同じく、孫娘がしめす早熟な知性の片鱗も矯正しなければならないとお考えなのか。孫娘をご自身と似た女傑に育てたくないという心理があるとしたら、自己嫌悪の裏返しのようで、すこし痛々しい。
……まあ、わたしもちょっとずつながら太后殿下の通ってきた道に近づくにつれ、わかるような気のする部分もありますけれど。
今回のリッテ渓谷訪問の目的にしても、ゾラに話して聞かせた、国内産業振興は二義的なものだ。
真の用件は、新鋭プロジャ軍に対抗するための兵器を調達すること。アドラスブルクを倒してデウチェに、いずれは全西方に覇を唱えんとする、エルンスト王と宰相ディズマールを阻止するための軍拡計画だ。
ゾラにはまだ早いし、できることなら、生涯かかわらないでいてほしい政治の暗部である。
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プロジャ最大の鉄鋼製造業者であるフゼッペ社の主、ウォルフガング=フゼッペは、一見するとどこにでもいそうな、典型的デウチェの職人だった。
頑固で神経質そうな、自分の仕事に妥協しない、産業革命以前の親方気質を持った、旧いタイプの男のように映る。
だが、ひとたび口を開けば、その実像がまったく旧世紀の頑固親父とはかけ離れていることがすぐにわかった。
職人としての自分の技量が遺憾なく発揮できれば、社会だの国際情勢だのはどうでもいい、というような求道者ではない。
フゼッペは自分が開発した鋼鉄が世界を変えることを明確に認識しており、そしてその方向性について一家言があった。
ホルツェンレムス伯爵夫人としてのわたしを迎え入れたフゼッペは、鋼鉄製レールと鋼鉄製車輪の開発によって鉄道を陸運の王に押し上げた自社の功績について滔々と語り、さらに、従業員のために実質無償の社宅や食堂を整備したこと、労働災害によって従業員が死傷した場合には、当人のみならずその扶養家族にいたるまで生活保障を与えているのだと強調した。
「――この世界はもっと正しくなる必要があるのですよ、ホルツェンレムス夫人。上に立つものは下々に保護を与え、下々はその恩に応えて働く。義務を果たさず搾取するだけの人間は貴族であろうと上に立つ資格を持たず、権利のみを声高に叫び奉仕に背を向ける人間は賤民でいることすら許されるべきでない」
「それがプロジャ王国軍へ大砲を納入する理由ですか、フゼッペさま?」
フゼッペ流の長い長い演説を聞き終えた(ゾラを侍女といっしょに宿においてきてよかった)わたしがごく簡単に質問すると、プロジャ重工業の旗手は不思議そうな顔になって目をしばたたかせた。
「……たしかに、王家であるという歴史的事実にあぐらをかくだけではなく、その義務を果たそうとしているプロジャの現王とその政府に、わしは賛同してはいる。ホルツェンレムス夫人、あなたは、亡きご亭主が遺した山に埋まる石炭を活用し、領地に産業を興すために、こちらへいらしたのではありませんでしたかな?」
「はい。領地の振興を求めていることもウソではありませんが、わたしが本当にお目にかかりたかったのは〈大砲王ウォルフ〉としてのあなたなのです、フゼッペさま」
わたしがにこりと応じると、フゼッペは眉間にシワを寄せる。
「あなたのおっしゃりよう、領地ひとつの伯爵家の未亡人とは思えませんが。まるで……一国を治めている君侯のような」
「じつを言えば、わたしはホルツェンレムス伯爵家の者ではありません。夫も健在です」
「……なんですと?」
怒りより困惑がさきに立っている様子のフゼッペへ、執事のマクレガーことマイラー伯が種明かしをする。
「こちらは、アジュール王国のセシーリア陛下であらせられる。私は、アジュール宮内卿を拝命しているマイラーと申しまして、マクレガーではない。身分を伏せて訪問させていただいたことをお詫びする、フゼッペどの」
「……アドラスブルク帝妃陛下でいらっしゃると」
アジュールのいち伯爵夫人とその家令たち、というふれこみに最初から違和感を覚えていたのか、正体を明かしてもそこまで疑わしげな表情にはならなかったフゼッペへ、わたしは否定ではなく、一部訂正のために首を左右に振った。
「アドラスブルク帝妃としてのセシーリアは陛下ではありませんよ、フゼッペどの。こちらへは、アジュールの王妃としておうかがいしたのです。これからさせていただくお話は、すべてアジュール王国からの正式なご相談となります。もちろん、わが夫エルディナント・フランツも承認ずみです」
わたしの言につづいてマイラー伯がしめした書面にしばらく目をとおし、フゼッペは居住まいを正した。
フゼッペ社はアドラスブルク帝国内の各邦にも鉄道レールや機関車の部品を納入している。アジュール政府の正式な書類であることはわかるはずだ。
「ご用件を承りましょう、セシーリア陛下。軍需品のお話ということでありましょうか?」
「ええ。貴社が製造している鋼鉄製後装砲を、アジュール王国軍に導入したいのです」
セシーリアのモチーフであるハプスブルク皇后エリーザベトは、実際に偽名を使って諸国を漫遊する人でした。偽名で投資口座を開設して(まだまだザルザルな時代です)皇帝から賜与された御用金を株取り引きで利殖するなど、才色兼備の賢婦人であったことは間違いない人です。




