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錫婚式(上)


 またあらたな年がやってきた。

 これで春を迎えれば、エルディナントさまとわたしは結婚10周年だ。


 いろいろあったなあ、この10年。

 ……いや、まさにいま現在こそが、いたるところでの問題が同時進行してて、これまでにないほど()()()()()()してるわけですけれども。


 ポリニカ問題ではメロヴィグの調停団が現地入りし、リュース当局とのあいだで綱引きがはじまっていた。

 リュースがわは、できるだけ多くのポリニカ人を隷属下に留めおこうとする。ポリニカ人からも、アドラスブルクとメロヴィグによる調停案は、事実上の父祖の地からの立ち退き命令だとして、反発する声がすくなくなかった。


 エトヴィラにつづいてポリニカ大衆を救わんと、使命感に燃えるバルトポルテ三世の意を受け、メロヴィグの担当官が、キャリテルスキ公爵とともにリュース領内のポリニカの町や村をまわって、説明と説得にあたった――


 武力闘争では勝ち目がないこと。このままリュース軍に鎮圧されたら、東の辺境へ連行されるか、この地で農奴同然の暮らしを強いられるだろうこと。それよりは新天地に移民として渡るほうがマシであろうと思われるが、選択はひとりひとりのポリニカ人に任されていること。などなど……。


 合意されている停戦再々延長期限は、これまでより短い。リュースは内心で、決裂を望んでいる。はたして、キャリテルスキ公爵とメロヴィグ調停団は、ポリニカ人たちをうまく抑えることができるだろうか。


 そのいっぽうで、わがアドラスブルク帝国のポリニカ地域ハーツィアには、プロジャから、新大陸への移民を希望するポリニカ人が送りつけられてきた。その数は二万人ほどで、プロジャ支配下のポリニカ人全体からすれば一パーセント未満である。

 私財の持ち出しは認められ、不動産所有者はおおむね相場の価格でプロジャ人に地所を売却することも許可されたそうだ。


 プロジャのディズマールは、ほんのわずかとはいえ、体よくポリニカの土地をデウチェ民族に明け渡させることに成功したわけである。プロジャは今後もすこしずつ、この種の手管を繰り返してポリニカを侵食していくのだろう。


 鉄道でトライエットまで移動したポリニカ人たちは、海路でメロヴィグへ渡り、そこからは随時新大陸行きの船に乗ることになる。ゼクフィコだけではなく、ステイツや、その他の国を希望する人もいるようだ。


 その新大陸では、内戦のつづくステイツにおいて、北部共和主義者(リパブリカン・)合衆国(ステイツ)が、南部自由合衆国(フリーダム・ステイツ)をあきらかに圧倒しはじめていた。

 北部の海上封鎖は、農産物の輸出で外貨を獲得していた南部経済を干上がらせ、さらに、工業力が低く輸入に頼っていた南部の軍備にも大打撃を与えていた。

 南部にはすぐれた将軍が多くいるが、もう、個別の戦場での勝利で北部の優位を覆すことはできない。北軍には無尽蔵の新戦力がひかえているのに対し、南軍にはあらたな軍団を編制する余力がないのだ。


 戦術の妙に頼っても、南部は敗北を一日ずつ先延ばしにすることしかできない。しかし北部は南部政権存続での講和を認めず、北部主導での国家統一回復と、個別の州が合衆国(ステイツ)から離脱する権限を否定する改定憲法の受け入れを迫って、圧力をさらに高めていた。


 大勢は決したがすぐに終戦というわけにもなりそうにないステイツの状況は、ゼクフィコのメルヒオール陛下にとってはチャンスといえる。

 国内を固め、政権運営を軌道に乗せることができれば、再統一を果たしたステイツからの干渉をはねのけることができよう。同じ正教信奉者であるが、イルパニアやメロヴィグよりオストリヒテに近いポリニカからの移民は、メルヒオール陛下の力になるはずだ。


 ……そして、ふたたび海のこちらがわ、旧大陸情勢に目を戻すと、ユテニア半島のスレズヴェルヒ・ヘムシュタイン紛争において、前年のうちにサクノス・ハルファーデン軍と入れ替わりでヘムシュタインに進駐していたアドラスブルク・プロジャの協約軍が、ついにダンヴィケ・スレズヴェルヒ同盟軍との交戦に突入した。


 地の利はダンヴィケ・スレズヴェルヒ同盟にある。ヘムシュタインを事実上あきらめたダンヴィケは、スレズヴェルヒをなんとしても維持しようと防衛線を複数構築していた。


 対するアドラスブルク・プロジャ協約の第一目標は、スレズヴェルヒのうち、デウチェ系住民の割合が高いエーザー川以南の地域であった。ユテニア半島に運河を通す計画を持っているらしいプロジャは、さらに占領域を北へ押し広げ、あわよくばスレズヴェルヒ全土を得たいと考えているだろう。


