西太洋のあっちとこっち
人の世が荒れても穏やかでも、時の流れは淡々としたもので、またひとつあらたな年がやってきた。
前年のうちに、水面下ではスレズヴェルヒ・ヘムシュタインの分割で合意していたアドラスブルク帝国とプロジャ王国であったが、いかにして実行するかについては見とおしが立っていなかった。
すくなくとも、デウチェ連合内での賛成多数は期待できない。デウチェ民族主義のいきおいは強く、ダンヴィケ覇権主義から解放されたスレズヴェルヒとヘムシュタインが、個別の国家に組み入れられることに対して、激越な感情的反発が渦巻いていた。
プロジャ国内ですら、併合法が議会を通過できる見込みはなかったのだ。
アドラスブルク帝国における議会は、各地域代表が意見表明する場にすぎず、皇帝の政策決定が他者によって覆されることはない。だが、立憲制であるプロジャの場合そうもいかなかった。
……といっても、プロジャ憲法は国防と外交に関して国王大権を強く擁護していて、宰相ディズマールはその一点を利用することで、何年間も議会の否決を無視し、予算承認なきままエルンスト王の認可印ひとつで政策をゴリ押ししているのだが。
ディズマールは年明けに、スレズヴェルヒ・ヘムシュタイン両公国の君主権を主張している、マイネレンベルク大公ルートヴィヒと交渉を行った。
ダンヴィケが支払った賠償金と、アドラスブルク向けにプロジャが準備していた補償金、これらを支払うことで、両公国に対する継承権の主張を取り下げてもらえないか――というのがディズマールの出した条件だった。
ルートヴィヒ大公は、渋った。個人的関係としては良好で、すでに大宰相としての地位を確立しているディズマールのことを尊敬しているルートヴィヒだったが、最近はデウチェ統一運動から距離をおき、国際秩序と自国中心主義のいいとこ取りをしているように見えるディズマールのことを、信じていいものか迷っていたのである。
デウチェ民族主義者の視点からすると、国際秩序なるものは、初代バルトポルテやブライトノーツ人によって作られた手前勝手なルールで、一枚噛んでいたオストリヒテはともかく、当時は弱小国の寄せ集めにすぎなかったデウチェ連合各邦が、押しつけられたルールにしたがう義理などあるのか? という思いが拭いきれないものなのだった。
ルートヴィヒ大公は、両公国を一括してプロジャへ供託することは認めるが、アドラスブルクとの分割には応じられない、と回答した。
……事態は、奇妙なねじれ構造を呈してきたわけである。
アドラスブルクは、スレズヴェルヒ・ヘムシュタインがプロジャに総取りされてしまうくらいなら、ルートヴィヒ大公にゆだねたい、と考えている。
プロジャは、できれば全部欲しいが、デウチェ連合内に新しい邦国を樹てたくはない。それよりはアドラスブルクと山わけするほうがマシだ、という腹づもり。
マイネレンベルク大公ルートヴィヒは、もし両公国を手放すのなら、プロジャに、ディズマールに預けたい。純粋デウチェ国家ではないアドラスブルクに半分渡すのは嫌だ、という思い。
さて、面倒なことになったわけです。
スレズヴェルヒ・ヘムシュタインの現地では、ルートヴィヒ大公を支持する集会が連日開かれていた。フリエンツフルトの連合会議でも、拘束力こそないがマイネレンベルク大公国の設立を承認する決議が採択される。
連合諸邦国が騒いだり抗議したりするのは黙殺するとしても、マイネレンベルク大公が正式に継承権を辞退してくれないと、併合にせよ分割統治にせよ話を進められない。
ディズマールはどうするつもりなのだろうか。
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この年の春、西太洋の向こうがわ、新大陸において、大きな動きがあった。
四年間におよんで南北に分裂して争われていた、ステイツの内戦が終わったのである。
