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帝妃ルティアーナ


 バルトポルテ三世がボルヴァナト家の居城と定めたエテメナー宮は、ペリム市内に数ある宮殿の中でもっとも大きく豪勢だ。フィレンの皇宮とほぼ同じ規模を誇っている。


 郊外にあるヴェルサリア宮殿はさらに広くて格式も高いのだけれど、ここ最近のメロヴィグ政府の()()行事(バルトポルテ三世はじめ、元勲たち主催のパーティ自体はよく開かれている)には使われていなかった。ちょっと遠くて不便だから、というだけではない。


 メロヴィグの旧王朝末期、歴代の王と大貴族たちは俗世から隔絶されたヴェルサリア宮で政治を行い、机上だけで考え出された政策は実情と乖離してゆき、民衆の憎悪と革命熱を高めることになった。

 革命政権は絶対王制の象徴ヴェルサリア宮を嫌い、その後を襲ったバルトポルテもペリム市内で政務を司り、郊外のヴェルサリアにはめったに出向かなかった。

 伯父を模範とするバルトポルテ三世もまた、国民とともにある皇帝、というイメージを守るため、戦時以外は休暇をのぞいてペリム市中から離れないようにしている。

 かつては、下々の目にみだりに姿をさらさないことこそが、神授王権を受けた君主のありがたみを増す秘訣であったが。


 ……各国宮廷儀典の模範であるメロヴィグ式の饗宴、さぞ堅苦しいのだろうと思いきや、存外に開放的で、ざっくばらんな雰囲気だった。

 バルトポルテ三世が、身分を問わず資金力と実行力を持つものに政財界の指導層への門戸を開いたから、ということが関係しているのだろう。


 さすがは食の都ペリム、といった感じの、美味しいメニューつづきの晩餐会が終わり、舞踏会の段となった。


 デコルテの大きく開いた、見えちゃいませんか? と心配になってくるほど大胆なドレスに身を包んだ女性たちが、大広間を華やかに彩る。

 上は肌色面積50パーセントの反面、スカートはフレーム枠(クリノリン)入りで、軽快なオペレッタのリズムに合わせたステップ中でも脚はさらされない。

 最近のメロヴィグの殿がたは、もはや胸の丘陵や谷間がいくら見えても一切不感症で、極端な脚フェチになっているという話であるが……確認するほど滞在する予定はないから、まあいいか。


 わたしはペリムの最新モードとはかけ離れた、アジュール婦人のドレスを着ていた。流行に逆らって「めんどくさいのでダンスに誘わないでください」アピールというだけ(ちょっとはあるけれど)ではない。

 この状態のわたしはアドラスブルク帝妃殿下ではなく、アジュール王妃()()である。社交場でもっともモノを言うのは()だ。陛下(マジェスティス)に話しかけられるものなら話しかけてみなさい。……あ、やっぱり面倒なだけですかね。


 もちろん、主賓の妻なのでずっと椅子に座りっぱなしというわけにもいかない。舞踏会の冒頭でエルディナントさまと一曲、バルトポルテ三世と一曲踊ってはいる。


 バルトポルテ三世は、わたしとの儀礼的ダンスのあとも、つぎつぎと向こうから近寄ってくる美女たちと休みなく踊りつづけていた。女たらしの浮気者だという話だけれど、若い娘だけでなく熟女に対しても平等に好色そうな目線で、ある意味あっぱれだ。

 ……わたしと踊っているときはなんか遠慮がちだったけれど、エルディナントさまの目を気にしていたのかな。


 元首おふたりと踊り終えて、義務は果たしたとばかり、わたしは自分の席にどっかりと腰をすえている。もっとも、ペリムの流行最先端であるオペレッタは踊れないので、仮に誘われてもお断りするしかないですが。古典的ワルツが演奏されていたのは、最初のうちだけだった。


 わたしのテーブルのすこし向こうがわでは、エルディナント陛下が、ダンスへ誘い出そうとする胸もとのしどけない女性たちに群がられていた。如才ない会話で、相手の機嫌を損ねないようにしながら断っているようだけれど。

 べつに、ダンスくらいかまわないと思いますが、わたしは。胸もと九割開襟の豊満なバストで目の保養をなさるのも、たまにはいいでしょう。子供四人産んでるうちにいくらか育ったけれど、わたしは()()()()ですからね。