 緒戦となったディンフェレク防塁周辺の攻防では、アドラスブルク・プロジャ協約軍がダンヴィケ・スレズヴェルヒ同盟軍を退け、拠点の占拠に成功していた。

 ディンフェレク防塁のあるあたりは、スレズヴェルヒ公国といっても南の端で、デウチェ系住民が多い。近傍の町ヒズデンテに入った協約兵たちは地元住民から歓迎を受け、焚き火にあたりながら、真冬のユテニア半島の寒気で冷え切った身体をあたためる、熱いスープを振る舞ってもらうことができた。


 とはいえ、半島を北へ進むごとに、ダンヴィケがわを支持する地域住民は増えていくし、本拠地である島嶼部から海を渡って同盟軍の増援が到着するかもしれない。エーザー川までの進出はほぼ確実とはいえ、そのさきも協約軍が楽に勝てる見込みはなかった。


    +++++


 世間はきな臭さの度を増しているが、いちおうは平穏な空気が保たれている帝都フィレンでは、皇帝夫妻の結婚10周年を祝う錫婚式の準備がはじまっていた。


 戦時なので、そんなに派手ではない。市内をパレードして、皇宮のバルコニーから手を振って、祝賀宴と舞踏会には、基本的に国内の有力者のみ(といってもけっこうな数になるが)を招いて……外国のかたは、フィレン駐在の公使のみに留める。


 平時であったら定型の儀典をこなすだけで六時間はかかる節目の行事だが、いくらか短くすむだろう。……戦争に感謝しちゃいけないんですけれど、できればこのさきも簡略にすませたいなあ、と思ってしまう。


 パレードと一般観閲で着るための、あたらしいアジュール様式のドレスをビュラの仕立て屋に注文するため、娘たちの採寸をすることになった。育ち盛りの子供たちに、ビュラでの戴冠式のときに着たドレスは、当然ながら、もう入らない。

 仮に着られたとしても、饗宴のたびに新品の礼服を仕立てるのが王侯貴族のたしなみというものだが。

 例外は、600年の帝国の歴史を見せつける必要がある、即位式や戴冠式といった一級の国事儀式のときくらいだ。そういうさいには500年前から伝来する皇帝冠と帝笏にマントで身を固め、伝統を誇示するのである。


「お父さまとお母さまは、けっこんしてから10年になるのね」

「そうだよ」


 長女のゾラは、そろそろ九歳。話しぶりもずいぶんと大人びてきた。わたしが九歳のころは野山を駆けまわって遊んでばかりで、猟師か木こりの娘だと言ってもだれも疑う人がいなかったから、ずいぶんな差だ。


「パパとママは、どうしてずっとなかがいいの? アンリでんかのパパは、ママいがいの女のひととばかりなかよくしてたのに」


 仕立て屋に手足の長さを測られながら、いきなりそんなことを言い出したのは、次女のテレーゼだった。


 子供って、けっこうそういうところはしっかり見てるわよね。でも、ペリム訪問中にバルトポルテ三世やルティアーナ妃とうちの子たちが同席してたのって、そんなに長い時間じゃなかったし、そのあいだはずっと、メロヴィグ皇帝夫妻は仲睦まじげにしていたと思うのだけれど……。


 答えにくい質問にわたしがあいまいな表情を浮かべているうちに、ゾラがさらに踏み込んでくる。


「アンリさまは、わたしとテレーゼのどちらかを、おきさきにしてあげてもいい、っていってたわ。わたしは、10年たったときに、でんかがあなたのお父さまに、()()()()()()()()考えます、って答えておいたのだけど」

「あー……そうなのね」


 ひとりの女の子としては、よくぞ言った賢いぞ、と褒めてあげたいくらいのゾラの受け答えだったけれど、アドラスブルクの第一皇女としてはなかなかの爆弾発言をしていたと、いまさら聞かされて背筋に冷や汗が流れた。


 メロヴィグの皇太子になんということを。下手をしたら、本題だったポリニカ政策協調にヒビが入っていたかもしれない。


 子供どうしの他愛のない会話だという以上に、ルティアーナ妃が、あえてアドラスブルク皇女の発言を咎めなかったのだろう。夫君バルトポルテ三世に聞かせてやりたかったのか。


 年端もゆかぬ他国の姫からすら苦言を呈される浮気性を、はたしてバルトポルテ三世は反省したのかどうか。……たぶん、わかっちゃいるけどやめられない、って状態なんでしょうけれども。


