予想していなくはなかったけれど…いや想像以上に息苦しい
かたむき気味とはいえ大帝国の君主の結婚式、当然ながら一日二日では終わらない。
わたしはすっかりフラフラになってしまって、黙って突っ立っていればフル装備のゴテゴテとしたドレスを着つけてもらえるのが、ありがたいと感じはじめてくる始末だった。
お風呂も、口を半開きにして魂抜けてるあいだに全身くまなく洗われ、水気も完全に拭き取ってもらえる。ああもう好きにして。
それでも結婚式前に母からいわれたことを思い出したので、エルディナント陛下の妻、帝妃なのだという不動の証しを立てるべくがんばり、どうにかことをすませた。
実際には、二日めの夜もエルディナント陛下が晩くて待ちきれずに眠り込んでしまい、三日めになりましたが。
これで、シャルロッテお姉さまはあらたな旦那さま候補を探すことができる。
王侯貴族の結婚というのは、書類にサインして印璽を捺し、式を挙げるだけでは完了しないのだ。既成事実がなければ、婚姻不成立となる。
あくまで成立せずであり、離婚じゃない。正教派は離婚を認めない。そもそも結婚していなかった、という苦しい言いぶんとなる。
もっといえば、結婚後何年も子宝に恵まれない、あるいは継嗣となる男児が産まれない場合も、教皇台下の聖断があれば婚姻不成立が認められる場合もある。
つまり、わたしはまだまだ帝妃として真の「安定」にはほど遠いわけだけれど、アドラスブルクは女性の家督相続も認めると前世紀に家法をあらためているから、男の子に恵まれないがために嫁ぎ先から追われる、という、古典的な悲劇の懸念だけはなかった。
とにかく、ひとりでいいから産めばいい。それに関しては、かつてのお妃たちよりずいぶん楽だ。
アドラスブルクは男子は多種、女子は多産の家系。相続資産を守ることに固執しすぎて、伯父姪婚などという極端な近親結婚政策に迷い込んだ一時期をのぞき、後継者不足に悩まされたことはない。むしろ玉座や冠が足りずに涙を飲む、第二以下の皇子や大公が多かった。
それでも一族は結束固く、骨肉の相続争いが展開される、なんてことがめったになかったおかげもあり、アドラスブルクが一度は全世界を征したのだ。
衆道に走って子づくりを拒否した当主すら、500年を超える歴史でひとりしかいないというのだから、そうした意味でも優良血統である。
ちなみに日の出の勢いの新興強国プロジャの場合、男女同衾拒否勢はじつに男子王族の三人にひとり。わたしの伯母上であるヴィルヘルミーナさまはだいじょうぶだったけれど、さらにその前、エリーザベトさまは先代プロジャ王マクシミリアン陛下がそのクチで、偽装結婚の人柱となった。現王アルブレヒトはマクシミリアン陛下の弟ぎみの息子さんだ。
……うん、わたしは嫁ぎ先がプロジャじゃなかっただけ、たぶんまだいいほうだわ。
1/3でホ○の旦那さまがあたるよ! って、それ喜べるシュミはあいにくと持ってない。絶対イヤってほどではないけれどね、自分が当事者でさえなければ。
とまあ、そんなしょうもないことをつらつら考えつつ、自分に「まだ運がいいほう」と言い聞かせなければならないのは、結婚式とその他もろもろのごたごたが落ち着いて、地獄の帝妃教育延長戦がはじまったからだった。
しかも太后ゾラさま直々のウルトラスーパーハードコース。
やばい。厳しいとかそういうレベルじゃない。角度とか。
お辞儀とかダンスのときのターンの角度ならまだわかるのだけれど、ティーカップひとつ持ち上げるのにもひじの角度決まってるとか、いやちょっと無理です。
定規や金尺を当ててあれこれいってくださるのはまだいいんですが、すみません、わたしちょっと、腕とか脚が長いんですよね? 関節もう一個増やせと?