だが、犠牲も大きかった。多数の人命の喪失や各種資源の浪費のみならず、勝利をおさめ正統政権の座を確立した北部がわ、共和主義者合衆国の大統領リンゼレイが、南部自由合衆国の降伏とほぼ同時に暗殺されてしまったのだ。
暗殺犯は、逆転を狙う南部政権が送り込んできたエージェントというわけではなく、北部の住民でありながら南部の理念に共感を抱いていた、舞台俳優のサミュエル=モードなる男であった。
以前に自分が出演していたことのある、勝手知ったる劇場をリンゼレイが訪れると知ったモードは、逃走用の馬の準備を同志に頼んだだけで、単独で演出用の隠し通路を伝って警備をかいくぐり、大胆不敵な犯行をやってのけた。
周到に準備された組織的計画でなかったがために、却って察知されることがなかったのである。
さすがに逃亡までは首尾よくいかず、立てこもりと銃撃戦の果てにモードは射殺されたが、逮捕して裁判にかけることができなかった点は、北部政権の威信をいくらか損なった。
自らの口から犯行動機を語ることのなかったモードだが、南北再統一を果たして求心力を高めたリンゼレイが、大統領から終身独裁官に、さらに王なり皇帝に成り上がるのではないかと疑心暗鬼に囚われて、阻止のために決起したのだとメモを残していた。
強力な指導者を失ったステイツが、すばやい再統合と復興を果たせるのかどうか、内戦が終わってもなお、新大陸情勢はまだまだ曲折を予感させるものであった。
……もっとも、ステイツは安定を取り戻すなり隣国であり裏庭のゼクフィコに対する干渉を再開し、革命軍を率いるロペス・ガルシアを支援するであろうから、わたしたちアドラスブルク家の人間からすれば、ステイツの復活を喜んだり祈ってばかりもいられない。因業なことである。
ロペス・ガルシアの対抗馬としてゼクフィコ皇帝の地位を固めようとしている、エルディナントさまの弟ぎみメルヒオール陛下から見れば、ステイツの再統一はありがたくないニュースなのだ。
新帝国建設の道半ば(というよりまだ踏み出したばかり)のメルヒオール陛下にとって、さらにもうひとつ、時期を合わせたかのように悪い報せが重なった。
メロヴィグのモラン公爵が急逝したのである。
異父兄である皇帝バルトポルテ三世より三歳若い50代前半であり、現役の立法院議長としても任期半ばで、まだ老け込むような齢ではなかった。
自身が抱える多額の借金を減免してもらうため、銀行家ジェイケラーが持っているゼクフィコ権益を守りたい――というセコい動機ではあったものの、モラン公はゼクフィコに駐留するメロヴィグ派遣軍の実質本国司令で、メルヒオール政権のもっとも有力な後援者である。その死が、メロヴィグのゼクフィコ政策を動揺させることは、およそ避けられないものと思われた。
メロヴィグの後ろ盾が期待できなくなるとして、ステイツの支援を受けて攻勢をかけてくること確実なロペス・ガルシアに対し、メルヒオール陛下が頼りにできる味方はどれほどいるだろうか。
ゼクフィコは、旧大陸、あるいはステイツの北部領域と違って、産業革命が波及していない、前世紀からの流れがそのままの社会だ。
新興階層はまだ数がすくなくて、持てるものと持たざるものの差は、基本的に土地の有無である。
既得権益層はことごとくロペス・ガルシアを嫌っている保守派だが、ではメルヒオール陛下の支持者なのか、といえばそこまで単純でもなかった。
メルヒオール陛下は、ロペス・ガルシアが施行した宗教法撤廃を旧に復しておらず、ロミア正教のみが唯一の信仰である、とはしていなかったからだ。
これは、政教分離を定めているメロヴィグの制度に倣ったという建前であり、公式にはケチをつけづらい。面と向かってメルヒオール陛下へ異を唱えるのは、教皇至上主義者だけだった。
アドラスブルク家の人間として、熱心な正教派信徒であるメルヒオール陛下が国教の指定をしなかった背景には、さまざまな信仰が入り混じっている上、とくに指導的立場の政治家に改革教派の信奉者が目立つ、合衆国への牽制がある。