 ……と思っていたところで、身分の高そうな女性が、エルディナントさまの口上を聞いてから、儀典官を呼び寄せてなにごとかを耳打ちした。

 しばらくすると、楽隊が一度手を止めた。オペレッタが中断し、古典的ワルツに切り替わる。舞踏会冒頭にかかっていた曲。


 あ、なるほど。オペレッタは踊れない、とエルディナントさまは躱していて、逃げる口実を封じるためにあの女性は曲を変えさせたのか。


 しかたなし、といった顔で、エルディナントさまが手を差し出す。身分の高そうな女性はあでやかな笑みで陛下の手を取り、ふたりが踊りはじめた。


 あのひと……ルティアーナ妃に似てるな。たしか、妹ぎみがいらしたはず。パンローゼ公爵夫人でしたっけ。

 37歳のルティアーナ妃の妹さんだから、たぶん32から、35歳くらい。わたしよりも、エルディナントさまとの年齢的釣り合いは取れている。


 ルティアーナ妃は、貴族令嬢としては()き遅れの域に入る26歳まで、自分にふさわしい旦那さまを見つけるまではと、己を安売りすることなく独身を貫いて「鉄の処女」と呼ばれていた。パンローゼ公爵夫人のほうは姉よりさきに結婚し……たしか夫に先立たれて、いまは未亡人。


 ワルツが終わり、大広間狭しと踊りまわっていた男女が動きを止めた。

 拍手をしていたわたしのほうへ、パンローゼ公爵夫人が歩み寄ってくる。


 いちおう、こちらからさきに口を開くのがマナーだ。


「曲を変えてくださって、ありがとうございます。夫もわたしも無骨な田舎者ゆえ、ワルツでないと踊れないもので」

「皇帝陛下を無断でお借りした無作法をお詫びにまいりました、アジュール王妃陛下」

「いえいえ、オペレッタのままだれかに連れ出されて、ひっくり返りはしないかとハラハラしていましたから。アドラスブルク家当主としての体面が守られました、こちらからお礼を申し上げたいくらいです、パンローゼ公爵夫人」

「わたくしなどの名を憶えていただけていたとは、感激ですわ。……バルトポルテ陛下は、いつでも女性に誘われるのは大歓迎なかたですのに、エルディナント陛下はセシーリア陛下ひとすじでいらっしゃるのね」


 パンローゼ公爵夫人は、どういうつもりでエルディナントさまをダンスに誘ったのかしら。姉のルティアーナ妃から、バルトポルテ三世の浮気癖について愚痴を聞かされたのだろうか。


 ……と、当のルティアーナ妃が、どこからともなくわたしのテーブルにやってきた。このゴージャスな存在感を見落とすはずはないから、しばらく大広間を外していたに違いない。舞踏会がはじまったときに、バルトポルテ三世と、エルディナントさまと、一曲ずつ踊っていたのはたしかなのだから。


 飲みものを一杯わたしへ差し出しながら、ルティアーナ妃が訊ねてくる。


「セシィのそのドレス、シックね。アジュールのものなの?」

「はい、アジュールの伝統衣装です。個人的にもすてきな刺繍が気に入っていますが、それ以上に、わが帝国の片翼として、アドラスブルク家を支えてくれるアジュール民族の心意気を身につけることで、わたし自身勇気をもらえているんです」

「……なるほどね。あなたみたいな絶世の美女と踊る機会がめぐってきたのに、夫が目の色を変えないから、どうしたのかと思っていたのよ。エルディナント陛下のほうを物欲しげに見たりして。男性相手に急にそんな目をするとか、頭でも打ったのかしらって」

「は、はあ……」


 すみません、リアクションしづらいんですが。


「アドラスブルク皇帝の妻だから、という遠慮ですらなく、あなたがまぶしすぎて、いやらしいことすら考えられなかったのね。そんな女性を妻にしているエルディナント陛下が、たまらなく羨ましくなったのでしょう、バルトポルテは」

「わたしに色気がないだけという可能性は……」


 バルトポルテ三世はエルディナントさまよりいくらか背が低くて、わたしと並ぶと身長差が露骨だった。

 自分よりあきらかに長身の女が気に入らない、男性心理としてはありそう。このドレス、デコルテ切れ込んでないし、見ていて楽しくなかったとか。仮にペリム流行スタイルでも、わたしだと()()が低いですけれど。


 ルティアーナ妃はわざとらしく肩をすくめ、


「バルトポルテはね、胸とお尻の豊かな女と同じくらい、清楚で身持ちの堅そうな娘が好きなのよ。わたくしはかつて、その両方を兼ね備えていたから皇帝を()とせた。……でもそれも長くなかった。なにが必要だったのか、いまになってわかったわ。まあ、わたくしにはもう手遅れですけれど」