 わたしも実際に直接バルトポルテ三世といくらか話はしたけれど、個人としては芯のある、好人物だと思う。正直、男性として惹かれるものは感じなかったんですが。

 ルティアーナ妃のいうとおり、向こうが、わたしに対しては遠慮して欲情(リビドー)を抑えていたということなのかもしれない。


 さすがに、わたしがぴくりとも感じなかった男に、権力だけでつぎつぎと女性を射止めることはできないだろうし。

 そもそも、在野のころからかなりのプレイボーイとして有名だったおひとだ。おそらくは、口説き落としモードになると磁力を発揮するタイプなのだろう。


「ルティアーナさまはすてきな女の人なのに、どうしてバルトポルテへいかは、お父さまがお母さまのことだけをあいしているようにまんぞくできないのかしら?」


 ゾラは話を中途半端に切り上げてくれそうになかった。……さて、どういうふうに納得させたものだろうか。


「えーっとね……動物園には、いろんな生き物がいるわよね? ウマとか、クマとか、ゾウとか」

「うん。それがなあに?」


 フィレンには、女帝メレナ・テレーゼの時代に造られ、三代前の皇帝カール二世が拡充した動物園がある。うちの子供たちにとっても、当然ながらお気に入りスポットだ。


「ゾウは、毎日ものすごい量の草を食べているわよね。ウマの何倍かしら、10倍か、20倍か、もっとかも。とにかく、動物が必要とする食べ物の量は、それぞれ大きく違う」

「うん。……それで?」


 ゾラは、母親がなにを言っているのかわからない、といった顔だ。こっちとしても、こういう話をするのは不慣れなので、あんまり要領よくは説明できない。


「愛情っていうのは、人間の心にとって、栄養、食べ物のようなものだわ。そして、人間の心は、動物園の生き物たちのように、ひとそれぞれ、大きく異なるの。ゾウのようにたくさんの愛情を求める人がいれば、カメみたいに、そこまでは求めない人もいる」

「バルトポルテへいかはゾウみたいな心で、お父さまはカメみたいな心だっていうの?」

「すごく単純にいうとね。わたしとルティアーナさまが、ひとりの男性へ与えることのできる愛情には、そんなに差はないわ。もしバルトポルテ陛下のお妃が、ルティアーナさまじゃなくてわたしだったとしても、バルトポルテ陛下はやっぱりいろんな女性を求めるでしょう。逆に、エルディナント陛下のお妃がルティアーナさまだったとしても、エルディナント陛下は浮気とかはしない」


 ゾラはしばらく眉間にシワを寄せて考えていた。理屈としては飲み込めたようだけれど、あまり得心している顔ではない。


「それは、バルトポルテへいかのがまんが足りないだけじゃないのかしら? ()()()()つつしむべし、って大司教さまがいってたわ」

「それはそうね。……でも、我慢っていうのは難しいからこそ、お説教のお題目になっているのよ」


 もし、子供のころのわたしが母親からこんな話をされたら「なるほど、人間は我慢ができない生き物なのか。じゃあ、無理せず好きなだけお菓子を食べよう」と、都合のいい解釈をしただろう。

 だがゾラは、わが娘ながら良い意味で不肖、賢い子だ。


「もし、お父さまがバルトポルテへいかみたいに、ほかの女の人と()()()()()になったら、お母さまは、がまんできなくてもしかたない、ってゆるしてあげるの?」


 寛容を説く母親を試す質問をしてきたゾラへ、わたしはにやりと笑う。


「憤怒つつしむべし、それもまた神さまの教え。だけどね、わざわざお説教になっているということは、憤怒もまた、我慢が難しいということよ。わたしは怒るべきときがきたら、我慢しようとは思わないわ」

「それでいいんだ」

「もちろん。我慢することは美徳だけれど、あらゆる苦難と理不尽に無条件で耐え忍ぶなんて、愚かなことよ」


 いまこの部屋にいるのは、採寸にやってきた仕立て屋の人たちと、マイラー伯を介して募集したアジュール派の侍女だけだ。エクセルハーディ伯爵夫人ら、太后ゾラさま子飼いの女官は不在なので、躾けのなっていない帝妃が皇女にロクでもないことを吹き込んだと、青筋立てる人はいない。


 もっとも、太后ゾラさま自身、夫君マティアス大公を敬して愛さず、割り切った距離を保ちつづけているのだから、孫娘に、殿がたの意にひたすら適うこと、忍従のみが婦徳の道だ、という教えかたはしていないはずだけれど。


「おばあさまは、自分のだんなさまが外でなにをしているか、しらべようとするものではありません、っていってたけれど」

「わたしはエルディナントさまがお外でなにをされているか、調べようとは思ってないわよ」

「それは、しらべるまでもないからでしょう。お父さまは、お母さまのことをうらぎるようなマネはしない」


 知ったふうな顔で、ゾラはこましゃくれたことをいう。わたしは微苦笑していたけれど、つづいてゾラが口にしたのは、思いもかけないことだった。


「だから、おばあさまはお母さまのことがうらやましいのよ」

「ゾラさまが、わたしのことを羨ましがっている……」


 いままで、そんなこと考えたためしもなかった。

 手塩にかけて育てた自慢の息子が、本来予定されていた完璧なプリンセスのシャルロッテではなく、不出来な妹のセシーリアを妻に選んでしまったという、人生のままならなさが、ゾラさまのわたしに対する隔意を生み出しているのだと思っていたけれど。


 多種、つまり多情が基本のアドラスブルクの男にあって、一途な性格のエルディナント・フランツに愛されるセシーリアが、同じアドラスブルクに嫁いだ女として、羨ましい、妬ましい……ゾラさまの心のうちにあるのは、そういうものなのだろうか。


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