ゾラさま、結婚三日めまでは、厳しいといえば厳しいお顔だけれど、なんというか、修道院の女官長みたいな感じで、他人に対する厳しさだった。
四日めの朝から、つまり、わたしが名実ともにエルディナントさまの妻となってから、厳しさの質が変わった。
完全に、覚えの悪いわが子を叱責する、親の顔。
教えなきゃいけない、じゃなくて、できるのが当然でしょ? という。
……これは、ゾラさまは最後の最後まで、わたしをヴァリアシュテルンに送還して、シャルロッテお姉さまを帝妃にするのをあきらめてなかった、ってことなんだろうなあ。
結婚初夜を寝落ちで明かしたと知ったときに、ゾラさま怒ってなかったもの。いまとなってはいびりの材料に化けたけれど。
唯一の救いは、ゾラさまはけっこうな量の執務を担っていて、わたしを四六時中監督しているわけにもいかないということだった。
ちなみにエルディナントさまは朝の四時起床で、五時には執務室へ入られる。朝食をご一緒しようとわたしも早起きしてみたら、侍女の群れに朝の身だしなみだと一時間拘束された。腹立って次の日ゆっくり寝てみたら、身だしなみタイム20分だったし。
これもゾラさまの差し金だ。皇帝と帝妃は、ベッドルームでさえ親密でいれば、それ以上ベタベタする必要はべつにないというわけ。
……そうはいっても、ゾラさまのことを、いじわるオバン、クソババア、と罵る気にはあんまりなれない。女帝メレナ・テレーゼを模範とし、名ばかり皇帝ハインリヒ陛下在位のころは、あとは判子さえ捺けばおしまい、というところまで政務を片づけていた、実質先帝なのである。
もしエルディナントさま、第二皇子メルヒオールさまがいらっしゃらなかったら、兄ほど虚弱ではないけれどやっぱりいまいち頼りにならない夫君マティアス陛下を名ばかり皇帝として、実質女帝をさらにつづけていただろう。
そしていまでも、エルディナントさまの負担を軽減するために、執務の一部をこなしているのだ。
むしろ、わたしも政務だったら教わりたいのにな。
だがゾラさまにいわせれば、本来女は政治をやるべきではない、人材がいなかったからやむをえず、緊急避難措置で担っていたにすぎない、のである。
そして英帝エルディナントさまの御世となったいま、陛下の妃であるわたしが政治に触れる必要はなく、その権利もないのだと。いずれゾラさま自身もすべての政務から手を引き、エルディナントさまによる理想的な統治、本来のアドラスブルク帝国の姿に戻るのだと。
論難するなら、自らは政治に手を染めながら、わたしには関わるなというのは言行不一致でしょう、というところだけれど、ほんとうにゾラさまが執務から完全撤退してしまうと、空いた時間のすべてがわたしの監視に注がれることになるので、このツッコミは使えない。ぐぬぬ。
「……すみません、聞き取れませんでした」
太后殿下自らによる語学レッスン、流暢すぎるメロヴィグ語についていきかねて、南部なまりのデウチェ語で謝ると、ゾラさまはわざとらしく額に手をやりながらかぶりを振った。
「はぁ……アマーリエはたしかに、セシーリアに王家へ嫁ぐための教育は施されていないといっていたけれど、ここまでできないとは思わなかったわ。いったいおまえ、どこにもらってもらうつもりだったんだい?」
ゾラさまもわたしもヴァリアシュテルンで生まれ育ったから、お国言葉は同じだ。もっといえば、オストリヒテで一番広く話されているのは、この南部デウチェ語である。
王侯貴族から小作農にいたるまで、反メロヴィグで心理的統一はできているのに、どうして宮廷語は敵国のものを使いつづけるのだろう。
「長兄のヨハンは商家のお嬢さんを妻にしました。わが一家としては、シャルロッテが立派な結婚をしてくれれば、ほかの子供に高望みはしていなかったのです」
「まったく、浮浪貴族の考えそうなこと。おまえの父親は、持参金に領収書を切れなどといってきたね、そういえば。その卑しい根性をすべて忘れることだよ、おまえはもう、ウィンステンシュア・ゴットハウゼンとは一切関係ない身なのだから」
嫁の実家をあげつらう姑に、いちいち腹を立てるものではない。そもそもわたしたちは親戚どうしなのだから、自らの一門をけなしているも同然だ。
「……ゾラさまも、ご自身はヴァリアシュテルン王家とはなんの関係もない、とお考えでしょうか?」
それとなく「ご自分がなにをいってるかわかってるんですか?」と確認してみたところ、ゾラさまの語気は揺るぎないものだった。
「仮にオストリヒテとヴァリアシュテルンのあいだに、戦火を交えるほかない事態が出来したとして、わたくしは惻隠しない。全滅する前におとなしく降伏しろと、ヴァリアシュテルンへ通告するでしょう」
さすが「皇宮で唯一の“男性”」というべきか。ゾラさまの意志の強さと、アドラスブルクを崩壊の瀬戸際から救った実績は、なんぴとにも否定できない。
男きょうだいに全部死なれて、帝国をその双肩に担うことになったメレナ・テレーゼは、それでもアドラスブルクの直系だった。外から嫁に入ってきて〈女帝の再来〉となったゾラさまは、ある意味でメレナ・テレーゼ以上の傑物といえよう。
それは認める。いまのわたしではとうてい対抗できない。30年前のゾラさまも、皇宮に味方はだれひとりとしていない異邦人だったけれど、必要な教養は身につけた状態だった。わたしにはその基礎すらない。
わたしはそもそも、アドラスブルクの花嫁になる予定などなかった。嫁いだ相手が第二皇子とはいえ、皇太子ハインリヒに子を為す能力はないとはっきりしていて、最初から将来の皇帝の母となることが定まっていたゾラさまとは、スタート地点からして違うのだ。
……だからといって、わたしのことを愚かで分別のつかない小娘と思ってもらっては困る。
つぎなる帝子を産むだけの肉袋、それ以外の余計なことはせずに、ひたすら皇宮のしきたりに従い、太后ゾラを頂点する序列に隷属せよというつもりなら、大間違いだ。
「ゾラさまはほんとうにメロヴィグ語がお上手ですね。ここはフィレンじゃなくて、ペリムなのかと思ってしまうほどです」
まるでペリンジェンヌみたいですね、と無邪気に聞こえる口調でいってあげると、厳しげな表情は崩さぬまま、しかしゾラさまのこめかみがひくりとうごめいた。
「……そろそろ、溜まっている書類を片づけてくるわ。テキストはおいてきますから、次回までに聞き取れるようになっておくこと」
「はい。ご指導ありがとうございました、ゾラさま」
わたしは従順げな笑みで姑を送り出す。はらわた煮えくり返っているだろうに、涼しい貌の維持はお見事だ。ポーカー強そう。
なにゆえゾラさまが怒りながらも退散したのかというと、わたしの科白には二重の皮肉が籠められていて、それに対し素直に激高するのは、太后としての立場上まずいから。
またすこし、歴史の脇道にそれて、アドラスブルクの事蹟と業を振り返ってみよう――