信仰の自由を謳った合衆国憲法を旗印に、ロペス・ガルシアへのさらなる肩入れをステイツにさせまいとする、メルヒオール陛下の判断であり、旧大陸列強の見込みよりも早く、北部の勝利で内戦が終わったことで、新帝の慧眼をしめす一例となっていた。
南部では、正統教派のほうが人口に占める割合も、指導層にも多く、宗教法復活をテコに、自由合衆国とゼクフィコを統合して大南部合衆国を建国しよう、という声も一部にはあったのだが。
やはり、遠くから見ているだけなのと、すぐ隣国からでは、形勢判断の精度は違うのだろう。
目下、メルヒオール陛下が取りかかろうとして地主層から強硬な抵抗を受けていたのが、奴隷を禁じるゼクフィコにあって実質農奴制となっていた、小作人制度改革である。
以前に、ゼクフィコでは、不公平な契約によって小作農は働けど働けど借金が減らず、大地主の農園に縛りつけられている、というお話はしたと思います。
メルヒオール陛下が主導する新帝国政府は、前借り現物支給の実質無賃労働から小作人を解放し、賃金労働者とすることで、生産性を高めるとともに余剰人員を離農させ、地下資源開発に振り向けたり、さらには国外から工場を誘致したいと考えた。
それに対し、地主たちは「タダでこき使える農民がいくらでもいるのに、わざわざ現金を支払うとかありえない」と不満を公言し、サボタージュする。
……まあ、こういう損して得とれ式の改革って、理解してもらうの難しいんですよね。
どんだけ働いても待遇が良くならないなら、がんばるだけ無駄じゃん――となって農民のがわも限界までサボっているのに、表面上はコストがかかっていないから、地主は農地が本来よりも低い収益しか上げられていないことに気がつきにくい。
ましてゼクフィコは温暖で地味が良いので、雑な農作業でも普通に収穫物が実ってしまうのであった。
そこでメルヒオール陛下の改革に力を貸してくれたのが、ポリニカからの移民たちである。
アドラスブルクとプロジャのポリニカ地域から五万人ほどが海を渡り、さらにリュースともあるていどの話がついたことで、十数万人が渡航の準備をしている。
彼らの信仰は正教派で、現地有力者からの印象も悪くない。加えてポリニカ人は多くが勤勉な農夫であった。
もちろん、ポリニカとは気候も土地柄もまるで違うゼクフィコで、以前の経験がそのまま使えるわけではない。まして言葉も異なる。
語学に明るいアドラスブルク一門の例に漏れず、メルヒオール陛下は、ポリニカ語も、ゼクフィコの日常語であるイルパニア語も、ともに流暢に使いこなす。数人の通訳をつけて、ポリニカ人たちに首都エル・オーロ郊外の御用地を任せ、農作業をさせた。
結果は……働いたポリニカ人たち自身が一番おどろいたほどの大収穫である。玉蜀黍をはじめとするゼクフィコ土着の農作物は、きわめて収量が多いのだ。
メルヒオール陛下は豊作に目を丸くする首都周辺の大農園主たちへ、生産性を高めれば主食作物へ割り当てる耕地を減らせる、あまった農地でコーヒーやサトウキビといった高価値の作物を栽培すれば、これまでの10倍20倍の利益が得られるのではないか? と示唆して、フェデリゴ=ロドリゲスら大地主数人から、小作農制度改革を試行する協力を取りつけることに成功した。
……もっとも、ゼクフィコでの畑仕事ははじめてだったとはいえ農作業自体は手馴れたものであるポリニカ人と、恵まれた耕地と天候があったからこその一シーズンでの成功であって、輸出用の商品作物の栽培となれば一年や二年では結果が出ない。
ロドリゲスたちが小作人改革の意義と成果をゼクフィコ全土へ向けて提示できるようになるまでの数年間を、メルヒオール政権が耐えぬけるかどうかが、新ゼクフィコがひとり立ちできるか否かのわかれ目になるだろう。
ウルトラモンタニズムとは「山の向こう」が原義であり、北ヨーロッパ側から見たイタリア半島、すなわちローマに住まう教皇を至高とする思想です。主義者としてはウルトラモンタニスト、となります。
この作品世界でもデウチェやメロヴィグから見ると、エトヴィラ半島のロミアは山の向こう側になります。