 そういうと、大きくため息をついた。嘆くほど、その容色が衰えているとは思えないけれど。


「アナさまはお美しいですし、気品も知性もお持ちです。手遅れだなんて」

「ありがとうセシィ。お世辞じゃないということが伝わるように人を褒めることができるのは、才能よ。わたくしに足りなかったものは、そういうもの。このひとを裏切れば二度と顔向けできないと、相手に理屈抜きで己の行いを正させる、魂の高貴さ」

「わたしに、そんな、霊能じみた力はないですよ」


 見てくれや頭脳を過大評価で褒められているぶんには、いやいや買いかぶりですよ、ですむのだけれど、超常的なチカラがあるだなんて言われると、不気味になってくる。

 自分が自分ではないような感じで。


「エルディナント陛下は、決して浮気をしないでしょう。あなたにバレなければいい、などとは思わない。自分の心にやましさがひと欠片でもあれば、もうあなたに触れる権利がなくなると、本気で信じていらっしゃる」


 といったのは、まだ立ち去っていなかったパンローゼ公爵夫人だった。


 ……この姉妹、オカルトに傾倒でもしているのかしら?

 上流階級のご婦人は、占いやおまじないの域を超えた神秘思想に凝りがちで、そこを突いた詐欺師に食いものにされる、ということがままあるけれども。


 こちらが真に受けていないのが顔に出ていたようで、


「信じていないわね、セシィ。でもそれがいいわ。夫に面と向かって『あなたは私の魔法にかかっている』だなんて言ってしまえば、そこで解けてしまうもの」


 そういいつつ、ルティアーナ妃は意味ありげに微笑む。


「わたしは……運命とか魔術とか、信じていないんです」

「そうでしょうね。たぶん、だからこそあなたの魂には力があるのよ。……わたくしの父は熱烈なボルヴァナティストで、イルパニアがバルトポルテの傀儡状態から“解放”されたときに、新政権への忠誠を宣誓せずに、公的地位を投げ出すほどだった。わたくしはボルヴァナト一族のだれかがいずこかの国の君主となったとき、その妃となるのが自分の運命なのだと信じていたわ。そう……バルトポルテ三世個人を、特別な相手だとは考えていなかった。それがよくなかったのでしょうね」


 夫の浮気の虫を抑えきれなかったのは、愛の呪縛が足りなかったから――ルティアーナ妃はほんとうにそう思っているのだろうか。


「……わたし、エルディナントさまのことを、愛して結婚したわけではないんです。陛下と結婚するのは、姉のシャルロッテのはずだった。それなのに、わたしが遊び半分でついていったばっかりに、お姉さまから陛下をかすめ盗るようなかたちになってしまった」

「それで、あなたはどうしてエルディナント陛下と結婚することにしたの?」

「わたしがいくら固辞しようが、もう陛下がこちらに振り向くことはないと、姉に言われて……ようするに、実家の名誉のためです。アナさまと同じですよ。わたしは特別じゃない。アナさまだって……」

「そこよ」


 シャルロッテお姉さまを思い出すやさしい笑顔で、ルティアーナ妃が割り込んできて、わたしは言葉を切らした。


「……そこ?」

「あなたは自分を特別視しなかった。わたくしは、自分は“特別”だ、運命に選ばれているんだと、驕っていた」


 そういって、ルティアーナ妃は自嘲気味に微笑む。


「アナさま……」

「あら、べつにわたくしを心配したり、憐れむ必要はないわよ。夫は躾け損なったけれど、わたくしはアンリを得ている。運命に敗れたわけではないわ」


 あでやかで女王然とした(かお)を取り戻したルティアーナ妃へ、わたしも辛気くさい表情を振り払う。


「わたしなんかがアナさまのことをお可哀そうだと思おうだなんて、生意気でしたね」

「あなたと会えてよかったわ、セシィ。今度は、政治的な用件でスケジュールが押していないときに会いましょう」

「わたしも、アナさまにお目にかかることができて、ほんとうによかった。つぎはもっとゆっくりお話したいです」


 ペリム訪問は、アドラスブルクとメロヴィグの外交的連携強化という大きな成果が挙がったけれど、わたしにとっては、ルティアーナ妃との出会いが一番の収穫になった。



ちなみに「シック」という言葉に「イケてる」「趣味が良い」などのポジティブな意味合いが発生したのは、地球では本当に19世紀のことだそうです。

ルティアーナ妃のモチーフである、ナポレオン三世妃ウジェニーが使い始めたんだとか。

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